カテゴリ:アウトドーア・環境( 559 )

南仏か、高地ドイツか

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ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートツアーを一望した。プログラムは三種類ほどあって、もう一つはツィンマーマンのトラムペットをハーカンソンが吹いて、後半にマーラーの五番の交響曲が来るもので、三種類目は一番の交響曲とツィンマーマンと新曲が組み合わされている。ツィンマーマンもとは思うのだが、どちらかと言えばチァイコフスキーである。更に後半の交響曲は一番の方がゲヴァントハウスにはより期待出来る。恐らくこれがベストプログラムだが、ロンドンとリガでは両プログラムで二日間の演奏会が打たれる。ストックホルムなどは、新曲とツィンマーマンを二曲並べているのでこれはこれで意欲にあふれている。

ネルソンズのマーラーの交響曲二番の指揮はザルツブルクの名演の映像を手元に置いてあるが、ゲヴァントハウスではどの程度の事が可能なのか。就任演奏会でのインタヴューにもあったが、ゲヴァントハウスのアンサムブルを壊さずにつまりその音響を活かしての配慮が強かったようで、少なくとも放送では中以上に低い方へと音響が沈んでいて感心しなかった。巨人交響曲となると最初から低弦が高い音を響かすので、もう少し中音域を活かした演奏が聞けるのではないかなと期待している。ヴィーナーフィルハーモニカーとよりもいい相性を示せるのか、一年も経たないうちに結構早正念場ではなかろうか。

なんとマンハイムでフランクフルトと同じプログラムが演奏される。早速価格を見た。最低100ユーロだ。つまりその中から八割以上は儲けになる。そこの興行主は三大テノール興業でGEMAがポップス対応徴収をしてさらに脱税容疑で訴追された。偶然にその弟さんの裁判長と知り合いになった。サントロペーのオタクで優雅に過ごしているらしい。弟さん夫婦もそこで楽しんだようだ。まさしく興業なんて言うのはやくざな仕事で、クラシック業界こそ世界的な主にユダヤ資本の元にあるマフィア業界なのだ。

先日ミュンヘン郊外に宿泊した際は、連邦共和国で最も高級住宅街のシュタルンベルク湖の近くの湖を走った。宿でそちらの方を知っているかと言われたので前回宿泊の時に使ったと言ったが、結局天気が良いのでその湖畔でマイスタージンガー三幕を勉強したいと思った。昼飯もと思ったが時間がなかった。それでも湖畔を走るとシュタルンベルクとはまた異なる広大な敷地の土地が並んでいた。安い時に購入した人たちが湖畔に建てた家なのだろう。古い家も大きな屋敷になっていた。アウトバーンから離れることなく湖畔に停めるところが無かったので、レジャー用にそこから歩いて下りる高台の駐車場に停めた。誰も来ないところで二時間ほどゆっくりした。

樹間から湖が見えて、対岸のヨットハーバーから湖の真ん中の方へとヨットが沢山出てきた。日曜日のお昼時である。コートダジュールのような地中海ではないが、穏やかな湖の雰囲気も悪くは無い。夏も涼しいのだろうが、嘗ては湖畔の家に憧れた時もあったのだが、最近はまた一寸感覚が変わって来た。なによりも気候で、あまり湿気のある空気は落ち着かないなというのがある。冬も夏もやはり乾いた空気の方が体が楽で、精神生活も軽みを帯びる。こちらに移り住んだ当時はシュヴァルツヴァルトの湿気とかそこの人々の気風に馴染みがあったのだが、こうしてワイン街道に長く住むと、空気も気風も乾いて軽い方がいいと思うようになって来た。日本からこちらへは夏の暑気を避けてが一番の目的だったが、今後はそこに湿気の有無が新たな条件になる。



参照:
固定観念を越えた感応 2006-02-10 | 文化一般
テューン湖畔の薫煙 2006-01-19 | 文学・思想
地中海の海岸に遊ぶ 2012-04-09 | アウトドーア・環境


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by pfaelzerwein | 2018-10-04 23:52 | アウトドーア・環境 | Trackback

噴水の水音に涼む

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暑い夜をやり過ごした。明け方おかしな夢を見ていた。北欧のどこかの立派な首都らしき旧市街の中心部でしけこんでいるのだ。劇場で出合った女性のようで、その近くに住んでいる。引けてから同伴帰宅となった。食事などを済まして、それならば「うちに泊まる」という事でいそいそとついていく。それほど魅力的でぴちぴちした女性ではなかったが、ちょっといいところがあったのだ。住まいは古い大きな家の屋根裏の広いスペースで、どうも共同生活しているらしく、他のカップルなどにも挨拶をする。

部屋に招き入れられるや早々、大きなダブルマグナム以上の瓶にシャンパーニュが入っていて、それを移して飲むようになっていた。尿瓶を印象させた。先ずはお国のそれを試してみたいなと喉を鳴らしているうちに、そろそろ就寝時間だという事で、大きな部屋の床の上に布団が並んでいるような丁度山小屋のラーガーのようなところでという事になって、彼女はシャワーを浴びて来るというのだ。こちらは、先のシャンパーニュが気になっているので、グラスはどこに行ったのかと聞こうと思ったが、流石にここは要らぬ欲は出さないようにと我慢した。手持無沙汰なので窓から向かい側の劇場のライトアップを見て涼んでいると、夜更けにも拘わらず轟音を立てて市電が走って来た。

