人気ブログランキング |

カテゴリ:SNS・BLOG研究( 37 )

なにがどのように繋がるか

d0127795_234422.jpg
発注していたもう一つのコードレス電話機が届いた。予定通り寝室に設置する。そしてステーションにケーブルを繋いで、電話機と交信するが電話が掛からない。前回と同じで電話線と正しく接続されていないのだろう。仕方がないのでDECT電話機としてルーターから直接飛ばす。これは問題なく接続できた。問題は通信電波を出来るだけ抑えたいことにあるのだが、どうせベット脇にはタブレットを置くので、電話一台ぐらいはあまり変わらないかもしれない。ルーターの方ではスタンバイに消費を抑えるような機能になっている。

同時に発注した充電池も届いた。こちらも完全充電までには時間が掛かるが、従来の回線には繋げたので、少なくとも屋根裏部屋の机の脇において、どこから電話が掛かったぐらいはこれで分かるようになる。電話に出ても問題は無いのかもしれないが、暫くは様子を見よう。新しい電話機の方が明らかに機能が高い。少なくともこれで電話が掛かってきても動きながらでも応対可能となった。

翌朝起きて問題が発覚した。怪訝していたステーションの振動音である。耳障りな蚊のような周波数を聞いた。これは駄目だと思った。折角針音のしない目覚ましを購入してもこれでは台無しである。そこで一走りしながら考えた。そして結論は充電時間だけ電源を通すようにタイマーを挟むことにした、現在使っているのは冬季の小電球用なのでこれを夏季には代用して、冬季になった時にもう一つ購入すればよい。

最初の充電時間は6時間だったが、それほど長電話をするとは思えないので、先ずは一日昼時に二時間ほど分けてオンにするように設置した。それで足りなければ通電時間を長くしていけばよい。兎に角耳につくのだが、もう一台の方は事務机の横で大抵はPCが点いているので問題は無い。オーディオ的には消したいところだが、まあそれはいづれ検討しよう。

行くことも無いカナダのオペラ劇場情報がフィンリー経由で知らされた。今回はそこでオテロを歌っているのがラッセル・トーマスで、ザルツブルクでの「ティトュスの寛容」出演時からフォローしている。本当はあのキャスティングの中で一番情けなかったのだが、こちらの呟きを見つけられたものだから仕方がない。しかし徐々にサンフランシスコ辺りから歌い始めて、大役での出演が増えている。再度ザルツブルクだけでなくミュンヘンにも登場するようなことも書いてあった。要するにキャリアーをゆっくりと上っている。

そこでフィンリーのヤーゴばかりの映像のところで、漸く聞けたのがオテロの第一声だった。ウォールストリートジャーナル批評から「革命的」という言葉が見出しに使われているが、なるほどドミンゴ以来の迫力がある。見た目もザルツブルクの時は何かぎこちなさがあったが、このオテロは上手く嵌っていそうだ。

呟きだけでもフォローしてきたのでその人物像は良く知っている。一度は皆にフォロワー数を増やしたいから手伝ってくれと呼びかけたりしていて、全く舞台でもそのキャラクターを隠せない不器用さが個性になっている。確かに声質もオテロに合っていそうで、肝心なところをもっと聴いてみなければ判断は出来ないが、決して悪くはなさそうなのだ。CBCあたりで放送が無いものかと探している。

その情報を集めていたら、今度はそこで指揮しているヨハネス・デーブスという指揮者がフォロワー申告してきた。こうなれば仕方がない。調べてみると、もともとミュンヘンでも振ったことがあり、フランクフルトから出てきたようで読響監督ヴァイクルなどの仲間の様だ。日本でも振っているようだ。しかしカナダの監督になってからそこに集中しているようで、こちらでの活躍は少なくなっている。だからこうした話題になるのはとても大きなことなのだ。そして私のところでペトレンコと一緒に乗せて貰うとそれは誰の目につくかということになる。そうした細々したことの積み重ねでしかない。実際にフィンリーのイアーゴだけならここまで扱わなかっただろう。なにが助けになるか誰も分からない。



参照:
ザルツブルク、再び? 2017-11-17 | 文化一般
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2019-05-07 23:45 | SNS・BLOG研究 | Trackback

ワークインプログレス

d0127795_5414716.jpg
パリからの中継を観た。またまた頭の悪そうな歌手が歌っていた。今時あのようなヴォ―タンを歌うのは余程舞台を知らない人だろう。それはどうでもよいのだが、一番の関心事は指揮者のハーディングである。その名前も、少年時代のこともよく聞くが、興味が無かったのでその指揮はあまり知らない。一度パリ管での中継を観たぐらいだ。その時と同じ印象で、その私生活でのエアバスパイロット振りとは遠く離れていて、動性が無く静的な指揮をする。その問題点は大凡分かったが、折角決めれるところでアインザッツをしっかり叩けないのが痛い。

ラトルにおける問題とはまた異なるが似ているところもある。しかし同じ年齢でのラトルの方が遥かに良かった。ベルリンでも頻繁に呼ばれているが、あの指揮にはこれだけの交響楽団は勿体ない感じがする。彼もサロネンと同じようにストックホルムからロスフィル、ロンドンへと、そしてサンフランシスコになるのだろうか。これまた似ているところがある。たとえ総合的にハーディングの方を評価するとしても、サロネンは少なくとも若い時はもっと動性が高かった。ハーディングのプログラミングはバーデンバーデンでもやっていたようにフィンリーとの歌曲とか面白そうなものがあるのだが、こちらを納得させるまでの説得力が無い。まさにその指揮の通りである。そしてヴァークナーなどを振るようになるとサロネンの失敗を先取りしているようなものである。下らない管弦楽などは初代バイロイト音楽監督に任しておけばよい。

