カテゴリ:歴史・時事( 222 )

エルドアンが打つ楔

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ホヴァーリングのヘリが喧しい。この辺りでのヘリは緊急搬送しかないのだが、普通はホヴァーリングでは無いので皆が窓からのぞいた。日曜の晩であり意味が皆目解らなかった。結局二日続けて合計二時間ほど同じような場所で留まっていた。そちらの方を見ると我々の城がナイトアップされて浮かぶが、今時写真撮影のためにヘリを飛ばさない。高度からすると通常のドローでは無理という事なのだろうか。今時GPS測定もあり本当に理由が分らなかった。

ドイツナショナルチームを引退したオヅュールのことが話題になった。新聞にも記事が出ていたので、少しだけ触れておこう。なぜ少しなのかはフランクフルトアルゲマイネと考えが同じだからだ。オヅュールは自身の分からないままに徹底的に政治利用されて、その姿勢を良しとするトルコ系ドイツ人は皆エルドアンの手下だろう。エルドアンらの戦略は、現在世界中に蔓延しているポピュリズムの典型的な手法で、如何にも皆が「本音を言えばその通りだ」と思わせるような現象を突く。つまり連邦共和国内で「トルコ系ドイツ人が二流市民であり続ける」事象に疑問を投げかけるという手法である。しかし彼のようなポピュリズム手法でなく、多岐多様に亘って様々な試みがなされている訳で、そうした実情を知らない単純なトルコ系人や外国人に訴えかける手法である。

そもそも今回のこのナショナルティームの代表的な選手がこうした発言をすることで、やはり様々な試みはされても如何に簡単に解決策が無いかを示しているに過ぎない。新聞が心配するのはこうしたやり場の無い現状を嘆くばかりか、「やはり外国人労働者の移民は駄目だ」と思わせかねないような議論に発展することである。実際にAfDは野党第一党の支持がある。議論をすれば民主的で、それがいつも必ずしも最も優れた解決法では無いという事ではないか。エルドガンの戦略は、このことを議論することで連邦国民の中に深い断裂を作り、そこに楔を打ち込むことにあるとされる。



参照:
世相を反映する歴史的事実 2016-08-01 | 歴史・時事
反面教師にみる立ち位置 2008-02-13 | 歴史・時事



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by pfaelzerwein | 2018-07-30 23:43 | 歴史・時事 | Trackback

ショックのUバーン体験

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フランクフルトから早朝帰宅した。フランクフルトも久しぶりだが、更に地下鉄に乗るのも久しぶりだった。そしてカルチャーショックを受けた。同じような体験はミスタービーンではないが、嘗て初めてのロンドンの地下鉄のセントラルラインか何かに乗って、こんなに沢山の人種がいるのかと驚いたのだった。しかしフランクフルトのライン4は遥かに甚だしかった。

少なくともロンドンでは英国人が沢山乗っているのだが、ライン4は殆どドイツ人らしきを見ないか、その比率が異常に低く精々三割ぐらいとみた。アフリカやアジアの人種だけでなく、トルコ人やイタリア人や南欧の人だけでなく、EU内でも様々な顔を見た。金融関係の人も沢山住んでいるようで、言葉のインターナショナルも甚だしそうだ。それでもドイツ語が堪能そうな人も沢山いるようで荒れている感じはあまりなかった。旧欧州中央銀行の前が市立劇場という事もあるが、そのまま中央駅に抜けるので、丁度彼のセントラルラインに似ている。

人の雰囲気よりもかなわないなと思ったのは、地下鉄独特の焦げたような据えたような匂いで殆ど息苦しくなった。普段あのような空気を吸っていないので余計にひどく感じるのだろう。あれでも毎日乗っていると慣れて、丁度BASFに勤めていたならば工場勤務でなくても知らぬうちに肺が侵されているようなものだ。街の活気と健康はそのもの反比例している。

我々郊外にで生活している者からすると、なるほど仕事はあるのだろうが、ちっとも住みたいなとは思わせない不健康さである。車で走っているとその渋滞や町の喧噪で嫌になることはあっても、公共交通機関のごった煮の雰囲気は無く、アルテオパーのコンサートや美術館に出かけている限りは、今回のようなショックを受けることは無かった。少しインターナショナルな空港の街ぐらいにしか感じなかったのである。

やはり、ミュンヘンとは全然違うなと思うのも、ミュンヘンに慣れるとあれがドイツの代表的な大都市で、ベルリンは特殊で、それ以外はとぐらいにしか思っていなかった。やはりミュンヘンの方が一寸違うのかなと思った。

朝は朝で6時になる前から離陸する飛行機が相次いで大空に飛んで行くのが、静かな日曜日の早朝だけによく聞こえた。街の中でも飛行機の音がしているのも知らなかった。普段は騒がしいから気にならないのだろう。街の中で仕事をしてタウヌスの山の懷から通っている人も少なくないのだろうが、車の渋滞ぶりを考えるとウンザリする。

久しぶりに劇場の駐車場に車を入れたのだが、あれも入り口が分かり難い。余分に一周してしまった。マインの岸まで出なければ入れないのを忘れていた。丁度ロートシルト家屋敷の裏口ぐらいになるのだろうか。

