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「小さなライン、大きなワイン」

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森の中は清々しかった。ディスプレーが不調なので自信は無いが、摂氏10度であってもおかしくは無い。だからとても走り易かった。陽射しがあっても涼しいという事はやはりその気温だと思う。しかし街道筋に戻ってくると17度に戻っていた。

前夜のザルツブルクからの中継はおぞましかった。今年から「再びザルツブルクへ」と検討した時もこの「サロメ」の上演は気になっていたのだが、このポンコツ座付き管弦楽団には呆れた。つい先日あれほどまでの演奏をコンサートで繰り広げ、ネルソンスよりも大物のヴェリサーメスト指揮でこんなにポンコツな演奏をするなんて想像もつかなかった。いつもの誤魔化し演奏術だけでは事足りず、これならば楽譜に小節線もなにも要らないと思った。指揮者のメストもあれほどまでの演奏をクリーヴランドで披露しておきながら恥ずかしくないのかなと思った。なるほど一部の遅いテムポなどは効果を出していたが、お話しにならなかった。これならば彼が指揮するコンサートもあまり期待できない。ネルソンスとの指揮の技術の差はあったとしてもこれは無いと思うほど、この楽団とのずぶずぶの関係を感じた。

カステルッチの演出もMeTooを意識した演出のようだ。少なくとも自身も気をつけている感じで、あまりこれからの歌手にも誰にも無理はさせられないと考えたのだろうか?露出度はタンホイザーに及ばなかった。兎に角、物足りなかった。演奏と合わせてこれならばもし出掛けていたとしたらブーイングものだった。短い劇であり、休憩も無いのならもう少し集中力の高い公演にして貰いたいものだ。つくづくザルツブルクくんだりまで出かけていないでよかったと思った。

嘗てザルツブルクでのフィルハーモニカーの出番が過密過ぎて、他の楽団と分け合った時代があった。今は再びフィルハーモニカー公演が増えて、その質が変わってきているのは想像出来る。恐らくヴィーンでの上演程度までその上演の質が落ちてきているのだろう ― ベームやホルスト・シュタイン指揮の「アリアドネ」はこんな程度では無く、マゼール指揮程度にも到底及ばない。夏季休暇の間にこれだけ仕事をしているというのが尋常ではない。本年も月末のべルリナーフィルハーモニカー公演待ちという声が強いが、結局ザルツブルクはじり貧になっている印象である。

この乾いた暑い夏の葡萄についての記事が出ている。ことわざ「小さなライン、大きなワイン」がキーワードだ。水量が下がって河幅が狭くなり、ワインが立派に実るという事だ。そして、単純なワインや所謂ノイヤーヴァインなどの本格的なワインではないものの、急いで造って飲み干すものとして需要も高まり、早く摘み取ってしまえるのだ。それに対してリースリングなどは、出来るだけ葡萄を置いておいて一番良いのは十月に入ってから乾いた日が続いて朝晩が冷えるときに摘み取れるものが経験上最も素晴らしいリースリングとなる。

しかし今回は7月30日に糖比重が25度となり記録となった。あの暑い2003年を三日早く記録して、2011年の記録を打ち破ったようだ。つまり、そこから葡萄が熟していくと酸が分解して熟成へと近づく。リースリングは遅いとしても月末には熟成領域に至るであろう。問題はたとえ朝晩の冷えるといっても10月程度まで冷えるかどうかである。それほど冷えないと難しいだろう。もはや2003年は忘れられ、その次に来る2007年、2011年もあまり価値が無くなっていると書かれている。私個人的にはその双方の瓶熟成の可能性を特に前者を期待している。

そして皆が期待するような赤ワインは、来年の試飲で失望するのではないかとしている。つまりシュペートブルグンダーはあまりにも力強くなって、繊細さが無くなるというものだ。これも造り方によるのではないかと思う。



参照:
知らなかったなどとは 2018-08-08 | マスメディア批評
冷や汗を掻いて避暑 2018-08-07 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-08-12 23:23 | 雑感 | Trackback

指揮者の手解き次第

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暗くなっても暑かった。バルコンで横になっていた。すると結構気持ち良いのだが、屋根裏部屋のベットに行くまでには少し時間を置いた。一日で一番気持ち良い時間だ。引き続き火星の輝きが激しい。あそこまで光ると写真を撮りたくなる。しかし三脚が無いのでまともな天体写真は撮れない。小さくてもしっかりした三脚があればと探してみたい。

仕事となるとご苦労様と思う。あの暑いバイロイトで良いものも悪いものも見聞きして記事にしなければいけないからだ。クーラーの効いたホテルに居るのかどうか知らないが、あまり愉快な仕事ではないだろう。ドミンゴの指揮の報告が載っている。問題を、丁寧に書いていて、記者に言わせるとこうなる。

通常の劇場と違う蓋付きのピットであるから、指揮のその打ちからのその距離感は大きく、とても危ういのにそれに責任を持つというドミンゴの勇気に言及する。つまり「指揮者は歌手に任せてはいけなく、引率しなければいけない。さもなくば、どんどんゆっくりになってしまう」とそのメカニズムを説明する。

このメカニズムは簡単なようで意外にそれほど直感的に理解出来ないかもしれない。つまり、普通の音楽愛好家はどうしても客席側での音響を考えるから、そこに届く前に起こっていることがなかなか把握出来ない。肝心なのは楽器と声が合うことでしかないが、例えば歌手が楽器の音を待っていて発声したのでは遅れるという事になる。