コンセルトヘボー管弦楽団の次期首席候補としてハーディングの対立候補になっているのがザヴィエーロートである。こちらはSWRで振っていた時に聴いているのでその弱みも分かっている。レートナイトで聴いたラヴァルスは期待外れだったので、今回は評判がとてもよいながら、BBC3でオール・ラヴェルプログラムを聴くまでは疑心暗鬼だった。しかしここのところの快調を裏切らず、以前には出来ていなかったことが出来るようになっているようだ。しかし一番大きいのは自身の楽器集団のお蔭で奏法への拘りとその指示が徹底するようになったのか、音の断面がとても磨かれていて、丁度対抗馬のハーディングが成せていないところが鮮やかである。

特に興味深かったのは「ボレロ」をワークインプログレスの4m33sと同じコンセプトの画期的な創作としていて、実際に演奏も最後に吹かせていたので思い通りの演奏だっただろうか。SWRの時はあれが全く出来なかった。不思議なことに、どこででも語っているように、今の方が忙しい筈だが、準備が行き届いている感じがする。ハーディングは兎も角、何回も書いているようだがサヴィエーロートの方はここが勝負所である。

他人事ながら気になるのでちょこちょこと観察していて、騙されたと思って、BBC3を紹介を呟いたら、いつものように隠れフォロアーのロート氏が早速反応した。そしていよいよ観念したかに見えて、表フォロワーになるように決心したようだ。その背景には部外者の我々が感じるように、その必然性が出てきたからで、ベルリンでペトレンコが振らないようなプログラムを仰せつかうだけでなくて、バーデンバーデン復帰が既に確定しているのかもしれない。少なくともこれまでは関係が無くても新支配人スタムパはコンタクトを取ったと思う。関心事はブーレーズ祭りであって、こちらは2025年が生誕百年となる。余談ながらルイジ・ノーノが一年早い2024年となるので、こちらはミュンヘンの新体制が企画しているだろう。



参照:
茹で過ぎにならない実力 2019-04-07 | 料理
「デキる係長」の考え 2019-02-27 | SNS・BLOG研究
by pfaelzerwein | 2019-05-02 05:42 | SNS・BLOG研究 | Trackback

「デキる係長」の考え

d0127795_03491397.jpg
本日も暖かかった。パンツを脱いで走れた。それでも明け方は放射冷却で布団の中が寒かった。ここ暫く暖房を消している。昼の温もりを最大限利用している。ワイン街道は日差しが強いのがいい。

昨晩夕食前に指揮者ロート氏のガーディナン紙へのインタヴューの一部を引用して提示した。高級紙にしては通常の紙面らしくどんな音楽をどのように聞いているなどつまらない質問をしているが。一つだけいい質問をしていて、クラシックコンサートの改善点を一つというものだ。それに対して、「コンサートの開かれる時間と場所」と答えている。私などは彼の指揮で通常のコンサートそれも本来ならばギーレン指揮の筈が引退したのでメッツマッハーが振ったマーラーの六番のあとに無料でレートナイトを聞かせて貰ったのを思い出す。

それが付け足しの作品ではなくて二三年で最も成功した新曲としてハース作曲の数台のハーフトーンに調律されたピアノのための協奏曲となかなか手の込んだ演奏を始めたのだった。その後もレートナイトが最後だったが、確かにこの指揮者のプロジェクトでは普通のものよりもこうしたものの方が面白かった。要するにクラシックな作曲や様式ながらコンヴェンチョナルな作品ではないということになる。その点に関してはもう少しブレーンストーミングする必要があると思うが、具体的に休憩をはさむ必要もなく一時間でもよいと答えている。要するに自由自在で、今までの現代音楽コンサートを超えてということだろう。

その他では、この半世紀の作曲された最も価値のある曲としてレポーンを挙げたのは、フランス人としてブーレーズに近づいた人物としてはそれでいいのかもしれない。またタイムマシーンの目的地として20世紀初頭のなんでもありのパリを選んでいた。まあ、カラオケで歌う曲がエディットピアフの愛の賛歌で、スティングのアルバムが最初に買ったアルバムで、最後に買ったCDがブーレーズ指揮のマーラーの九番などはどちらでもよいだろうか。但しこの指揮者が今おかれている位置などがよく分かる。正直最後のフライブルクでのコンサートから暫く冷や飯を食わされるかと思ったが予想よりも早く脚光を浴びるようなところに近づいてきている。

通称「デキる係長」の風呂場の鼻歌を思い浮かべるよりも肝心な本題について頭を巡らせながら、台所に立っているとタブレットで音がするので、まさか数分のうちに反応してこないだろうとは思った。もしそうならば私よりも完全に暇人である。売れっ子の指揮者でそれはありえない。やはりそうではなかったが、起床すると夜中に一時間遅い英国からいいねが入っていた。オルドバラのスネープでの演奏会でもあったのだろう ― 私も忙しいので調べるのも面倒になっている。しかし、通常の情報ではなく恐らく係長のプロジェクトとしていつも考えていることなのだろうから一人にでも多く訴え掛けたいだろう。たとえ高級紙で話してもそれに本気で耳を傾ける興行師などはいない。精々音楽祭や、近場で言えばバーデンバーデンの新体制などで、ブーレーズの家構想ぐらいで議題に上がってくるプロジェクトである。フォローワーが二十人ほどのところで気の毒だと思った。

