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そこに滲む業界の常識

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十日以上走らなかった。パン屋が閉まっていて旅行があったからだ。車にばかり乗っていて体が腐りそうになった。いつものように腸の調子が悪くなり、気分が悪い。少なくともそのような生活をしていると一月もしないうちに病院送りになることを改めて確認して恐ろしいと思った。強迫観念的に運動をするのは幸か不幸か。だからパン屋が再開されたかと思って、前夜からジャガイモのなどを食して走りに出かけた。まだ開いていなかった。準備があるからでどうも木曜日からになりそうだ。

帰路の車中のラディオでは電話インタヴューで指揮者らしい人が話している。ショスタコーヴィッチが奥さんと訪ねて来たとか、直接楽譜の印刷間違いを指摘してもらったとか、そのような話からドイツではショスタコヴィッチには人気がなく、マーラーとは違ってきているという話だった ― SWR2が説明するように戦後の連邦共和国ではフランクフルト学派のアドルノによるショスタコーヴィッチやシベリウスへの糾弾の影響が大きいとなる。その話し声が午前中ゆえか老人のようにはっきりせずふにゃふにゃで惚けた感じだったので、不思議に思った。話しの内容に合って、あり得るのはザンターリンクしかいない筈だが、親父は死んだ筈なのに、ベルリンにデビューとかあってまさかと思っていた。その通り息子の方だった。そしてその話しぶりにこれはあの写真などで見るのは誤魔化しのイメージだと確信した。コンセルトヘボーとか後任の噂に上る指揮者でもあるが、話を聞いているととんでもないと思った。

ハムブルクでのもう一つの目的地はブラームスの生家だった。1986年に訪ねたのだが、今のユネスコの地域から歩いてきて、素通りしただけだった。それでもこの通りに来た覚えがある。それでも今回郵便配達のお兄さんに尋ねたように車を前に停めても見逃しそうになった。目立たない建物ではないのだが、なんとなく目が行かない。当時、写真を撮ったのだと思うが、結局ハムブルクの分は喪失してしまったので、30年以上ぶりに確認しに行くことになった。今回の旅の目的だった。なにか記憶とその曖昧さが重なって、まるでゼーバルトの物語のように実像が滲んでくる。

まさしく私にとってはブラームスの音楽はその音楽構造にあのメランコリックな世界が重なって滲んでしまうようなもので、とてもここは不思議な感じがした。ここに比較するとバーデンバーデンでの下宿屋の方がくっきりとしていて気持ちがよい。

記録をそのネガ諸共紛失したと書いたが、実は今回もカメラの画像を移し替えていて、殆ど消去してしまいそうになって、幸いコピーしたものを再収集してもとへと戻す作業で何とか回復させた。原因はPCで使っているソニーのソフトにあるのだが、まさかと思い、三十年以上も呪われるのかと思った。決して意識していたわけではないのだが、たまたまソフトの問題があったのだ。意識して間違いの無いように扱うべきだった。映像なんてとも思うが、やはり記録は大切で、当時は旅行記などもメモさえしていなかった。そして移住するなんて考えていなかったものだから、あの波止場やブラームスの路地に再び足を運ぶなんて未定だったのだ。実際にこちらからは遠く、出かけるには些か大袈裟に言えば、それなりの覚悟も必要だった。

あの時と同じで今もまともな写真などは撮らないのだが、少なくともどこに立って何処を写したかさえ残っていれば確実にその場所を懐かしく思ったであろう。その意味では波止場でも有名な橋が架かっているザンクトアンネンの廃墟のところは車で通過しても印象があった。あの当時は今ほど整備もされていなかったから精々あの橋からの風景が特徴だったのではなかろうか。兎に角、溜飲が下がったことには間違いがない。どうしても遠方になると、なにもそこに珍しいものがあるわけではないので、よほどの用事がなければ出かけない。
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そう言えば、有名歌手トーマス・ハムプトンからいいねが入っていた。その前はルカ・ピサローニというテノールバリトンで伝統の第九を歌っていた。ハムプトンはバーデンバーデンでメルケル首相と「パルシファル」で聞いて、そのあとは何といっても「サウスポール」初演が良かった。体格も良く、声もゆったりしていて凄みもあった。早速インタナーショナルな方でフォローしておいた。基本は何かのコンタクトがないとフォローしないので、僅か20件でも価値がある。それが分かると若手や無名の指揮者なども売り込みに来るようになる。そこで一覧に入ると僅かばかりでも宣伝効果があるからだ。勿論リストに上がっていない超実力者の影の目にも触れる可能性が無くはないからだ。

ハムプトン氏の場合は、バーデン・バーデンでの2013年のガラコンサートでの録画をご自身も気が付いていなかった可能性があり、当然の活動として自身の名前を検索しているうちにあれと思うリンクが見つかったということだろう。要するに業界人にとっては当然のネット活動の一環なのである。



参照:
エルブフィルハーモニ訪問 2019-01-11 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2019-01-15 23:29 | 雑感 | Trackback

思えば遠くに来たもんだ

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部屋着に下ろしていたジーンズが破れた。足の指をひっかけた。数年履いているから仕方がない。色目も薄いが生地も薄かったので重宝した。しかしこのところ自宅で足が寒かった。限界まで薄くなっていたのだ。幸い箪笥を探すともう一つ前のが残っていて、それで冬場を凌ぐ。新たな余所行きジーンズを今度はまた薄目を探す。現在のは厚めで夏には向かない。安売りが出るのを時間をかけて探しておこう。

