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書斎でほくそえむ確信犯

待ちに待っていた罰則への準備の伺いが届いた。先日の速度超過のネズミ取りの結果である。その時から、無性にいい訳がしたくてしかったなかったので、「訴えるなら訴えてみろ」、「出るとこに出ようじゃないか」と放言するのである。

先ずは運転手の特定からで、当然の事ながら早速名乗りの狼煙を上げた。41KM超過は、三点の減点で一月間の免停である。罰金は160ユーロほどなのでスイスのように肉体労働で返済しなくてもよい額だ。

「やれるならやってみろ」と力んでみても、法廷闘争となるとそうはいかない。ここは、一人相撲のような逸る気持ちを押さえて、冷静に考える。駐車違反とか速度超過違反などはかなりの数になるが、ここ十年ほどは全く罰金を払っていないので分かるように、違反に縁遠い人間が始めて不可抗力の違反を犯したのである。

事実認定では、裁判闘争ではスピードメーターの測り方などは問題となるかもしれないが、基本的には時速70KM制限の場所を100KM時速と勘違いして走りきってしまったのは間違いない。つまり標識を見落としたのは事実である。

しかし、無罪を主張する。不可抗力である。詳しくは既に来るべき事情説明のための原稿を準備しているので、出来る限り他の言いまわしはここでは控える。原稿はA4一枚の分量となった。その格子は次ぎのようになる。

先ずは、速度標識を見落とす直接の原因となったその追い越しにおける事情説明である。つまりその追い越しを安全に完了するためには速度標識の見落としは致し方ない事情説明である。

また、追い越し自体が必要に迫られた安全対策であって、少なくとも当方はその逼迫した必要性を一貫して主張出来る。そして、その追い越し自体は合法的であり、追い越しが出来なかった場合の危険性は、その必要性として少なくともその時点では強く確信していたことを述べる。

その危険性への認識が、仮に結果としては誤まりであったとしても、同じ状況に遭遇した場合には、やはり他の回避の方法はない事を主張する。

以上より明らかに不可抗力であり、概ね責任はその特定出来ない他者にある。当方には事故回避における標識見落としに伴う速度超過の責任は一切無い事を主張したい。

自動車クラブの司法保険に入っていることであり、万が一先方が当方の主張を受け入れなかった節は、法廷に出向かないけないようだが、それも良いではないか。足代は保険で出るのだろうか?争いの焦点として、そもそも騒音保護のための速度制限と、まだ若い二輪車野郎の人身の重要さを考えるならば、憲法裁判所までも争そうぞとまたもや鼻息が荒くなる。

それにしても状況説明書の原稿作りは一寸したエッセイを書く様で結構楽しいのである。最近はドイツ語の文章の読書量は増えても書く量は減っている。久しぶりに厭に詳細に渡っている紀行文風ものを書くと、こうして毎日のように文章を書き殴って入るお蔭で昔のものと比べるとドイツ語でも饒舌になってきていて面白い。

こうした事務的な文章では要らぬことまで筆を滑らしてはいけないのは重々承知しているが、全く卑下する所の無い確信犯なのでどうしても筆が良く滑る。原稿に充分に手を入れて、一寸した読みものにしてしまう魂胆で腕を奮っているのだ。



参照:
非難仕様がないエコ生産品 2009-04-07 | ワイン
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2009-04-30 02:49 | アウトドーア・環境 | Trackback
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