出掛ける前にテレコムのサーヴィスの人が電話を掛けて来て、色々試してみた。先方ではやれることはやっていたようで、ルーターの調子がおかしい可能性もあるという事で、無駄な人件費を払わないで済むように、一度試してみることをアドヴァイスされた。二時間ほど順調に動いていたのでそのようなことはないと思って話していたが、念のために他所の家に持ち込んで試してみた。初めは上手く行かないので、これは故障の可能性が出てきたと思って、リセットしてみた。すると上手く行った。これで自宅で上手く行かなければ完全にテレコム側の問題だと確信した。そしてリセットをして試してみると上手く入れた。

その後調整に時間が最もかかったのは、クロームキャストであった。そもそもAudioの方はどのようにセットアップしたか記憶に全く無かったので、色々と試してみた。全く覚えていなかった初期化の方法は、横にある小さなスイッチを押すことだった。それも電源を入れて点滅してたりしたのを見て初めて気がついた。通常の映像キャストの方は昨年セットアップした記憶にあったのだが、購入して最初の時は初期化の必要が無かったので全く気が付かなかった。そもそもクロームに相当するサイトがなかなか見つかり難いのも具合が悪い。あまりPCで使うことなどは考えていなかったのだろう。

これで週明けからのラトル指揮のものも綺麗に観たり、デジタルコンサートホールをダウンロードするのに好都合な時期になった。「パルシファル」も資料にしたく、キリル・ペトレンコ指揮の四月の公演もこれで心置きなく観れる。



参照:


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by pfaelzerwein | 2018-06-17 23:40 | 歴史・時事 | Trackback

お手て繋いで夜道を行く

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一日中韓国JTBCの中継を仕事をしながら流していた。日本のTV朝日が最も大掛かりな外国からの取材陣だったようだ。晩餐後の式典がまた注目された。アリランをジャズアレンジしたものをピアニストが弾いて、背後にはその日の重要な握手の映像が映写されるというもので、とても気が利いていた。費用も掛かっていた。こうなるとオリムピックではなくて、その映像の価値は世界に知らしめる以上に会談の場を感覚的に定着させる意図がある。つまり通常のイヴェントのそれを超えた表現が計られていた。韓国の映画などは金大中政権下で本格的に振興されたという事だったが、なるほどこうした出来を見ると優秀な人材やノウハウを集約させているのが分かった。つまり演出がしっかりしているという事で、決して形から入って時間を埋めるというような低級なものではなかった。

つまり二人の会見の主役の長い一日を描いているもので、当事者がそれを成果としてどのような気持ちで眺めたか?一部の映像は昼休みの各々の作戦会議でも少なくとも本人が全てを確認できるような時間はなかった筈で、初めて映像として客観視するような形になっている。謂わば一日スキー場で滑っていてその様子を食事後に観て、ああだったこうだったというような感じに近い。そこには間違いなく主役である二人の視線つまり主観と、こうしてカメラが捉えた客観との差異が生じている。同時に客観的な視線としても各々の中に世界が見たことつまり現実が定着するという事になる。

こうした定着を試みたのがその演出の主旨であることは確かで、政治の世界においてこれはとても面白い試みだと思った。それ以上に関心を引いたのは二人の奥さんを両サイドにした二人の主役が暗闇の中で固く手を握っている光景である。一部には気持ち悪いほどとの感想を見かけたが、たとえ身体コンタクトの多い朝鮮民族とはいっても確かに通常ではないだろう。勿論この伏線は、最初の出会いでの北側へ渡る時に金が文の手を取ったことである。この経緯は、文が問いかけをしていることから、ある程度南側が計算したものかもしれないが、手を繋ぐとは誰も思わなかったかもしれない。咄嗟の行動ではあるが、手を繋ぐことで全ての不慮の事態を防ぐという配慮が無意識にあったのかもしれないが、この手を握る行為は南側で昼休みまでに解析されたのかもしれない。それを受けての暗闇での御手て繋ぎとなったのだろう。首脳同士の外交においてはこうした身体的なコンタクトがここ暫く話題になっていて、欧州を引っ張るマコンがトラムプにキスしたことや、同じようにメルケルにトラムプがキスしたことなどが映像的に定着している。

