カテゴリ:雑感( 351 )

証明された判断の正しさ

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歯根の腫れは若干落ち付いて来た。しかし違和感がある限り気分が冴えない。代え歯を入れて落ち着くまでの期間などを全て計画しておかないといけないからだ。落ち着いている時に直面しておかないと厳しい。歯を失うだけでも不可逆なことでとても気分が悪いが、重病人で手術となるととても気分が悪いだろうと思う。実際に重病になって更にガンなどの不治の病となると喪失感も然ることながら、急いで救命の手術となって、とても計画など考える余地が無いことがこれだけでも察せられる。そこから処置の選択や医師の選択などよほど意思がしっかりしていないと病態ではとても冷静な判断に結びつかないのは当然だ。歯茎に違和感が残っているところぐらいで調べておかなければ駄目だ。

先日発注した「尾藤イサオ」のCDが届いた。中々いい写真がついているが、フランクフルトの放送スタディオの録音だ。なぜそのような共同制作になったか経過は知らないが、とても楽しみだ。2002年の録音だから四重奏団は今はどうなっているかは分らないが、「イサオ」さんは活躍しているのを見かけた。

アマゾンでUSBスティックを発注した序にCDボックスを注文した。偶々見かけたDGの新しい廉価BOXシリーズで名指揮者と名管弦楽団の組み合わせを特集したシリーズだ。価格は魅力的だが名録音シリーズなので重なりもあってこれといったものはブーレーズ指揮のクリーヴランド管弦楽団のボックスだ。アマゾンではなんと8枚組で18ユーロと一枚2ユーロ少々だったのでこれはと思った。残念ながら同じ時期のデジタル録音を全部は網羅していないことが分かったが、これは手が出た。その中の二枚分は既に所持していたが、それでも一枚3ユーロ少々だ。

既に所持している二枚の殆どが4D録音で、実際に高音質なのが実感できた。これだけでも技術的に当時の前世紀末の最高級録音としての価値が高い。様々なレパートリーが入っているので集めるまでの気持ちは無かったが、この価格ならば収集欲を抑えられなかった。

その中で重なるドビュシーの数曲や「春の祭典」、マーラーの七番以外では、なんといってもメシアンの「クロノクロミー」など、また「ラメール」も「ペトリューシュカ」も楽しみだ。ブーレーズ指揮のストラヴィンスキーボックスを買っていないのもエラートのアナログ録音などと重なっていたからだ。ブーレーズ指揮の録音でこれと言った名演は少ないもののどの曲においても過不足無く譜面が音化されていて、とても音資料として使い良い。その価値だけでも貴重だ。

SDカードが車に置きっぱなしの古い壊れたカメラの中に入っていることを思い出した。そこでSSDインストールのために試してみた。態々中に入っている映像のオリジナルのファイルをコピーして、初期化して、WIN8のインストールISOを製作した。そして試してみると全くSDカードを読み込まなかった。恐らくSDカード読み取り機のドライヴァーが入っていないのだろう。それならばなぜUSBが読み込まれるのか。本質的な差のように思われる。結局ドライヴァーを探し出してインストールを試みるまでの気力が無く、早々に断念した。やはり高容量のUSBスティックを発注したのが正しかったのが証明された。



参照:
初インストール準備 2018-10-18 | テクニック
夏時間が辛くなった 2018-10-13 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-10-18 23:47 | 雑感 | Trackback

夏時間が辛くなった

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歯茎の具合が悪くなって来た。腫れてきた。歯を使わないでいても駄目かもしれない。愈々お別れが近づいている。気温の変化も免疫力が弱っている感じで辛い。今週は二回走っていて調子は崩していないのだが、気をつけないといけない。時々、早く夏時間が終わって欲しいと思うのも朝が辛いからだ。やはり一時間早まっているとそろそろ具合悪くなって来た。

CDを二枚発注した。いつぶりだか覚えていない。CDなど聞いている時間が無かったからだが、それ以上に魅力的な安売りが無かった。そして送料無料なので少しだけでも発注してあげようと思った。システムも整備されていなくて、一寸危ないかなと思ったからだ。CPOのオーナー会社で実際の店舗も北ドイツに幾つか持っている。だから長く連邦共和国では唯一信頼の措けるネットCD類販売会社だった。売り上げはアマゾンの方が大きいかもしれないがそちらは正式な卸売り業者ではなく、お卸元が裏に存在する。つまり特別な商品は出ない。この国の業界は殆ど壊滅状態にあるが、首が繋がっていればまた可能性が生まれるときがある。

発注したのは、白井光子が歌ったヴェーベルン歌曲集とアマティ四重奏団のモーツァルト曲集だ。前者はシェンベルクの一枚を昔安売りで購入したが、こちらの方は中々安売りにならなかったので、3.99ユーロなら買いだ。なによりも75%引きに誘われた。理由は知らないが、声が向いているのだろうか。白井光子と言えば昔カールツルーヘのクラス会で見かけたことがあるが、既に旦那と別れていたのは知らなかった。当時はカールツルーヘに行ってまだCDの安売りを店頭で漁っていたのだった。大野が監督をしていたころだろう。もう一つは、第一ヴァイオリンのヴィリー・ツィムマーマンに紹介された節に見本で聞かして貰ったシリーズだが、探してみると自宅には無く、2.99ユーロなので発注した。HRが録音しているのでフランクフルトでのスタディオ録音か。兎に角、スイスでは技術的にも最も優れた弦楽四重奏だった。彼の雰囲気と声の感じが日本の歌手で俳優の尾藤イサオに似ていて、その優れた演奏が何かリカビリー崩れの職人風の印象を強くした。今年ザルツブルクで特集になった作曲家クラウス・フーバーも来ていたと記憶する。

