午後になって腹の具合が悪くなった。理由は判らないが、少々の予兆もあったので決して奇異な感じはなかったが、全身から力が抜けてふにゃふにゃになった。おまけにその朝は久しぶりに魘されて、二度寝をする始末であった。
今日は八百屋でイタリア産の新ジャガが出ていたので、それを塩茹でして、これまた綺麗なほうれん草とブラウンマッシュルームとオイルサーデンにつけ合わせる。そしてワインを愉しむのだが、もしかすると昨日飲んだワインがお腹に堪えたかも知れない。
モーゼルのシュロース・ザールュシュタイン醸造所の2007年産シュペートレーゼである。既に三本目であるが、だんだん尻上がりに状態が良くなって来ている。スレートの味と酸の量感に消え去った甘みが拮抗して来た。「だんだんと甘みが消えて、普通飲んでいる辛口になるのよ」と、奥さんが勧めた通りである。
この瓶は、奥さんの実家との共同での試飲会のお知らせのその写真を喚起され、また何時もの散歩の道すがらの新茶のような下草の緑のカーペットをみるにつけ無性にモーゼルの緑色のそれに入っている液体を喉にたっぷりと漲らせてみたくなったのである。
初めてその瓶の裏エチケットの表示ををじっくりみると、試飲の時の説明の記憶に鮮明な1943年以来の古い株と言う情報以外に、「VDPのグランクリュ地所の収穫」と書いてある。なるほど、その土壌から来る味の凝縮度はかなりのものである。
さて、この素晴らしい果実風味も十分なリースリングに欠けているのは、味覚の香りの時間的な変化であろう。どうしてもスレート特有にのっぺりとした最初から最後まで同じような味の感じに、都会的な細やかさが谷の奥へと押しやられる。それが反面後味の良さにも通じているので、個人的には好みではあるが、静的な感じで、現代的な躍動感とは程遠い。
中華料理に合わせたのだが、それはそれで良かった。やはり食事においても味覚の時間的変化を考えると、そうしたワインの相性はとても興味ある。所謂、アジア的な乾いた空気に飛翔しない、粘着質なメリハリの無いだらっとした味付けというものがそこに存在する。
今夜は、ジャガイモにこれを合わせるが、最初考えていたようなサラダの活き活きとしたものよりも、どちらかというと茸とホウレンソウも炒めて付け合せたようなほうが良さそうに感じる。要するに食事もそうした少々もったりした方が良さそうである。
腹の調子は、先日から飲んでいる2008年産の新鮮なリースリングと2007年産のザールの量感溢れる酸で、胃ならず腸が痺れてしまったようである。タンニンによるそれはボルドーにて壮絶な経験をしたが、まさかリースリングの酸でこうなるとは思わなかった。そう言えば昨晩飲んだ後に胃の辺りがむかむかしておかしいと思った。手足も冷えて来て、どうも、このふにゃふにゃな感じは酸にあたったような気がする。リースリングの酸でお腹を壊す地元の女性の話は聞いたことはあるが、自らははじめてである。
二日目は流石に酸が分離して、単純なバランスが壊れて残糖感が出てきていけない。