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スポーツを逸脱する卓球

今日は朝からピンポンであった。それほど早くにTVをつけたのではないが、晩夏の霧がかかる朝、朝食の準備をしながら、オリンピック中継を流しておいた。

結局お昼まで三時間半に渡って他の競技を挟みながら生中継していたのである。ドイツでピンポンが話題になったのは半シナ人と呼ばれるティモ・ボル選手の活躍が大きいようだ。いずれにしても、昔は日本人も強かった。

卓球人口が多い事が関心の大きさでもあり、競技人口如いては頂点の秀逸となるのが常であるが、ピンポンの場合は「卓球など」という印象の方が一般的には強いのではないだろうか。

競技をやっていた同級生もいたが、ピンポンとは、「虎屋の横のたこ社長の印刷所のような中小零細企業に集団就職で雇われた従業員の余暇」もしくは「丹前を羽織ってビールを引っ掛けながらの温泉旅館の余興という如何にも昭和時代」のイメージを持っている。そして欧州においても、保養地のホテルの地下などに卓球台が置かれているような情景がどうしても浮かんでしまう。

さらには、吉本新喜劇の故岡八郎のヤクザものに囲まれたときのギャグに当時の一般的な印象が刻印されている。八チャンが、「おれはこうみえてもな、学生時分は運動部に所属していたんや」、「卓球部やけどな」、そして「それだけとちゃう、空手もや」、「通信教育やけどな」と言って、皆をこけさせるものである。

その印象は今でも変わらないが、どうもピンポンの質は、それから二転三転しているようで、実際にル-ル変更や機具などの変更もあったのだろうか?シングルの試合はあまり文字通りピンポンが繰り返されなく、更にペアーに比べるとダイナミックさもあまりない。

日本チームの帰化人選手にドイツ人の帰化人選手が露払いのように戦い、中国対*ロシアの感がある。ロシアのメダル数は、ソヴィエトとのテリトリーの差を省いてもやはり至極少ない。良い選手は全て裕福な国への移住してしまったのだろう。しかし、オリンピック批判は改めて纏めよう。

あまり技術的な面白さは解説されることがなくとも、目に止まらないほどの早い玉の応酬は面白い。まさにピンポンである。あんな「保養中の老人がやるような競技」と思いながらも、形勢が絶えず変化するのもピンポンである。短パンを捲し上げチューリップブルマのようにしたズース選手や、恐れを知らぬ岸川選手の胸のすくプレーも安定感のあるティモ・ボルには結局敵わなかった。

そして、ピンポン外交という20世紀の冷戦下の歴史の一頁があったように、ピンポンを交換する姿は、コミュニケーションにおけるそれであり、将棋やチェスに通じるような戦略やディアローグの面白さがそこには存在しているのが初めて分かった。

そのように考えると、ドイツチームが恐らく超絶技巧の中国チームには誰も勝てるとは思わないのだが、心理戦的な面もあって、金星を空想すれば良いだけの気楽なチームワークの良さそうなドイツチームが中国の弱みをつければと思うと、決勝戦が結構楽しみになる。


*ドミトリー・オフチャロフの経歴を見ると、チェルノブイリの事故を理由に父親のソヴィエトチャンピオンと共に1992年にドイツに移住している。
by pfaelzerwein | 2008-08-17 02:21 | 雑感 | Trackback
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