人気ブログランキング |

カテゴリ:雑感( 374 )

不可能な二次元マッピング

d0127795_2195239.jpg
新聞を開くと小さな記事が目に入った。カナダのバンフで雪崩の中から死体が見つかったというものだ。自然に読み始める。なぜならばマッキンレーで消息の分からなくなった仲間がいたからだ。今回は植村直己と同じように、その死を予測していた人の死体だった。先週中ごろに消息不明になっていたようだが知らなかった。オーストリア人の母親とシェルパの間に生まれた子供として室内クライミング大会で頭角を現して、極限の登攀をしていたデーフィット・ラマという青年である。この人について名前は聞いていても詳しく知るようになったのは歯医者の勧めで映画を見に行ったからである。

その映画の感想は2014年に書いている。そして今読み直して思い出した。予想通りその映像から数年間しか生きていなかった。技術的以上に明らかに嘗てのアルピニストから言わせると無謀なクライミングをしていただけでなく、なにか感覚が他の極限のクライマーとも大分異なっていたからだ。高峰の頂上付近で数十メートルの滑落を平気で起こすようなクライマーは信用できない。怪我が無くてもその経済性も計算していないような人間はおかしい。それが全てだった。

経済性に言及するのも、実は最初に述べた消息不明の仲間が偶然私に遺して行ってくれた遺言だったからだ。なぜか偶々同じ方向への帰宅への車中で短いながらも核心に満ちたことを授けてくれた。それから消息不明になるまで何か月ぐらいたったのかも記憶にはないが、箇条書きにすれば数点しかないことなのだが、どのような書籍を読んでも誰の口からもそれ以上に重要な山における心掛けは未だに聞いていない。

最高の名言は、「どこで距離を置くかが最大の生き延びるチャンスだ」ということで、従来のアルピニズムも続けていれば間違いなく死ぬということを語っていた。実際に頂点のクライマーだったウェリ・シュテックでさえ先ごろ亡くなっている。長谷川恒夫も生きていない。生きている人アレクサンダー・フーバーのような人はいいところで距離を置いている。どのような程度であっても極限まで目指すと同じ事になるのである。またその背景にはプロとしての商業主義があって、どうしても次なる冒険へと追いやられる事情がある。アマチュア―においても純粋な欲求が高ければそれほど変わらない。

最近は氷河が小さくなっていることから古い死体が見つかることが多くなっている。見つかる度にすわと思うのは勿論消息不明の近親の者だろう。山岳映画などにはそうした風景が頻繁に描かれていて、殆ど陳腐化したエピソードの一コマともなっている。

それでも結構印象的なシーンで、ガイドの山村で、皆ががやがやと見つかった死体を運び下ろしてくる。そこに駆け寄る婆さんと、また違ったと戻る姿などが描かれていたと思う。アーノルト・ファンクの無声映画か、ショーン・コネリー主演の「ファイヴデーズ ワンサマー」かどうか観てみないと思い出せない。親族はもとよりも我々もそのような習性に付き纏われることになる。

同じような心理状態は、オーデンのリブレットに曲を付けたヘンツェの「若い恋人たちのエレジー」などだけでなく、キリル・ペトレンコが世界初演した「サウスポール」においても同時進行ながら一種独特の心理が描かれている。共通しているのは、恐らく死体の搬送とか埋葬とかではなくて、氷河でも南極でも二次元的なアドレスが明白にならないということなのかもしれない。同じような場合は海にもある筈なのだが、こちらは水自体の流動速度と域が大きいので、特定の地域への捜索意識が固定されない。今回の場合も、カナダであってもバンフと知ってまた異なることを印象した。様子するに5W1Hのアドレス付けに係っているようである。

聖土曜日に購入したパイ類を復活祭日曜日バーデンバーデンから帰宅後に平らげた。来年からもこの期間は同じような生活になりそうである。途中にフランスものを購入できてとても良かった。バーデンバーデンにベルリンから車でやってきているフィルハーモニカーも皆ラインを超えてフランスに買い物に出かけるのであろう。ザルツブルクにはない楽しみだろう。