もう一つ買い物をした。他所からとって来たASUSUの壊れたミニノートブックを直そうと余暇に弄っていたのだがやはり上手く行かない。HDDは読み込んでいてもシステムを読み込まない。それ故に廃棄処分となったのだが、自分の壊れたHDDも認識してもそこから進まない。それならとUSBなどで動かそうと思ったが、それもシステムが読めない。CPIやメモリーなどは問題なさそうなので、やはりHDDを用意して試してみようと思った。駄目かもしれないがはっきりする。そこで今まで欲しかったSSDを発注してみた。これに使えなかった場合は、迫っているノートブック変え替え時に現在のものにこれを埋め込む。無音だからメディア専用にするのである。



参照:
あまりにも忍びない 2018-08-16 | 生活
ご奉仕品特売をあさる 2018-01-28 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-10-13 03:35 | 雑感 | Trackback

639馬力、最高時速315㎞

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車の塗装剥がれ修理前半を行った。後半は明日だ。以前直した手前のところが剥がれて錆が露出した。反対側はドアが事故で押されたままだが、こちらの方が気になるようになった。そこで前回使った道具類や材料を点検した。一年前である。そこで剥がれ掛けた部分も落として、やすり掛けした。前回はここまででもびくびくしてやった。結果が酷いことになるかどうか皆目判らなかったからである。今は判断がつく。急いで下塗りまで終了した。日曜日にフランクフルトに出かけるときに塗れて乾いていたら良いなと思う。下塗りしただけでも一安心だ。その隣も剥がれかけてきているが瞬間接着剤で誤魔化しておく、限が無いからだ。

もう限度なので、前回マンハイム支店に行ったときに試乗の話しをしておいた。発注すると納車まで四か月ほどは掛かるそうだ。次車はハイブリッドで最後のオットーエンジンの車となると思う。そしてハイブリッドのお陰で出力が増加していて、オットーエンジンの方は今までよりも小さめで良いことになっている。今までの経験から同じ車種ならばエンジンの大きい車の方が色々な意味でお得だと思うのだが、今回上位の車を見るとV8四リッターで639馬力、時速315㎞までになっている。流石に、これは資金が有る無しに拘わらず、価格を見る前から無用な車だと判る。

こちらに来た頃はアウトバーンも今ほどに混んでおらず、追い越し車線を走る車種が限定されていた。一般的にポルシェ、メルセデス、BMWでそこにAUDIのR8が入って来て、一挙にそれらをフェラーリが抜いていくというヒラルギーがあって、それ以外はあまり邪魔をすることが少なかった。それが今はどうだろう、訳の分からない東欧産の車までが追い越し車線で200㎞を出している。だから高級車でぶいぶい言わすという状況とは遠い。つまり時速300㎞で走れる距離は数キロも行かない。直ぐに急ブレーキである。だから全く価値が無いのである。その経済的な損失や環境への影響を考えれば最高速度はそれほど役に立たない。精々250㎞で巡行可能ならば殆ど抜かれること無く、追い越し車線だけで走る抜けれる ― しかし恐らく最近の走り方からすると初期の慣らし運転を終えても、節約運転から抜けることは無いのではなかろうか。勿論馬力があった方が高速域での加速が違うだろうが、そんなに早い車だけが走っている訳ではないので、精神衛生上も良くないのである。なによりも不経済だ。

ということで、次車もエンジンの容量はほとんど変わらないだろうと思う。それでもハイブリットの為かターボ化が進められていて、その癖のある吹き方に感心したことが無いので、兎に角試乗させてもらう。なによりも昔やっていたようなブレーキとアクセルを交互にペダルするような運転はもうしたくはない。なにも得しないと気が付いたのは、今の車の前の車に乗っている時に今の車に抜かれたからだ。結局巡航速度が高いほど価値があると漸く理解した。快適に目的地に早くつくこと以上の前提条件は無い。

それでもそこまで車に投資するなら車内ノイズキャンセリングシステムまでは求めないが、静寂性が欲しい。最終的にはイヤフォーンをするとしても車の振動こそが重要になる。だから試乗する時にはイヤフォーンでテストしようと思っている。