久しぶりに日差しが嬉しい。古いHDDの個人のデーターは全てコピーした。三日ほど掛かっていたので完璧にコピーしていて当然だろう。どうしてこのWDのNASが遅いのかは分からないがミラーにしているから倍の時間になるのだろうか。まだまだ解せないところがあるが、新しいSSDともども十分に設定が出来ないのだと思う。

冬タイヤに交換した。最後の冬タイヤだと思う。まだ車検が通っていないので警察が来れば罰金ものだ。だから自動車会社の方も知らぬ振りをしている。部品が探せないなら他の方法を考えるべきだ。まだ20年も経っておらず健全に走っている車もあるので部品がないのは本社も具合が悪いと思っているのだろう。自分としては解体屋からとってきた中古部品で数か月もってくれれば十分なのだ。これでミュンヘン行きの準備には入れる。

音楽監督キリル・ペトレンコは週末のヴィーナーフィルハーモニカーの定期演奏会の準備に入っただろう。二回目の登場であるが今回はブラームスの第四交響曲だけは少し期待したい。なぜならばミュンヘンでの演奏はまさにその音の繋がりが上手くいかなかったからで、ペトレンコの意志を忠実に演奏可能ならば名演になると思う。前半のプェルツァ―のルーディ・シュテファンの作品もベルリナーよりもヴィーナーの演奏の方があの荘園で漁師町ヴォルムスのユダヤ風の味がよく出るかもしれない。日曜日の放送が楽しみだ。

完全放送は無いかもしれないが、今回はBMW主催の待降節チャリティーコンサートを劇場でも紹介している。曲目は前回のようにオペラからのアリアで登場歌手からすると「ジャンニスキッキ」からなどだろうが、教会演奏会とはいいながらもガラコンサートで100、120ユーロの価格設定は絶妙だと沢沿いを走りながら思っていた。この価格で寄付を一文も出さないでも寄付額の土台になって、その内容如何では、もっと出そうと思う人も少なくない額である。勿論ドイツ一の資産家女性のBMWオーナーも懐から一万ユーロぐらいは出すのだろう。BRも協賛しているので少なくともニュース報道映像ぐらいは出るだろう。

二日に録画した音声部分はRealtekともう一つの通常の入力が重なった可能性が強く千分の何秒単位のエコーが付いたようだ。音声は使えないが映像もろとも消去せずにいつか気が向いたら32Bit高品質録音から尺だけを合わせてWAVファイルを前半後半二本作ってシンクロさせればよい。MP4の映像も素晴らしいがコピー映像も捨てるのは惜しい。

再び初日の録音を流すと大分異なっている。冒頭の嵐のシーンから初日はまだまだ旧態的な演奏だったが、更にアンサムブルを合わせたことでくっきりと団子にならずに漸く初めて楽譜が音化された印象だ。これで次はフィッシュ指揮の四回目上演が挟まるが、監督が帰ってからその精度が再び上がるのかそれとも悪くなるのかも聞き逃せない。初日のバイエルン放送協会のマイクロフォンもストリーミングの日のテストも兼ねていた筈だが明らかにラディオ放送用で、ストリーミングのそれがそのままライヴ制作ものになるようなものとは大分異なる。後半も日によれば録画をするのではないかと思う、あれだけの出来ならば必要な編集をして記録制作する価値は間違いなくありそうだ。

初日と三日目の録音との最も大きな違いは、その明確度だけでなくて、ダイナミックスの大きさとまたまた激しい一撃の鋭さだ。32Bit録音を流していると驚かされる。バイロイトの上演でも奈落の深さを変えたのかと驚かされたが、今回のオテロも強烈な音響となっていて、ベルリンのフィルハーモニカーでなくとも、座付楽団とはおもえないほどあまりにも鮮烈さを実践している。

思えば遠くへ来たものだと思うほど、ミュンヘンでの上演の厳しい響きが増している。二月の「指輪」ではまだまだドライ過ぎだと思ったのだが、オパーフェストでの「ジークフリート」、フィルハーモニカーとのオープニングツアーを挟み、記念上演の「マイスタージンガー」とその棒は激しさを増していて、さぞや大指揮者ムラヴィンスキーが若いころはあのようではなかったのかなと思う。全く技術的な考察ではあるが、壮年期であのように無駄の無い鋭い指揮をする人はやはり稀だ。



参照:
PTSD帰還士官のDV 2018-12-03 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-12-04 23:36 | 雑感 | Trackback

公平に選り取り見取り

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引き続き「フィデリオ」のティケットを購入した。三枚目である。二回は出かけるつもりだ。最初の一枚を購入するのに待ち番号34番がタブレットで出て、ログインに失敗して結局400番台で購入した。だから最終日も50番以内でなければ買わないつもりでいた。模擬試験ならば東大理三狙いだった。それが一番と二番と十六番を貰った。流石に会場の光景は写真が示すように違った。

新システムになってから裏口が閉鎖されたが、どうも正面口が工事中で普段から塀の隙間から出入りしているような人しか入れなかったようだ。つまり前回の「指輪」の時は明らかに裏口から入って安いツィクルス券を購入したが、今回は殆ど誰もいない正面から堂々と入場した。今までで一番買い放題だったのは言うまでもない。