しかし分からないもので、フォロワーの数など以上に情報が必要なところに届けばよいので、何もマスに届く必要などは無い。実際のどのような経路でどのような人が見るかは分からないのだが、やはりその内容からターゲットへ自ずと届くというのはあるようだ。「音楽の友」のオペラ劇場ベストテンのリストが日本語しかなかったのでアドレスをリスト番号順に入れておいたら、不思議なことにドイツ語圏からばかり反応があった、元記事はトップのミュンヘンで英語で書いてあったにも拘らずである。せめて四位のコヴェントガーデンや七位のウンターデンリンデンぐらいからは来ても良いと思った。十位のチュッリッヒは不本意かも知れなかったが反応があり、二位のメトや三位のヴィーンはもっと不本意だったのだろうか。要するにミュンヘンのサイトをよく監視しているのは「チュッリッヒ」と「ゼンムパーオパー」なのかもしれない。

そのゼムパーオパーがいいねをしてから「ダンケシェーン」を書いてくるまでに数時間掛かっていた。十分に呟きをスクロールされた可能性がある。情報たっぷりだからついついリンクを読んでしまうものもある。ティーレマン関連はもはやこうした担当者はザルツブルクの方での私のコメントを目をしているだろからどこかで関連に気が付いただろう。どんでもなく危ないサイトである。寧ろ、ジルフェスタ―コンツェルトのメスト推しに気が付いて、ブロムシュテット爺の講話をついつい見てしまったのではなかろうか。

ブロムシュテットと言えば偶然にまた一つの演奏会の日程が目に入った。ハイティンク指揮のコンサート同様に行くつもりなどはなかったのだがどうしようかとカレンダーを見るようになっている。その対抗馬になっているのはケント・ナガノとロート指揮の演奏会だ。



参照:
Facing the music: François-Xavier Roth, The Guardian, Mon 30 May 2016
こまめなSNS生活 2019-02-12 | SNS・BLOG研究


by pfaelzerwein | 2019-02-27 03:51 | SNS・BLOG研究 | Trackback

こまめなSNS生活

d0127795_23595806.jpg
バイエルンの放送局で放送された「ヴァルキューレ」の批評が出ている。そもそもラトルがなぜこの曲を振りたがるか分からないと、皆と同じことを言う。実際に散らかし放題で、管弦楽ばかりに拘って、歌はやらせ放題だと批判される。我々サイモン・ラトルファンからすると今更と思い、放送管弦楽団がこのようなプロジェクトに公共料金を払う意味が問われる ― それどころか映像も放映され、「指輪」プロジェクトは新ホールに持ち越されるというから恐ろしい。

一幕や三幕のハイライトに差し掛かると前のめりになり、こうしたコンサート形式の上演に、交響楽団に求められる精度に至ることが無く、お手本のペトレンコ指揮座付管弦楽団に及ばないとされる。歌手陣においても二幕で僅かしか歌わないクールマンのそれ比するだけのものはなかったとされる。

管弦楽団の楽器群がその行先を失っているのが、そのアインザッツ同様に総奏でも聞かれたたとされる。そこまで書くならば、なぜこの交響楽団がこうなっているかについて少なくとも示唆すべきだ。この書き手の名前は憶えがあるが、突込みが足りない。

客演ということはあるが、ラトルの指揮は当然のことながらしっかりしている。歌手が途方に暮れて歌い難くとも、管弦楽団はアンサムブルがしっかりしていればベルリンのフィルハーモニカーとまではいわないまでもそこそこの演奏が出来て当然なのである。

昨年引いた新しいネット回線が止められている。それどころか違う回線の電話も閉鎖されている。原因は、全て独テレコムにあって、どうも新回線の銀行引き落としが出来ていなかったようだ。警告書が届いて初めて気が付いた。だから先週の木曜日頃に引き落としの同意書をボンの本局に送ったが、処理できていないのだろう。いつものことながら請求書とその回線閉鎖で顧客の善良な市民を怒らす。それしか回線がないならば困るが、ラディオ放送ぐらいは古い回線でも録音できると思うので構わない。順番待ちまでしてテレフォンセンターで苦情するつもりもない。先ずは様子を見よう。そもそも関係の無い電話回線を止めて、問題の回線を活かしていることがおかしい。使い勝手が悪いのは新回線に合わせたNASストレージにしているからそれを使うにはいちいち切り替えなければなにも記録できないことだ。

日曜日はオランダからの放送があった。それを紹介して、特にそこでのコンセルトヘボーでの「英雄の生涯」は期待していた。なぜかというと、日本でも活躍していた指揮のロート氏は元手兵だったSWF放送管弦楽団で全集を録音していて、その紹介に放送で語っていたからだ。それによると「カラヤンやティーレマン指揮の湯船の鼻歌は間違いだ」という意見で、それは間違いなく正しい。それでもあのコンセルトヘボーでどれほどSWFのようなシャープな演奏が可能かどうかが疑問で、聞いてみたかった。それでも前半のエマールの「皇帝」などちっとも聴きたくもないものがあって、適当に考えていたら、またまた指揮者のロート氏が登場した。放送は一月末の録音なので恐らく本日ケルンでの演奏会もあってケルン近郊の自宅にいたのだと思う。前回「ディゾルターテン」でいいねを貰った時も同じような状況だった。この人も私の呟きファンではないかと思うぐらいだ。フライブルクに住んでいたぐらいだからプファルツにも一定の印象を持っている人かもしれない。