マーラーの交響曲一番の録音を聞いた。クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団の演奏である。このシリーズはお気に入りでデジタル録音のこれを安売りで拾ったのだ。今回久しぶりに真面目に聞くと、今まで持ち続けていた印象と異なる面にも気が付いた。一部のアゴーギクとか、ダイナミックスの設定など根拠の分からない部分があった。恐らく、その指揮者が見切り発車のようにして本番で打って出る弊害が録音においても出ているのではなかろうか?プロデューサーもそれを指摘して直させるまでの制作はしていないのだろう。それは指揮者の個性としても、もう一つこうしてデジタル録音で再生してみるとテョッティーの鳴りが、今一つ明晰でないと思った。当時はまだショルティーの交響楽団だったから、その明晰さ明白さには至っていない。これは現在キリル・ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーにおけるサウンドの課題とも似ているのだが、少なくとも当時のその鳴りは芸術的に完成したものではなかったのを確認した。



参照:
手作業での車の塗装 2017-09-01 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-10-06 23:30 | 雑感 | Trackback

釈然としないネット記事

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もはや指揮者ティーレマンについて語ろうとは思わなかった。それがたまたま隣席に座った北イタリアの女性に話しかけて、ゼムパーオーパーファンと話すことになってしまった。バイロイトの話しから、私の訪問がブーレーズの「パルシファル」とペトレンコの「指輪」で、その趣味が分るだろうと言っておいたのだが、あの人たちはその意味が分からない可能性もある。共通に良かったというのがラトルの「パルシファル」で、「トリスタン」は喧し過ぎたと言ったのは理解したが、満足した様子だった。それがペトレンコのミュンヘンの座付きではお話しにならないというので、ああ、ラトル指揮のバルリナーフィルハーモニカーは市場ではそういう位置づけだったのかと改めて習った。勿論彼女はバーデンバーデンでのペトレンコのヴァークナーに期待していて、カウフマンはヴァ―クナー向きではなくて、明らかにフロリアンフォークト派だったようだ。

九月の中旬にザルツブルクの復活祭にミュンヘンの現支配人バッハラーが2020年からの支配人に推挙された。同時にバーデンバーデンの退任する支配人メーリッヒズェップハウザ―が応募していたというからクロスしている ― この情報はにわかに信じられない、なぜならばバーデンバーデンで金蔓を管理すると表明していたからで、その方が悠々自適となる。後者を焚き付けたのは音楽監督ティーレマンで、それでも誰がどうしてザルツブルクにバッハラーを呼んで再びべルリナーフィルハーモニカーをバーデンバーデンから奪い返す画策をしたのか?これが不思議だ。勿論ティーレマンは、「それなら辞める」と言い出した ― この言葉を皆が待っていたのだ。少なくとも2019年は楽劇「マイスタージンガー」上演となっているが、その先は怪しい。そこでこの10日にザルツブルクの関係者がティーレマン詣をする。機嫌を取ることが目的だが、なにかそこにまるでヴィーンでのような得体の知れない陰謀を見てしまう。それどころか指揮者とシュターツカペレの契約も一年ごとの延長となっているので、あまり安定していないらしい ― 次は東京に行くのだろうか。そして何よりも不思議なことにバッハラーの意向について触れている記事は一つも無い。つまり電話一本の取材もしていない。どうも、おかしい。

バッハラーがオーストリア人でその関係からよりよい発展をザルツブルクは目指しているとしても、よほどティーレマンが邪魔になっているようで ― 「トスカ」の演出家変更でゼムパーオパーとの共同制作を没にしたことが恨まれているようだ ―、指揮としても一つのコンサートプログラムを一度しか指揮しないようになるなど、やはりこちらもおかしい。そしてこのようなおかしな情報が北ドイツのメディアにまで流されているのも不思議である。この状況を整理して、テーレマン・シュターツカペレとペトレンコ・ベルリナーでスワッピングしろというのまである。それらの情報のいい加減さは、「2020年にザルツブルクへペトレンコと戻ってくる」としていて、ベルリナーフィルハーモニカ―が新たに締結したバーデンバーデンでの五年間の契約の存在のみならず、ベルリンのツェッチマン女史の対応などが全く無視されていることで分かる。

恐らく画策しているのはザルツブルクのフォンカラヤン財団だと思う。この積み木崩しのリセットを見ると序にここでティーレマンを切ってしまおうという魂胆ではないか。今から考えるとカラヤン財団が再びザルツブルクに戻ってしまったのもペトレンコがベルリンを継承することが決まってからであるから、何かそこに政治があり、またここで新たな動きがあったとみるのが正しい。その裏にはソニーなどのメディアの戦略などもあるかもしれない。強引にペトレンコをものにしたいのだろう。ティーレマンではやはり具合が悪いようだ。ヴィーンでのノイヤースコンツェルトもそろそろメディアの準備に入るので、この10日辺りに何かあるかもしれない。ブロムシュテットという強い助っ人がいて、来年以降のスケデュールにフィルハーモニカーの支配人が言及していたのはただの偶然だろうか?