その事情が分かったのは一つ目のPCを森に出かける前に開いていたが、いつものように二つ目のPCは帰ってきてから開ける準備をしていた。システムからすればいつ開けておいても同じだが、敢えて待ち時間を変えるのはこのシステムのフェアー度を試すためだ。そして汗をかいて帰ってきてシャワーを浴びる前に並ばそうと思って開けるとリンクが開かない。これはどうしようかと思ったが、一つ目のURLを書き取って入れると直ぐに並べた。ここがみそだった。要するに普段から準備している人はすんなり入れて、そうでない人は到底並ぶこともできない様な入口規制になっていた。敢えてしているのかどうかは分からない。オパーフェストのやり方も若干それに似ていて分かっている人は問題なく買える。

以前の方式は明らかに裏口だったがこの方式はいいと思う。但し私自身も一つ目を開けていなければもう少し苦労していたかもしれない。短い時間で何とかはなっただろうが、焦ったと思う。結局二つ目のIPでの登録は八分前ぐらいだった。つまり数分並べば一番にいたのだった。ランダムのシステムは頗るフェアーに作動している。そして二時間以上待った方も一番だった。こうなれば入口規制している分悠々とお買い物である。銀座三越10時1分のりだ。しかし中の壮観さは大分違った。

あれも欲しいこれも欲しいという一度座ってみたかった席も並んでいるが、既に二枚購入していることでもありつまらない再演でもあり、またこれだけ人気がないと心配になって適当な席を購入した。本来の申し込みはもう一つ上のいい席で籤に外れたのだが、より安くともそれほど変わらないギャラリーの最前席を購入した。一度「サウスポール」の初演時に最前列に座ったことがあるが、今回は大分真ん中寄りである。なんといっても最上階は音が良い。「パルシファル」の時に下階の端の方に座ったが横からの反射があってよくなかったので、それに比較してよいのは間違いない。更に今回の演出は上で歌わすようなので丁度良いのではなかろうか。因みに「ミサソレムニス」は第二バルコンを分け与えられたので、合唱団の歌詞がはっきり聞こえる筈だ。

あとは「オテロ」に出かける前にティケットを取りに行くだけだ。その時までにどれに行こうか行かないかを考えておけばよい。人気がないと心配になったのはキャストなのだが、指揮のキリル・ペトレンコは本拠地で休んだことがない。但しオールスターキャストなので初日はともかく、二日目、三日目は穴が開く可能性はある。カウフマンの休みもいたいが、カムぺは休まないと思う。コッホは半分ぐらいは休みだろう。グロイスボェックも一度も聞いたことがないかもしれないので聞いてみたい。二日行けば一通り何とかなると思うがどうだろう。

兎に角、私にとっては二度目の「フィデリオ」だが、先ずは徹底的に曲をお勉強したい。「フィデリオ」、「ミサソレムニス」そして第九と来れば、今年の七番に続いて、ペトレンコ指揮のベートーヴェンの可能性が明らかになる。その次は三番だから、これで先ずペトレンコのベートーヴェンは一息つくのでなかろうか。ツィクルスなどは考えていないのだから、あとは十年ほど掛けて一つづつだろう。その前にフィルハーモニカーが音響的に練られていく必要がある。



参照:
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
19世紀管弦楽の芸術 2018-09-04 | マスメディア批評



by pfaelzerwein | 2018-12-01 21:05 | 雑感 | Trackback

何度も繰り返した挙句

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思っていたようにハマった。SSDへの乗り換えでセットアップUSBまで作り、順調に進んでいたが、VCNの設定でしくじった。実際に一度中断しなければいけないので二日掛かってしまうだろう。動いていたHDDに戻して問題点を研究しなければいけない。ヴュワーの方は順調に動くので、ミニノートブックブックを制御できてもドッキングステーション本体の方をタブレットなどから制御できない。リモート機構が付いていない8.1ホームに付き纏う煩雑な点である。

最初からipconfigで調べておけばよかったのだが、間違ったIP番号を何回も繰り返して躓いた。二種類のディスクを両方うまく使えるようにするのは難しい。再びHDDに戻って、面倒だが電子メーラーなど徹底的に移行する準備を整えよう。

風邪が治らずにお休みしていたが久しぶりに峠を攻めた。とても寒かった。手袋が欲しかった。ゆっくりと上がって下りてきたが、下りも体が重かった。病上がりは体力が落ちているのだろう、洟もずるずると垂れ、まだまだという感じだ。いつものショック療法でと思うが、なるほどランニングハイは感じるもののやはり寒い。

先日のティーレマンの記事に反応して、フライブルクの女性が書き込みしてくれたが、その罪状として四千万円のドルニーに支払う損害額を明記した。因果関係としてははっきりしているのだが、ティーレマンに乗せられた政治家にも責任があるのでその額を全てあの男の責任だとは言わないが、まあ額を出せばその罪状が明らかになるということだろう。もう一つネルソンズ事件の責任にも言及しているが、それを言い出すと私はもう止まらない。むしろこの局面での鷹揚な態度が新たな経済被害を与えるのではないかとみている。年来のティーレマンウォチャーとしては、底についてきていながらも中々根深い人気もあるので、安心ならない。

アムステルダムでの2020年マーラーフェストの発券状況が興味深い。恐らく多くは年来の定期会員向きに担保されているようだが、既に大分出ているようなのも不思議だ。兎に角、一年半ほど先のことであり、幾つかの管弦楽団を揃えるとしてもオペラなどから比べると比較的小さな企画だ。それでも首席指揮者の名がなくても売り込むだけの強気の商売をしている。そもそもマーラーの交響曲を並べても普段の名曲コンサートを並べるようにしか映らないのでその芸術的意義が希薄である。マーラーのアムステルダムとの関係やその他は百も承知のこととしても正直この企画は解せない。如何にもMeToo指揮者の同意もあったような企画にしか思えない。