その市電が凄いのだ。その特徴はブレーキを掛けないことで極力エネルギー消費を抑えて、自然に優しいという首都名物になっている公共交通機関である。そして、劇場のある広場の方に下りて行く坂が急坂なのだ。急坂の途中で大きな川を渡る橋を越えている。そしてその迫力がジェットコースターどころではないのは殆ど機関車のような二連連結の重量ある列車なのである。軽量化しなくても慣性を生かすという事らしい。その振動というか轟音が途轍もない。そうこうしているうちに彼女が布団に入って来て、添い寝するかというところで目が醒めた。

夢診断する以前にこのストーリーのネタ元を考えると、記憶の深いところで残っている雑多な印象を繋ぎ合わせたものでしかなく、その女性の顔だけは分からないのだが、更に最近見た映像に過去の共産圏のあの重そうでその地響きの轟音などそのまま材料ともなっている。場所は比較的ドイツ語が使えたことから旧東プロイセンだと思う。十年ほど前に見た原発施設に乗り込む諜報員ものもカザフスタンかどこかで最終的にはトロッコのようなモノレールに乗って逃走するというものだった。よほどその方に潜在的な何かがあるようなのだが、解釈すれば文字通り「レールに乗った」キャリアーという事にもなるのかもしれない。夢判断的に解釈するとそうなのだろう。

その他の女性口説きの関係は、いわば「男たちの悪巧み」のようなもので誰と話した訳でもないが、ちらちらと先日来考えていた口説き術に準拠している。それでもワイン系のものに喉を鳴らしているのもいかにも飲み意地としか思えない。潜在意識に関連するレールが例えばロンドンのテューブのようなものでなく、地上若しくは空中というのも面白い。若干空飛ぶ系の夢想にも近いのだろうが、レールに乗っていてちっとも飛躍しない。それでも坂を下りてくるそれは殆ど離陸しそうな勢いだが、当然のことながら、有り得るのは脱線だけである。寧ろ怖いと思ったのは、考えてみればわかるように、ブレーキの無い列車が路面電車としてとんでもないスピードを出していることである。そこが恐怖だった。以前は空中遊泳ものだけでなくて飛行機ものもあったのにどうしたことだろうか。それにしてもまだまだご気楽な空想をしていて我ながら呆れる。

涼もうとしたのも予定ならば就寝前に雨が降って、もう少し涼しくなる筈だったが、風だけが強くて温度が下がらなかったからだ。目が醒めると気持ち良かったのは寝室にも小さく響く、広場の噴水の音だった。これも今年最後の涼しげさかと思いヴィデオと写真を撮っておいた。風が強いのと、明け方になるとちょこちょこと車が通るようになって静けさが少なくなってきた。上のような旧市街中心部の話しになるのも、まさしく自身の環境を反映していて、離れて一軒家であると庭で造らないと難しい。ワイン祭りの迷惑の反面、こうした公共の恩恵を受けれるのが嬉しい。明日は散髪屋再開だ。朝一番乗りできるかな?今年最後のサマーカットである。

雨降りが予報されてそれまでに走ったが、結局全く降らなかった。これは少し痛い。明日は是非お湿りが欲しい。雨量は限られているようだろうが、全くないよりはマシだ。



参照:
悪夢の特命潜入員 2005-09-01 | 雑感
オージーの天狗裁きの朝 2016-12-22 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-08-08 23:49 | アウトドーア・環境 | Trackback

最も暑い週末を迎える

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朝一番で一汗掻こうと思っていた。体調が優れないので断念した。用意をして出かけて走らないことは珍しいが、右の胸に圧迫感があったので止めた。左ではなく、それほどのことではないと思ったが、木曜日にも走っており、日曜日にも走るので無理をしなかった。そもそも早朝走るのは不健康であり、それだけで循環器系への負担は大きく、寝方が悪かったにしても圧迫感があるところで走るほどのバカではない。なるほど走れば一汗掻いて暑い日を容易に乗り越えられるが週末の一日ぐらいどうでもよい。

ラディオでは河川の船輸送が特別料金になると話していた。理由は晴天続きの夏で大きな河川も水位が下がっていて、ラインでも二メートルを切っているとあった。つまり普段は満載にするのを三分の一の貨物量にして、喫水値を下げなければ航行不能となるからだ。すると一度に運べる貨物が三回に別れて、当然のことながら交通量も増えて危険性も増し、コストも嵩む。だから予め特別料金が設定されているらしい。

夕方閉店前の八百屋からの帰り道、車の外気温計が37.5度を指していた。その数字は見たことがある印象だが、摂氏38度を見ることはあるだろうか?暑い時間帯に車を動かさない限り無理かもしれない。兎に角、乾燥しているのが特徴で、なるほど暑いのだが、帰って来ても汗を掻いていなかった。シャワーを浴びる予定にしていたが、結局しぶしぶと浴びただけで、暑い2003年や2015年の夏のように水風呂に入るのは寒くて無理だ。これで木曜日まで耐えて床屋に行って、その次の週は最低気温が15度以下になるので一挙に秋支度となる。葡萄が日焼けしない限る凄いリースリングが出来ると思う。

