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月並みな自己表現の自由

相変わらず不愉快だ。今日はまたお湿りで散歩にもいけず、体調が優れない。

町の登記所には反旗が掲げられ、車中のラジオではまた銃殺事件の話題を扱っている。月並みな話題で仕方ない。犯人はネットはやっていなかったと言うが、殺人PCゲームに夢中になり出しており、元々自宅の地下は射撃場となっていることから、こうした事件が起きるのも当然であろう。せめて実業家である父親が銃の管理をして、許可が無い者には使わせない節度があればこうした事件は起きなかったのであろう。銃等の管理責任で罰金刑に処せられるかも知れないと言われている。

典型的な知的水準がそれほど高くない教養の欠如した比較的裕福な極平均的な社会層こそが、こうした消費生活やメディアに踊らされて、武器を所持してPCゲームに近づくような社会環境こそが問題なのである。

殺人PCゲームを創造や表現の自由とかエンターティメントとか宣い擁護する似非自由主義者やジャーナリズム精神の欠乏するメディアが、こうした社会環境を形成している訳で、そうした輩は良質の文化どころか良質の娯楽にすら無関係である事を肝に銘ずるべきだ。

ああした表現のどこに自由な精神の飛翔などがあるのだろう?全くそんなものとは関係がないのである。一体彼らの言う「表現の自由」や「自由」にどんな意味合いがあるのだろう。

今回の犯人の自己表現の自由とどこが違うと言うのだろう?


追伸:あの月夜の夜に犯人がチャットに「一旗上げる」予告を書き込んでいたかと思うと、丁度その時刻に覚醒して長い一日を過ごした人間としてはなんとも身近に感じる。秋葉原犯とやはり境遇が良く似ているどちらかと言えば好青年であり、鬱病として神経を病んでいたのはなんとも遣る瀬無い。薬を常用していたかどうかは不明である。司法解剖によってなにかが明らかになるのだろう。
by pfaelzerwein | 2009-03-13 01:41 | マスメディア批評 | Trackback
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