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独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎

承前)映画「ジョン・ラーベ」は、新聞評にもあるようにドイツ・ユダヤ・シナ人男女の愛情関係が余分のように挟まれたり、ドラマトュルギーにしても悪く言えば冗長で完成度が足りなく、良く言えば開かれたままの部分が敢えて残されている。それが、主人公の本当の意志を見極めることが困難なためか、そのきな臭さの匂う当時の状況を敢えてそのような形で提示したかのように、映画自身の評価と共にジャーナリスト泣かせの作品となっている。

当日討論会に参加予定であったが、不明瞭な理由で欠席したフローリアン・ガレンベルガー監督のインタヴューを読んだ。検閲の問題など微妙な問題に答えているので、先ずは要約して紹介する。

政治的な問題があり各国政府が関わってくる映画制作を撮り終えての感想を質すと、中国との共同制作であったにも拘らず撮影許可は大きなハードルであったと答え、日本が微妙な役を演ずることで検閲を通すことが容易ではなかったと答えている。通常は、共産党の文化局の映画課に台本を提供して、そこから訂正された脚本が戻されて、映画が完成後に再び提出するのだが、今回は宣伝省の検閲どころか、外務省のそれを必要としたと、クリップのはりつけ作業の多さを吐露している。

本来は「日本の問題」である筈のこの映画に対してどうしてそこまで中共は拘るのかとの質問に対して、二つの理由を挙げている。一つ目は中国が今日大国然として見られたがっていて、ラーベの歴史は中国が被害者であり、彼らを護るのが外国人である「問題」を挙げる。二つ目には、現在重要な経済パートナーである日本に配慮する必要があったと言うのだ。つまり日本をあまり否定的に描く訳にはいかないと言う事情である。例として、大陸棚油田交渉で両首脳が調印した明くる日には撮影の中止が言い渡されて、また反対に虐殺に触れていない日本の教科書が発刊された時にシナ人は怒り、明くる日には制作を激励されたりと大変薄氷の事情を説明している。

日本での公開に関しては、そこでタブーとなっている南京虐殺であるゆえに公開は非常に難しく、この罪と責任に建設的に係わる道を日本人は未だに見つけていないが、日本で有名な俳優を起用したことによって日本でこの映画が完全に無視されることはないだろうと語っている。

そして、この映画に出演する事で放火や夫人の誘拐に脅える俳優達が驚くべきことに自らの歴史に十分に通じていなかったと、「南京の嘘」出版などの日本の特殊事情を説明する。そして、ホロコースト修正主義者とは比べられないとはしながらもそうしたメカニズムは似ているとして、日本人は「日本と天皇家の恥じを転嫁しようと必死になっている」と解説する。

ここまで読んで気がついた事だけでもメモしておく。一つは、上映会に続いて開かれた討論会のパネリストであったハイデルベルク大学の中華学教授ミュラー・ザイニ女史の些か歯切れが悪く紋切り型の反応である。当日、中共のフランクフルト領事が臨席していたことはアナウンスされたが、欠席した上の監督同様どうしてもオープンに語れない事情が当日あったように今や強く確信している。

映画についてはもう少し考えて行く。(続く



参照:
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2009-04-14 04:50 | 歴史・時事 | Trackback
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