それにしても流石に南鮮である。金正恩の生い立ちや情報の解析から大統領へとアドヴァイスが行われ、それをしっかりとやり通す文の手腕に感心する。また北鮮では私が書く様に歴史的な成果を強調したようだが、一体行間を読み抜く国民は真実をどのように分析しているのだろうか。金政権にとって大切なのは、こわもての恐怖政治をしなくても本当の支持を人民から獲得することで、今後大きな守旧派勢力の反発にあうことを考えればとても重要なのかもしれない。金への印象は、やはりスイスのフランス語圏で教育を受けただけにトラムプなどとは比較にならないほど西欧的な合理性を持っているという印象だ。そのを裏打ちする様に、最新の調査では、ドイツの半数近くの市民は「トラムプの方が金より遥かに危ない」と答えている。
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金曜日にテレコムから電話があった。先日の電話回線変更に伴う、電話番号の移動を質問したからだ。結論は可能という事で、一度だけ手数料10ユーロを払えば、あとは従来の電話回線を解約しても新しい回線で使えるようになる。一番助かるのはFAX番号として使っていて名刺等に明記してあるそれを停船しないでも済むことだ。誰もFAXなどは使わないが、嘘は書いておけないので苦慮していたのだ。これで完璧に一回線はIP電話回線になって、インターネットも最も早い回線に入れる。もう一つはデジタル電話を使っているので、そのまま使っておく。何れ更なる圧力が掛かって、いずれは廃止という事になるのだろうが、お詫びかなんかで有利な状況になるまで居座るつもりだ。その間に使い勝手の違いなども審査できる。そして説明通りFAX番号が入っていた契約解除を申し入れた。二週間ほどFAXは普通になるが何ら問題は無い。

ブラームスの協奏曲一番とシューマンの交響曲四番の楽譜を落とした。特に前者は分厚く響くだけのごつい音楽でしかなく、ブラームスの音楽としてもむさ苦しい音楽なのだが、昨今のキリル・ペトレンコ指揮のドッペルコンツェルトや第四交響曲を聞く限り、明らかに演奏の質が問われる曲となるだろう。あまり知らないがグレモーという人がそんなに暑苦しいユダヤ風の音楽をするわけではないだろうからネゼ・セガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団の腕の見せ所だと思う。シューマンもその楽器編成など様々な問題があるので、何処までの演奏が出来るのかなど興味が尽きない。

キリル・ペトレンコが凝りもせずにヴィーナーフィルハーモニカー定期に登場して四番を振るらしいが、あれだけの指揮にヴィーナフィルハーモニカーがどこまで弾けるのか疑問でしかない。ヴィーンのマネージメントの関係で引き受けているのだろうが、時間の無駄ではなかろうか。東京でもこの楽団のティケットの売れ行きがもはや芳しくないようだが、私もバーデンバーデンのシーズン初日を購入していない。22ユーロならば大抵は行くのだが、ブロムシュテットでのブルックナーの七番はゲヴァントハウス管弦楽団で名演を聞いたのでもう沢山だ。メスト指揮の五番なら購入していたかと思う。不細工なティーレマン指揮のシュターツカペレの演奏の耳を洗い流したいからだ ― 19ユーロだったかしら。そのゲヴァントハウスはネルソン指揮で「悲愴」や「ブラームス」の四番なのでこれも耳を汚したくないと思った。名曲コンサートなんて一度名演を聞いたらあと四半世紀は行く気がしない。要するに訳の分からない一般大衆に売りつけるだけのプログラムなのである。



参照:
欠けた一片への想い 2018-04-28 | 歴史・時事
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-04-28 19:52 | 歴史・時事 | Trackback

欠けた一片への想い

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歯が欠けた。誰かに殴られた訳では無い。食前に、開けたザールの2016年産アルテレーベンに、残っていた角白ごまパンを齧っていた時だ。何か異物感があって、歯に挟まる感じがした。異物が混入していたのかと、通常あり得ない個人マイスターパン屋なので、材料に固い欠片が混入していたのかなと思った。急いで弛緩歯ブラシやら糸やら爪楊枝を総動員しても外れない。弄った部分から出血して指についたりしたが、若干そのような味覚が感じられた。鏡を見ても分らない。左の上の奥から三本目ぐらいだ。そこは丁度この二三年歯医者で炎症を起こしているとレントゲンを撮られたところでもある。

そして指で内側を弄っていると写真の小さな欠片が取り出せた。この米粒の欠片状のものが異物かと思ってみると歯が欠けていることに気が付いた。そしてそれがあった歯の内側が割れてぐらぐらとしている。分ってきた。レントゲンで写っていた歯の根元からの血流が走っているところで、その内側と外側で崩壊したようだ。親知らずを抜歯をしたときに崩壊するとかしないとかの事を思い出して合点が行った。根元が炎症を起こしていたので、簡単に全体が抜けるのでは無く、先ずは崩壊したようだ。しかし虫歯などの時にありがちなおかしな味もせずに、驚くことには外側は結構しっかりしている。

先ずは左側では折角の食事は叶わなかったが、右側で食して、無理してぐらぐらしているのを抜かずに置いた。先ずはこの内側がその内抜け落ちてしまうだろう。状況を観察していると出血もあまりないようで、歯茎もそれで炎症が激しくなった様子もない。そして面白いことに今までこの時期に炎症で何度か苦しんでいた訳だが、その時の外側の感じとは違って内側が痒い。なんとなく、いよいよあの炎症感ともそろそろお別れという感じになってきた。

