夜中に北京の町をみる

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夜中に北京からの中継を観た。女子マラソン中継で北京の町を見るのが目的である。

北京には行ったことはないが厳冬の早朝の写真を上から撮った事がある。だからその拡がりや、天安門広場周辺の帝国然とした雰囲気は目撃して知っている。

結論から云えば、自転車競技のように郊外を走らないので、そのTVで中継される画像はつまらなかった。つまり、北京の町に観光に行くつもりなどはさらさらないと思った。

番組の初めでは、特に独第一放送では天安門虐殺事件に触れるのみならず、人民蜂起の血生臭い歴史を一通り説明していた。

そして、画面に映し出される風景は、決して歴史が古くはない ― 古ければ良い訳ではないが ― 中華帝国の首都に、嘗ての共産圏諸国のような色合いを持ったごつい建造物群と最近の味気ない近代的な建造物群が立ち並ぶ風景である。自転車の一台も見かけない中共の首都は東京の皇居界隈のように異様な姿を曝け出している。

繰り返すが八百年ほどの歴史で、列強の圧力を受けて破壊され朽ちた首都は、マオイズムの威光がなくては文化的な意味をも持たない。オリンピック開会式で示された文化の無い帝国の首都そのものなのである。天壇公園などは、本来は北京大学の横に並ぶ現在の清華大学の横の位置にあった円明園などには及ばないと云う。

沿道には数知れぬ「日の丸」が散見されたが、そもそも今回のオリンピックに向けた自由民主化への動きが進んでいない実状から、参加選手の親族などを除いて、彼らは一体どのような政治的アピールをして居るのか大変疑問に思われる。

そこにいるだけで政治なのである。だから政治的な行動をしなければいけないのだ。

旅行者以外にも北京に生活する日本人は少なくないのだろうが、嘗ての開拓者であった満州に住んでいた日本人以上にその立場は将来に渡って問い質されることになろう。



参照:
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
黄金晴れのロココ日和 [ 暦 ] / 2007-10-01
モーツァルトを祀り上げる [ 音 ] / 2006-10-03
フランケンタール窯の興亡 [ 文化一般 ] / 2005-08-15
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by pfaelzerwein | 2008-08-18 04:27 | マスメディア批評 | Trackback
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