今回の生放送中に「シュテファン・グールドが息が続かなくて死んでしまう」というような指摘があったが、まさしく奈落の音を待っていて声を出すと、その次は今度は指揮者がそれに合わせて、それがまた遅れてとなると減速のループに入る。それがまさにあそこで起こっていた。あれはあれでプロのそれも超一流の歌手と管弦楽団での超面白実験だった。

これが少しでも分かるのは「三部作」でのペトレンコの指揮を舞台と客席の間で観ていたからだ。なにも加速域だけでなくて、ゆっくりしたところでも特別に歌手に指揮をするところがあって、本当に少しのずれを振り別けるのは「春の祭典」の複拍子どころではないのではと感じた。語学やピアノなんかと同じで子供の時かどんなに遅くとも20歳代の前半までに身に着けていないとどうしようもない技能なのだろう。

ドミンゴのそれほどブーを受けた指揮者は今までいないようだが、なるほど今まで登場した大植までを含めた指揮者は本当のプロの指揮者で蓋付きで合わせれるかどうかは時間の問題でしかないのだろう。初代音楽監督でも反復練習してマスターするものであるから、基礎のある指揮者では克服可能なのだろう。逆にあれだけ時間差があればキュウは出しやすいのかもしれない。楽譜にマークを付けておけばよい。クナッパーツブッシュなどという指揮者はその辺りを上手く逆利用していたのか、兎に角「パルシファル」などになるとアダム・フィッシャーあたりでも引き摺ったと批判されているので、容易な楽譜と困難な楽譜があるのは確かだ。

そのコツをご丁寧にネルソンズに手取り足取り教えようとしたのが初代音楽監督だが、今回は「クリスティアンはヴァークナーの権威だから」とまで言わせた大歌手ドミンゴに懇切丁寧になぜ解決策を授けられなかったのだろうか。またまた不信感を感じる。大恥をかかせるために大歌手を招聘したのかと言われても仕方がない。性悪な連中のことを考えるとそこに疑心暗鬼が募るばかりだ。

さて前日のガッティ解任騒動に対して、その反論がなされている。「アメリカの話しは古い話し」でとして逃げれたが、今回のコンセルトヘボー楽員の反旗は決定的だった。そしてガッティ側は法廷闘争も辞さずと、このままネガティヴキャムペーンが続くならと牽制した。コンセルトヘボーはそれなりの証言が得られたのだろうから、負けることは無いとしているのだろうが、その他のベルリンのフィルハーモニカーを含む客演する管弦楽団、特に客演に多く登場するべルリンの対応が注目される。コンセルトヘボーから事実関係への情報提供を求めて、もし告訴されても勝てる準備をしなければいけないのだろう。牽制の効果は少なくとも代替の発表を遅らせるかもしれない。どうみてもアメリカでの件は時効のような事例で、コンセルトヘボーの皆を驚かせた早期の明確な処置は、「舌をねじ込んだキスや身体を弄る」などがアムステルダムでも明らかに最近まで為されていたとしか思えない事象が確認されたという事だろう。

もう一つ興味深いのは、8月2日正午の広報時点で、月末からのツアープログラムの代替指揮者が定まっていなかった気配があることだ。つまり3日正午時点ではまだ代替指揮者の発表がなされていない。通常ならば契約解消前にその後の影響がどうなるかを検討して発表する筈だが、間髪を入れずに訂正が無いとはどういうことか?組織としてシェフの裁定権がどのようになっているかなど定まっていて、首を切るまでは少なくともアーティスト選定に動けなかったのかもしれない。要するにクーデターなどと同じように首を残しておくと横槍が入る可能性があったとなる。すると余計にツアーまで一月を切った契約解消は時間的な制約もあり、可成りばたばたと後先無しに動いた可能性も捨てきれない。もしかしてまだスキャンダラスな事実が明るみになるという事なのだろうか?



参照:
満期ご奉公御免まで 2018-08-03 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女


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by pfaelzerwein | 2018-08-03 23:32 | 雑感 | Trackback

満期ご奉公御免まで

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スピード違反の写真付き聴取が届いた ― 眠気を堪えるために鼻を押さえている。予想した通り違反だ。誤差を時速4㎞差し引いて、100㎞制限を121㎞出したことになる。違反金70ユーロで、持ち点8から減点1である。これは二年半後に消えるが ― 以前は二年で消えた ―、一年以内に繰り返すと常習犯扱いとなる。先ず一年間は更に安全運転だ。来年新車に乗り換えると、最初の二年ぐらいは安全運転となる。これは悪くは無い。

今回自身自覚したのは、以前ならば酒気帯びや飲酒運転での過ちが予想されたが、居眠り運転が課題となった。罰金額70ユーロは一泊の費用とあまり変わらないので、それだけなら問題は無かったが、減点が痛い。20㎞超過以内ならば35ユーロのみで済んだ。そもそもアウトバーンで100㎞制限というのが異常で、大抵は80㎞制限での撮影が多い。モーバイルのカメラで日曜日の午前1時42分だ。合流してくる車の影も無い下り坂だ。卑怯なやり方で腹立たしい。

それでも事故を起こして車を壊し、罰金も取られ、大怪我するよりは安くついた。自身ミュンヘンからの帰りは危ないと思うことが少なくなかった。今後はこの違反金額を予算に入れて宿泊を考える。怪我の功名としなければ、何時かは大事故を起こしていた可能性が少なくなかった。居眠り運転の怖いのは、飲酒運転ならば興奮していて過剰反応するが、居眠りはブレーキ痕無しの衝突で死亡事故の起こる可能性が少なくない。やはりどこかで反省しておくべきだった。