恐らく内側のぐらぐらが大きくなって行き、丁度岩石が割れてその崩壊が合わせ仕掛けの様に簡単には外れない感じが続いて、内側の欠片が綺麗に抜けて仕舞うだろうと思う。その時も外側がしっかりしていれば、もう少し使えるかもしれない。もししっかりしたままならば、一度歯医者の予約を取って、可能性を考えて貰おう。外側がぐらぐらしてくるようならば、いよいよ放棄である。どちらにしてもこれで歯医者を避ける意味も無くなり、一度見せに行こうと思う。ある意味、肝心の炎症はここ一年ほど収まっていて、特に新しい電動歯ブラシを購入してからは炎症が酷くなることは無かったのだ。これでもう直ぐ気になっていた炎症とお別れすることになるのだろう。

時差の関係で板門店からの午前の中継は観れなかったが、午後は一部観れた。感動させた。分断中の南鮮も東西ドイツも知っているが、1989年のあの時よりも今日の方が遥かに感動した。理由はハッキリしていて、ドイツの統一以上に朝鮮民族の分割統治からの解放を心から期待するからである。ドイツの場合は民族として分断されても立派にやっていたが、朝鮮民族は列強に分割統治されている限り永遠に民族の悲劇から逃れられないと思うからだ。同じような憐憫は日本民族にも感じる。

朝鮮語は解しないが、戸外での会話などを中継で観ていると、金の方が積極的に話しており、その後のスピーチを見ても文が韓国人らしくなく落ち着いた知的なしゃべり口で感心した。ここまでお膳立てをした文の政治家としての実力も感じた。なるほど文大統領を信じてのこれまた勇気ある決断を金もしたのだろう。普段は他人から指示を受けるようなことのない独裁者が第三者の司会を聞く態度などに神経質なものを感じるが、若くダイナミックでオープンな指導者には違いないと感じた。その態度はどこか中小企業の三代目のような感じはするが、数字などもしっかり頭に入っていて国事が細かく話せる政治家のようだ。夫人の立ち振る舞いも同胞人のパーティーなのでとても柔らかい表情で会話をしていて、洗練されていて驚いた。

この先どのようになろうが私利私欲を捨てて、政治家として民族の解放という事を優先させた二人の政治家の功績に違いない。北朝鮮の思惑通りに南鮮の人々の心も北朝鮮の後ろにつく、合衆国の思うようにはもうならない。ここまでで金の指導者としての世界の評価は定まった。私利私欲に固執するトラムプや安倍などとは比較にならない大物である。

北朝鮮の非核化に関しては、安全保障の面から困難とされていたが、今回の南北の一体化が進むともはや北に他国が軍事行動を掛けることは考えられなくなる。南との相互関係が北の安全保証に寄与するという事になるのだろう。ゴルバチョフの政治をして政治学者はあり得ないと批評したが、民族の解放という悲願の前で捉われないナイーヴな政治をする可能性がこの若い指導者にはあるのではなかろうか。



参照:
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-04-27 19:19 | 歴史・時事 | Trackback

主役は一体誰なのか

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トラムプが建てた貿易障壁で影響が出ている。個人的には直接はないが、上海からフランクフルトに来た旅行者が買い物をするための銀行から金が出せなかったという。限度額200ユーロを超えたからということらしい。つまりシナから対抗制裁によっての爆買いはこれでなくなる。合衆国の輸入障壁などよりもシナの対抗制裁の方が遥かに世界中の多くの人に影響を与える。ドイツ連邦共和国も愚かな輸入障壁には厳しい態度で挑んでいるが、これでワシントンは四面楚歌になるだろう。もはやトラムプ政府は世界の敵であり、悪の枢軸の親方の違いない。世界のどちらが主役かはこれではっきりする。

「ペトローシュカ」の録音を聞いた。昨年ベルリンのフィルハーモニーで演奏されたもので、日本公演では更に上出来だと評判が良かったものだ。改訂版と態々あるが、一般的には西欧的な合理的な譜面の版と思うのだが調べていない。フィルハーモニカーのフルートやファゴットなどの管楽器群の名妓性を示した演奏である。何か所か意味不明の歌わせ方などもあったのだが、版の問題がソリスツの独自性に任せたものかは見当が付かない。それでも熟せば熟すほどハマる演奏だと思った。しかし同時に昔のフォンカラヤン時代のそれの様に、その特徴こそ異なるが、「普遍の完成」に近づくような演奏形態だと思った。

それと比較する意味で、イスラエルからのペトレンコ指揮の演奏実践を放送前から色々と想像していた。今回改めて譜面を眺めながら録音を流して腰が抜けそうになった。その録音や録画は何回かBGMで流していて分っていた筈なのだが譜面と合わせて真面なスピーカーで真剣に聞いて驚愕した。予想ではロシア風の節回しなどが出て来るかと思っていたが、またまた天才の遣ることは想定外だった。

そのリズムの扱いが何時もの様に安定していて、ここでもテムポは早い筈なのにしっかりと拍を刻んでいる。要するに楽器が過不足無く歌い込めるように拍が取られる ― ペトレンコ自身もオペラでの経験を感謝しているのではないかと思う。こうなるとあれほど正確に聞こえたラトルの打拍がまるで上滑りするかのように聞こえるのだが、決してその辺りのロシアの「巨匠指揮者」のようなタメるくどさや深堀が見当たらない。その反対で楽譜を忠実にイスラエルフィルでも弾きやすいような精緻な指揮となっていて、メータが振る時のようなこの交響楽団のユダヤ的しつこさが無い。