ネットに昨年バイエルンの国立歌劇場東京公演に同行したフライ記者がノイエズルヒャーに書いた記事があった。興味深いのは、私が扱っているようにキリル・ペトレンコとヤニック・ネゼセガンを比べていることだ。勿論カーネギーホールでの書き込みにあったように、到底比較の対象でないとのことで、ネザセガンを一緒に出すなという声はあがろう。しかし現在活躍中の指揮者を見渡すと、そもそも取り上げる必要のあるのはネゼセガンぐらいしかいないのだ。この記者が私の呟きからヒントを得たかどうかは分からないが、まだ完売していないワンの弾くべルリナーフィルハーモニカーとネゼセガン指揮のロッテルダム管弦楽団の販促効果としてはこれ以上のものは無いであろう。

但し残念なのは私がBLOGで扱っているように、それならばネゼセガンの音楽のどこが良くてどこが悪いかには一切言及していない。コンサートが始まる前から書いても仕方がないのだろう。両者のキャラクターの比較で、ペトレンコをファントムとしてネゼセガンを交流者としていて、前者の表現はどうかとも思うが、そこをメディア人として若干修正して欲しいとしているので、意見としては致し方が無い。ネゼセガンが逆のコースを歩んで、コンサートからオペラへと進んでいて、欧州での活動も縮小する方向で動いていて、ロッテルダムで一緒に育った楽団とのお別れを悲しんでいるとあった。

先週録音した楽劇「トリスタン」一幕をBGMに流している。高みで歌わすのは気の毒だが、こうして歌うとシュテムメの歌詞も明白で、声の質がニルソンの方が子供っぽいだけで、その芸術的な仕上がりは素晴らしい。クリーヴランドの管弦楽がとっぴおしも無い音を出して、驚かせるが、ミュンヘンでのそれを準備する時のいい音素材となりそうだ。カムペのイゾルデもヴィデオがあるので、とても助かる。しかし思い起こすのは先ず「マイスタージンガー」における引用で、そこも9月までに詳しく見ておきたい。何か双子のような作品群にも見えてきた。

それにしてもヴェルサーメストがクリーヴランドをこうも易々と小気味よいノリで振ってしまえることも驚きでしかない。ヴェルサーメストが適当な楽団で素晴らしい仕上げをしてくることは知っているが、ペトレンコやネゼセガンが汗を掻いてとても苦労してリズムを刻ませているところを軽々とこの楽団は為している。上の記事にもあるように双方とも「室内楽的」にが共通しているとなるが、そもそも現在の大オーケストラで室内楽的に鳴らずに、厳格に音楽の合っていない粥のようなそれは美学的に認められない ― 何か日本の呟きを読むとどうも彼の国では鳴らし方が違うようだ。その点からも「細いピンセル」の楽団を手中にしたヴェルサーメストの幸運の程が知れる。



参照:
記録的な高気温になる予感 2015-08-08 | アウトドーア・環境
彼方の高みは? 2006-07-21 | アウトドーア・環境



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by pfaelzerwein | 2018-08-04 23:20 | アウトドーア・環境 | Trackback

涼しくて快適な七月

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週末にかけて夏が戻ってくるようだ。だから少しだけ気温も上がり、湿度も上がった感じだ。それでもシャワーの上の温度計はとても快適な環境を示している。実際にバルコンで朝食を取ったりしても寒くも暑くも無く気持ちよい。ここに住むようになってからこんなに快適な七月は初めてだ。それどころかこんなに快適な夏も珍しい。今年は計画が立てられなかったので自宅待機のような夏を過ごしているが、ワイン街道に居てもこんなにヴァケーション感覚で過ごせるのは珍しい。アルペン地方に出かける必要もない。それだけでも、夏嫌いの私としてはとても幸せだ。

ルツェルンからのニュースレターで残り券の売り込みがある。ずっと気になっていたのはボストンシムフォニ―管弦楽団だった。残券も十分で65ユーロほどで買える。日程的にも可能なのだが、先週のタングルウッド音楽祭中継で失望して、コヴェントガーデンでの「ローエングリン」で完全に意欲が失せた。録音でタングルウッドの初日後半のチャイコフスキーを聞くと、これは全く価値が無いと思った。責任は指揮者にあるので、ゲヴァントハウス管弦楽団の就任演奏会のヴィデオも消却した。それと残券の数は関係ないのかもしれないが、それ程ではなくても残券の多いワンとペトレンコの協演はあまり宣伝していない。こちらの方はまだまだ出ると見込んでいるのだろう。映像の放映だけでなくラディオも中継するようだから話題性は遥かに高く、いずれ高額券も飛ぶように売れると見込んでいるに違いない。

驚いたことにペトレンコ指揮べルリナーフィルハーモニカーの初日の恐らく戻り券が再び出ている。三列目が15席、これはスポンサー筋からの戻りだろう。13席は次のクラスでこれも並びが多い。更に220フランの10席でこれは驚いた。多くが並んでいるのはスポンサー企業筋だろう。ベルリンから数えて四回目の公演で、べート―ヴェンなどはなんとかものになる可能性がある演奏会だ。玄人筋はずっとロンドンまで同行するのだろうが、ロイヤルアルバートホールは音響が良くない。