隣のおばさんのその「趣向は理解しているよ」と言ったが、やはりオペラにはああしたジンタみたいな楽団の方が手回しオルガンで歌うみたいなのが気持ちが良いのかもしれない。その意味からは今回ツェッペンフェルトがポーグナーを一幕で歌った声などはマイクで拾ったものよりも些か弱く感じた。三幕の高台での声が通ったのとは対照的だった。バルコンの視角は悪くは無かったが最初に貰った席の券も返して貰いながらも譲ることも無く試しもしなかったが、指揮者を横から見る形だった。音響は真ん中横はサイドからの反射があって最高ではなかった。但し管弦楽は、特に今回の場合はヴァイオリンが左右に別れて壁の向こうで、ヴィオラとチェロが右左に見えるのは悪くなかった。もう少し上の方がやはり楽しいかもしれない。視角も悪くなかったが一寸遠いかもしれない。今後の参考にしたい。王のロージュも少し遠いかなという気もする。隣のおばさんも普段は上階にいるらしく、カメラ設置で私と同じように移動したので、お互いに笑った。



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解klassisch gegen rechts 2018-09-14 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-10-02 23:38 | 雑感 | Trackback

飛んで火にいる夏の虫

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「オテロ」のティケットが届いた。そしてサイトを覗いた。なぜならば私の購入した10日分が簡単に売り切れになっていなかったからだ。それがどうだろう。一挙に最後の分まで売り切れになっている。つまり、一般発売以外の配券申し込みは時期を繰り上げて終えている。初めてのことだと思う。理由は全く分からないが、通常は第二第三希望分を入れると最後までの数がもう余っていないことになる。全く分からないのは、印象としては高価になった分、またヴェルディであるゆえに、申し込みが殺到していない印象を得ていたからだ。それがどうだろう。個人的に通常は最初の方から申し込むのだが日程的に難しいために今回は後半から申し込んだ。幸運にも配券されたとなる。通常は初日も捨てていたが、これからは初日も狙った方が安全かもしれないとも思った。それでも来年の7月分まで外してあるので、なにか間違いなのかもしれない。その一方23日の「マイスタージンガー」がまだ残っているのが不思議だ。

その「マイスタージンガー」もそろそろもう一度通しておかないと駄目だ。その前に週末にブルックナーの七番とモーツァルト変ホK482もお勉強しなければいけない。前者は昨年ブルムシュテット指揮ゲヴァントハウスで名演を聴いたので、記憶もあるので助かる。

マンハイム散歩で10キロほど歩いた。靴と塗装路の関係で足の裏が痛くなった。腰にも少し来た。最後にネッカーの河原まで出た。途中にハイデルベルクへのちんちん電車の線路が走っているので中々向こう側に行けなかった。河原の上は自転車で走り易いようになっているので、好きな人は簡単にハイデルベルクまで走れる。水際は砂利道でこちらはジョギングに良い。シュヴァルツヴァルトを源泉とするこのネッカーも全長362㎞の最後の1㎞も行けばラインに合流してしまう。

マンハイムの高級住宅街に居を構えていたら週一ほどでハイデルベルクへと走っているのだろうと思った。中々いい瀟洒な住宅街なのだが、何か狭苦しい。私好みではない。そもそもマンハイム市内に住む利点など一切見つからない。

もう一つ良かったのは乗馬のパドックで、丁度ティーンエイジャーのブロンドの娘さんが練習していたのを柵外から盗写した。一枚は指導のお姉さんがこちらに気が付いて見ていたようなのが写っていた。望遠なので肉眼では分からなかった。中々いい写真なのだが、12倍望遠なので月の写真を撮るようでブレもあってピントが暈ける。しかしよく考えてみれば、街の中のパドックだからなにかよさげに見えるが、ワイン街道のパドックではそこまで感じない。会費もこちらとは違って高いのだろう。

先日ナーへでワインを回収して来た。あまり急がずに車庫から地下へとワインを運ぶ。急がないのは、懸案のナメクジにやられたくないからだ。そして何本か収めると初めてやつを見つけた。不思議なことに板に乗っていたのが、飛んで火にいる夏の虫である。怒りは抑えられなかった、靴で転がして、釣り竿で外へと出して、さらにごろごろする。今までは塩を撒いて欲してやったのだが、怒りが収まらなかった。無駄に殺傷はしたくは無いのだが、これで完全にリンチ状態だ。そして更に転がしているうちに身が割けて気持ち悪い足の心地を感じた。これが嫌だから塩を撒いたのだが、それでは到底怒りが収まりそうになかった。恐らくこやつだけだったと思うが、意外にも巨大ではなかった。あの食欲といいその活動範囲が信じられない。そして動いた後もぬめりであまり光らなかった。これで先ず安心だ。それにしてもなんて化け物だったのだ。来週末はまた試飲会である。



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末恐ろしい顛末 2018-09-15 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-09-15 23:32 | 雑感 | Trackback

末恐ろしい顛末

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舗装路を二時間以上歩いて疲れた。普段は絶対歩かない距離だ。腰に来ている。明日森を走ってリハビリである。さて目的は最後の車検だったが、見事に落ちた。街中で写真を撮っている時に不合格通知を貰って、先ずは費用の計算を戻る頃までにして貰う事にして、予定通り時間まで歩き続けた。

