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折伏に負けた互助の心

先日お客さんを連れて久しぶりにイタリア料理屋を訪れた。二件目の兄貴の経営する店は一年前に出来たようだ。なかなか良い感じにしてあるが、食事を楽しむというよりも親仁好みのサロンのようなカフェー風の店である。

弟に譲った方の店では、特別お品書きなどがなかなか魅力的であるのとは幾分違う。兄貴は十年ほど前から熱心な法華経者でそのときから可笑しな事を質問されたが、今回はお仏壇をみせて貰った。日本からの竹で出来ている言う立派なものである。

朝に夕なに三十分づつ南無妙法蓮華経と唱えると力を貰うと、本当は一時間やらなければと言いながら、真面目にやっているようだ。日本にも是非行きたいという。池田大作先生に会うのだという。戸田や牧口が日本の飢餓の時に創立したという説明だ。

日本では、子供の時にロッテに勤めていた父親の居る家庭と、乗用車の運転手の家族などがその団体に加入していて、廻していたその資料取り上げて、それに目を通して内容を思い存分楽しんだ。初めは「学会に行く」と聞いて、てっきりこのような人も趣味で学問をやっていてアマチュアーながら「学会」に属して学術論文を発表しているのだと勘違いした覚えがある。

その二家庭を知っているだけだったが、しかしドイツでは、上の者以外にBASFを定年退職後暫らくして愛妻に亡くなられ悲嘆に沈むところを折伏にやられた親仁さんに、創価学会の評判を聞かれたことがあり、公明党を軸にその政治力を説明したことがある。彼は、近所の噂を聞いたことのある日本人女性に勧誘されて ― その折伏の経過が口止めされているかのように殆ど語られないのを不思議に感じた - ビンゲンにあるヴィラ・ザクセンに連れて行かれ、まるでモルヒネ療法の末期患者のように逝かれていた。そうなると何を言っても手遅れで、なにも恨まれてまで新興宗教に口出す馬鹿もいまい。そもそも、元々が創価学会向きの夫婦であったのも分かっていた。

ウィキペディアを読むと特に日本語のそこではかなり厳しい批判がドイツのメディア記事として載っている。しかし、ドイツ版はそれに比べると比較的落ち着いていて、藤原弘達や日本共産党のような天敵がいないという証拠なのだろう。しかし、ネットでビンゲンの近くには共産主義者の独日団体が存在しているのを確認したことがある。

日蓮上人自体の危険性やその教義から批判すればなるほどと思うのだが、所詮ドイツにおける布教活動は精神的な互助だけであって日本のそれのように経済的政治的な組織とはなっていないのだろう。上のイタリア人の信仰などをみるとなかなか通の趣味という感じも拭えない。どんな趣味でも道具を買ったり、場所を借りたり、月謝を払う必要があるからお布施を取られても似たようなものだろうか?
by pfaelzerwein | 2008-11-22 06:27 | 生活 | Trackback
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