個人的には、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの二種類のプログラムしか興味がなく、その他も未決定ながらこれはという指揮者がコンセルトヘボーを振る訳でもないので、態々アムステルダムまで出かけ宿泊する気にもならない。両プログラムとも恐らく身近で聞ける筈だからだ。自分自身のマーラーの作品への視座も変わってきていて、最初にヴァルターとかクレムペラー指揮のそしてバーンスタイン指揮のルネッサンスとかを経過してくると、最早どの方向に演奏されるべきかというのは美学的に明らかで、若干食い尽くされすぎた感があるのは否めない。そのような前提で、ネルソンズ指揮のものなどもあるのだろうが、ああした演奏形態は観客の熱狂とは反対方向にあるので、必ずしもシェーンベルクの作品などと比べてポピュラーであり続けるとはいい難いと感じる。要するにヒンデミットの作風ほどではなくても結構神経症的な面は否めないからだ ― フランツ・シュミット交響曲四番のあの作風と比較すれば一目瞭然だ。



参照:
客家入りの喉飴 2018-11-15 | 雑感
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感


by pfaelzerwein | 2018-11-20 23:48 | 雑感 | Trackback

客家入りの喉飴

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一昨晩の就寝前から喉がガラガラした。嗽などをしたのだが、翌日は終日調子が悪かった。天候も悪かったので走ることもしなかったが、週末に雨に濡れたのが悪かったのか。必要な時に強力なのど飴がなく緩め甘めのものしか購入していなかった。仕方がないのでパン屋で客家入りを購入しようとしたら、各々取っていくといっていた。インフルエンザではなさそうだったが売り子さんも喉を鳴らしていた。

体調は前日よりは良かったので沢コースを往復した。途中で親仁三人組を抜こうとすると一人が振り返って顔を見て「サラブレットが抜いていくから」といった。少なくともそのように聞いたので、「ロバじゃないですかね」と自虐的に答えようかと思ったぐらいだ。折り返し点から戻って再び追い抜いて声を交わした。大したことはないのだが高級住宅街の上の散歩道でもその三人に近いような、丁度小津安二郎の映画に出てくる大会社の重役や大学教授のような風情の人はあまり見かけない。聞こえる喋り口も社会のエリート層だった。

先週あたりにも話すことがあったのだが、日本もまだ高度成長時ぐらいまではそうした小市民的で尚且つよりよい明日への模範となるようなものが少なくとも描かれていたのだが、そうした希望とか向上心とか描きがたい社会になっているのは間違いない。当然のことながら60年代の転向とその後のぶり返しがあったとしても、教養などはあまりにも軽視されていった歴史がある。

また新しい記事が出た。ベルリンのデアターゲスシュピーゲルは、バッハラーがザルツブルクの地方議員に「ベルリナーフィルハーモニカーを戻す」と誓ったというのは噂に過ぎないと書いている。つまり取材出来なかったということだ。勿論、バッハラーがまるでキリル・ペトレンコやベルリナーフィルハーモニカーを思いのままに操れるような言及なので殆ど意味はない。そもそもベルリンの支配人であるツェッチマン女史を普段から取材していないことがまる分かりだ。この手のジャーナリズムは、音楽ジャーナリズムでも無く芸能ジャーナリズムでも無いといういい加減なものが存在するのかもしれない。

ベルリナーフィルハーモニカーが参加する2020年のマーラーフェストでの交響曲4番と6番のプログラムが発表になったことから、また2019年の日本旅行はメータ指揮になったという前提で想像を飛翔させる。つまり11月にはフィルハーモニカーは居ないので、その間にミュンヘンの新制作が準備されるとなる。その前に恐らくその前にオープニングに続いて9月末か10月初めに二つ目のコンサートの指揮をする。その後はジルフェスタ―しか振る時間はないだろう。ここまでで三つのプログラムとなる。

年明けてから4月12日の復活祭までに三つのプログラムを指揮して、5月初めにもう一つのプログラムとなるだろう。最後の一つがマーラーの4番とリュッケルトとなるのか、6番となるかだ。復活祭の時期柄を考えると前者になるか。すると、オペラに加えて、第九とマーラー四番ぐらいだろうか?ジルフェスタ―に続けて第八も期待していたが、マーラーの二つに加えて三つめのプログラムは多過ぎる。

兎に角、復活祭前にベルリンでコンツェルタンテで練習してきてほしい。6番は5月初めにベルリンで初日、アムステルダムで演奏する。そうなると、しかしその後のオープニングツアーは4番の方が都合がよい。6月7月はミュンヘンでの新制作二つ目だ。再演があるとすればどうなるのか?バーデンバーデンでの演目とも影響するだろうか。



参照:
光を有効に使う方法 2015-12-13 | 生活

by pfaelzerwein | 2018-11-15 21:21 | 雑感 | Trackback

次をリストアップする

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メインノートブックを旧HDDで使っている。しかしSSDの静かさなどを知ってしまうと完全移行も早めに済ましたくなる。ここしばらくは暖かいので、日差しの下でつまり籠り部屋から出ての座業が増える。つまり8.1までインストールしたSSDを外して再び1TのHDDを入れて仕事をしている。それで喧しく感じるとなればあまり猶予はない。一方ストレージのNASを発注しなければいけないが、じっくりと将来性も考えて検討している。