参照:
あり得ないような燃焼の時 2017-05-01 | 文化一般
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感
廃炉、最終処分の費用分担 2016-05-05 | アウトドーア・環境
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
by pfaelzerwein | 2019-04-24 02:21 | 雑感 | Trackback

睡眠が浅かった朝

d0127795_3591373.jpg
森の駐車場にも花が咲いた。緑も息吹いてきてもう直ぐ葉桜のようになるだろう。週末三日続けて走った。木曜日が降雨で、金曜日に延ばした。そして土曜日にパン屋に行くと日曜日も開くようになったと教えられた。夏季である。すると日曜日も軽く走ることになった。距離もスピードも何でもないが、三日続けて走るとなると体が締まってくる感じだ。

実は夜中に録音していて睡眠が浅かった。というかあまり眠れなかった。完全に寝不足だったので余計に無理して体を動かした。兎に角、パン屋に行き目を覚ました。花冷えでパンツは脱げてもフリースを着たままに走った。汗を掻いたが短い距離なのでそれでよかった。

夜中に録音していた二曲を流した。クリーヴランドの管弦楽団がジュピター交響曲とアルペン交響曲を並べて演奏するというものだ。ここ暫くのメスト指揮の演奏がどうも冴えないが、モーツァルトも弦楽合奏が物足りないないだけでなく、何か指揮がおかしい。モーツァルトを苦手にしているのかどうかは分からないが、とても難しそうである。アルペン交響曲になると更にこの楽団のユニークな特徴が徒となっていて、そもそもこの会場でこのような曲を演奏するのが無理なのだろうと感じた。

やはり限られた時間でプログラムを作っていくのがいかに難しいかであると思う。何度も繰り返せば到達できる域から大分遠い。その意味からするとベルリンのフィルハーモニカーの方が初日から結構纏めてきていると思う。やはり弦楽陣に関してはフィラデルフィアの方が上だなと改めて思う。勿論木管の合奏は到底及ばない。兎に角会場の音響が飽和してしまうから大変だ。テムポも明確でなく、メスト指揮のシュトラウス楽劇解釈が危惧される。



参照:
ずぶ濡れの野良犬の様 2018-09-03 | 音
「私のこと考えてくれて」 2019-02-25 | 女
by pfaelzerwein | 2019-04-08 04:00 | 雑感 | Trackback

雨脚が強く朝寝

d0127795_6241489.jpg
就寝中にニューヨークからの放送を録音した。いつものように生放送の時は後ろを10分ほど余分に取ってのタイマー録音である。放送局の中継ではなくてメトロポリタン歌劇場のものなので宣伝は無いか開演五分前にインする。つまり19時55分始まりだ。こちらでは翌日木曜日の1時55分となる。休憩を入れて三時間が予定されていた。

階下で音を出力するためのDACとPCだけが稼働している。だから音も出ない、PCの機械音も屋根裏の寝室には聞こえない。それでもなぜか終わった頃に目が覚めた。早めに床に就いたので、5時過ぎ間で充分に寝たのだが、目が覚めた時に小用に立ってざっとPCを覗いて完了していることを確認。先ずは他の電源を落とすと、いつもの通りのエンドレスのアナウンスが流れている。ベットに戻ってリモコンで終了した。今度は雨脚が比較的強く降っていて、走るところで無かった。結局朝寝をしてしまった。

演目は「ティトスの寛容」でお目当ては二人の歌手だ。一人はネゼセガンで先日もフィラデルフィアで歌っていたディドナート、もう一人は来年フロレスタンをバーデンバーデンのフィデリオで歌うポレンザーニである。そもそもそれほど歌手に関しては興味が無いのだが、これでもかというキャスティングの上演を毎週のように繰り返していて、こうして無料で生放送されると、もうお手上げである。そもそも演出に関しては保守的でそれほど映像が要らない劇場であるから、一体これに有料でヴィーンあたりの程度で何が対抗できるというのだろう。

