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市民を犠牲にやってみた

「創造力など存在しない」とする一節をBLOGで見かけた。定期観覧している場所であったが、何処であったか分からなくなった。その前後からみると、既にそうして創造される知的創造物は宇宙のどこかに存在していて、ただそれが認知されるという考え方と理解した。そうとなれば、やはり世界観の問題であり、予定調和的に表れるのではなくて、歴史の中で偶々あらわれるというものなのであろう。

自然科学や実証的にまたは理論的に議論される分野においては、歴史の中での継続した判断基準となる土台の上で、 個 人 的 な創造力の集積として新たな歴史が築かれる。さもなくば永遠の停滞があるか、そこにはゾンビ社会が存在するのみとなる。

政治学では、これをして*「プティングの味は食べて見なければ分からない」という革命的状況における「賭け」の要素が一つ一つの判断につきまとい、「やってみた」瞬間にもはや行為は状況の中に編入されて、「やってみる」前の状況、つまり「理論的」分析の対象となった状況とは変わっていることを指す。

ここ数週間に起こった事件をみれば、グルジアにおけるロシア軍の侵攻やアフガニスタンの治安悪化に、こうした**「自己の責任における賭け」の帰結がある。要するに***「人格的決断は常に一般的=普遍的なものに還元されるから、それだけ政治的責任の意識は退行するし、状況を自己の責任において捜査する可能性も見失われてしまう」となる。

軍事行動もしくは解決法は、常に軍事行為自体の目的化の中に本来の機能を失うものであるから、政治的に「やってみる」決断したあとの状況判断がより重要となるのは周知である。

ドイツ国防軍における職業軍人への志望者数が半減している状況があるようだ。昨年度は、増えていたので余計に、アフガニスタンなどでの殉職の影響がとやかく取り沙汰される。

安定した生活基盤が職業軍人のもっとも重要な側面であるから、海外派兵での危険な任務は国防軍の本来の使命からすると甚だ異なるのは当然である。因みにアフガニスタン派遣の日当は、82ユーロであるから、現在の派遣先の状況からすると合わない。

たとえオバマ候補が、ドイツ連邦政府に国際貢献を求めても、こうした危険な任務への志願は金銭的な興味以外に、なんら普遍的なイデオロギーに囚われてはいけない。今や良識をもった世界市民は、如何なる善意から生じた行動であろうが、その行動によって生じた反応を注視して新たな決断を迫られる必要を認知している。

我々は、イスラム教徒の性差別や中共の中華思想などを改めさせるだけの意志をもってはいるが、それを普遍的なイデオロギーとして振りかざすつもりはない。だから、市民を犠牲にするような、派遣された人員を犠牲にするような行動は中止すべきで、さもなければそれはタリバン同様にイデオロギー化した蛮行に他ならなく、政治的責任への意識も自己の責任も希薄となっているに違いない。


*, **, *** 丸山真男「日本の思想」― 近代日本の思想と文学



参照:
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10
神をも恐れぬ決断の数々 [ マスメディア批評 ] / 2006-11-22
失敗がつきものの判断 [ 歴史・時事 ] / 2005-12-13
死んだ方が良い法秩序 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
麻薬である信仰-2008? [ マスメディア批評 ] / 2008-03-18
檻に吹きこむ隙間風 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-23
髑髏が疎ましい白昼 [ 暦 ] / 2006-10-30
ブルコギ鍋のおじや [ 料理 ] / 2005-12-16
精神錯乱狂想の神の座 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-10-25
by pfaelzerwein | 2008-09-01 02:01 | BLOG研究 | Trackback
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