通常ならばプッチーニ作「三部作」の短めの上演で軽く見た。なによりもロージェの価値が分らなかったのでそこまで集中する必要があるのも知らなかった。それでも19時に始まることも大きな要素だった。幾ら短くても終演が遅くなると、一番眠たい時間に走行しなければいけないからだ。

そこで、写真をとられたことから二回目の「ジークフリート」には宿を手配したので、ある意味惨事を逃れられた可能性が強い。潜在的に危険性は十分に感じていたからで、とても良い切っ掛けになった。逆に今回のことがなければ、宿を取らずに往復した可能性もある。今考えると更に厳しい復路となっていたと思う。やはり外から何らかの力が働かないと自身ではなかなか改められない。事故を起こさなかっただけ幸いだ。ミュンヘン詣は少なくともまだ三年は続くのだ ― つまり、その時には晴れて満期ご奉公御免となっている筈だ。その間に減点が無く、幾つかの定宿に安く泊まればそれでよい。しかし先日泊まった宿のおばさんが、「私、減点三点よ、それでも生きていけるからね」と言っていたが、一体何をしたんだ。

アムステルダムのコンセルトヘボー管弦楽団のシェフの首が飛んだ。MeTooの被害者ともいえるが、まだ二年も務めていないのに自身の管弦楽団で複数の女性団員にチョッカイを出していたのが決め手になったようだ。イタリア人だから女性に声を掛けるのは当然かもしれないが、それをパワーハラスメントと見做された時点で終りである。複数でなく、一人ならばなんとかなったかもしれないが、同じ楽団で複数となると牽制なども働いてこれは駄目だろう。

指揮者とオペラ歌手などは日常茶飯事の付き合いだと思うが、それもその立場に拠るかもしれない。この直ぐ騒がれるご時世に凝りもせずに今も遣っていたのだろうか、それとも二年半前のことだろうか?それによってもこちらの見方は変わるかもしれないが、そもそもこの指揮者をあまり知らない。しかし様々な要素からこの人の指揮する演奏会等には興味を持たないでいた。

そして今回のことから、ベルリンでもバーデンバーデンでもコンセルトヘボー管弦楽団以外の客演もキャンセルされる筈だ。私の注目点はバーデンバーデンでの「オテロ」公演である。一体誰がそこに入るか?そもそもその公演はリカルド・ムーティ指揮でプロジェクト開始されたようだが、早々マエストロは断りを入れた。理由は「十分な準備が出来ない」というものだった。だからその公演に挟まれるように二度だけ「死者のためのレクイエム」を指揮する。シカゴ饗で振ってから、全く異なるフィルハーモニカーでバーデンバーデンだけで振る。ベルリンでは振らない。つまりその時期にバーデンバーデンに滞在する。稽古は10日ほど前からだ。それでは足りないと言ったのだろう。

興味深いのは、キリル・ペトレンコも同時期にバーデンバーデンに滞在する。ほとんど同じ期間滞在する。万が一、ペトレンコがそこに入る可能性は日程的にはあり得る。重なるのはベルリンでのその後のコンツェルタントとイタリアでの第九の練習だ。これをキャセルしなくてもベルリンでの日程を変える可能性は無いだろうか。まあ、ペトレンコのためには殆ど価値は無いかもしれない。この二人以外で一体誰が三週間ほど時間を開けれるだろうか?誰だったら行くだろう?

日程とか度外視して好き勝手にその指揮を知っている指揮者名を思いつくまま挙げてみる。

バレンボイムは飛んで来れるか?ネゼセガンならば可成り期待される。シャイ―も忙しいだろう。穴で、ヤロウスキーにも任せられないだろう。ガッティの代わりに、上の二人以外で、それ以上に期待させるのはこの三人ぐらいだろうか。

そもそも指揮者だけでなく演出のロバート・ウィルソンには感心したことが無いので全く興味を持たなかったのだが、興味津々になってきた。前日に予感した通りになった。兎に角、ガッティはこれで少しは有名になったかもしれないが、当分は干される。



参照:
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
語る価値のあるもの 2018-08-02 | 女


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by pfaelzerwein | 2018-08-03 01:29 | 雑感 | Trackback

流石の配券状況

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予定外であった楽劇「ジークフリート」訪問の準備をする。冬場にお勉強した筈なのに、一幕だけでも手が追えないほどとんでもなく音符の数が多い。三場はまだ流れるだけだからよいのだが、一場、二場で発狂しそうになる。こんなものたとえ和声的な流れを枠組みにして見て行っても、一つ一つの音符を確認するだけでも目が疲れるだけだ。例えばクラリネット等に現われる回転音などは特徴的としてもその他の可成りの入り組み方は器楽曲並みで、なるほど七番交響曲を想起したのはリズムだけではなかった。鍛冶場のシーンは明らかにブルックナーがその後に交響曲で使ったのだろうが、あの音響は鍛冶場とは似ても似つかぬ蒸気機関工場のサイクル音で、彼のシェローの演出には当然で驚かないが、寧ろ楽匠が鍛冶屋とするところがとても捻った表現だ。クリーゲンブルクの演出は人海合戦だったが、明らかにポストモダーンの外し方だったように記憶している。

残された時間で一体どれだけ私の頭に入るのだろうか?この幕だけでも管弦楽団にとってはとんでもない課題だ。よくも楽匠がこんな楽譜を書いたとも思うが、だから専門の交響楽団が組織されてきたのもよく分かる。フェスティヴァル中の凌ぎの仕事では到底無理だから、トップメムバーを揃えて来ているのだろうか?

