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前に広がる無限の想像力

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ネットストリームを、机にしがみついている時は、相変わらず流している。通話の時などにミュートにする。

世界中の文化番組も面白いが、音楽番組の特に生中継番組はこうした放送局を聞く醍醐味である。世界を時計方向に廻っていくとアジア地域を外せば、大西洋の東西でコンサート中継がひっきりなしに聞ける。

今これを書きながら、イリノイ大学の管弦楽団の中継録音を聞いている。一時美人歌手として話題となったオランダのフレデリカ・シュターダがこんな所で歌っているとは思いもよらなかった。サムュエル・ラミーなどとテノール歌手ジェフリー・ハードリィーを記念した演奏会の中継ものであった。

シカゴは午後八時過ぎのようだ。スポンサーの活動を散々聞かされるが、当地の交響楽団のBP提供の中継コンテンツなどもこのWSMTが行なっているらしい。

床に入る前は、お馴染みのフランス・ムジックで放送交響楽団のフランス初演やリゲッティーの「アトモスフェアー」などを堪能していた。フランスの放送局の音響周波数特性は、独特のその言語の様に国民性が表れているようで、車のラジオですらそれを感じるが、パリでの録音はマイクロフォンセッティングなどなかなか優れていた。

こうした音楽放送の良さや、なんと云っても臨場感溢れる新鮮な音響は、ラジオ放送とその簡易なラジオ機器に相当したものであるのが分かる。

その前に聞き流していたオーストラリアの放送局ABCがシドニーのオペラハウスから生中継するのは、ピニアニストのエマニュエル・アックスを迎えたコンサートであった。ピアノや休憩時のインタヴューなど面白ろく良かったが、管弦楽団のシベリウスの演奏と云い、その録音音響と云い今一つであった。ABCと聞くと嘗ての日本のBCLファンは、その英語を思い浮かべる人は少なくないであろう。

実は、先日からそうしたラジオ放送向きにローマ放送局で制作されたヴァーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」を聞いている。スピーカーと同じように日本から船便で送ったものである。愛蔵番号1815の入った指揮者フルトヴェングラーが1953年にイタリアの放送交響楽団の選抜で行なった録音を纏めた19枚組みのLPである。戦後のミラノのスカラ座での録音も存在しているようであるが、今回長い年月を隔てて久しぶりにこれに針を置くと、思いがけずに素晴らしい録音であることが知れた。

何よりも興味深いのは、後任のフォン・カラヤンがザルツブルクでの復活祭音楽祭で始めたような、座付き管弦楽団ではなく交響管弦楽団を駆使しての楽劇の演奏でラジオ制作された利点が最大限活かされていることである。このもともと高名な考古学者の下に生まれ育った作曲家志望の指揮者は、ロマンティックなヴァーグナーの音楽をキャリア最初期には敬遠していたのだが、後年にはその音楽構造に熱中していたと云われる事情をここに聞きとることが出来よう。

その翌年の1954年の死の床まで制作準備に取り組んでいた第二夜「ジークフリート」に先立つ、最後の仕事となったヴィーンでの第一夜「ヴァルキューレ」以上に最高の録音と誉れ高い「トリスタンとイゾルデ」を髣髴させるのである。特にラジオのこちら側で聞いていたらさぞ楽しかったと思わせるような、ラジオ劇場「ニーベルンゲンの指輪」的な雰囲気と面白さが満載なのである。平行して名プロディーサー、カルショーの制作などの徹底した楽劇の録音芸術化が試みられ、また一方バイロイトでの中継録音や映像などが存在するが、今後ともこうした本格的ラジオ劇化は不可能と考えるとこの録音の唯一無二の価値が理解出来る。

様々なメディアが存在する中で、ラジオブロードキャスティングの秀逸は、そのCDやDVDのように繰り返し再生には存在しないオンタイムのライヴ感覚と、映像が奪ってしまう音により広がるイマジネーションの飛翔に違いない。それが、ネットによって電波の伝播を考えずに地球の裏側にオンタイムで届き、尚且つ朝日が昇る無限の創造力の地平線が目前に広がる光景は圧巻である。



参照:
on the air:ハイティンク/シカゴ響のマラ6 (庭は夏の日ざかり)
世界の机の前に齧り付く [ テクニック ] / 2008-06-15
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
by pfaelzerwein | 2008-06-17 12:36 | | Trackback
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