マンハイムには仕事等で出掛けても寝泊まりしたのは合わせても十日ほどだろうか?街の中の喧騒が好きでないので知らない街角がまだ残っている。だから天気はもう一つだが時間潰しにカメラを持ってぶらついた。しかし、間抜けにも不合格を予想していなかったので心配になった。新車に乗り換えるまでの繋ぎだとマイスターに伝えておいた。最小の修理で最後まで乗り切る必要があるからだ。車のメーカーにとっても、次の一つを売るためにも生涯ランニングコストを小さくすることは大切である。それが新車購入時の決定打になるからだ。そして序に先日の事故の見積もりのコピーを貰って来た。これはこれでその金額を見るのが恐ろしい。

結局1400ユーロほどで、排気管を取り換えたり、ラムプを調整したりとなった。油の浸みは車検前に拭き取ることで誤魔化すらしい。兎に角ドアーが痛んでいるものだから検査官にも軽く見られるのだろう。まあ、その額で何か月かの車をリースも代車もすることは不可能だ。直すしかないので、修理込みの出直し試験日を予約しておいた。ミュンヘンに出かけるときは直っている予定だ。新車買うぞ買うぞを呟き続けるしか安く乗り逃げる方法は無い。丸17年間乗ったので、18年目に下りる。距離は三十万キロどころか二十二万キロを超えたぐらいだ。だからエンジンの調子も良く油の消費もそれほどではなく一切床には垂れていない。だから結果には驚いたが、それは何とかなりそうだ。

MDRがArteなどの協力もあり、ラディオ中継どころかネットでヴィデオでも土曜日のカウンターコンサートを中継することになった。我々も騒げば騒ぐほど放っておくことは出来なくなる。徐々に反響の輪が大きくなって来ているようだ。11月のドレスデンでは別プログラムで、ブラームスの一番交響曲と協奏曲が演奏される。先ずは土曜日のブロムシュテット爺の挨拶を待たなければいけないが、恐らく個人的に楽団とも記憶されるべきプログラムでもあるのだろうか。Arteは日本からは見れないのかもしれないがMDRのサイトは通るのではなかろうか?

氏のインタヴューのように本当に二つの楽団が聞き合い協力し合って素晴らしい響きが生じるのかどうかは正直分からない。双方の楽団ともそれほど聞いていないからだが、キャラクターはベルリンとヴィーンなどのように交響楽団と座付き楽団ほどの違いは無いと思うが、双方の魅力が上手く出るとは到底思えない。逆に言えば、シャイ―がルツェルンの楽団を振るのとは違って、楽団の方がある程度合わせて来ないとまともな演奏にはなりそうにないから、趣旨に適っている。年寄りがここまで頼られるとなると、明らかな動機付けになって、益々意気盛んになるかと思うと末恐ろしい。

車のカタログはもう作っていないようだ。ネットで見るしかない。時間が無いので後回しになる。展示してある車を二三見たが。コックピットの収まりが良くなって、どれもあまり開放感が無い。モニターでバックなどをするようになったからだろうが、開放感を求めようと思うとSUVやジープなどの方向になってしまう。天井を開けれるようにすれば違うだろうか。あまり椅子が大振りて体を捩じっているようではあまり腰などにも良くないのであれでよいのだろう。膝の上に新聞を広げてお弁当をしながらの運転がやり難くなりそうだ。



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保険金豪遊の皮算用 2018-09-13 | 雑感
解klassisch gegen rechts 2018-09-14 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-09-15 00:32 | 雑感 | Trackback

保険金豪遊の皮算用

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九月最初の土曜日に車の事故に遭った。朝の買い物から帰りに肉屋に立ち寄る為に自宅の前を旧街道から左折しようと思ったら、右の私道から車が出ようとしていた。狭くカーヴ気味のところなので、優先道路を邪魔する車は控えるべきところで、頭を出されるだけでも車幅が広く迷惑なのだ。今まで見たことが無いほど頭を出していて、こちらは時速30㎞から更にブレーキを掛けてその車が止まるのを確認して、車幅を一方通行のように使いながら、通り抜けようとしたら、対向車が止まったので、その合間にと思って左折へと向かうと、右から衝撃があった。

まさかと思った、車左後方のドアをやられた。先方からすると、こちらの車の前方は既に通り過ぎているのである。前を見ていればブレーキを掛ける筈が、前を見ずに右からの車のミラーを最初から最後まで見続けていたようだ。車を私道に乗り入れて、先方が車を降りるのを迎える。爺さんだ、後部座席に母親らしき婆さんと、助手席には奥さんが乗っていた。その反応を見ていると、発泡酒を買い付けたところにしてはまだ眠っている。到底酒気帯びの気配すらないボケだった。

母親がこちらの壊れたところを見て、更に目を私がやった自己塗装へと言及する。ボケた息子の為とはいいながら母親が何とか責任を回避しようと努力する。ボケていて、てきぱきと事故処理が出来そうにないので警察を呼ばせた。全て認めるならば、それで済んだが、完全に眠っていた。警察が来るのを待っていると、ご近所さんが声を掛けて行く。自宅の斜向かいだ。

警察が来て一人がこちらの事情聴取するときには、もう一人が先方に罰則を言い渡していた。優先道路に出て来て、車の後部に横から直進で当たっていたのでは万事休すだ。ボケ過ぎていて、試飲していただろうが、流石にアルコール検査すらも無かった。酒気帯び程度ではない危険運転だ。全く左側を見ておらず、ブラインドの反対側sの車が来ないかだけを凝視していたことになる。