秋の記念公演楽劇「マイスタージンガー」の売券の様子を見た。最初から殆ど残っていたようだ。つまり、前予約発売分が出ただけでその他の定期や友の会以外は殆ど自由販売された様子だ。だから一晩あたり千枚ほどのチケットが発売されたようだ。私は少し遅れて入ったのでウェイティングナムバーは千を超えていた。それでも比較的早く入場したので残席を見たら、やはり私が望んだような席は殆ど無かった。多くの人が既に観戦していて、その経験からそれなりの希望を以って購入したと思う。

その証拠に広報部長の呟きには、前夜の「ラインの黄金」終演後から並び始めた人も数人写っていて、土曜日の朝には雨の中を数十人が並んでいた。如何に自身の予算の中からいい席を得た以下の希望が強かったのではなかろうか。既に三回目の上演は高価な上二クラスと立ち見のような席しか残っていない。やはり事情通の買い方が目に付く。私も予算の上限を設けなかったのはそこが大きく、前回と比較できる程度の席は要らなかったのだ。要するに観たい聴きたいの具体的な狙いがあるのだ。皆も大体同じような感じがする。その意味から、あのタッパの高い舞台はあまり近くでは広角に観れなくてちょっと辛い。それでも出来るだけ近接で舞台を観たいという希望は多かったと思う。私の場合は向こうの裁量でその願いが叶う様な配券をして貰った。配券する人の経験から来るだろう席の選び方は、こちらの購入経歴を鑑みて、流石としか言いようがない。



参照:
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
再びあの座席の幸福 2018-07-20 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-07-23 03:56 | 雑感 | Trackback

画像の質も生と比べると

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前日の走りで太ももに違和感がある。痛みとはならないのが味噌で、平素から動かしているからだ。それでも普段よりも負荷が強いと違和感となって感じる。本日も同じような天候で気温も上がりそうなので、事務机に齧りついて昨年度の税金申告の領収書類整理をしよう。週内に終われば楽になる。週末になると、先日の「パルシファル」の実況再放送などがあるので、それが終われば愈々八月末から秋の準備となる。

散髪も床屋が夏休みに入るまでに出掛けたいが、もう休んでいるのかどうかも分からない。まあ、二週間ほど伸ばしておいても苦しむことは無く、最後のサマーカットをどの時期に合わせるかの試行錯誤となる。九月も急に寒くなることはなさそうだがどうだろうか。この朝晩の涼しさから地面も大気も温まっていない。昨晩も夜遅くまで気温は高めだったので、しばらくバルコンの寝椅子で横になっていたが、寝室を開けたままにする必要などは全くなかった。ベットのシーツも取り替えたので汗は掻きたくないが、とても気持ちよく眠れた。但し前日に充分な水分を摂取しなかったので、夕食後に少しつかえる感じでまたまた腹の周りが気になった。

夜のお楽しみに、ミュンヘンから持ち帰ったミニトルテの三つ目を食した。ヨーグルトムースにキイチゴだ。その前のマンゴも悪くは無かったが、こちらの方が食べ甲斐があった。余り種類は無いのだが結構癖になり飽きない。三つも購入するならば普通の大きさでも5ユーロ高く20ユーロ位なので考えてしまうが、大きくなると種類が食せないだけでなく、触感も異なるかもしれない。但し、包装する時に保護するために巻いて貰う材質が二種類あって、やはり固い方を巻いて貰わないと危ない。次回は固い方と指示をしよう。

一緒に持ち帰った雉のテリーヌも夏で心配したが、全く冬同様に楽しめた。やはり新鮮なものしか売らないのだろう。塩気など味も変わらず改めて感心した。持ち帰りの可能性がいろいろと分かったので一度カナペー類も試してみてもよいかもしれない。

ネットを観ると、今回の再演に合わせて、「三部作」と「フィガロ」のハイライトのオフィシャル映像がYouTubeに上がっていた。急いで関連記事にリンクを張った。特にヤホの修道女は皆待ち焦がれていたものなのだが、触りだけでも上がったのはよかった。パパーノ指揮の初舞台のコヴェントガーデンのそれと直接比較可能なのがよい。自身のコピーした映像も見返したが、先頃「パルシファル」を高速回線で録画したのとは違ってやはり1Kではないので、少し新鮮度が薄れた感じがする。幾ら目が悪くても画像の質も生と比べると大分違うものだ。

今回の上演で注視していたのは、三部「ジャンニスキッキ」の"O mio babbino caro" のところの拍手の問題だ。放映の時はサクラの一声で引き締まったが、今回は指揮者がどうするか見ていた。初めから止めるように複終止線を入れていた。つまり拍手しやすい形を作っていた。初日の時は確かにはっきりしなくて、拍手も戸惑っていて切れが悪かったが、結局落ち着くところに落ち着いたという事か?言うなれば聴衆をも見えないながらも指揮していることになる。勿論そこだけでなく全体のドラマテュルギーから、テムポ運びをとても喜劇的な緊張と緩和にしていた。そのような箇所ではマエストリを指揮しながら「やって」と一緒に楽しむそぶりを見せるのだ。決してキリル・ペトレンコの音楽と指揮は劇場向きではないのだが、こうした劇場的な間を息を二十五年ほど掛けて学んできたことになる。精々批判しようと思うのだが、また誉めてしまった。

「神々の黄昏」の上から二番目が213ユーロで出たようだ ― 「ジークフリート」の王のロージュは193ユーロだった見過ごしたので分からないが、サイドのロージェだったかもしれない。問題は価格で、二月の時と比較してそこまで価値があるかどうかだ。ロージェなら価値はあるが、歌手の相違は僅かである。一寸高いかなという気はする。



