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未だ覚醒しない兄弟との確執

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承前)独日協会の席で、映画「ジョン・ラーベ」マティネーの話をした。当日参加していなかったが、既に二回も見たマンハイム市の外郭企業に勤めている人に最も印象的なシーンを尋ねた。

先ずはトレーラーにあったハーケンクロイツを拡げて日帝の爆撃から従業員達を護るシーンであり、そのパラドックスに満ちた皮肉が挙げられた。次には、処刑された従業員の生首に代えて持ち帰る、処刑を待っている中国人から役に立つ二十人選び出すシーンである。これも、ご本人は意識していなかったようだが、所謂ナチスドイツにおけるセレクションが脚本の背景にあって、プロテスタントなドイツ人に対してある種の効果をあげていることが分かる。

奇しくもこの質問がこの映画のドイツ本国における意味を抉り出すとは予期していなかったのだが、なるほど不完全な形ながら映画監督は押さえているところは押さえていると思わせるのである。その不完全な形となる中共の検閲に関しては既に紹介した通りである。

当然の事ながらそこまで会話を進めると、国民党蒋介石のドイツ軍事顧問団団長ファルケンハウゼン将軍の事を述べる必要が出てきて、その後占領ベルギー総督であった将軍がヒットラー暗殺計画にも関わっているような典型的な保守的プロイセン軍属であった事を付け加えたのは言うまでもない。

如何にこうした歴史が複雑であるかは、現在においても同じであり、マティネーの会場においても鳥瞰的な視点を説明する態度に明らかに拒絶を示した中国人女性などが早速席を立ったことは記して措くべきだろう。要するに、議論が受け入れられない、それをする必要など毛頭ないと言う立場が存在する。

それ故に必ずしも万能とは言えない民主主義を我々は高く掲げるのであるが、永く一党独裁の共産主義を掲げたり、封建的な心理を色濃く残す社会では、議論をボトムアップさせる民主的な決定への方法が容易に根付かない。

例えば、前記映画のあまりに明確に描かれている天皇家・皇族の戦争責任をどのように見るかは、観衆に任せるべきであり、そこから何を見出すかは人によるのである。少なくとも共和国主義者にとってさえも、それは急所を押さえるとても印象に残る映像表現であった。

その急所は、対日関係重視から落とし所を求めている中共の宣伝省や外務省が突いてきた急所とは思えないのである。それではガレンベルガー監督は一体そこで何を考えていたのか?そうした知的作業無しには、たとえ対象が娯楽作品とは言いながら、十分に情報を読みとれないのではなかろうか。

独日協会の会員であり子供の頃に日系人収容所に収容されていた満州出身の元米軍ドイツ駐留兵は言う。「あの頃の日本人の感覚なんて今の人には分からないよ」と、広島への原爆投下を正当化する。それはヒットラーに喝采したドイツ人についても同じことが言える。偏狭で歪んだ民族主義へと陥る国民や民族を覚醒させて議論を止揚させるには、自覚を促す開かれた的確な議論しかないのである。



写真:ピュイス・ブルダーシャフト・ノイシュタット教会



参照:
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎 2009-04-14 | 歴史・時事
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事 ― コメント
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事 ― コメント
強かで天真爛漫な振舞 2007-03-19 | 女
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by pfaelzerwein | 2009-04-19 00:00 | 歴史・時事 | Trackback
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