そもそもドイツの運転は規則通りで安全なのだが、一時停止だけは悪い。私などは上品な教習所で、停止線には徐行の感じで近づいてくださいよと習ったので、突っ込んでくるドイツの交通はとても怖い。今回のように止まるかどうか判断が効かず、もしこちらが時速100キロ近くで走っていれば死亡事故である。勿論優先車線の車も配慮する必要はあるのだが、その限界がある。今回のように運転手席がスモークガラスで、全く見えず、何をやらかすか分からない場合対処の方法が無い。もしこちらが止まればさらに複雑な状況になるところだった。更に警察が罰則を科すために停止線を探して、私が消えかけているそれを教えてやって証拠写真を撮るぐらいだから、そのいい加減さは知れよう。その道に名前がついているように、そのオーナーは飲み屋での仲間で二十年ほど前に亡くなっている。

そして、保険屋の指図で鑑定士がやって来た。いつも同じ人で、何回目だろうか?数回は来ていると思う。そして、「これはもう全損だと判定した」。勿論全損の方がドア二つ直すよりも安いかもしれない。詳しくは、提示額を見て、保険から最も金を取れる方法を検討しなければいけない。百万円ほどは取れない可能性が強く、代車料金などをどれほど取れるかだろう。

取得した保険金で豪遊では無く、旅行代にしようかと思ったが難しいかもしれない。完全に直せばその分高く売れるという事ではなさそうだ。問題は新車を注文する時に如何程で最後下取りして貰えるかもある。保険の要綱の細かな所とソロバンを弾き出す必要が生じてきた。少なくとも新車に乗り換えるまでは動いて貰わないと困るが、数か月以上も代車を払うという事は無いだろう。さてどうしたものか。先ずは、最後の車検を受ける。



参照:
鑑定士による査定の程 2017-07-23 | 雑感
手作業での車の塗装 2017-09-01 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-09-12 23:25 | 雑感 | Trackback

ルツェルンの実力如何に

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第一次スイス遠征は無傷だった。来年一月までのヴィニェットが高くなった感じがしたが、立て続けに使える。写真撮影は無かったと思う。帰路一か所だけ知らずに前の車についていったらスピードが出ていたが、あとは前方の車に赤いフラッシュを見て、ブレーキを掛けたぐらいで無事だった。何回も走ると場所を再認識するので大丈夫だろうか?バーゼル周りのアウトバーンが工事の為に酷いことになっていた。あとはトンネルを対面通行にしていてとても怖かった。通常の二車線で時速100㎞に絞って、カメラを構える道路で、80㎞で対面通行させる根性にはついていけない。ゴッタルダトンネルなどの大惨事は二度と起きないと高を括っているらしい厚かましさにはついていけない。

ランダウの速度違反を写された場所は今回も知らぬ間に走っていた。どうも制限の表示が見難いらしい。一度自動車クラブかどこかに通報してみたい。すると坂道になってスピードが出過ぎる結果になる。それでも帰宅は無事一時過ぎには着いた。終演は22時だったが、早めの16時過ぎに入車したのでそのまま地下のP2の最後の二桁で入れた。数が80ほどしかないので初めてそこに停めた。それでも会場で払うと15フランで済んだ。早めに入れた方が結局得なことも分かった。来週も早めに入って、天気が良ければ対岸へ散歩もしたい。

それにしてもルツェルンの渋滞にも呆れた。宿から駅前会場まで3分ぐらいかと聞いたら、主人が今の時間帯なら10分は掛かる、ラッシュアワーだと答えた。何のことか理解出来なかった。だから裏道を走ればと言ってみたら、駄目だと付け足した。実際に、トリプヒェンのヴァークナーの家を通り過ぎて、街中までは二三分だったが、駅前の方に抜ける道は信号渋滞していたので、湖の方に近づいてたらそこも渋滞していた。大学の横を通って結局数キロ走るのに一時間ほど有した。それでも引き返す車はなかった。皆分かっているようだ。結局駐車場に入れた時は前コンサートもガイダンスにも遅すぎた。要するに道が無いのである。今回ルツェルンで習ったのはこのことで初めての経験だった。高速から降りてくる方ではここまでひどい経験は無かった。こうしたことの積み重ねが常連になるかどうかの大きなところで、慣れてくると色々なことが合理的に予測計算可能となる。つまり、ミュンヘンでと同じように公演をじっくり堪能可能の状況を作れる。

会場係のお姉さんとも話したのだが、やはり常連さんになると今までか感じなかったことが色々と分かってくる。要するにアウェーとホームの差だ。人見知りするたちなのでアウェーでは出し物を充分に楽しめない私なので、こうした積み重ねが大きい。駐車料の点もよく分かった。現金がどれぐらいいるかも分った。ガイダンスも二日目には参加した。話し手のシュテール女史と何回か目が合ったが、どこかで会ったことがあるのかなとも思った。まあ、熱心に聞いて時々メモすると気になるのだろうが。こうしたこと全てに加えて、今度の進展如何によってはバーデンバーデンの祝祭に係って行こうかとも思っているので、老舗の音楽祭のことが気になった。こちらも今年から定期となった。宿はもう少し試してみないと駄目だ。日本製のエアコンは効果的だったが、さて価格比ではどうだろう。