そこまでは普通で、更にリツイートしてくれたお蔭で、情報が不完全で更なるスレッドを開けないと分からなかったのだろう、フランスのおばさんが「今日か?何時?」と尋ねてきた。放っておいてもよいのだが、ロート氏本人にも質問していることになって、こちらも言いだしっぺなので、急いで14時と答えておいた。暫くすると恐らくそのコンサートに出かけていたオランダの親爺が14時15分だと正確な時刻を書き添えた。調べて分かっていたが、いつもその放送を聴いているのではないので餅は餅屋の情報で助かった。

演奏は案の定「皇帝」はあまり聴く価値もないばかりか、良くもこのピアニストをインレジデンス演奏家に選んだなと、この楽団の人選などはいったいどういう組織でやっているのだろうと改めて思った。お待ちかねの「英雄の生涯」は中々面白かった。やはりああいう風に演奏することで楽劇と交響詩との間にある創作過程の端々を知ることが可能となる。

それなりに満足していると、先ほどのオランダ親爺がグレートコンサートと書き込みをしてきた。いいねだけは二つ付けておいたが、暫くしてからロート氏がそれまでリツィートしていた。結構熱心にSNS活動をしている人だと分かる。コンセルトヘボーも後任探しがまだ決定していないのだろうから、客演する人は皆色気を持つのは当然だろう。少なくとも打診ぐらいは受けたいと思うのが人の常だ。当然地元で熱烈に応援してくれる人は力になる。一時のメディア戦略によるマスの時代がこの業界では異例で、コツコツとどぶ板選挙のような活動をするのが大切である。



参照:
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 | 歴史・時事


by pfaelzerwein | 2019-02-12 00:00 | SNS・BLOG研究 | Trackback

一流の催し物の周辺

d0127795_21585996.jpg
日本からの呟きを見ていたら消去されていた。理由は法律に抵触するのでドイツでアカウントが消去されたというものだ。内容はそれ程のものではなかったと思うが、アカウント名からしてクライズライターと恐らくナチか東独の社会統一党でしか使われない言葉を名乗っており、そのアイコンを見るとなんと総統らしき写真が載っている。勿論ドイツ国内では禁止どころか訴追されかねないが、更に怖いのはユダヤ人組織である。日本でも有名になったヴィーゼンタールセンターなどを筆頭にそれこそモサドまでが世界中に網を張っている。マンの「ファウストュス博士」の人物像ではないが呵責容赦ない追求である ― 私のような横着な人間でも確認したが敢えて写真の部分は消す。そんなものを晒しても誰も喜ばない。

そもそもその手の連中が何を呟こうが無知を曝け出しているようなもので耳を傾けるに値しないのだが、無知が無知を呼ぶような構造がSNSの世界で、ホワイトハウスからの呟きが最もその頂点にいるかと思うと殆ど正夢だろうかと頬を抓らなければいけない。それにしてもそもそもああしたカウント名を付けて何を主張したいのだろうか?タブー破りの面白さなのか、ちっとも面白くないのである。とても趣味が悪く幼稚なだけである。誰も見たくはない。要するに黒いコートを羽織った露出狂のオヤジと変わらない。

特に芸術、更に音楽関連などになるとユダヤ系の人の活躍無しには一流の催し物は成り立たない。何が言いたいかと言えば、無関係であるからなどと言えるのは余程の鎖国された島国の人か孤立している人なのだが、そういう人種に限ってこうした無配慮な言動が目立つのである。所謂スピナーと呼ばれる人種だろうか。

先日車中のラディオで、シナのドイツ企業買占めの話しが出ていた。ドイツ工業協会理事の声明だと思ったが、同時に本国の景気の鈍化からそもそも買占め数が減ってきているというのである。恐らくその方が正しいのだろうが、そもそも生産拠点や貿易の問題ではなく、技術への興味から盛んな買占めに走っていた訳だから、技術さえ移転してしまえばあとはお払い箱である。そうしたことから寧ろ社会的にはシナへのアレルギーはまだ今後広がるのではなかろうか。

先日のヴァイオリニストのカプサンではないが反応が思わぬところから来ると、どうしようかなと思っているストリーミングプログラムも紹介した責任で聴かなければと思うことが少なくない。メトからの中継は、「青髭」と「イランタ」を組み合わせたプログラムで、最初に後者を未知のソニア・ヨンツェヴァの歌で聴きたかった。四月には一月のメトに続いてバーデンバーデンでデズデモーナを歌うからだ。そもそもMeTooガッティ指揮だから券を購入していなかったが、メータ指揮で歌うことになり興味津々だ。それもチャイコフスキーのオペラとなると嘗て大屋政子プロデュースで食中り状態のロシアオペラをこの辺りで正常に戻したいのだ。メトデビューの指揮者は先ごろまでペトレンコの後々任としてコーミッシェオパーで振っていたナナーシという名のある人だ。勿論この二作品の組み合わせと後半の「青髭」をフィンレーが歌うとなっては外せない生中継である。そのように紹介したら本番前にフィンレーがいいねをしてきた。もう殆ど私の呟きのファンではないかと思わせる。番組は風邪気味とアナウンスのあったヨンツェヴァなどで無事始まって、それを聴いて録音する価値はあったと喜んでいると、休憩時間にそのフィンレーとイディト役のドイツ人のデノーケという歌手が出てきていた。