SSDにインストールすべきアプリケーションをリストアップする。リカヴァリーディスクを作成する。そして先ずは、Chrome、Opera、FireFoxのブラウザー群だ。同時にキャスティングプログラムもインストールしておく。次にFUJITSU関連のデヴァイスドライヴァーだ。この辺りで先ずはリカヴァリーのポイントも入れておこう。出来るだけ早めにハードに纏わるソフト類を入れるとすれば、キャノンのプリンター類とモニター関連のインテルやロジテックのアプリケーションも入れる、

メーラーとしてサンダーバードである。これが一番データーの移動があるので厄介だ。その前にもう一度整理しておこう。テクスト制作はLibreOfficeでよく、今後はデーターベースもLINUX主体となるので、マイクロソフトオフィースは使わない。その中で使っているのは写真の縮小やヴィデオ編集ものなので、これらは新規で無料でより良いものを探す。

ファイル圧縮ソフトなどは先ずはインストールしない。もはやデーターの大きさが問題となるような時代ではなくなった。MPC-BEを入れてそれでも駄目なときにVCLをインストールすればいい。

ここでリモートコントロールソフトのVNCを入れる。先ずはマスターになるためのヴューワーだが、同時にスレーヴになるUltraVNCで事足りるかである。ここで時間が掛かるかもしれない。AudacityとoCamも入れておく。Adobeなどは必要に迫られて入れればAよい。Realtekを入れる前にデジタルダイレクトで音を取り出せるプログラムを探してみよう。AudacityでALSから録音すると音量調節無しで録音可能となる。ウィンドーズではWASAPIを使ってもこのようにはならない。

PlayMemoriesHomeやFoobar2000は直ぐに使うが、QualcommやCDBunerXP、SoftEtherVPNなどと同じく緊急性はない。パスワードなどが入っているものが面倒なのだが、巧く繋がらなかったりすると作業時間が伸びに伸びる。週末に時間があるかどうか微妙である。

行けるかどうかわからないが、オペラ初日の切符を購入した。売れていないから気になって手を出した。「ルグランマカーブル」新制作だ。指揮者のルィージはSACDも持っているのだが生で聞いたことがない - もともとこの人の名前を初めて聞いたのは彼が紹介していた作曲家の口からだ、「そんなにいいの」と尋ねたが、勿論悪く言う筈がない。まだ若いので急ぐ必要がないが、ツューリッヒも辞めるようなので、また劇場は何回も行きながらもしくは向かいに宿泊しながら未だに中で聞いたことがない。初日の雰囲気も知りたい。嘗てはアーノンクールの指揮で行こうかとも思っていたがチャンスがなかった。ヤルヴィ指揮コンサートもその前に初めて訪問するので、これで中堅どころでつまりペトレンコよりも上の世代で力のある指揮者をおさえられる。サイモン・ラトルが目立ち過ぎて、それに匹敵するような指揮者がなかなか続かなかったかにも思える。リゲティーのこの「アンティオペラ」もサロネン指揮のグロテスクを一度洗い落として、改めて聞き直したいと思った。指揮に関してあまり期待していないが、この作品を上手に振れる指揮者としては、まあまあいい方ではないかと思ったからだ。何よりも安いところで適当なところが残っていたので押さえておいたのだ。



参照:
アップデートの数々 2018-11-08 | テクニック
狩りの日だった土曜日 2018-11-04 | 生活
録音の準備の週末 2016-11-13 | 生活


by pfaelzerwein | 2018-11-09 00:10 | 雑感 | Trackback

再び240GのSSDを発注

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朝起きして、PCを開けた。前日に気になっていたモニターの解像度を確かめる。メインのノートブックを籠り部屋に持ってきて比較した。大分違った。部屋の日差しの関係で眼がしょぼしょぼしていたのかなと思っていたが、やはりグラフィックカードの相違だ。A4ノートブックにはgma 4500mhdと称する一体性型のものを使っている。ドライヴァーなどを探したがあまり可能性はなさそうだ。小さなモニターが付いている機種であるからそもそもそれほどは期待できない。

そして昨年同様にメインの方を繋ぐと様々な利点が分かってきた。その中でもA4の方をそれまでのようにDACに有線で接続して再生すると、アクティヴの小さなスピーカーから音楽的な響きがしてきた。これは違うと再認識した。こうなると戻れない。何よりも冬期の眼の健康が大切だ。こうなると決断は早い。

しかし、HDDの音が煩くて、音楽を流していれば気が付かないが、静寂が支配する夜間の部屋ではヒーターのお湯の流れる音とともに気になる。ヒーターの方は機械的な音でないので幾らかはましだが、HDDの機械音は煩わしい。こうなればSSDに取り換えるしかない。

さっそく発注した。先月購入したScanDiskの方はアマゾンで会員向きとなったが、WD社のものはSATA 6 Gbit/sとより速く、価格も1ユーロほど安い。迷いはない。購買者の批評を読むと、気に入らなかった人はどうも初期化からインストールの方で苦労しているようで、それはどの製品でもあまり変わらないだろう。

早速、WIN8.0からのインストール手順を考えている。サポートが効いているうちが華である。8.0から8.1へのアップデートは問題ないと思うが、早めに試してみよう。必要なソフトウェアーも厳選してリストアップして、無駄のないようにクリーンインストールしたい。それも2023年までというから、その240GのSSDはそれで使ってしまえばよい。期待するのは、HDDのクリーン化とシステム専属化で、また高速SSDの使用で動きが速まることもある。現時点では使い難さは全くないのだが、強いて言えば、メディア録音の場合の音飛びの可能性を下げることと、コピー録画ソフトがもう少し快活に動いてくれるのではないかなということだ。生中継録画予定は12月2日の「オテロ」もあるので、独立NASの完備も合わせて早いに越したことはない。