さて九月はハイティンク指揮のコンサートを購入したので、やはり80フラン出す気持ちは完全に無くなった。その他のコンサートを見ると、コンセルトヘボーやロンドン交響楽団演奏会のように比較的安く買えるものもあるのだが、意外にメスト指揮のヴィーナーフィルハーモニカーがなかなか売れている。70フランでのラトル指揮ラヴェルプログラムなどは行ってもよいが、他の仕事を組み合わせなければ勿体ない。なによりも八月末から通うようになると、心配なのはスピード違反で法外な罰金を取られそうだから嫌なのだ。兎に角スイスは金を剥ぎ取るシステムになっているのであまり通わない方が安全だ。

夜は友人の演奏会のラディオ演奏会録音中継があるようなのでしっかり番組を聴こうと思う。録音はしないでも、必要ならば本人が局からコピーを貰っているからいいだろうが、久しぶりなのでどのような音楽を奏でているのかとても関心がある。場合によっては夏の間に会う必要もあるかもしれない。

オイル価格がユーロ建て急降下している。現時点ではまだ小売り価格にそれほど表れていないが、上手く行けば金曜日にでも安く満タンに出来るかもしれない。5ユーロでも安くなれば劇場でのコーヒーなどぐらいの差額は十分に出る。今回はプログラムも既に購入しているので、当日のメムバー表さえ買えば済む。小銭もそんなにいらない。



参照:
演奏会発券当日の様子 2018-03-07 | 雑感

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by pfaelzerwein | 2018-07-13 01:08 | アウトドーア・環境 | Trackback

Don't we trust him?

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早起きしてシンガポールからのライヴ中継の一部を観た。なによりも印象に残るのはやはり金主席の若くその真剣な発言だろうか。トラムプの方も国際的なビジネスマンのようにしっかりと相手の表情や真意を追っているのが見えて面白かった。まさしく、交渉相手として信用のおける人物としての金のいで立ちだった。その姿をこまごまと動く妹と共に見ていると、やはりこの独裁者の夢は朝鮮半島のスイス化だと思うに十分だ。朝鮮の統一は中立化しかないと感じるようになってきた。シナの分割がありえない限りは、EUのような共同体は不可能なので、朝鮮半島が新絹の道の終点となることで大きな意味を持ち得ることは朝鮮民族の存在意義を大きくするからである。

様々な生中継を観た。ABCの作りが比較的スマートだったが、速報性には欠けるが意外にドイツェヴェレの英語放送が良かった。そこで日本のネットでも話題になっていた日本の写真家の写真集やその個展、撮影風景などが紹介されていてよかった。政治課題として到底そこまでは上らないのだが、こうした表現者などの感性は統一からその後を見据えていて当然であり、「手遅れにならずに記録してよかった」というのは理解出来る。

月曜日も広場でライヴをやっていた。激しい雷雨から雨が降っていたので盛り上がりは無かったので、それほど続かなかった。なによりも涼しくなって来て窓を締めれるようになったのが嬉しい。そのお陰で夕食のサラダパーティーが一寸寂しかった。塩じゃがだけは暖かかったがコールドミールがあまりに涼しかった。それにしても夕刻の雷雨は激しく、綺麗に車を洗えた。頭も濡れた。

週末の「メリーウィドー」の残席が50以上あったのが僅か一晩ぐらいで高価な43席のみに減っている。水曜日の分は安いので早めに売れていたが、土曜日の方が最終的に掃ける勢いである。フランクフルト市内の勤め先などでの口コミによる売れ方である。前日のワイン祭りの喧騒の中でも時間が出来ると思うが、先ずは楽譜を落として良さそうなヴィデオを通して観ておこうと思う。

引き続きミュンヘンの「三部作」の残席が新たに放出されている。その席の塊り方からスポンサー筋の戻り券としか思えない。恐らくBMWが確保していた座席だろう。そこに個人の戻り券などが混じっているような感じだ。一日目の出方と二日目の出方が全く異なるのも面白い。12月に座ったような91ユーロの席も一つ出ている。ペトレンコ指揮となると完売まで時間が掛からない。

YouTubeで有名な「NHKから国民を守る」の政治活動が、またもや安倍昭恵によって潰されかけている。多くの視聴者の支援を受けてワンイシューで以って地方自治体選挙で党勢を伸ばして、次の国政選挙に狙いを定めていた政治団体である。昭恵との付き合いから、更に部落出身者への偏見を放送し、私などを含めて多くの違反報告が出されてアカウント停止となった。それどころか今回は暴力事件を起こし、その被害者が三宅洋平の応援をしていた大袈裟太郎で、奇しくも三宅の政界進出挫折と似たような状況になっている。



参照:
期待する三宅洋平効果 2016-07-10 | マスメディア批評
お手て繋いで夜道を行く 2018-04-29 | 歴史・時事


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by pfaelzerwein | 2018-06-12 20:42 | アウトドーア・環境 | Trackback