私などはメトからの中継もNHKで殆ど聞いたことが無く、今のようなこのライヴ感覚は夢のようにしか思えない。それだけでなく実際にインターアクティヴな関係が築かれるとすれば、考え方を変えなければ話しにならなくなってきている。なるほど日本などの地理的にも島国にいることからすればニューヨークは一寸異なるのかもしれないが、ここからすれば海の向こう側で時差六時間はそれほど遠くはない。

そして「青髭」の管弦楽が良く鳴っていて、指揮者の実力もあるのかもしれないが驚くほどである。なるほど監督のネゼサガンが振ればこれぐらいはと思うが、これだけ座付楽団が鳴らせるところは無いと思った。やはり監督が言うようにメトが世界一の座付で、フラデルフィアは世界一の管弦楽団というのもそれほど間違ってはいない。そしてお待ちかねのフィンレーの歌はハンガリー語のニュアンスは評価できないがとても良かった。所謂銭をとれる歌手で、まだまだキャリアーも相当するギャラも上るかもしれない。そして相手役も全然悪くはなかった。この辺りがメトの実力でそれが次から次への演目でそれぐらいの歌手が続いている。ロンドンのコヴェントガーデン劇場とは違うのは当たり前かもしれないが、これがオペラの殿堂だ。



参照:
「ナチは出て行け」の呟き 2019-02-07 | マスメディア批評
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事


by pfaelzerwein | 2019-02-10 21:59 | SNS・BLOG研究 | Trackback

リツイートされた影響

d0127795_20433681.jpg
晩の予定が変わった。フランソワ・サヴィエル・ロートさんからの接触があったからだ。氏は、日本でも有名な指揮者のようだが、私にはなによりも同士である。SWF管弦楽団を一緒に見送ったおくり人仲間である。今回は19時からのケルンの劇場からの中継録音放送を私が紹介したのに対して一時間以内に反応してくれた。そもそもそれ自体をインターナショナルなアカウントで紹介せずに日本語の方で紹介したのは、その公演の質に懐疑を持っていたからだ。片方の方は業界関係者の目に留まり易く、ある意味吟味してある。しかし日本語の方は、所謂まとめサイトにも紹介されていなかった放送だったようなので軽い気持ちで紹介しただけである。他のことを調べていて偶々遭遇しただけだった。だから紹介しておきながら腰を下ろして放送を聞くかどうかも決まっていなかった。ブラームスのお勉強があったからだ。

しかし、指揮者が紹介したいほどの録音となるとこれは聞き逃せない。正直な話し、放送管弦楽団からケルンのオペラ劇場に否応無く移って不満もあるだろうと思っていたので、こうして反応して貰ってお元気でよかったと思った。なるほど著名な中堅指揮者で各地の音楽祭でも様々な楽団を指揮して活躍していて、草っているのではないことは知っていたが、ルツェルンにおいても態々出かけるほどの気持ちは湧かなかった。理由はやはりあの頃の新曲などをセンス良く捌いていく手腕をなによリも評価しているからだ。

そういう事情で楽譜も無く、録音の音飛びがしないようにPCに触らないように食後にタブレットを手にソファーで寝そべって流していただけだが、予想以上に綺麗に鳴っていて驚いた。初日に拘わらずここまで仕上げる腕は大したものである。そして何よりも軽やかに美しく鳴る。ペトレンコの名演におけるその密度の高い響きが本当に正しいのか、このように鳴るのが正しいのかは、恐らく多極的な側面におけるアシスタント指揮を使った箇所での鳴りでは、敢えて詰めていない作曲の意図もあっただろうから、必ずしもペトレンコの「偶然性の厳密さ」は不必要な部分もあるだろう ― これは詳しく見ると、一概に多極化の中でも統一的な音空間を前提とすると、美学としての偶然性とはここでは異なる概念である、乃ちその響きの蓋然性。その反面ロート氏はある意味硬派であり、カラヤンやティーレマンに代表されるリヒャルト・シュトラウス演奏を公然と「湯船の鼻歌」と批判している位なのだが、基本的にはフランス的な響きを作る指揮者で緩い面もあり、それが新曲を美しく聞きやすい音楽にしている。

また、意外にも歌手のドイツ語などが美しく、これならば必ずしもミュンヘンの演出もバーバラ・ハニンガンに再演して貰う必要はないと気が付いた。これも大収穫で、ペトレンコは再演することはないだろうが、是非後任のヤロウスキー監督に指揮して貰いたくなった。リームとの組み合わせなどとても期待される。何はともあれ早速ロート氏のフォロワーになっておいたので、その活動も追える。土曜日は翌日の本番前の完全休養日だったのだろうか。放送終了時に公演の日程に触れていたので早速覗くと通常のネットでは売り切れていた。ケルンの劇場は車で行くとケルン南の渋滞があってボンのようには気軽に走れない。だから距離的には30分ほどの次の町には違いないのだが、片道で一時間ほど余分に時間が掛かる。ミュンヘンとあまり変わらないとなるとやはり厳しい。