参照:
毎日、一期一会 2018-07-05 | 生活
考慮する戦略的推進策 2018-07-04 | ワールドカップ06・10・14

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by pfaelzerwein | 2018-07-18 23:51 | 雑感 | Trackback

五十歳での主夫見習い

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先週は殆ど運動できなかった。週初めに頂上往復コースを走っただけだった。だから急に腹回りがだぶついて来て、体の切れが悪くなった感じで気持ち悪かった。前夜からジャガイモを食して備えた。そして朝から銀行に立ち寄ったので、閉まっているパン屋を素通りして、久しぶりにいつもの森へ向かった。気温は既に上昇していたので頂上コースは困難だと分かっていたからだ。だから夏場は殆ど走らない、冬場でもあまリ走らないコースを取った。何時もの沢沿いから、枝谷を詰めてまで上がるコースだ。あまりにも急な登山路なので走るには向かない。一番身近でアルプスのアプローチを思わせるぐらい厳しい。

久しぶりなので森の伐採の様子を知らなかった。いつもは茂っていて薄暗いのだが、大分間引きをしていた。それをしておかないと木も朽ちて、谷筋であるから止水効果も無くなる。環境を荒らさないためにも人手が必要なのである。だから道は落ち葉が無く少し走り易くなった感じはするが、陽射しが南から差し込んでいた。これが厳しかった。冬でも歩くだけで息が上がるのに、格好だけでも走っているとやはり厳しかった。距離は頂上コースよりも短いのだが急峻だ。這う這うの体で上に着いて、歩調を整えながら降りてきた。頑張ってツイストしたので少しは腹廻りに良いことをしたと思う。太ると着れなくなる服もあるので要注意である。

現存する最も古いドイツ語紙ノイエズルヒャー新聞が自国のスター音楽家エマヌエル・パユにインタヴューをしている。興味深かったのは、先日もここでも話題にしたベルリンに関してのことだ。先ずは2020年1月27日のモーツァルトの日のザルツブルクで演奏して、区切りをつけるらしい。二人の息子も大きくなったので、料理を習って材料を買う練習をするらしい。私のような主夫の道である。そこでフィルハーモニカーへの想いが語られて、その時50歳になれば以前には無かったような技術的な問題が出て来て、より準備に時間を掛けれるようになるので自分で時間を設定するという事らしい。

「管弦楽の中でどのような立場になるのか、新しいシェフのペトレンコとを考えて、思いめぐらしているんです:今まで何をなしたか、まだ何が出来るか?」と答えている。

キリル・ペトレンコが振る時は進んで乗っている当代の名奏者であるから、その管弦楽団の進む方向にも我々以上に関心があるに違いない。辞めて仕舞えばそれで終わるのだが、やはりとても大きな期待とその新しいフィルハーモニカー形成の中で何か役に立ちことがあるのかと思いを巡らしているのだろう。一奏者であるが、やはりこの人の音楽的な影響力は間違いなくあると思う。

来週の「ジークフリート」の残券が数枚出ていた。王のロージェの御付き用の二列目と三列目である。「ヴァルキューレ」ならばお手付きしたが、若しくは先日と同じサイドならば買ったかも、若しくは一列目なら試したかもしれないが、歌手もキャンセルしたコッホのさまよい人が違うぐらいであとは変わらない。また主役のヴィーンケにも個人的に出会うチャンスも逃したので、ぐっと我慢してパスした。「パルシファル」最終回は出ることは無いと思うが、300ユーロも出すぐらいなら二年ほど先の再演の方に期待したい。誰が歌っても190ユーロ位の価値は十分にあるからだ。



参照:
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女


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by pfaelzerwein | 2018-07-17 23:48 | 雑感 | Trackback

既に遅しとならないように

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またまたコンサートのティケットを購入した。本当に行くのだろうか、大抵は日が重なってくると出掛ける時に後悔するのである。35ユーロ程度ものなので本当に行きたくなかったら捨てればよい。交通費の方が遥かに高い。批判の対象となっていた演奏をしている指揮者ハイティンクの演奏会だ。高齢で今のうちにと思う一人だ。昨年はより高齢でより元気なブロムシュテット指揮を二回聴いたので残るはこの人しかいない。キャリア的には同国人という事でアムステルダムのコンセルトヘボーの監督、そしてラトルらに大きな影響を与えたグライボーンでの監督などが主なところで、ブロムシュテットよりは少しは上なのかもしれない。引退したミヒャエル・ギーレンなどと皆同じ世代で、こうして挙げるとどこか共通項がある。

今月もアムステルダムで演奏会があったので検討したのだがあまりにも遠い割に見返りが少ないと思って断念していた。案の定二日目の拍手の時に倒れた。プログラムはマーラーの交響曲九番であった。奇しくも同じ週末にブロムシュテットが初めての九番を振っていた。こちらも既にその指揮を分かっているので断念した。ハイティンクの場合は、管弦楽がコンセルトヘボーだったことでマーラー全集を録音していて主要レパートリーとなっているが、ブルックナーの方が多く振っているのではないだろうか。両者ともマーラーを振るには少し役不足な感じがあって、今日求められるマーラーの音楽表現は期待できない。その点、ブルックナーでは、前世紀後半の特徴的な分厚い管弦楽の響きをテムポを守って振っていればそれで構わないだろう。ハイティンクの最近の評価はその流麗な響きなどが賞賛されているので、素晴らしい会場で聴ければいい。要するに欧州サウンド若しくは英スピーカーのタンノイサウンド派指揮者となるのだろうか。その為には音楽の細部も犠牲にする嫌いがあるのだが、少なくともブロムシュテットはそれなりに中々の配慮をしていて、ハイティンク指揮も生でこそ気が付くことがあるだろうか?コンセルトヘボーのような会場はなかなかないだろうが、音響もなによりもの関心事だ。