完璧に録音されていた。勿論平素のライヴであるから永久保存版とはならないが少なくともお目当ての歌手の歌唱やその程度を知るには充分すぎる。無名の指揮者も決して悪くない。本当に音楽的にはオペラの殿堂の名に恥じない。ネゼセガンの力で更に程度が上がるだろう。参考に一昨年のザルツブルクの録画やペトレンコ最初の制作録画などがあるが、音楽的には適わない。

棚の奥から何か生えていた。恐る恐る引き出すとジャガイモの苗だった。目が出るというのはお馴染であるが、まさか一個奥に入り込んでいてここまで育っているとは思わなかった。ここまで育つと惜しいことをしたと思わない。そもそもいつ頃買ったジャガイモなのかも全く分からない。



参照:
僕と鉢植えバシルの木 2010-07-27 | 女
クルムベーアという菓子 2019-03-07 | 料理
by pfaelzerwein | 2019-04-05 06:26 | 雑感 | Trackback

最初のうさぎちゃん

d0127795_5372018.jpg
バーデンバーデンで水曜日会見が開かれてた。メータがウイルソンとそこで会って打ち合わせするのは分かるが、急遽代入ったヤーゴ役のストヤノフまで顔を出しているので驚いた。ピアノ合わせはベルリンへ行ってからと理解しているが、役作りなどにバーデンバーデンへと先に出向いたのだろうか?指揮者は演出が分からないとはじめ難いだろが、舞台の様子まで分かれば尚良い。バーデンバーデンでメータがオペラ舞台を指揮するのは初めてだと思うが、長年の経験から何か出てくるだろうか。

兎に角、偶然が重なっての幸運だった。そもそもムーティが固辞しなければガティとはならず、病気前のメータが引き受けることはなかったのだ。そしてミュンヘンの前々任者の監督としてペトレンコ体制の復活祭へとも引き継がれることが間違いなくあるだろう。今回は三指揮者が勢揃いするとして記念碑的な復活祭となる。

新聞に先日のエディタ・グルべローヴァの引退興行について紹介されている。最後に演じたエリザベス女王役を始めたのが2004年1月23日からでそれまでのつまり夜の女王やツェリビネッタとして馴染んでいた聴衆を失望させることは無い成功をしたという。そして2006年に「ノルマ」となるが、既に世界は変わっていて、国立劇場ではなくスター劇場で演じられることになり、そしてそれまで重ねて録音をしてきたメディアも金が尽きた。要するに彼女自身が自己宣伝をして劇場に掛けあうことで公演にありつけたとなる。この経過はバッハラー時代になってから彼女自身が抗議をしていたことで周知の事実である。そして今回の引退興行へと辿り着いた。客観的にはそのような経過を辿る。

この年表からも分かるように私自身にとっては、ツェルビネッタのグルべローヴァであって、新聞が書くように1976年に大部屋歌手としてデビューして、スター歌手として契約に辿り着く1978年の大成功まで待たなければいけなかったようだ。カール・ベーム博士の「もしシュトラウスがこれを聞いたなら、コロラテューラの十分間の綱渡りの強力な王女様と言っただろう」とするように、歴史的な歌唱であった。彼女のそれを知っている者はエアーチェクで幾つかの録音を所持しているかもしれない。当時の既に大権威であったベーム博士顔負けの喝采と賛辞を受けた歌唱だった。あの歌唱を聴いたことがある者は恐らく今後ともあの役に関してはもはやなにも期待しなくなって当然である。

さて2020年のベルリナーフィルハーモニカーのツアー公演等の情報が刻々と入ってくる。先ず2月の国内お披露目ツアーでは、18、19、20日と連日ハノーヴァーからケルン、フランクフルトへと南下する。その次あり得るとするとシュトッツガルトからミュンヘンだろうか。スターターがブラームスの悲劇的序曲とストラヴィンスキーの三章の交響曲の二種類がある。

またアムステルダムのマーラーフェストに合わせた六番は4月6日にバーデンバーデン、5月10日ヴィーン、13日アムステルダムとなっていて、その前にベルリン以外ではどこで演奏されるか?こちらは明らかに欧州ツアーとなっている。つまりもう一つの四番のプログラムが5月6日ブタペスト、9日ヴィーン、11日アムステルダム、14日ブリュッセル。その間にプラハやワルシャワなどが入り、更に西欧のどこが加わるか?