舗装の凄まじい衝撃

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約束があったのでダイデスハイムまで走った。この時期は例年ならば家にいないが、今年は時間が無くてアルプス行も計画不可なので、精々走るぐらいで運動能力をキープするぐらいだ。だから折角普段は走らないルートなので、山登りのコースに入って高度を上げて降りて行くようなコース取りをした。理由は運動量だけでなくて朝から強そうな陽射しと、ワイン地所の舗装道路で膝を痛めるのがいやだったからだ。それに荷物を背負っているのでそんなに早くは走れない。それでもよくあの急坂を登った。まあ、トレイルランニングとなると水など最低の装備は持参しなければいけないので、なかなかなれないと厳しいなと思った。高度が低いから可能だが高高度になると厳しいだろうなと思った。

結局土地勘があっても林道などを走っているうちに方向感も失って、若干遠回りして約束の時刻に間に合わないような状況になってきた。一時間もあればと思ったが一時間半ほど走っていた。その割に距離が全く出ずに軽く超える筈の10㎞に至っていなかった。林道だけならば下りでもスピードが出るのだが、フラフラでリュックサックを背負て登山道を駆け下りてもスピードが出せなかった。街に出て舗装道になると更に辛く、後ろから若いお兄さんが倍ぐらいのスピードで追い抜いて行った。汗だくだ。そして約束の日程を一日間違っていたと気づいて、10分の遅れではなくて24時間10分も遅れていたことに気が付いた。

何とか涼まして貰って帰宅したが、帰りは計画の様に山には入らずに最短距離をワイン地所を通って戻ってきた。嘗てはその間を重い靴を履いて一杯引っ掛けて帰って来たりしていた。十年ほど前のことで、それがトレーニングだと思っていたころだ。流石にその距離感も走行時間も当時とは違って簡単に歩けたが、足が疲れたのは舗装道路のお陰だった。なるほど舗装道路は天候に拠らず歩き易いのだが、足への衝撃は甚大だ。車で移動するようになると足腰が弱るとか言われるが、舗装道路を歩く方が体への負担が大きく、非舗装道路の歩行と車の移動を心掛けた方が健康的であると信じるようになっている。勿論靴によって衝撃を軽減することは可能だろうが、どんな靴を履いていても舗装道路の衝撃は凄まじいと思う。

昨晩も三時間ほどしか眠れなかった。これだけ運動すればぐっすりと眠れるだろうか。腰が張っているのが気分が悪いが、気管支の炎症は更に改善されてきた。夕刻には再びフォラデルフィアからのコンサート中継を聞いてみようかと思う。クリーヴランドからのマーラーの交響曲9番もヴィーンでの6番もよかった。オーケストラも世界の頂点に至るとよほど指揮者が盆暗でない限り素晴らしい音楽を奏でる。フィラデルフィアは嘗てバーンスタインのアシスタントをしていたティルソン・トーマスが指揮者のようだが、どれほどの演奏をするのだろうか?楽しみである。



参照:
無花果の木陰の冷麦酒 2006-07-09 | 料理



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by pfaelzerwein | 2018-04-23 04:10 | アウトドーア・環境 | Trackback

凍てついたのは身体

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シュヴァルツヴァルトの滝を見てきた。ここ数日日中も零下で、1000メートルほどの山ノ上は零下13度とか15度とかまで下がっていたからだ。ワイン街道でも昨週末の雪が残っているのを見ても期待が出来た。朝用事が入って出遅れたが、陽が昇っても融けることは無いと9時に出発した。車を走らせると直ぐに外気温計に目が行く。またもや零下7.5度が出たかと思うと1.5度なってそれが繰り返される。ドイツ車の宿命で車両がしっかりしていてもどんどんと刃が毀れるように電装系が壊れていく。センサーが壊れている訳ではなく、その入力を読み取るところの不良と思っていたが、表示と共に久方ぶりに零下の温度を表示するようになった。液晶のそれはある程度時間が経つと元に戻るのは分かっているが、温度の計測のその意味はどうしてか分からない。外気温系だけを修理させるほどでもなく、その代用はなかなかない。古い車を乗り続ける限界を感じながら車を走らせて、アルザスを超えてバーデンバーデンからアウトバーンに乗るとしっかりと零下三度ぐらいが表示されていた。それが正しいことは変化を見ていて確信した。少し気持ちが上向く。

自宅から滝のあるところまでは200㎞も無く、二時間少しで駐車スペースまで到着する。最終的には私道に入って停めさせてもらうのだが、道が分かり難い。そもそも滝の下からアプローチすると更に遠く、道も崖っぷちを走っていくことになるので天候に左右される。今回も無理をして出かけたのは寒さの峠はまだであるが、しばらくすると降雪が予想されていて、そうなると積りに積もるので難しいと思った。スキー場と違って誰も必要以上に除雪しない。山上道路も完全に乾いていて、最後の町の前から凍り付いていたが雪が路上にはない。予定通り11時過ぎには駐車スペースを見つけて、着替える。