先日亡くなったツグッテンベルク追悼記事を改めて読んだ。この木曜日にラインガウでヴェルディのレクイエムを振る予定だった。七十二歳でまだ若かった。とても興味深かったのはその指揮ぶりのようで、それを観察すると普通の指揮者とは違っていたらしい。芸術至上の人だったようで、芸術の世界と世界の保護される環境との間で生きていた人のようだ。勿論財産がある人であるから特に驚くにはあたらない。その歴史的演奏を目していながら、その理想はアーノンクールなどではなくカール・リヒターのそれだったとして、実際にバッハの受難曲の演奏を礼拝に組み入れていたらしい。なるほどリヒターの真摯さ、そのもの故人の忘我の指揮ぶりとされるものと重なる。

ミュンヘンの「三部作」一日目の新たな券が放出されていた。被りつきで並び三つだった。これは先に出ていたら手を出していた可能性が高い。購入した二番目のクラスの舞台袖より手に入り易いかどうかは分からないが、もしこれを買っていたら投げる花輪を準備しなければならなかった。オペラの被りつきは歌手がお目当ての人には良いのだろうが、私たちのように管弦楽主体の人は舞台袖の方が興味深い。それでも価格が同じだったらこちらの方を選ぶだろう。正直袖は少し割高の印象を持っているからだが、試してみなければ皆目分からない。

秋の「マイスタージンガー」の券が届いた。これはバルコンなのでコンサートの時に後ろから観察していたので、こちらは間違いないと思う。まあ、「マイスタージンガー」ならば被りつきでもよかったのだが、「三部作」となるとバカ声も近くで聞かなければならないので不愉快だった。兎に角、ここ一二年の内に一通り試してみたいと思う。その後はその経験を参考に必要ならば都合のよい席を選択するだけだ。



参照:
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
準備万端整え、いざ 2018-05-26 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-06-26 23:56 | 雑感 | Trackback

残席から探るランラン状況

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一日避難の準備に入る。とはいっても、祭りが始まる前に買い物を済ませて、夕飯の準備をして、明くる日の服装とお泊りの荷物をするだけだ。そして土曜日も朝からパンを取りに行って、走って、肉屋に寄るので変わらない。但し早目に済まして、一眠りしてからフランクフルトに向かいたい。峠攻めを走るとそれなりに疲れる。

少し暑苦しいがルクセムブルクに着て行ったのと同じもので、シャツは今回で洗濯屋行きだ、ミュンヘンの初日は違うものを着る。七月もそれが使えるだろうか。兎に角、夏は暑いので可能性も限られる。蝶ネクタイの方が涼しいのだが、もう少し色も揃えておきたい。七月向けにバーゲンで買えるかもしれない。フランクフルトの劇場などは普段着でよいのだが、少し良い席などを取るとどうしても目立つのでやはり考えてしまう。立見席の便利なところはそこにもある。

興味深いのは残券の状況だ。ここでも急激に売れ始めたと思ったら、新たな券が10枚以上放出された。とてもいい席は劇場がリザーヴしていたものの感じだ。その他も定期会員の戻しか団体の戻しのような感じもある。公的な劇場であるから、いい加減に決まり無しに券を都合することはない。それでもこうしてどんどん出て来る。直前に思い出して行けなくなったのを届ける定期会員もいるのだろうが、興味深い。

気になるランランのカムバック、調べてみると昨年と同じような連弾のようなものが二週間先に催される。それには登場しても驚かないが、ルツェルンを超えて態々ウィリアムテルの故郷まで来て演奏するのだ。よほどスイスに金を預けているのだろう。それどころか同じ演奏会の枠でラべック姉妹はアンデルマットのゴンドラ駅まで行って演奏するようだ。大した建物ではないが、これもよほど金が眠っているのだろうか。ランランが立ち寄るコンサート自体はその山の上でなくて、湖の登山用品で有名なマムートの本社のある近所で、私が最初に音楽祭のためにホテルを予約した町の近所である。六週間ほどすると車で30分ほどのルツェルンでカムバックを飾ることになっている。そしてその初日の売り切れていた席が四つ並びで出ている。ちょっと不思議な感じがする。舞台の反対側だが蓋の開け方によってはそれほど悪い席ではない。一体どこの法人からの提供なのだろうか?そしてその意味は? ― しかしその後数時間でそれらは捌かれていた。

不思議なことにランランは11月に日本でヴィーナーフィルハーモニカーと演奏することになっているが、こちらでは演奏しないので川崎の前にどこで合わせるのだろう*。一方ワンはその直前三日前にパリで共演している。少なくとも日本公演は代われるようになっているが、その後のシナではダブルブッキングになって、日本でミュンヘンの交響楽団と演奏することになっている。もう一人アジア人の代わりが必要そうなので、なんとも言い難い。

兎に角、その後の予定はバーデンバーデンになっていて、それも一月以上前に完売していた。昨年のペトレンコデビューの時も直ぐには完売しなかったので、そのネームバリューの大きさは恐らくこの業界ではピカイチであろう。どうも欧州に比較すると日本ではそれほど人気が無いようだ。