週末は再び夏時間である。パン屋で今年最初のうさぎちゃんを獲ってきた。明日も峠を駆けるときに探してみよう。



参照:
愛と食と生と職の説法 2007-04-10 | 暦
復活祭の連休の束の間 2015-04-05 | 暦
by pfaelzerwein | 2019-03-30 05:38 | 雑感 | Trackback

電話回線契約破棄の旨

d0127795_22371730.jpg
三月の初めに契約延長しない旨が独テレコムから示された。四週間の猶予期間を切られた。一年前にも同じ様な文章が来たが、今回は期日が切られていたので放ってはおけなかった。テレコムがIPテレフォンに転換する意志で従来のISDNデジタル回線を無くすことは分かっていたが、実際に電話機をも使っていて重宝していることから、一方ではもう一つの回線で高速回線に乗り換えたが一年間放置していたのである。より良い条件を得るためだ。実質的には180ユーロほどを返金してくれそうだが、確約はまだ無い。

先ずは一週間前になったので回線条件を変えるように申し込んだ。直ぐに返事があって、先方の予定通り三月一杯で、もう一つの回線で現在使っている速度になるようだ。つまり、IP電話回線になるが、そこからアダプターを繋ぐと今も重宝して使っているISDN電話機へが接続可能となる。アダプターが60ユーロ近くとなり、ルーターも新しくなる。ハウウェーの製品だろう。喜ばしいのは現在使っているものよりも新しいもので2018年末に出たものなので少なくとも二種類の異なるルーターを併用可能となる。室内の伝送距離が少しでも伸びていれば喜ばしい。階下から籠り部屋への伝送が良くなるからである。

ルーターはやはり120ユーロ見当なので、両方を合わせると、テレコムが返金してくれそうな180ユーロほどになる。得はしないが、まあまあ埋め合わせは可能だろう。これで従来の電話番号を三つそのまま使えることになる。一年前の状況とそれほど変わらないが、IP番号二種類と二種類のルーターをある程度の高速で使えるとなると使い勝手がよくなる。ルーターとアダプターを少しでも安く買えるか。

夏のルツェルンフェスティヴァルの券を追加購入した。サイモン・ラトル指揮ロンドンシムフォニーを初めて聞くことになる。近所でも公演しているが態々出かけるだけのプログラムも殆どなく、入場流も安くないので、これ以上にない機会だ。バーバラ・ハニンガムがアブラハムセンの曲を歌って、後半にメシアンの「彼方の閃光…」という大曲が演奏される。ジーメンス財団が後押ししているのでミュンヘンでもムジカヴィーヴァで5月2日に演奏するようだが、アダムスの「ハルモニーレーレ」などのアングロサクソンプログラムで、ガスタイクの会場なのでお話しにならない。それ以上に昨年のアンケートで奨励したこともありどうしても行かなければいけなかった。当然のことながら上のプログラムにおいてはこのシューボックス型のホールが最高とは言えず、寧ろエルブフィルハーモニーの方がよいのかもしれないが、中ホール使用ということでとても倍音が広がるのではなかろうか?

