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自然な不可逆な視線

白馬村に住んでいる友人と話した。ネット環境にも無く、別荘は携帯電話しか繋がらない。四十分ほど電話した。ネット経由で三ユーロほど費やした。

それでもその家の環境や概要がネット地図や衛星写真をみながら分かった。一度機会があったら泊りに行きたいと思う。

神戸に住んでいる奥さんと先日電話した時、喰っては寝ての生活をしているので運動不足で困っていると聞いたので、少なくとも奥さんの勧めで欧州アルプスキャンプに訪れるなら平素から運動しておいてくれと言った。

記憶から彼の年齢を計算すると、七十に手が届こうとしている。折角の環境に居ながら、十分に歩き込めていないようだ。岩登りも昨年ぐらいに芦屋のロックガーデンで一寸遊んだぐらいだという。皆が古い道具を持ち寄ったと言うから面白い。

近くには練習する場所もないと言うのでネットで検索すると松川ボルダーとかウイング21の人工壁とかが出てきた。場所はない訳ではないが仲間がいないとなかなか続かない。

二次定年ともなるので時間は出来そうだが、やはり健康である内に出来る事をして措かないと、一度大病をしてしまうと可能性を失ってしまう。クリストフ・シュリンゲンジーフの著書を最後まで目を通して、その物理的なものだけでなく、心理的な不可逆なものを考えると余計にその感は強い。TVのインタヴューで、スキーに出かけた友人が態々電話して来て、「お前に見せたい」と大自然の中から挨拶した事を称して、「自分は二度とそのような所でスノーボードに乗る事は出来ないのに、馬鹿らしい」と切り捨てたが、なるほど生と死の向こう側に一度立つとどうしてもそうしたコミュニケーションは難しくなるに違いない。

健康と運動は短期的には殆ど関係がないと思われるが、一度突然の疾病に襲われれば、思うように身体を動かすことが出来なくなる事ぐらいはある年齢に達したものを肝に銘じて措く必要があるだろう。

上の友人が、夏季にしろ冬季にしろ訪れれば、遊びに行くところは事欠かない。しかし、本人だけでなく、此方もそれだけ健康であるのが前提なのである。
by pfaelzerwein | 2009-06-12 04:06 | アウトドーア・環境 | Trackback
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