今晩はリガからの10月のゲヴァントハウス管弦楽団中継録音の放送がある。これもトラムペット奏者だったアドリス・ネルソンズがホーカン・ハルテムベルガーのソロにつけてB.A.ツィンマーマンの協奏曲を振っているので楽しみだ。リガとは夏期同様一時間の時差があるようだ。

放送とは関係ないが、フォーアアールベルクでのペトレンコ指揮のマーラープログラムを聴いている。それがとてもいいことに気が付きだした。最初の「若人の歌」のシュムツェンヘアトの声に違和感があったのだが、慣れたのかとてもそのナルシスティックな声がとても作曲家の感性をよく出している。すると付けている管弦楽の応対がとても精妙で、この元放送管弦楽団からは期待していなかった豊かな音楽があった。後半の五番はミュンヘンの座付管弦楽団の演奏として東京公演も行っていてお馴染みだが、ここでの演奏が思っていたよりもペトレンコ指揮のマーラーがダイレクトに出ていることが分かった。これは来年の八番が楽しみになってきた。エキストラを入れた楽団の音も冴えていて、全然悪くないのだ。あの響きと絡み具合は座付では出ていない筈だ。もう一度確かめてみよう。



参照:
SSD初インストール準備 2018-10-18 | テクニック


by pfaelzerwein | 2018-11-02 00:01 | 雑感 | Trackback

来夏の宿を予約する

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メルケル首相が引退を宣言した。2021年とはキリル・ペトレンコ音楽監督、ミュンヘン歌劇場支配人のバッハラーが辞めるときでもある。代議士にならないだけで、政界引退とはいっていないようだから、大統領でも目指しているのだろうか。先ずは党務からそして国政からである。既にこの日が来るのは夏休み明けから分かっていて、ベルリンでの政権内での基盤が崩れていた。思うような人選も儘ならなかったので当然だろう。興味深いのは11月に入る前に宣言したことで、ヘッセン州の選挙結果、バイエルン州での組閣などが影響しているのは我々でも想像がつく。

印象からすると、死に体のところで2021年まで政治権力を繋ぐ最も可能性のある手段と判断したのではなかろうか。要するに後継者がいないのだ。不透明さは残りながら、既にシグナルを出しているFDPとの間である程度の感触は掴めていて、もう一つのパートナーである緑の党の躍進ぶりからすれば、それら三党のイメージカラーの国旗に因んだ通称「ジャマイカ」連立政権への大きな期待も高まる。つまり一二年の政権運営ならは再び政治権力の集中可能となるのだろうか。

2019年夏のルツェルンの券を発注した。宿も押さえた。何とかなるだろう。二回のベルリナーフィルハーモニカー公演の席のカテゴリーを上げた。最もいい席を配券された筈だが、安くても同じでは無かったからだ。来年度の配分も分からず、価格さえも分からないが、兎に角発注だ。

来年のテーマは、「権力」らしいが、先ずはトーマス・ケスラーがレジデントコンムポーザーらしい。個人的に彼の愛の伝令をしたような覚えがあるが、その権力とは奥様だという話しは聞いていた。権力からの逃走か、それとも逃走があるから家庭内権力が強くなったのかは知らない。

個人的にはロンドンシムフォニカーで新曲をバーバラ・ハーニンガンとメシアンのプログラムをラトルが振るのが楽しみだ。私のアンケートの回答の方向なので既に決まっていたにしても喜ばしい。少々無理をしても行く心算だ。その他では、アンドリス・ネルソンズ指揮のゲヴァントハウスがここに初登場で、二回のコンサートをすることから恒例となるのだろう。但しプログラムがブルックナーの八番と二十世紀のモダーンなので、新曲が無いのが寂しい。ブルックナーの前に持ってくるものは予定されていなかったのだろうか?ゲヴァントハウスとベルリナーフィルハーモニカーを立て続きに聞くのは今年の旧、新音楽監督の同一曲の比較以上に対比されるだろう。

そしてなによりも喜ばしいのは第九交響曲の前に、ブカレストではエネスコ曲だったが、ここではベルクの「ルル組曲」が演奏される。ベルリンの放送合唱団との第九も期待したいがこれは結構お得だ。新しい音楽と管弦楽以外では、イゴール・レヴィットのベートーヴェンソナタ全曲プロジェクトが始まるようだ。

宿は、二件押さえておいた。一件は湖対岸で30㎞ほど湖岸を一時間ほど走るか、大回りして50㎞ほど走るかで、宿は評判の割に割安なのだが負担が大きい。もう一件は秋に立ち寄った仕事仲間が住んでいる湖の近くで、こちらはチェックインも無人で駅前会場へ通うのも20㎞を半分の25分ほどで全く問題が無く価格もとても低い。今年泊まった部屋が価格の割には狭過ぎて定宿にするには合わなかった。ゆっくりと調べて決断する。

フィラデルフィアからの放送は夏季の野外コンサートの録音で、YouTubeで見ていたのと変わらなかった。それ以上に虫の鳴き声のようなものが喧しくて、本格的に楽しめるものではなかった。会場の無反響な音響の中でも流石にこの管弦楽団はネゼセガン指揮の下で立派な演奏をしていた。初夏のベルリンのヴァルトビューネのコンサートとは違ってとても質が高い。この辺りにベルリンとフィラデルフィアの両楽団の音楽的な格差が感じられた。

流石に「悲愴」の総奏もバランスも良くは無かったが、そのピッチの取り方などでやはり特色が凄く出ていた。ベルリンが同じように鳴らなければいけない訳では全くないが、やはりそこに質を追い求めてのこれぞという響きを追及して貰いたい。来年の「ルル」での強奏なども期待されるところだ。余談だが、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲の譜面をDL出来て、なるほど著作権が外れたから元年になったのかと理解した。キリル・ペトレンコ指揮によってこれから一年一年とその決定的な演奏であの辺りの作品を楽しめることになりそうだ。



参照:


by pfaelzerwein | 2018-10-30 00:30 | 雑感 | Trackback

課題を徹底的にやる?