燃料も20リットル入れた。138セントほどでここ暫くの高騰の中で比較的安かった。フランクフルト往復は全く問題がない。久しぶりのフランクフルトである。その間ミュンヘンへは十回ほど往復していると思う。それはバーデンバーデンよりも多いだろう。嘗ては、我々のバッハの会があったので定期的に出かけていたが、その時は殆ど満タンにして走っていた。今からすると無駄なことをした。高速だから重くて高速安定性もよいと思っていたが、燃費は街乗りも含めてかなり悪かった。それがミュンヘンへと通うようになってから省エネ走行が身について感覚が磨かれてきた。つまり100㎞は比較的中距離でも10リットルで計算して走れるようになった。だからフランクフルト往復も以前よりも安くつくようになっている筈だ。


*調べてみると、同じ曲を9月にコンセルトヘボーで合わせることになっている。



参照:
ランランは引退するか? 2017-10-19 | 雑感
祝杯の無い幸福 2018-06-15 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-06-16 02:52 | 雑感 | Trackback

大蝦米とは何のこと?

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パリの「パルシファル」を流した。管弦楽も想定内の出来だった。BGMとしての印象は、下手な座付き管弦楽団の割には、バイロイトの批判されたアダム・フィッシャー指揮のように引き摺るとされるような事は無く、先頃振っていたヘンヒェヘン指揮よりもリズムがしっかりしていたと思う。それでも、売り込もうとしているフレッシュでダイナミックなタレントイメージの指揮では全くなくて、鈍くて冴えない印象は拭えない。問題点は楽譜を見乍ら詳しく指摘していくことで、正しい楽譜の読み方を終りまで辿って行きたい。可成りのチェックが入ると思うが、ヘンヒェンの場合のように指揮の技術の問題ではなく読み込みの問題があるとすると最後まで付き合えないと思う。少なくとも魅力のない指揮で、本当にこの人がヴィーンで何年も勤まるのかのか疑わしく感じた。指揮技術的には二流であろうが、オペラ指揮者としては、下積みを積んでいるようで、それでもいいところがあるのかもしれない。

オペラ指揮者といえば先日ネットで見つけたバイロイト初代音楽監督ティーレマンの動画を見つけた。リンクをシナ人のところに送ったら面白いイムプレッションが戻ってきた。何ら先入観念を与えないように観て貰ったのだが、感想は一言。大蝦米、一体どういうことかというと、大きな海老を指す言葉で、その指揮ぶりが祖奴らと一緒だというのだ。なにか鈍そうなガタイで不器用にもがく感じを指すらしい。先ごろベルリンのフィルハーモニカーにデビューしたもう一人のペトレンコに対して、新聞はまるで宙を掴むように闇雲に指揮棒を振っていると報告されていたが、オペラ指揮者もコンサート指揮者もそのレヴェルではよく似たものなのかもしれない。こうなると本当に間抜けな職業にしか思えない。

日曜日の夕食前に一仕事した。電気コンロのスイッチが壊れていたからだ。症状は先ず火力調整の切り替えが回らなくなった。布巾を巻いて無理して回していたらいつの間にか壊れた。消火も出来なくなったぐらいだ。以前にも内部が焼けて場所を取り換えたりしていて使っていたのだが、これで壊れるのは二カ所目だ。スイッチは四個しかないので、使う二個を維持するべく修理に入った。前回の時はアースの関係か電気ショックで肩まで震えてしまったのであまりやりたくなかったのだが仕方がない。240Vはやっぱり怖い。無事スイッチを取り替えてヒューズを上げるとショートした。二三度繰り返した。ショートしている場所はその壊れたスイッチのところだったので、接触場所を除去するためにスイッチを破壊した。残りは二つである。冷蔵庫もコンロも古いものを無理して使っているのは遠くないうちにアパートメント全体をリフォームしようと思っているからで、車と同じで最後まで使い果たすべく我慢して使っている。それでもまだ二年ほどは使えると思う。流石に一口では料理の可能性が限られてしまう。

就寝前にソプラノのゴルダ・シュルツがお勉強を遣り直すことを書いていた。誰かが次聞く機会を楽しみにしているとかコメントしていたので、空かさず「パルシファル」のクリングゾールの娘を楽しみにしているとコメントしておいた。朝一番で返答してくれた。それによると、「ダークアンドビューティフルスタッフハプニング!で楽しんで仕事をしている。」ということだが、舞台で通常以上に色々動きがあるという事だろうか?やはりバゼリッツの色彩という意味か。音楽自体からするとどうかととも思うが、間違いなくテムポも可成り早いと思うので通常の動きは可能ではなかろうか。早速彼女を漸くフォローしておいた。

そもそも彼女が出していた写真は歌曲の楽譜だったから、書いてからチョイ役のことで悪かったかなとも思った ― 後で調べると声を痛めていてドクターストップが掛かっていたようだから復帰の準備だったらしい。しかしその乙女役などの名前を見るとテラ・イロートなど新制作「ティートュス」でも歌っていたり、若手とはいいながら制作録音のそれのように結構役者が揃うのがミュンヘンの実力だ。

週末時間があっておかしいなと思っていたら、試飲会を完全に忘れていた。最近は試飲会を忘れることが増えている。理由は、カレンダーの書き込みに従うような計画的な生活が出来ていないことであり、忙しくスケデュールが一杯に詰まっていたならば逆にそうした遊びの予定も淡々と熟していける。要するにここ一年ほどは計画が立たない生活をしているからだ。この間一体幾つの予定を逃したことだろう。こうした生活は性格に合わず、とても気分が悪い。