何と外気温計は零下13度を指していた。まるでアルプスのようだ。それでも陽射しが燦々と照って風さえなければそれほど寒くはない。雪面に反射する陽射しはスキーで入る山間のようである。前回ミュンヘンに宿泊する節に不凍液を混ぜておおいたので数時間は大丈夫だろう。山道に入ると凍り付いていたので場所があるうちにシュタイクアイゼンを付ける。このような厳しい条件では先々に解決しておかないと間に合わない。さて凍結具合が楽しみだ。数年前のあの巨大な氷柱を登れるか。難易度では最上位から一つ下である。オーヴァーハングの手前の程度である。

滝に近づくと激しく水が落ちる音がした。これはと考えると、上部のダムの水が完全に凍っていなくて並々とあったことに気が付いた。この冬は異常に降雨量が多いのでどんなに温度が下がってもなかなか凍結していないのである。完璧な状態ではないと観念した。実際に下まで降りると、水飛沫が酷く、氷柱もまだまだの状態であった。これだけの水量は初めてで、肝心の場所をザイルで降りると酷い水飛沫で濡れた。下部を試して登るとそこら中から水が入ってきた。靴の中まで水が入ってきたのでこれは駄目だと思った。雪の中で首まで浸水したことはあるが、零下13度で水シャワーは厳しく、結果が怖いので、降りてきた。降りてくるといってもザイルが完全の凍り付ていて、全く容易ではなく、その間にも容赦なく水飛沫が降り注ぐ。

降りて下から見ると、ザイルの掛け方が悪かったのが分かった。馬の背のようになっている角は登り切れないがその側面ならばあまり水気が掛からない。ザイルを掛け直してもう一度調べてみると。馬の背の角に近づくほど浮いているので、アイスバイルを振ると抜けた音しかしない。側面もまだまだ氷を形成していて、表面が小さな氷柱の集まりになっていてバイルの効きが不確かである。要するに難しいだけど崩壊の危機が高い。そうこうしていると横で大きな崩落があった。温度はそれほど上がらなくても水の勢いでも崩落するようだ。

今回は数年前のような大氷柱を登るのは厳しかった。ザイルの掛け方も大体分かったので、次の機会に生かしたい。いつも登っている側面も雪が付いていないためか結構部ブッシュなどが出ていてそれ程綺麗な氷結になっていなかった。半分だけはノーザイルで試してみたが上で落ちる危険まで冒して無理をすることは無いと思った。一本指の縦爪のシュタイクアイゼンとモンスターの威力は抜群なのを再度確認した。もう一つ右手用にいいバイルを調達すれば可成り登れる自信が出来てきたので、お開きにした。

ヘルメットだけでなく眼鏡のグラスも何もかもが凍り付いていた。帰路を登るときに手の指先が痛み出した。つまりそれまでは凍り付いて感覚が無かったのだろう。あまり長く凍らしておくと凍傷になる。指先が普通に使えていたので気にしていなかったが、やはりあれだけ濡れて凍ると怖い。陽射しの心地よさに騙されていた。



参照:
高めるべきは経験値 2012-02-14 | アウトドーア・環境
なにはともあれ氷柱を登る 2013-01-20 | アウトドーア・環境
利き腕の氷瀑モンスター 2012-02-09 | 雑感

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by pfaelzerwein | 2018-02-27 23:51 | アウトドーア・環境 | Trackback

零下7.5度の寒さを超えた

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灰の水曜日はこの冬最も冷えた。車の外気温表示が壊れていると思った。零下7.5度だった。そして森に辿り着くと、零下1.5度まで上がった。ついに温度計まで壊れたかと思った。しかし充分に寒く、期待した太陽は森の陰に隠れていた。青空で恩恵が殆ど無かった。走り出して直ぐに左足の膝に違和感を感じた。寒さである。何とか戻ってきたが、温まるとまでは行かなかった。

そして街へ戻ってくると再び低い外気温を指すようになった。明らかだった。冷たい空気が街に溜まっているのである。春ならば霜被害が出るところだろうが、まだアーモンドの花が咲き始めたぐらいで、葡萄には関係が無い。それにしてもこの気温差は信じられなかった。地元の公式気温計は山の上にあるので、この気温は出ていない。精々零下5度までの予測だった。

駐車場に先日から木こり仕事の案内が出ていた。前日は冷えた地面に十分な積雪があった。寒さも緩むと、そろそろ時期なのだろう。ヴァンダ―ヴェークが閉鎖されることが増える。そのご案内である。

冬のミュンヘン行が終わって、次はバーデンバーデンの音楽祭だ。その幕開けの「魔笛」を指揮したサイモン・ラトルの最後の登場ということで最後の販促を行っている。この二日間ほどで大分の券が掃けたようだ。ラトルのオペラや指揮以外のハーデング指揮やフィッシャー指揮の演奏会は29ユーロでもなかなか売れない。

そしてマガジンが届いた。「パルシファル」に関するインタヴューなどが載っている。こちらは、先ずは一通り楽譜を落とした。「パルシファル」は一昨年バイロイトのそれを聞くために落としたと思うが見つからない。新たにペータ―ス版を落としたが、最終的にはショット版を研究しなければいけないだろうと思う。

そして、ラヴェル「シェーラザード」、「ドンファン」、「ペトローシュカ」を落とした。流石にベルクの「初期の七つの歌」はピアノ譜しかなかったが、これで十分だ。まさかこれだけの資料が数分で揃うとは数年前までは考えられなかったことだ。バーンスタインは無くても仕方ないが、時間を掛けて探せば結構な資料が出て来ると思う。