氏の呟きを見ると、ベルリンの新プログラム発表に合わせて、再びの招聘を光栄に思うと書いてあって、その素直な気持ちと同時に、新体制の中で一定のレパートリーに関する奨励があるのかなとも思う。ベルリンのようなもはや古風となった交響楽団でどんな新曲でも馴染みやすく一筆書きの様に響かしてくれる指揮者はとても貴重である。今後バーデンバーデンなどでもブーレーズだけでなく、新しい曲を演奏する機会などがあれば、必ずしもペトレンコが指揮する必要もないので、登場する可能性もあるのではなかろうか。

それにしても一応スター指揮者と呼ばれるのかフォロワー数も多いのだが、自身が書き込んでいるものが少ない一方、そのリツィートも自身がやるしかないというほどのなかなか絶妙な選択だが、意外にフォロワーの反応が鈍い。公演の「ディ・ゾルダーテン」は完売していると言っても定期とそれに加えてという程度で、やはりべルント・アロイス・ツィンマーマンの人気などはその程度だろう。ギュンター・ヴァントの敵討ちとして初めて現音楽監督ロートが再公演に成功して雪辱を果たしたが、その関心は一定の域を超えないのかもしれない。また歴史的にマンハイムの劇場の方が上かと思っていたが、今回の演奏を聞くとその人口の多さに比例して、ケルンの響きやアンセムブルは到底マンハイムでは不可能なものだった。連邦共和国の上位四劇場は誰も異論はなく、シュトッツガルト、フランクフルト、ライプチッヒなどを含む、第五位から第十位までは順不同になりそうだ。辛うじてマンハイムは歴史的にも入るとは思うのだが。



参照:
エポックメーキングなこと 2017-12-02 | 文化一般
デジタル演奏会の品定め 2016-09-21 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-05-13 20:45 | SNS・BLOG研究 | Trackback

隠されている問題

d0127795_21022033.jpg
比較的早い時間に走った。折り返し点で汗を掻いた。陽射しが充分だ。まだまだ本調子ではないのだが、前夜も煮豚のスープにニンニクとショウガをおろして、コラーゲンラーメンとしたので満腹度以上に効果があった。気管支の炎症も治まって来ていて、木曜日でのオペラ公演中の鼻水と咳は何とか抑えられるかもしれない。しかし、のど飴だけは忘れてはならない。

そのような塩梅で「ポッペアの戴冠」を水曜日中に最後まで通しておかなければいけない。天気が良く摂氏27度ほどまで上がりそうで、Tシャツの生活が始まった。まだ風が冷たいので半ズボンは必要が無いが、気持ちの良い季節になった。そのお陰で窓を開け放って仕事することになる。すると流石に市の役所前に住んでいるので町が騒がしい。週末にも反対側のシャンペン工場でお祭り騒ぎの喧しい音楽が流れていた。あれは音楽というよりもただのリズムボックスの野蛮なものでしかない。今回ノイズキャンセリングのイヤーフォーンを購入する心算なので、自宅でもワイン祭りの時にどれぐらい効果があるのかと旅行時以外の使用の可能性に気が付いた。あのリズムボックスと喧噪がどれぐらいキャンセルされるのだろう。キャンセルされて圧迫感があると生活にならないので適当に音楽を聞けるぐらいの感じが良い。高等な耳栓替わりである。

ネットで様々な音楽に関する話題が飛び交っている。エルブフィルハーモニーでのカーネギー公演への壮行演奏会のクリップが上がった。最初に上がった時には二時間もしないうちに消去された。どこが問題だったのかは調べると分かった。見出しのテロップの演奏会の期日が23日のところが24日と間違っていたのだった。その映像の鮮烈さと座付き管弦楽団らしくない分析的な響きが聞ける貴重なヴィデオである。会場が違い、管弦楽団の並び方も違い、楽員がお互いに目が効くので、全く違う指揮捌きと演奏が出来たと話題の演奏会であった。なるほどこの鳴り方は今までこの座付き管弦楽団が経験したことが無いアンサムブルとなったことが分かる響きである。一体地元のハムブルクの管弦楽団はどんな響きを奏でているのだろう?

日本の音楽評論家と名乗る教授がお話しにならない音楽会の感想を書いている。益々日本人の教養や学術的な程度が落ちてきているのを感じさせる。吉田秀和の文化勲章でさえ可成りスキャンダルなものだと思うが、まだ彼の場合は自身はただの物書きだと自己弁護していたので救いようがあったが、少なくとも学問をする者が非科学的な思考でなぐり書きをしているのが日本の文化で芸術の程度である。

しかし、フランスでもドイツでも音楽芸術特にオペラ上演に関してはあまりその程度は変わらない。フランス人でヴァンダラーと名乗る人の書いたもので分るのだが、特に注目したのは「バーデンバーデンの聴衆」について触れた部分だ。その聴衆の質で容易にザルツブルクと比較されているが、なるほど夏や復活祭の音楽祭とバーデンバーデンの都市圏の地元民とは大分違う。

しかしここにもう一つの問題が隠されていて、それは日本からの聴衆が経験したことと共通していて初日以降のこのフランス人の経験した聖金曜日と最終の復活の日曜の上演などは初日の地元の人たちは殆ど居らず、もしいるとすればバーデンバーデン周辺で地元の無関心層に捌いたようなティケットを安く購入した人が多かったと思われる。それは初日でも第一幕が終わってからザイテンバルコンのみならず正面のバルコンからも人が沢山消えた現象が物語っていた。経済的には成り立っているようだが、有効入場者数には幾らかの偽りがある感じさえするのである。

La question des productions de Baden-Baden se pose à plusieurs niveaux, aussi bien artistiques qu’économiques et sociologiques. Le public du Festival de Baden-Baden est moins habitué que celui de Salzbourg aux productions un peu décoiffantes.