改めてヴィデオを確認したいが、やはり技術の卓越と共に楽譜読み込みの情報量の桁が違う。ラトルのストラヴィンスキーは寧ろ十八番に近いものだと思うがあまりにも西欧的に表面的な譜読み以上に踏み込んでいない ― アバドのそれとの比較が面白いだろう。アクセントや前打音なども正確に演奏されていても、引っ掛かりが無いのはまさにカラヤン節をもこの最も距離のある指揮者の音楽から思い出させる。やはり改訂版は違うのだろうか。

イスラエルフィルは健闘しているもののベルリンのそれとはそもそも比較対象にはならないので、その音響はBGMとしての印象ではとても冴えない。それがこうやってみると譜面が浮かび上がるような演奏をしていて ― 全く声部の強調とか対照とかの単純な書法ではない ―、正しくペトレンコが読み取ったそのストラヴィンスキーの響きをなぞっている。変拍子の扱いもアクセントもしっかりと音化されていて天晴なのだ。それでもベルリンとの響きの差は甚だしい。こうした演奏を観察すると、個人的には確信したことはないのだが、「20世紀の最高の作曲家はストラヴィンスキーだ」という意味も合点が行く。

このように覚醒してしまった耳で日曜日にその生演奏を批判的に聞くことになるのだが ― 本当に難儀な境遇であり、良い意味でも悪い意味でもサイモン・ラトル時代を表徴する演奏会になるのではなかろうか、複数のストリーミングや放送で生中継され再放送されデジタルコンサートにもアーカイヴされる。長年のファンとしてはしかと見極めたいと思う。



参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-03-23 23:11 | 歴史・時事

覗き込んだ世界の裏側

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朝から暗かった。天気予報通りだったが、パン屋に行けなかった。寒いからである。気温はそれほどではないが、走るかと思うと寒くて駄目だと思った。ゾクゾクするというか、芯から冷えるというか、熱があるというほどではなかったが、これは無理してはいけないと思った。早くから起きていたが、ベットに戻って、昼過ぎまで寝た。このようんなことは久しぶりだ。前々夜の徹夜仕事が堪えたのだろうか?

祝杯を挙げた。文鎮化のタブレットが完全復活した。大懸案のMACアドレスも書き加えて、WiFiでも認証可能となった。三時間ほどは掛かったかもしれないが、二種類の可能性を交代に試しているうちにゴールにたどり着いた。アドレスの件は日本語では見かけなかった。恐らく、業界人は自粛しているのだろう。つまり書き換えとなると犯罪であり、とてもグレーゾーンだからだ。要するにデジタル認証などは、広告の排除やウイルスの開発やコピー防止などと同じで猫とネズミのおっかっけこなので、要するにネットビジネスだけでなくてデジタル技術産業などは砂上の楼閣でしかないことを、自ら体験することになった。

今回の大きな成果に、今までは開発者向けの巨大ソフトをDLしないとできなかったことが、小さなMiniADBというので代わることが分かって、開発でなくPCでコマンドを出すだけならばこれで十分なことが分かったことだ。それで初期化から何から全部可能だった。これは大きい、残しおいていつでも対応が可能だ。

MACアドレス書き込みソフトでは、最後の工程で適当なファイルを選ぶところが特に難しかった。今回は二つ、三つのイメージファイルのセットあれやこれやと試したことで、つまり最初から決定版には至らなかったことで初期化まで進んでしまったが、そのお陰でMACアドレスを消去しながらも最後は適当なファイルを他のバッチから選ぶことが可能となった。差し引きゼロで、その分この裏側の構造を学んだことになる。

これに関しては、誰もが疑問に思うのは、世界にただ一つしかない筈の機械固有のMACアドレスがなぜそれほど簡単に消せる領域に記録されているかということだが、これに関してはそれらしい説明がある。つまり固有ということは、一つ一つ記録するとなると大変なので ― 刻印を考えればそれ程大したことはないと思うが - こうした簡単な記録がなされているということらしい。要するに容易に書き換えられるということでしかない。

シナにリンク付きの電子メールを送った。するとそのリンクは見れなくなっていたということだ。そのリンク先は何でもない先日ツイッターしたタイム誌のネットで「サムフランシスコ市長死亡」の記事だった。少なくとも日本の修正主義者以外には全く政治的な問題のない記事である。そしてこうした検閲を目の辺りにすると中共を憎むしかない。やはりまだ日本の報道規制の方が少しはましである。そういえば先月には、北京から寝具を大八車に積んだような帰郷者の写真が新聞に載っていた。そのような開発の進む首都からの貧乏人の追い出しはシナでは報道禁止どころかウェイボウでも消去されているらしい。まるでアベノミクスへの批判報道の様な塩梅である。

これで漸く、日曜日の初日までにユロウスキー指揮「ジャンニスキッキ」をじっくり鑑賞できる時間が出来た。この間まともな料理をする時間が無かったので野菜の消費が少なく、古い野菜が溜まってきた。来週はクリスマス週なので、今週は野菜を買わずに消費してしまう週末となった。