要するに私のような人間でさえ一通り楽譜に目を通して出掛けるのであるから、新聞等に何かを書こうと思えばその手間を惜しんでいる者は殆どサヴォ―タージュでしかない。少なくともそれぐらいは最低の準備としてジャーナリストに要求されているのだが ― さもなくば貴重な紙面を酔っぱらいの殴り書きに金を払っているようなものだ ―、そして昔と今ではその便利が大違いで、同時にそうしたプリントメディアに物を書き糊を凌ぐ者への世間の目は更に厳しくなっている。分野に拘わらず、ジャーナリストになにも高度な解析などを誰も期待しないが、少なくとも職業人としての襟は正して欲しいと思うのが当然である。少なくとも金に群がったり、権力や権威に縋り付いているようなそぶりを見せれば、全面的に攻め立ててやるべきだ。そのようにしてしかジャーナリズムは健全にはならない。

今年は、「パルシファル」、「七番イ長調」とベルリンの前任者後任者の聞き比べが出来るのだが、そこに「ペトローシュカ」まで加わる。次の日曜日にテルアヴィヴからのYouTube中継がある。生中継は日頃試聴しているが今まで音楽を録画したことはない。それまでの間に同様の放送で様子を見てみたいのだが、イスラエルフィルの様にやっているところはあまりない様だ。調べてみたい。イスラエルは政治的に大変問題があるのだが、生放送を見ると何か分ることがあるだろうか?



参照:
爪先走りで膝を立てる 2012-08-16 | 生活
遊び心のエゴイズム賛 2007-03-08 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2018-02-16 21:04 | アウトドーア・環境 | Trackback

生という運動の環境

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予報天気が好転している。予想されたような降雪量も降雪時間もないようだ。それどころか午後には太陽も拝めそうで、気温も低いので足元は悪くないかもしれない。上手く行けば、アウトバーンでも雪が飛んでしまって、路面状況は良いかもしれない。そうなればそれほど余分な走行時間を逆算しないでも良くなる。燃費も悪くはならない。燃料だけはさらに安くなっていて、ほぼ2.5ユーロほどは高くついたかもしれない。

実は金曜日から土曜日の安い39ユーロの最後の投げ売りの部屋を見つけて、予約直前までしたのだが、当然ながらキャンセルが効かないので断念していた。金曜日にチェックインしてもある程度早めに出て行かなければ、遅くなって、夕飯にまた困るだろうと思っていた。チェックアウトは12時なので、そこまで休んで、直接昼飯に出かければよいと思っていた。それにしても、積雪があって足元が悪いと不都合なことも多く、前回のことを考えるとげっそりしていた。オペラやコンサートに旅行で移動しながら訪れる数寄者も多いが、そのようなことを考えると大変だなといつも思っている。

小雪ならということで、前回も使ったティロル帽子を毛糸石鹸で手洗いして、車に積んでおくことにした。面白かったのは他所の街ではそれほど注目されないのだが、ミュンヘンでは目立たないかと予想していたが逆に人の目を引いてしまった。その関心の眼差しを見ると想像していたものとは全く違った。

勿論私の帽子には羽もついていないし、特に目立つものでもない訳だが、ミュンヘンの男たちはどうしても見る目が発達していて、あれはどこで買ったやつなのだろうと、すれ違いながら品定めするのである。そのような視線を幾つも確認した。これは完全に想定外だった。そこで今度はしっかりと手洗いをして、天気が良くても街を歩くときには被ろうと思ったのだ。流石に夏ではないのでレーダーホーゼの男は見かけないが、やはりミュンヘンは特殊なところだと今更ながら感じた。何処で購入したかは記憶に定かでは無いが、ネットで調べるとドイツの老舗大手らしく、各地で購入可能だ。山登りのために購入したので、オーストリアで購入したかシュヴァルツヴァルトだと思う。手洗いしても型崩れしなかったので、流石と思った。

承前)再び8月31日モードである。楽劇「ジークフリート」三幕三場を残すだけで、一幕、二幕と再び通して、今度は音資料として2014年バイロイト祝祭のあまり音質の良くない録音を流す。2015年の優秀録音を流したことはあるが、自身が会場にいた2014年をつぶさに聞いたのも初めてである。思っていたよりもアンサムブルは2015年とは落ちる分、録画が予定されていた2015年の三幕などでは綻びも逆によく目立ったが、なによりもミーメ役の歌が違った。録音を聞くと技術的にも声的にも2015年の若い人の方が優れているようだが、アーティクレーションがなっていなかった。だからその歌では楽曲の真意がなかなか読み取れないと思う。二幕においては一幕ほどに中心にはおらず、三場のアルベリヒとの掛け合いと、死に至るジークフリートとの場面、その前の二場でのジークフリートを唆す場面
となるだけである。しかしミーメが音楽的に要になっていることが、一幕の歌の重要さで分かる。

