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生半可にいかない響き

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週明けの11日にニュヨーク在住の最も重要な芸術家である作曲家エリオット・カーターが百歳の誕生日会に出席する。既に生誕百年とは知らなかった。なんといっても氏のジュリアード四重奏団演奏の弦楽四重奏曲全集は、シューマンとのプログラムのアイデアを聞いて推薦されてからの座右の愛聴盤である。絶壁の上の町ミューレンにて、遠くアイガー北壁の影を見ながら秋の薄い空気に、備え付けのCDラジカセで鳴らした時の響きを今でも思い出す。「亡き愛妻のためにゆえに調性で作曲をした」と、グリーニッチのアパートメントに半世紀以上鎮座しながら、「現代音楽が迷走した以外の何物でもなかった半世紀の無駄なとき」を陳謝しなければいけないとしている。

調性へと迷走した無駄なときとはどのようなものだろうか?日曜日中の注文は送料無料とのクリスマス販促の電子メールを受け取るとそれに便乗して、早速目ぼしいものを物色しようと、誤ってベスト売り上げの頁を見てしまったようだ。普段はどうせつまらない商品ばかりであろうと興味がないので見ないのだが、見ている頁を間違えているのに気がつくのに時間を要した。意外に安売りものなどが並んでいたからである。アンドラーシュ・シフのバッハ全集やバッハ・モーツァルト・ハイドン全集やカラヤン全集に混じってそこの35位に堂々とシューベルトのピアノ曲集が入っていたからである。アルフレッド・ブレンデル引退景気にもまして、僅かばかりの割引が功を奏しているようでもあり、やはり熱心な人は良く分かっているなと感じた次第である。

なによりもブレンデルのシューベルト録音は、フィリップスに移籍しての初期の1970年代のものが有名であるが、その後主要レパートリーとしてDVDやライヴ録音が出ていて、なかなか選択枝が多く難しい筈であるが、アナログLPのために録音されたこのシリーズの人気は未だに高いようだ。

ここまで語るとやはりこのピアニストのファンと思われて仕舞いそうであるが、実際には手元にシューベルトのLP録音シリーズは三枚しか所持していない。理由は、同時進行的に生で体験したり、なんといってもラジオで頻繁に音楽祭などの実況が放送されてそれをエアーチェックしたものが大抵手元にあるからである。

しかし、今回その安売り7CDの触りをネットで視聴して気がついたのは、先日のフランクフルトのお別れ演奏会で確認したように、シューベルトの平均率鍵盤音楽が今日において究極の12音平均率楽器で示される調性は、 ― 最後のスタジオデジタル録音の明瞭さとは些か異なる ― 群状のクラスターであり、その昔雑音の多いLPによってはなかなか示されなかった響きの減衰や繋がりが彷徨う雲としての録音芸術となっている。

アナログ録音のCD化したものは極力購入しないようにしており、出来ればLPを探すか、余程の投売り価格でしか購入しない。しかし、録音芸術としてそれを見做せば、一枚あたり計算方法によっては、略二ユーロの価値は認めてもよいかと値踏みする。

例のアーティスツ・チョイスシリーズのシューベルトは、ライヴ録音のようでなるほどDVDでのオフレコや映像カットと録音テイクの煩雑さとはまた異なるもう一つの可能性を試したようだが、その会場雑音が激しく阻害する音響は肝心のものを捉えているかどうか疑わしい。

試しにカセットテープながら古のエアーチェック録音を取り出してみたが、音楽の線的な音は遺憾なく捉えているといっても、臨場感を伝える放送用のマイクロフォンセッティングが拾えない逆説的ながら肝心の響きが皆無であり、これでは演奏を聴いた事にはならないと愕然としてしまった。

先頃、世界的に高名なドイツの優良中小企業の一つであるゼンハイザーのオーナであったゼンハイザー氏らが、同時受賞の太陽電池発明などに並んで、その無線式デジタル小型マイクロフォンの開発の対して賞に輝き、その苦労話をラジオで語っていたが、響きも他の事象と等しく生半可に往ってしまう訳ではないのである。


写真:6月のミューレン



参照:
Wie hat die Wüste Sie verändert, Mister Carter, FAZ vom 25.10.2008
Oh, du lieber Augustin von Eleonore Büning, FAZ vom 6.12.2008
とても そこが離れ難い [ 音 ] / 2008-11-28
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
by pfaelzerwein | 2008-12-08 00:00 | | Trackback
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