明らかに違うのは会場案内などのマンパワーで、その質と量が比較にならない。更に警護の兵?が入っている。玄関で券を検査しないでも、入り口だけで座席を監視している。恐らく撮影も監視しているのだろう。逆に残念だったのは初日にはアナウンスが聞こえ難く、私の真後ろで電話が鳴った。これは酷い。やはりもう少し注意勧告すべきだ。客層は昔と比べると、特に前の会場時代とは大分低下している。観光客が多いのだろう。客観的にコンサートだけで比較すると、ベルリン、ボン、ルクセムブルク、フランクフルト、マンハイム、シュトュツガルト、バーデンバーデン、フライブルク、バーゼル、チューリッヒ、ルツェルン、ザルツブルク、ヴィーン、ロンドンなの中で、オペラは駄目だがバーデンバーデンはトップクラスだと感じた。来週のマーラーでルツェルンのそこも見極めたいが発券状況からやはりバーデンバーデンのような大都市住民層の大きな基盤が無いのだろう。



参照:
瑞西の交通規制行動 2006-02-09 | アウトドーア・環境
ルツェルンの方が近いか 2017-10-12 | 雑感



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by pfaelzerwein | 2018-08-31 19:41 | 雑感 | Trackback

生中継の妙、色々

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夜中に窓を閉めるかどうかの微妙なところだ。翌日の気温を考えれば夜のうちに冷やしておきたいのだが、寝室を除いて窓を開け放しにするとそれなりに冷えて、若干明け方の睡眠が浅くなり、朝が辛くなってきた。日の出前に起きたいのだが、中々体がついて行かない。

ランランの演奏中継が流れてきたのには驚いた。生中継は後半からの予定だったからだ。しかしそのリンクが繋がらなくなって、焦り気味に色々と試していると、僅か四分足らずながら演奏風景が流れたのだ。明らかにテスト中に流してしまったようである。最もラディオ中継はしていたようなのでそれほどの大事ではないが、とても興味深った。左手の調子はタングルウッドと同じようだったが、それに苦慮している真剣な表情が見れたのが良かった。ラディオも聞いていないので批評が出るのが楽しみだ。今後左手の調子が戻るのかどうかは知らないが、ランランのピアノを知っている人が何かを書くだろう。

流出Videoを見ると、ランランの表情が映るように左右に二台のカメラが立っている。これはどう見ても映像化が前提となっているようで、制作会社が撮影している。ドキュメンタリーになるのか、仕上がりによっては製品化するのかは知らないが、生中継を断った理由はここに関係しているのだろう。

お試しでウニテルの動画を観た。知らなかった映像どころか演奏会があった。日本では、インターネットなどない頃だから、全く知る由も無かった。ヴィーナーフィルハーモニカーがベルリンのフィルハーモニーでバーンスタイン指揮でマーラーの第九を演奏するというものだ。年代は調べていないので分からないが、コンツェルトマイスターのヘッツェルの横に髪のフサフサのキュッヒルが座っているので、大分前の演奏会だと分かる ― ベーム指揮の日本公演ではもう既に禿げていた。バーンスタインからすれば日本で振った二回の第九のその間で、最初のニューヨークフィルのものは聴いていないが、その後のイスラエルフィルとの演奏よりも端正で、後年のベルリナーフィルハーモニカーとのものよりもいいかもしれない。少なくとも今お勉強に使うなら一番良さそうな資料になる。ヘッツェルが率いている時の方が楽団も堅実で良かったような感じがする。

それにしても背景のサイドの壁も何か高いベルリンの壁のように見えて、演奏者の後ろには網の柵までついていて、まるで陸の孤島西ベルリンを象徴しているかのようだ。あの当時のフィルハーモニーを回想するが、これは気が付かなかった。それでもあの壁際に建つフィルハーモニーでの休憩時の雰囲気の漆黒の闇の異常さは今でも忘れない。

タングルウッドからの放送は雷雨が酷そうだが、録音はタイマーで上手く録れたようだ。どんなショスタコヴィッチになっているか楽しみだ。少し触りを聞くと雷鳴に影響されずに細やかな仕事ぶりで好感が持てる。同じようにルツェルンの祝祭管も以前のようなオールスターは無くなってもシャイーの指揮がなかなか冴えているようで、とてもいい。丁度先日聞いた、エストニア祝祭と都饗と、これを比較すると、交響楽団はいかにあるべきかという議論のとても良い材料になると思う。エストニアとルツェルンは寄せ集めで共通しているが、交響楽団としての鳴りは全く異なっていて、ルツェルンの出来は際立ち、何がエストニアに足りないかは明らかだろう。同じような意味で都饗に足りないものも比較するとよく分るのではなかろうか?シャイ―がヤルヴィと比較して指揮者として優れているとは容易には言えないが、恐らくその常任の経験からしてオーケストラビルダーとしては格違いであることが如実に出ている。それはゲヴァントハウスやコンセルトヘボーで残してきたもので明らかで、その点では都落ちのヤンソンスと比較しても分かり易いかと思う。業績の芸術的な格が違う。そこを小澤と斎藤記念と並べてみると余りにもはっきりし過ぎないだろうか?