二幕一場のさすらい人とアルベリヒのディアローグが、これまたこの楽劇の特徴で、その入れ替わりと対話の仕方が、他の場面におけるディアローグ例えばエルダとのそれとは大分異なり、間髪を入れない受け渡しとなっていて、それが劇的な緊張感を意図したというだけではなく、音楽的な構造になっているようだ。ようだというのも、最終的には歌が先が音楽が先かという問いにここでも出合うことで、要するに適当な通奏低音をつけたテクストではないのが楽劇だから当然である。そして自身が書いたテキストとその作曲の過程を考えると興味が尽きない。例えばこのアルベリヒとの対話自体が、「ラインの黄金」や「ヴァルキューレ」でのフリッカとヴォータンとのディアローグなどよりも如何に当時の作曲家のある意味社会的な姿が剥き出しに出ているのではないかと思う。なるほど当時楽匠の書いたものなどを読むと、ある意味そうした自身の環境を自己観察しているようで、まるで小説家の様な塩梅だった。そうした観察力と洞察力が、まさしくミュンヘンの劇場が今掲げている「愛されて、憎まれて」の愛憎世界を芸術としているところだろう。

一幕一場におけるもしくは全編を通しての管弦楽法の低音と高音領域のしばしば中抜きをしたその音響構造自体がここでは高低の空間認識と結びついていて、勿論調性的にもであるが、当然の如く三幕三場で高みへと至る構造になっている。ニーベルンゲン族自体が下であることや指輪による世界支配というような鳥瞰的な視野との対照となっているのみならず、小鳥などがこれまた重要な歌を歌っていることと必ずしも無関係ではないであろう。二幕なども下手をするととても漫画的になりやすい舞台と音楽となっているのだが、触れたようにディアローグの精妙さ味噌であろう。こうした音楽劇場においてのディローグはモノローグで無ければ「定常状態」であるのだが、そのように注目させるのは全てその音楽的な秀逸さでしかない。それほど霊感に満ちた、まさしく舞台祭典劇を書いている。

山なり旋律のその重要性は通常の分析でも説明可能な訳だが、宇宙人へのメッセージにこの四部作の楽譜とCDを託したかどうかは知らないが、少なくとも宇宙人はこれを見て地球には重力があって、まるでそれに逆らうかのような運動があって、そこに生と言うものが存在することまでは認識可能ではないかと思う。



参照:
高みの環境への至福の処 2015-08-15 | 音
高みからの眺望 2005-03-09 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2018-02-02 23:43 | アウトドーア・環境 | Trackback

次世代への改良点

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この週も幾つかのものを直した。一つ目は、トレールランニングシューズの紐だ。スイスのライケル社を引き継いだマムムート銘柄のもので、一号機から四世代目のものである。モデルチェンジというよりも新しい分野なので進化している各世代を商品モニターのように試している。

最新モデルの特徴である紐の締め具とその構造は初めてのものだったので、やはり不都合が出てきた。材料の耐久力などは一流メーカーであるからある程度は計算している筈なのだが、その見落としをこうして使うことで実感する。どこで見落とすかということで興味深い。

この締め具構造は、通常の靴紐ならば蝶結びとなるところを繋げていて、そこにパイプ状の補強がしてあって、そこを引っ張りながら根元を締め具で締める構造になっている。そうすることで、紐が指で引っ張りやすく、引っ張ったまま締め具でブレーキを掛けれるので締め心地を感じながら適当なところで固定できる特徴となっている。

前世代からすれば明らかに締め心地がよくて、緩めるにも都合がよかった。機能自体は完全に進化していると思ったが、最初から左側が少しパイプの位置がずれている感じがしていたのだが、そのずれた端で紐を傷つけることになっていたのだ。紐の外側が破れて芯が出てきた。その状態で締め上げれば上げるほどパイプの端で芯を痛めることになるので、態々靴底を洗ってから修理した。

紐自体をどうこうすることは出来なかったが、ずれたパイプの位置を正しく真ん中に持ってきて引っ張っても芯が出ているところに当たらないように調整した。最初からそのようにしておけば紐が痛むことはなかった。予定通りささくれた紐のところをテープで巻いてパイプにネジ揉もうとしたが中々容易ではなかった。それでも一度ねじ込んで傷んだ部分を保護してしまえばそこが再び露出することはなさそうだった。

どうしてもそのパイプ自体も撚りが出来ていたりして、やはり一年も使っていると破れたりしそうだった。紐が傷むのはパイプの位置がずれていたからにほかないが、最終的にはこの製品のウィークポイントとなりそうである。もし紐が切れてしまったならば前世代の紐と締め具に取り換えるぐらいしかないのだろう。スイスのメーカーだけに次期世代はこれを改良してくると想定される。

零下2度に近い森の中は流石に寒かった。このシーズン初めてパンツを履いたままの峠攻めとなった。日曜日は降雪と零下5度が予想されているために、合間に走っておきたかったのだ。地面は霜柱とその緩みなどがあって走り難かった。幸い雪がついていることはなかったので、普通にはゆっくりと走れた。着込んで走ったにも拘らず汗だくとならないのは、ペースを落としていることと、その寒さゆえに違いない。樹氷が美しかった。



参照:
待望のランニングシューズ 2017-03-22 | アウトドーア・環境
新製品試着の歯痒い気持ち 2013-04-12 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2017-12-02 21:29 | アウトドーア・環境 | Trackback