もう一つの問題として、今シーズンで勇退するメーリッヒ・ツェブホイザー支配人の責任について触れているが、これはある意味正しいのだが、つまらない演出に金を掛けるぐらいならば適当にした方が良いだろうという言い訳も成り立つ。大問題はその芸術的コンセプトを描くことの出来るような人物ではなくて、なにはともあれ破産した劇場を今後の可能性を期待出来るほどまでに経済的に立て直した功労を語るべき人物である。

Enfin au niveau artistique, l’énormité du théâtre et du plateau déterminent des choix, mais le directeur artistique, Andreas Mölich-Zebhauser qui n’a jamais été trop intéressé par la question scénique. Baden-Baden est un Festival d ‘ « events » où les mises en scènes trop problématiques ou idéologiques ne semblent pas trop bienvenues.

その他のアコースティックやラトルのオペラ指揮に関しては態々触れるまでもないことだが、結局ヴァークナーの音楽劇場作品に関してはそもそも音楽劇場効果を期待していく人間の方に落ち度がある。本当にその効果を信じている人が居るのが不思議でたまらないのである。セリフ芝居を音楽劇場と比較すれば一目瞭然であるが、どうしてこうもヴァークナー愛好家はなんとも非理知的なのだろうと感じるだけだ。要するに音楽だけでなくて劇場空間もよく理解出来ていない人たちなのだ。



参照:
ツルツルピカピカに 2018-04-17 | 文化一般
「ポッペアの戴冠」再会 2018-04-15 | マスメディア批評



by pfaelzerwein | 2018-04-18 21:04 | SNS・BLOG研究

Digitalisierung ändert Alles!?

文化や芸術については書いても、殆んど政治については語らない。それでも総選挙も近づいてきたことであり、最新の世論調査と新聞記事を読んで一言。最も興味深いのは、難民大量流入問題以前の状況に戻ってメルケル首相の人気が復活したことだろう。その背景には、ハンガリーのオーバン首相やオーストリアの右翼やトルコのエルドアン独裁の様な悪い連中のお陰がある。メルケル首相は女性的な狡さで天才的な政治をしているように思えてきた。

そして国民の主要話題は、お天気だけでなくて、トラムプ、難民、トルコ問題、ディーゼル、アンゲラ・メルケルと四年前よりもより政治的になっているというが ― 実際政治談議ではなくてもこの辺りの話題は立ち話に上るようになっているが、それは身近な切羽詰まった問題であるよりもTVワイドショー的な世間話しでしかない。

それでも数少ないSPD支持者の中では、社会の公平、若い子育て世代への政策、年金と所謂社会民主的な政策も期待される。しかしリアル政治の中では、ドイツ経済の景気とか社会の全体の楽天的な気分の方が大切なので、誰もSPD政権に期待していない。実際に自由党と緑の党の所謂ジャマイカ連立政権となるのかどうかは分からないが、メルケル政権への支持は揺ぎ無いようだ。経済に関してもマイナス金利から正常化へとソフトランディングへと向けて動いているだけで、なにも自由党がそこに必要ではないだろう。

そもそも大連立の第二党には勝目が無いのだが、それ故に新たな候補を立てて、旗手回生を狙ったようだが、SPDの長期低落傾向の中ではシュレーダー前首相程度の余程の人物が出てこないと政権は狙えないということだろう。兎に角TV討論会なども生温くと書いてあるので、結局はシュレーダー、メルケルの討論やその後のZDF攻撃などの闘争は全くないということだ。

面白いのは、極東へと向かったピアニストのイゴール・レヴィットがトランジットのバンコックまでの隣席の空いている飛行機内でも「一体誰がFDPを選択するのだ」と呟いていて、そうなると緑の党はどうしても連立に入らなければいけないということになる。FDPだけならば詰まらない政策も出てくるかもしれないが、AfDよりも弱い緑の党でもそこに入るとやはり違うだろう。AfDに対して「ナチス」と攻撃して、流石に考えたのか、その反対は、「左翼のいい人」ではなくて「普通の思慮深い人」というのを取り上げている。そもそも彼が左翼であることは了解しているが、ソヴィエト出身の人間としてはメルケル首相と同じく左翼党の支持者であるわけがない。

そして、「I Am Not Your Negro」を五回も見たとして、再びAfDに今度は静かに批判する投稿を扱って、ジェームス・ボールドウィンに言及する。勿論その背景には合衆国における時事があるのだが、私がAfDへの立場を表明したのと同じように「奴らの言動」に対する激しい気持ちがそこから浮かび上がってくる。正しく、自らが命題を述べるまでも無く、引用によってそれ以上に大きな表現が可能になるというとても芸術的な表明となっている。流石に一流のまだ若い芸術家の表現である。



参照:
Twitter.com/pfaelzerwein
IfD Allensbach
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
by pfaelzerwein | 2017-09-07 20:39 | SNS・BLOG研究 | Trackback

逃げ足の速いモンサント社

住友化学の殺虫剤禍の続報である。ネット検索では、メインサイトのgooでは再び検索基準を厳しくしているのに気が付いた人がいるかもしれない。マニュアルで検索基準を弄る情報操作がサイト側で行われている証拠である。そのジカ騒動と住友の責任の学術的な証明はある程度の時間が掛かり、その情報の確かさが吟味されるのは時間が掛かるであろう。しかしそこに面白い動きがある、そしてそれを伝えておくことは情報の吟味以上に重要と考える。