今晩は再びテルアヴィヴから生中継だ。バーンスタインがどのように聞こえるか?流石にこれだけ聞き返すと、楽譜が無くても大分曲が入ってきた。



参照:
「ラインの黄金」のお勉強 2018-01-11 | 文化一般
オペラ座の怪人は何処 2018-04-01 | マスメディア批評
白船をしっかり見極める 2018-03-05 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-06-04 22:47 | 雑感 | Trackback

準備万端整え、いざ

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ルクセムブルクに向かう。燃料は余分に40L入れたので往復出来る筈だ。カイザースラウテルンへと山越えで近道を走ろう。準備万端整えたつもりが、取りに行った洗濯屋が臨時休業していた。出かける序に立ち寄るが、回収できなかった時のために他のシャツを持っていく。タイも二種類色違いをもっていかなければ仕方がない。

早めに出かけて、ザールの醸造所に立ち寄り、ピクニックもいい時間に済ませてとなると、14時出発では殆ど余裕が無く、工事中とかで迂回路を走ることになれば焦って走り抜くしかなくなる。途上の醸造所へは地道を長く走るからだ。つまり気持ち良いドライヴでなければ疲れるだけなのだ。そこで12時前にシャツを取りに行くとなると、完全に二時間近くの時間が出来る。早めに試飲してピクニックで一眠りも可能だろう。アルコールはコンサートのために避けたいのだが、運転の疲れは帰路の夜間運転に影響する。帰路は高速を走り続けるだけなのだが、200㎞近い道を走り通さなければいけない。つまり往路は三時間以上かけて、帰路は二時間以上かけて戻ってくることになる。

イヤフォンでグルダのピアノでホルスト・シュタインが指揮したベートーヴェン、そしてサイン・ラトル指揮のシューマンの交響曲集等をハイレゾリューション再生で聞いてみた。もう少し低音も抜けず、細かな部分も上手く聞けない。早速アンドロイドのアプリケーションをインストールしたが、まだまだ調整していかないと駄目なようだ。そもそもこの価格で期待される耽美的な音楽鑑賞が可能なのかどうか、まだ分からない。

その一方、ノイズ化キャンセル効果については耳栓さえ整えればある程度は行くだろうなと想像する。先ずはルクセムブルクへの走行中に試してみたい。繰り返すが、有線なんてありえない。しかし、室内で比較すると最も大きな違いは車の音なんかよりも鳥の歌声が完全にカットされることで、若干損失のような気さえする。ソニーのエンジニア―は音の氾濫している日本のようなところしか考えていないのかもしれないが、室内で使用するとなればやはりヴァ―チュアルなサラウンド感覚の音体験でしかない。少なくとも今までのところその程度に至るのかどうか、不明である。

この間上のシューマン以外に、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団のLPを見つけた。流石にスタディオ録音らしく、演奏技術的に最も優れていて、同時にショルティー時代に客演で振っている指揮者の制限も感じる制作だ。つまりアンサムブルは典型的な当時のショルティーのそれで些か木で鼻を括るの感は免れないが、指揮者がロマンティックな歌を遣ろうとしている。総合的にはその情報量の割には統一的なシューマン像に至っていない。当時のブルックナー全集などにも共通する「名演奏」なのかもしれない。スタディオ録音と言えば、先日のフルトヴェングラーのコンサート前にベルリンで録音されたものがスタディオだとアナウンスされていた。フルトヴェングラーのそれはSPの「悲愴」や戦前の「運命」などを除くとフィルハーモニア管とヴィーナーフィルハーモニカー録音以外主兵での録音はほとんど残っていないと思っていたので驚いた。勿論このDGのモーツァルトやヒンデミトなどの録音は聞いているのだが、ライヴかスタディオの違いは明白に認知していなかった。一体どのような事情でスタディオ録音になったのだろうか。戦後の占領RIAS放送のための放送録音なのだろうか。

もう一つのラトル指揮の録音はライプチッヒ版とされるもののようで、改訂版よりも斬新なものとして指揮されている。なるほど同じ作曲家のファンタジーなどの曲を考えれば交響曲もそのようになるのだろう。その演奏の全体の印象としては、なにか二十世紀のネオロマンティズムを想起させて、少なくとも同じアメリカの作曲家で言えばエリオット・カーターよりもジョージ・クラムやもしかするとジョン・アダムスを想起させて仕舞うのだ。

そうこうしていたらjpcのサイトで僅か29歳?の新鋭キリル・ペトレンコ指揮のブラームスの協奏曲を見つけた。orfが実況をCD化している。冒頭の動機は強拍が伸びる感じで、だから弱拍のアクセントも強拍のそれも思う様に付けられている。これならばギーレンのそれでは足りない面も恐らくハイティンクのやりたかったことも同時に実現されているのではなかろうか。我々凡人からすると、どうして才能を以って世界的に活躍する重鎮たちでさえもこんな基本的なことが出来ないのかなと思うのだが、言ってみてもなにも始まらない。

そして二楽章のアダージョではいつものように早いテムポで始まってどんどんと流れるのだが十二分に歌い込んでいる。要するに嫌らしくないのである。そして三楽章ではこれまたピアノに合わせて事故が起きないような快適なテムポながらしっかりと刻んでいる。こんな僅かな触りを聞いても、改めてこの人はロシアの何とかというよりもただただ天才だと改めて感じる。よかった、これで、グリモーとフィラデルフィアのそれをしっかりと見極める、一つの指針を掴んで。



参照:
またもや因果な商売 2018-05-23 | 雑感
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-05-25 14:32 | 雑感 | Trackback