参照:
脱文鎮化への試み 2017-12-14 | テクニック
祝脱文鎮化、興奮の夜 2017-12-16 | テクニック
ルート化の月謝代は如何に? 2014-09-06 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-12-17 00:31 | 歴史・時事 | Trackback

土人に人気の卒寿指揮者

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新聞一面の最初の小段にはトラムプの日本到着が第一声が書かれている ― これをドイツ連邦共和国の各界の殆どの指導層は皆一瞥する。正確には治外法権の横田基地での第一声だ。その演説の対象は米軍と日本の自衛隊となっていて、意味が分からなかった。そもそも横田から治外法権で他の軍属や諜報員のようにフリーパスで都内に入る、それだけでも国賓として象徴的に異常なのだが ― その途上のハワイでリメンバーパールハーバーを叫んでいる ―、それ以上に、なぜ自衛隊の最高司令官がトラムプなのか理解できなかった ― そのような暴力装置の自衛隊を憲法に明記するなどはあり得ないだろう。まさしく日米の地位協約というのはそういうことを意味するのだ。日本人の一部は琉球人を土人と嘲笑するが、日本人こそが土人であるということをこのことが示している。

ヘルベルト・ブロムシュテットがトーマスキルヘェでロ短調ミサを指揮した映像を観た。NHKの共同制作で今年6月18日に撮られたものである。NHKがつまらない制作を欧州で繰り広げて貴重な聴視料を浪費していることは知っていたが、これは素晴らしい。バッハ週間の最終日なのでMDRかどこかで流れていたかと思ったが、ライプツィッヒの制作会社のもののようだ。2005年の同じような制作がYOUTUBEに上がっているが、今回は合唱団がドレスデンの室内合唱団となっている。観客も恐らく教会の共同体の人が殆どなのだろう、慣れないミサ曲となると歌詞カードを捲っている。同じ意味でミサ曲となるとドレスデンから合唱団を呼ぶ方が歌い慣れているだけ正しく歌えるのだろう。

HD水準では難しかったので高水準で再生して適当に流していたが、12年前の演奏も比べたくなった。管弦楽団は間違いなくこの間シャイ―の薫陶でよくなっている筈で、小編成ながら、間違いなく若返りしているようで、コンサートマイスターもソリスツも先日のバーデン・バーデンの公演で見覚えのある顔が並んでいる ― さわりを聞いただけで全く別物の管弦楽団になっていた。

日本では有名で人気の指揮者と管弦楽団であるが、先日も書いたように西ドイツでは人気が無い。その理由は、西ドイツでは全く活躍していなくて東ドイツでしか仕事をしていなかったことが大きいのだろう。NDRでも東西統一後に僅か二年だけハムブルクでポストを得ている。名門ゲヴァントハウスの楽団が日本ほどには西ドイツでは人気が無いのと同じで、余所者感覚が強いからだろうか。そもそも我々のフランクフルトの会にもバッハ演奏でゲヴァントハウスの登場は記憶にない。その代わりヴェルサー・メストが美しいロ短調をスイスの現代楽器楽団と演奏した。

そして絶えずキャリアー上でも一流の裾ところで仕事をしていて、若い世代では同じように日本などで活躍しているヤルヴィとか、バーデンの音楽名門家族の御曹司マイスターとかに毛が生えた程度で、コンサート指揮者と歌劇場とのキャリアーは異なるが二流のギュンター・ヴァントとか、ヤノフスキーとかよりは少し上回ったぐらいだろうか ― 父親を知らないとあるヤノフスキーのインタヴューを聞くとなるほどポーランド訛りがない。日本でお馴染みのサヴァリッシュよりも少し落ちるぐらいだろうか。

それゆえにここに来ての活躍と進展は、同じゲヴァントハウスでもシャイ―のお陰で良くなった管弦楽団を振り、ベルリンやヴィーンで指揮することから楽譜を忠実に音化する可能性が増えてきていて、嘗てからのレパートリーにも完成度が高くなっているようだ。それでもそれゆえにもう一つ知名度が高くはないのは、一流管弦楽団との繋がりが限定的で ― 実際私も日本で有名なこの指揮者について詳しく知ったのはバイエルン放送のYouTube映像でここ数年のことだ、広報力が限られるということなのだろう。マーラーの交響曲も新たに再発見して、SWRなどで来年も弑することになっている。新たなレパートリー開発である。

そこに座付きか名門管弦楽団か分からないようなゲヴァントハウスがよくなったのは精々この十年で、その名前ではシュターツカペレドレスデンとは比較にならないということらしい。兎に角、ブロムシュテットが19代指揮者だったころの管弦楽団はそのレパートリーもプログラムもサウンドも売れるようなものではなかったということだろう。 

Mass in B minor BWV 232 (Thomaskirche 2005, Blomstedt) - 1/15
[parts:eNozsjJkhIPUZENDA6Nks9wSo/xcbz+j5LB0JjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAK/gjm]