その情報によると、親会社とされたモンサント社は「住友化学は子会社ではなく、只ライセンス契約を結んでいるだけだ」と説明して、件の「ピリプロキシフェンに関してはそのライセンス契約とは関係なく、住友化学独自の製品であり、モンサントは一切関与していない」との報道である。

これを聞いて、東芝やウエスティングハウス社やGE社との原発プラントの製造責任問題を思い出す人は少なくないだろう。要するに世界市場において二流の日本の大企業がどのようなことになっているか、その顛末はまさしく日本の経済力の世界での低下と合衆国との関係において落ち着くところに落ち着くという良い例示である。

このようなモンサント社の逃げ足の速さを見ると、今回のジカヴィールス騒動の顛末が余計に気になるところなのである。そして、第一報を出していない日本の報道機関は、当然ながらこうしたモンサント社の声明をも伝えることはないのである。これが今の日本の経済であり社会なのである。

そのようなことを考えるにつけ、合衆国大統領候補トラムプ氏が益々支持を得てきていることにも理解が得られやすくなる。合衆国の在り方が問われているのである。一方でここまでサンダース候補が選挙戦を戦っているのも同じような背景があるのに違いない。このような産業構造の中で、TTPなどによって日本の市場を開放しても、もはやどれほどの経済効果を一般の国民が享受できるかといえばとても疑問だからである。クリントン候補などの政策によって、その恩恵を受けることは難しいと多くの合衆国市民が感じるようになってきたからであろう。当然のことであり、トリクルダウンなどというような幻想を持てなくなってきているからである。

指揮者のニコラウス・アーノンクール死去のニュースが入っている。死因は書いていないが、二年以上前から引退興行を計画していたので、癌に違いないだろう。一昨年のベルリンでのサヨナラ公演の時にも回想したが、個人的にはザルツブルクでの「ポッペア」の上演に尽きる。その時に初めて古楽器でも大劇場を響かすことを経験したのだった。その意味からはパイオニアには違いないが、同じモンテヴェルディのオペラにしても既に後継のルネ・ヤコブス指揮が音楽的に評価されていたのでそれ以上の成果とはならなかった。ヴィーンに本拠を構えたこととも関係するかもしれないがどことなくローカルな印象は免れなかった。録音においてはインターナショナルな成功を収めたものの今振り返ってその成果を見るとオペラではキャシーバーベリアンとのモンテヴェルディとチューリッヒでの「イドメネオ」、そしていくつかのバロック録音以上の成功作は見当たらない。そのモーツァルトにおいても新奇性を超えて表現として卓越したところまでは至らなかったというか、最初からなにかボタンの掛け違いのようなものがあったのではないだろうか?兎に角パイオニアとして活躍したからこそのその後の成果が生まれてきたことが何よりもの芸術的な価値ではなかっただろうか。



参照:
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
成果を挙げて摩耗する 2014-11-14 | 生活
by pfaelzerwein | 2016-03-06 15:30 | SNS・BLOG研究 | Trackback

席次次第ではない味

2013年産シャルタヴァインを開けた。久しぶりなのでその変化に驚いた。もともと酸が大変効いていながら、樽で寝かしてあったので、秋にはとてもよい感じで楽しめたリースリングだった。その分、その背後にあるミネラルや素性が見えにくかったのかもしれない。そして、ここにきて酸は決して丸くはなっていないのだが、背後で支えるようになると、とんでもなくおかしな味が出てきているのだ。所謂2013年のスパイシーさの一種で、この場合はどちらかといえば拗ねた印象であまり快適ではない。それでも2013年産の特徴の優れた酸が通っているので、しばらく寝かして瓶熟成をするようになるのが待たれる。明らかにロベルト・ヴァイル醸造所のリースリングは正しい道を歩んでいるが、これだけ味に変化があると通以外は失望するかもしれない。2013年産のスパイシーさはまさにこの特徴にあり、酸が下支えしていることでどれだけ寝かす判断が出来るかどうかが評価の鍵となる。それでもプファルツのそれでも現在明らかに谷に入りつつあるので、飲み頃が難しくなってきている。追加購入しようと思っているので、勝負どころである。2014年産よりも本格派のリースリングになるわけではないが、きっりっと輝く通向きの繊細極まりないリースリングが将来話題になるのは間違いない。

何気なくアクセス数を見ていると、大きな数が混じっていた。5267件の訪問者数で、6559の観覧数であった。通常ならば三倍ぐらいの観覧数になるのだが流石にその様にはなっていなかった。二百十四万件のGooブログの中で29番になっている。長くやっているとスロットマシーン的にこのようなことがあるのだが、流石に二桁はなかった。日蝕であれ何であれ凄い席次である。入学試験模擬試験席次ならば東大の理科三類合格有力である。考えてみればその数からすれば数年前の数分の一の数でしかないだろうから、決して天文学的な数ではない。そもそも席次などは、合理的に目指していけば行き着くところに行きつくのである。それでもやはり一桁となると可成り空気が薄くなりそうだ。



参照:
合わせものの楽しみ 2015-01-27 | 生活
胸がパクパクする運動 2014-11-24 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2015-03-28 08:07 | SNS・BLOG研究 | Trackback