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月末なので来月の支払いでティケットを一枚買った。一月の演奏会で都合がつくかどうかは分からない。出来ればスキーと組み合わせたい。初めてのパーヴォ・ヤルヴィ指揮の会である。プログラムがなかなか良くて、流石に世界中で常任指揮者を務める音楽家のプロデューサー手腕である。きっと移動の飛行機の中では指揮する楽譜の傍ら出版屋さんからのニュースレターを読んでいるのだと思う。但し室内管弦楽団での成功に対して、故郷エストニアでの管弦楽団の放送を聞いて、勿論その超一流楽団をビルディングするシャイ―とは異なるが、通常の意味でのオーケストラトレーナーではないと分かった。寧ろ病身の冠十字勲章指揮者ヤンソンスの方が通常の意味での剛腕トレーナーだろう。

ミュンヘンの次期音楽監督の評判もあった指揮者パパーノがインタヴューに答えて、その経緯を語っている。「ミュンヘンの劇場の座付き楽団もそのペトレンコの指揮もファンであってとても素晴らしい」と思っていたが、コヴェントガーデンでの後継者が下りたことから居残ることにしたとある。一体誰が候補だったのかは知らないが、これは初耳だ。そもそも交響楽団のポストに就きたいとあったが、一流からのオファーが無かったのだろうか?その情報の齟齬などを知るとそのよう勘ぐりたくなる。あまり単刀直入にものを言う人でなく腹芸をする性格の人なのだろう。

就寝前に今度はラズベリーパイを弄った。温度計記録のために一部を書き換えてから、自動的にネットインしなくなっていたので、それを一度直してから、ミニノートブックの書き換えなどの参考にするつもりで、また同じようにイヤフォーンとの接続を試してみた。やはり駄目だった。新型ブルーテュースしか使えないようだ。結局Mint19でプログラムを書き換えようとすると小さなプログラムをスクリプトとして書き加えないといけないようだ。ラズベリーとは制御しているハードの複雑さも違うので当然なのかもしれない。そもそもラズベリーパイのWlan0がワイン蔵の中で自動的に読み込まれないないようにしたのでこういう風になったのだが、それを書き換えるのに大変苦労をする。etc-network-interfacesと開けて行って、僅か二行の書き換えが中々出来ないので腹立たしかった。

理由はvimと称するプログラムエディターのコマンドがあまりにも非直観的で、ちょっとした修正も儘ならない。プログラマーに尋ねるとやはりコツがいるようでそのシステムの大枠を理論的に理解して操作しないといけないという事になった。なんでもないことでもやはりプロフェッショナルは違うようだ。もう一つのnanoの方が直感的にキーボードを動かせるのだが、LINUXをもう少し動かそうと思えばやはり習得しておかないといけないらしい。

新しいシステムでオーダシティの音源も聞いている。蘇るほどによくなったのはそれ以前に使っていたシステムで録音したWAVファイルの数々で、WINで人気のフーバー2000を使って再生しているのと大分異なり音質が格段に良くなった。つまりミュンヘンでのアカデミーコンツェルトでの放送の数々で、録音ソフトの関係かステレオ感も弱くそれどころか右に偏るような音像だったのが広がって深くなり尚且つ定位感と音色が出てきた。本当にあの大劇場に座っているような音になって来た。それで先ず2016年の欧州ツアープログラムの録音を聴いた。映像も「ロンターノ」以外は所持しているのだが、二曲目の「四つの最後の歌」も合わせて本当に素晴らしい。当時もとても評価が高かったが、ディアナ・ダマローの歌は改めて聞くと、シュヴァルツコップのそれとは大分違っていて、やはり言葉の細やかさと明確さで抜きに出ていて、センチメンタリズムを排したペトレンコ指揮の座付き楽団ととても相性が良い。その音楽的な美しさや正確さはセル指揮の録音とは比較にならないほどの美の極致だ。そして最後のチャイコフスキー五番の交響曲も素晴らしい。当時はボンでの実演との差を知っていたので充分に楽しめなかったが、全体のプログラムとしてとてもいい出来だった。

その交響曲は来年再び少なくとも三回はペトレンコ指揮べルリナーフィルハーモニカーで聞くことになるが、一体なぜまたこの交響曲なのかとどうしても考える。「悲愴」ともまた今年のプログラムと比較してもあまり管弦楽団への課題が少な過ぎるからだ。しかしこの座付き管弦楽団の演奏を聴くと何かヒントが聞こえてきた。やはり2020年はバーデンバーデンで「オネーギン」ぐらいをやるのだろうかとも思った。フルトヴェングラーからカラヤンを通してのドイツ発音のチャイコフスキーを徹底的に矯正していくのではなかろうか。因みに来年の売れていない方の会はこのところのシェーンベルク協奏曲のミュンヘンでの評判で徐々に売れてきた。最終的には完売に近くなると思う。