参照:
ライプチヒ・バッハ音楽祭2017「ミサ曲 ロ短調」 NHKプレミアムシアター 
新鮮な発見に溢れる卒寿 2017-10-27 | 雑感
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-11-06 23:24 | 歴史・時事 | Trackback

人命に軽重無しとは言っても

朝早くフランクフルトに電話した。誰もいないので不思議に思ったら、同地は休みでないことに気が付いた。今年は31日が記念で初めて休みだったので、その日が休みは初めてだった。しかし1日以降は例年通りの祝日や休暇なので勘違いした。

昨日からガーディアンをはじめ毎日三十面以上の三面記事が一面しかないFAZまでが世界中にネットで座間の連続殺人事件を速報で伝えていた。確かに一人で二月の短期間で9人の殺害・死体遺棄となると話題性が高いのかもしれない。個人的な犯罪としても興味深いのだが、そのような精神疾患上の問題よりも話題になっているのはSNS上の繋がりや犯行に追いやってしまう日本の社会環境などにどうしても興味が向かうのである。死体遺棄の方法としては東京であった事件の何もかも水洗便所に流してしまう方法さえ追いつかなかったのだろう。

日本のネットでは早くも殺人罪に問えるかどうかという話が流れるぐらいに、自殺志望者が多く自殺幇助の可能性が高い社会であり、死体遺棄の方法だけは発覚するととても派手なのだが、首都圏周辺では車で躯を運んでどこかに放棄するにしてもその監視カメラシステムやら人目を考えると合理的に考えればその処理方法が限られるのは間違いない。その意味からもとても日本社会を反映しているようで、昨年かの安倍首相に手紙を送るような連続殺人犯などと同じく、尋常でない自殺予備軍の数がある現在の自殺王国日本らしい犯罪であり、世界の話題なのだろう。それにしてもカマキリを仕留めようと思っても抵抗にあうのだが、大の大人を九人も返り討ちも恐れずに簡単に仕留める技を磨いているような殺人鬼がいるのも怖いものである。

要するに自殺者が多いような社会は人権や人命が軽視されている社会で、人口が減少傾向にあるのにもかかわらず、中共と反比例するかのようにますますシナ人の人命の軽さに近づいてきているかのようである - 日本の経済力からすると異常な社会なのである。また世界的な傾向として経済格差が広がれば広がるほどにますます人命が軽視されるような傾向になるからこそ人権の尊重が重視される。

先日各国のミリヤーデーラーの数が経済欄に載っていた。ドイツは大企業の各創業者家族の名前があがり、117名に落ちているが、欧州では二位の英国の55名の倍である。世界の8%に相当する。イタリア42名、フランス39名、スイスが35名である。世界で1542名で増加傾向にあり、しかし全額を合わせると17%減少の6ビリオンダラーとなる。アジアには四分の一の635名が住み、合衆国の536名を初めて超えたという。つまりシナの318名とインドの100名を除くとその他217名となる。

1ミリヤードで、1000億円規模であるから、先日の金融資産ミリオネーラー128万人のうちの117名となるだろう。土地などの資産総額で自社株の割合も多かろうが、当然のことながら年収も少なからず十二分に出している筈だ。すると何らかの傷害などの保障額も年収30億円と仮定しても通常の労働者の400倍ほどの価値となる。人命に軽重無しなどとは言っても、民事上400倍以上もの格差がそこに開いていることになるだろうか。そして何よりもその経済力は権力にもなっているので、如何に社会のフェアーネスと人権というものが最優先されるかということの根拠でもある。

とても寒いので裸で森を走る時以上に机に座っていても身体に力が入っているのだろう。ベットの中でも寒さを堪えているようなところがあり、疲れがなかなか取れ難くなっている。今年も昨年は10月15日には籠り部屋に移動している。階下には陽が射さなかったようだ。今年は陽が射す分気温が低く、暖房が欲しくなってきている。このまま籠って暖房無しでは過ごせないのでもう少し陽射しの恩恵を与かりたい。それでも徐々に冬籠りの準備を始めなければいけないだろう。毎晩のように風呂桶に浸かりたくなる寒さだ。



参照:
篭り部屋での最初の夜 2016-10-15 | 生活
ガス抜きの指導をする 2016-10-14 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-11-01 23:24 | 歴史・時事 | Trackback

なによりもの希望

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発注していたタブレット入れが届いた。今まで使っていたものがボロボロになったので、まだ使えるタブレット用に恐らく最後の入れ物を発注したのだった。今までのものを2014年9月に購入しているので、丸三年使ったことになる。30ユーロも払ったが皮革を使っていて一度洗ったりしたので破れた。今回のものは燃えそうな合成もので10ユーロである。

手触りなどには違和感も無く、ざらざらしていて滑りにくく、手に馴染む。更に立てたり寝かしたりの機能性は格別に上がっていて、スピーカー音なども良くなりそうである。先ずは良さそうだ。