それはバーンスタインのマーラー演奏実践にも表れていて、決して大雑把な仕事ではなくて、寧ろこうして改めて聴いてみるとキリル・ペトレンコなどとその楽譜の細部への拘りではそれほど変わらないことになる。技術面などは別にして、その客観性を何処に置くかという差異でしかない。ベルリンでの昔のヴィデオを観れて、とても参考になった。自身の中で記憶されていたのは、実はそうした細部の繋がりの効果であって、その後の爆音を鳴らすことで成果としたようなマーラーの交響曲解釈では無かったという事だ。エサペッカ・サロネン指揮などのものの方が遥かにハリウッド的グロテスクを狙ったものであるかが理解できるかと思う。



参照:
組み込まれる経済プラン 2018-08-15 | 文化一般
ペテン師野郎の指揮 2018-08-11 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-18 23:50 | 雑感 | Trackback

「小さなライン、大きなワイン」

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森の中は清々しかった。ディスプレーが不調なので自信は無いが、摂氏10度であってもおかしくは無い。だからとても走り易かった。陽射しがあっても涼しいという事はやはりその気温だと思う。しかし街道筋に戻ってくると17度に戻っていた。

前夜のザルツブルクからの中継はおぞましかった。今年から「再びザルツブルクへ」と検討した時もこの「サロメ」の上演は気になっていたのだが、このポンコツ座付き管弦楽団には呆れた。つい先日あれほどまでの演奏をコンサートで繰り広げ、ネルソンスよりも大物のヴェリサーメスト指揮でこんなにポンコツな演奏をするなんて想像もつかなかった。いつもの誤魔化し演奏術だけでは事足りず、これならば楽譜に小節線もなにも要らないと思った。指揮者のメストもあれほどまでの演奏をクリーヴランドで披露しておきながら恥ずかしくないのかなと思った。なるほど一部の遅いテムポなどは効果を出していたが、お話しにならなかった。これならば彼が指揮するコンサートもあまり期待できない。ネルソンスとの指揮の技術の差はあったとしてもこれは無いと思うほど、この楽団とのずぶずぶの関係を感じた。

カステルッチの演出もMeTooを意識した演出のようだ。少なくとも自身も気をつけている感じで、あまりこれからの歌手にも誰にも無理はさせられないと考えたのだろうか?露出度はタンホイザーに及ばなかった。兎に角、物足りなかった。演奏と合わせてこれならばもし出掛けていたとしたらブーイングものだった。短い劇であり、休憩も無いのならもう少し集中力の高い公演にして貰いたいものだ。つくづくザルツブルクくんだりまで出かけていないでよかったと思った。

嘗てザルツブルクでのフィルハーモニカーの出番が過密過ぎて、他の楽団と分け合った時代があった。今は再びフィルハーモニカー公演が増えて、その質が変わってきているのは想像出来る。恐らくヴィーンでの上演程度までその上演の質が落ちてきているのだろう ― ベームやホルスト・シュタイン指揮の「アリアドネ」はこんな程度では無く、マゼール指揮程度にも到底及ばない。夏季休暇の間にこれだけ仕事をしているというのが尋常ではない。本年も月末のべルリナーフィルハーモニカー公演待ちという声が強いが、結局ザルツブルクはじり貧になっている印象である。

この乾いた暑い夏の葡萄についての記事が出ている。ことわざ「小さなライン、大きなワイン」がキーワードだ。水量が下がって河幅が狭くなり、ワインが立派に実るという事だ。そして、単純なワインや所謂ノイヤーヴァインなどの本格的なワインではないものの、急いで造って飲み干すものとして需要も高まり、早く摘み取ってしまえるのだ。それに対してリースリングなどは、出来るだけ葡萄を置いておいて一番良いのは十月に入ってから乾いた日が続いて朝晩が冷えるときに摘み取れるものが経験上最も素晴らしいリースリングとなる。

しかし今回は7月30日に糖比重が25度となり記録となった。あの暑い2003年を三日早く記録して、2011年の記録を打ち破ったようだ。つまり、そこから葡萄が熟していくと酸が分解して熟成へと近づく。リースリングは遅いとしても月末には熟成領域に至るであろう。問題はたとえ朝晩の冷えるといっても10月程度まで冷えるかどうかである。それほど冷えないと難しいだろう。もはや2003年は忘れられ、その次に来る2007年、2011年もあまり価値が無くなっていると書かれている。私個人的にはその双方の瓶熟成の可能性を特に前者を期待している。

そして皆が期待するような赤ワインは、来年の試飲で失望するのではないかとしている。つまりシュペートブルグンダーはあまりにも力強くなって、繊細さが無くなるというものだ。これも造り方によるのではないかと思う。



参照:
知らなかったなどとは 2018-08-08 | マスメディア批評
冷や汗を掻いて避暑 2018-08-07 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-08-12 23:23 | 雑感 | Trackback