参照:
弁証法的な辛い生活 2016-12-10 | テクニック
解決そしてまた次の課題 2016-12-10 | テクニック


by pfaelzerwein | 2018-10-28 04:03 | 雑感 | Trackback

新たに分ったことなど

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就寝前に来年のべルリナーフィルハーモニカーのオープニングツアー情報が入った。オープニングでは第九交響曲となって、もう一つのマーラーの八番ではなかった。それは驚かないが、そうなるとジルフェスタ―コンツェルトのプログラムが気になる。こちらが第九でベートーヴェンイヤーになると思っていたからだ。マーラーの八番は三日間だけフォアアールベルクで地元の交響楽団と演奏されて、それでしばらく時間をおくとしても、その次に考えられるのは2020年のバーデンバーデンではなかろうか?なによりも第九がブカレストのエネスコ音楽祭の初日を飾り、ベルリンからザルツブルク、ルツェルンで演奏される事になる。プロムスが毎年なのか隔年なのかも興味あるところだ。その第九を日本初公演に持っていくことはあるのだろうか?

もう一つのシェーンベルク、チヤイコフスキー五番をツアーに持っていくのは、ある意味予想されたが、バーデンバーデンも2019年は過渡期のプログラムなのでそれに重なるだけかもしれない。今後もザルツブルク、ルツェルンのプログラムと重なるならば是非教育的プログラムの方にして欲しい。これで同じプログラムをバーデンバーデン、ルツェルンで二度聞けることになる。将来的にはもう一つのプログラムがバーデンバーデンで演奏される筈なので、ベルリン以外で少なくとも三種のコンサートプログラムにオペラ一つは楽しめるだろうか。来年のジルフェスタ―はそのプログラム如何でベルリン行きになるのかどうかも早く知りたいところだ。

引き続きLINUXによるPCオーディオ構築である。大きな進展があった。ハイレゾリュ―ション再生である。この点もウィンド―ズではソフトお任せになって、中々ハードの壁を越えられないところになっている。それどころか中華PC生産者に圧力を掛けて、出来るだけ原音を録音できないようにソニーなどが圧力を掛けていると読んだ。メディアを保護するためである。しかしそうした疑念や不安を一掃してくれるのがLINUXでのPCオーディオである。なにもそれは裏抜けのようなソフト開発がよ容易であるとかそういうことでは無くて本質的な事なのが今回の成果でもよく分かる。

最初に問題になっていたのが、アップサムプリングがWIN8のRealtekのような機能が無いので前提になっておらず、それどころか普通に出力するだけならば48kHzで再生しても44.1kHzへとダウンしてしまう傾向があった。これではリサムプリングの功罪を吟味する以前に流石に話しにならないので、その出力段を選択可能なハイレゾ向きのソフトを探した。そこで先ず挙がってきたのはリンドグレンという人が開発したAudaciousと称するソフトである。これはあまりにもグラフィックが単純で初めはどこで選択可能なのか分からなかったが調べてみると、出力段からプルダウンメニューで多彩な選択が可能と分った。理論的にはPCでの処理を最低にして、そのデジタル信号をDACの方へと直接送り込んでやることだが、調べて見当をつけても最終的には耳で聞いてみるしかない。

ただしこのシステムではSACDをリッピングしたようなファイルが読み込めないので、必要なプラグインを探すと同時に他のソフトも調べた。検索しているうちになかなか纏まったサイトが出てきたので、そこで紹介されている無料のDeadBeefと称するロシアシナ?制作のソフトに行きついた。これで.dsfや.dffなどの再生が可能となる。実際にはISOなどの方が多く転がっているのだが ― 実際どこかで拾って来たものがあり調べてみると今回購入したCDボックスの録音だった -、数少ないハイレゾソースを試してみるにはその可能性も欲しかった。そしてその出力段の設定を開けてみて驚いた。優に30種類ぐらいの可能性がある。アナログ出力でスピーカーに送ったり、ミクサーを通したりから、USBで接続してあるDENONのDACの内部にまで行き渡っている。サラウンド自体はDAC側は受けるだけで、結局2チャンネルステレオでしか出力しないが、当然アルゴリズム上はそのデジタル信号をどのように処理するかの選択となる。当該DACの場合はPCMのDSD変換の判断がそこに加わる。最終的には聞いて判断することにもなるが、とても面白い。傾向としては合理的な処理を選択していくと原音再生に近づくという事で、フィルハーモニーからの録音なども臨場感がとんでもなく上がって来た。これはアップサムプリングによる清々しさ効果とは全く別のもので完全にハイエンドオーディオ領域の話題である。

ピュア―トンの楽の音に聞き入ってしまうのだが、機械制御などを専門としている人には当然のことながら、そうしたUnixなどの制御などを横目で見ていた者とすればこうしてあらゆるハードをUSBケーブルを繋ぐだけでLinux機から思いのままに制御できる愉快さは格別だ。なるほどアップルやウインドーズの利点は総合的な日常コムピューターとしての使い良さであるけれども、Linuxのなによりもの利点は制御すべきハードを最大限有効に利用するために ― メーカーが考えたお仕着せでない使い方が可能となる ― 特化することで、他の追従を許さないことを確認した。



参照:
電池駆動のシャープさ 2018-10-24 | テクニック
味わい深い楽の音 2018-10-23 | テクニック


by pfaelzerwein | 2018-10-24 23:30 | 雑感 | Trackback