タブレットの工場出しからの再調整はNAS接続などに一部問題が残っているが先ずは普通に使えるようになっていて、なくてはならぬ端末となっている。

ネットでは相変わらず好評の立憲民主党であるが、選挙を前にヴォランティア―を各選挙事務所がネットで呼びかけたことはとても評価出来る。今回のネット戦略として始めから予定していたのかもしれないが、ネットで精々一票にしかならない支持を如何に選挙で勝ち抜くための支持にするかは最大の問題だっただろう。もしこれで充分な数の人々が実際に活動するとすれば本当に票に結びつくかもしれないからである。

嘗ての革新陣営なども特にその敷居が高く、イデオロギーが立ちはだかって、組織的な組合員などでなければ入り難かっただろうが、このフォロワーからヴォランティア―への流れは選挙を変える可能性があると見た ― フォロワーの数パーセントでも何らかの形で実際に動くとすればこれは大きい。その一方で組織的な組合なども動けば力強い。未組織の一般市民の政治参加を促す大きな契機になって、首尾よく当選すれば直接代議士に圧力を掛けれるようになることを意味する。このことは何よりもの希望ではなかろうか?



参照:
トップニュースは柏崎刈羽 2017-10-05 | 歴史・時事
キットカットにリカヴァリー 2017-09-22 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-10-09 23:21 | 歴史・時事 | Trackback

BIのユリノミクス?

ランニングのための靴下を二種類使っている。一枚の踵が破れた。洗濯物の乾きも悪くなるので、もう一足を発注した。ネットで探すと適当な安いものは以前使っていて同じように踵が破れたものがあった。使い勝手は分かっていて価格もまあまあなので発注したのだ。久しぶりに履いてみると問題になったウレタンの混紡が暖かかったが、夏には向かないのを思い出した。冬はこれが気持ちよく使える。走りは相変わらずだが足元が冷たくなく快適に走れた。

同じ靴下を購入したのは三年前の夏で、アマゾンが取り扱っていたので送料無料で14ユーロ。今回は送料3,75で16ユーロである。送料はもう一つの靴下を購入したのだが、全部で4ユーロほど高価になっている。品質は全く改良されていないと思うがインフレが厳しいご時世で仕方がないのかもしれない。

そこで今急に思いついた。昔から日本でも何度かなされたようだが、結局マルクからユーロのデノミネーションでその交換相場に当たる二分の一以下の支払いで済んでいたのは最初の数年間で、直ぐに半分以上の額面で支払うようになって、今では当時マルクと同じ額のユーロでは物が買えなくなってきた。つまりインフレはこの十数年で倍以上になっている。それが実感である。実際独逸の場合はユーロ市場になって儲けているのでその通り成長しているのだが、成長しなかった国が破綻するのは当然だろう。日本もハイパーインフレにならない時期に百分の一の切り下げすべきだったのではないだろうか。

日本のネットを読むと、低所得者を支援するベーシックインカム(最低限所得保障制度)の導入と時事通信にあった。こう来たかと思った。しかし 朝日新聞を読むと、生活に最低限必要なお金を国民全員に給付する「ベーシックインカムの導入」を明記 とあった。全く意味が異なる。もちろん後者が本当のべーシックインカムで、朝日が書いている通り「国民全員に一律に配る」のが大前提である。しかし、最初の時事などは低所得者支援となっていて全くあり得ない支給の仕方である。この相違はその考え方の原則にかかわり、ベーシックインカムへの大きな誤解を生じさせることになっているので明白にしなければいけない。

要するにあらゆる国民保険などをチャラにすることで初めて可能になる究極の経費削減と小さな政府を構成することでその国に住む市民全員が最低限の生活を保障されることである。その所得や時間を有意に使うことで、湧き起こる創造性豊かな社会の活気に、個人消費を中心に経済の活性化がはかられるとともに、非生産的なあらゆる国の事務管理などの無駄が一掃できるというものである。もしこれが本気ならば支給額の見通しを示すべきではないだろうか。勿論小池都政が行ってきた在日朝鮮人疎外や排外主義とは正反対であり、居住する外国人が最も得するようになっているシステムである。勿論市民を「セレクション」するなどということはこの原則にはあり得ない基本であることはその目的からして明らかなのだ。そして即不履行になる年金も養護などのあらゆる福祉支給を補うだけの支給額に至るかどうかが味噌である。これを本気になってやるならば、権力の集中を招くような議員数の削減とかは必要なく、生活に困らないのでより多くの人が代議士として薄給で国政に参加できるようになるのに違いないからである。

南ドイツ新聞無料のお試し期間が終わる前に、キリル・ペトレンコ関連の演奏会記事を中心に60件ほどをDLした。内容の程度如何に拠らず、ミュンヘンでの活動に関しては地元紙であるからBRと並んである程度網羅している筈だからだ。それでも初期には、今ほど情報量が無く、ケントナガノの方が多めな感じすらある。



参照:
腰痛日誌五日目、柔軟 2017-01-11 | 生活
月2500スイスフランの魅力 2016-06-05 | マスメディア批評
外国人に手厚い社会保障 2014-12-05 | 文学・思想
十分検討に値するやり方 2014-12-13 | 文学・思想
カズオ・イシグロで馴染み 2017-10-06 | 雑感
ハイテク製品の収集効果 2015-05-01 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-10-06 20:12 | 歴史・時事 | Trackback