最高額券も120フランで、それを狙っていたが、私の狙っていた席は残念ながら80フランしかしなかった。更にそこから昨年購入した時に貰った金券60フランを使うと20フランしか払わないことになる。本当は上手側を狙っていたが流石に常連さんに取られていたようで、反対側に移った。声は少し聞き取りにくくなるかもしれないが、仕方がない。とても楽しみなコンサートである。

昨年は発売日の様子を見るだけだったので久しぶりにここの発券システムで一般発売初日を試した。年に一度二度の混雑でサーヴァーに負担が掛かって、準備はしていたが、ウェイティングナムバー500番台を貰い、20分以上待って、操作を間違って再び後ろに回り700番台、更に20分ほど掛かって購入した。想定していたようにあまり狙われる出し物ではなかったので、その間の変化は最小限だった。昨年もベルリナーフィルハーモニカ―などもここで好きな席を選んでと思ったが、やはり第九の方は全く選べなかったようだ。ここでもお任せにすれば直ぐに買えたようだがそれでは意味が無い、先ずは試してみたかった。

待ち番号からすればミュンヘンの劇場のそれほどではなく、コンサートの数も多いので、比較的買いやすいが、やはり30分ぐらいは時間が掛かる。なによりも席を選ぶということでは殆ど運に任せれるようなところがあってやはり意味が無い。今回はそこまで想定していた。兎に角、新会場になってから前の方に座るの初めてで出入り口すら知らない。先ずはそこの音響を確かめてみたい。平土間もスロープになっているので悪くは無いのだろうが、楽譜も手元にない大編成曲となると少し上から眺めないととてもではないが耳では情報を追えない。また前半に歌があるのであまり高くなると聞き取れなくなる。少しづつ会場に慣れてくるとバーデンバーデンと同じようにいい席が分かるようになるだろう。



参照:
独に拘るシューボックス 2019-01-17 | 文化一般
許容範囲だろうか 2018-12-13 | 文化一般
来夏の宿を予約する 2018-10-30 | 雑感
サイモン・ラトルの貢献 2018-09-27 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2019-03-25 22:38 | 雑感 | Trackback

NYからジーンズ到着

d0127795_22241737.jpg
またしても復活祭のティケットを購入してしまった。最早こうなるとバーデンバーデン復活祭依存症である。11枚を引き取りに行かなければいけない。前夜から気になっていた2020年復活祭の室内楽シリーズのキャスティングはサイトに見つかるかどうか調べると、そもそも催し物自体がプログラムには見つからなかった。隠している訳ではないだろうが、室内楽催し物自体は町の人や逗留者向けの所謂湯治場の催し物として始まったのだろうから、私自身一度も機会が無かった。しかし新支配人の企画ではそれを逸脱している。しかし中ホールで催される基本的にはベルリナーフィルハーモニカーにとっても内々の催し物であるには違いない。嘗てフォン・カラヤンがサンモリッツにフィルハーモニカーを毎夏呼んだように、バーデンバーデンはそのような位置になってきている。

結局自身が購入したのはプログラムサイトでなくて、購入してまた自身のログインをして現れるサイト内であった。そこからプログラムをスクロールしていくと最小限の情報だけで購入することになっている。つまりプリントでプログラムを入手しないと分からないことになっている。pdfのプログラムにも記載されていなかった。これはこれで中々細かなことをしている。

そうこうしているとなんとしまい込んであった今年の「オテロ」の安い席が再び登場した。まるでミュンヘンの劇場がやるように小まめに売っていくやり方で中々巧妙なところを見せている。これも新支配人の指示だろうか。すると我慢できない、メータ指揮の初日を購入した ― なんとそれも私の指定席が出ていて、スタムパ新支配人の部下が私の個人情報から誘き寄せたとしか思えない巧妙さだ。「オテロ」だけで二回行くことになる、ミュンヘンでは叶わないことだ。来週からベルリンに入って稽古をして、また一週間つまり四月第一週末辺りからバーデンバーデンへ移動して舞台プローベとなる。この点に関してはペトレンコ体制では準備を更に強化して欲しい。ムーティーが指揮を断ったのも少なくとも表向きはこの準備体制の不備とされているが、夏のザルツブルクでもそれ以上とは思わない。

兎に角、初日にも出かけることになったが、先ずは初日となると期待したいのはヨンチョヴァの歌である。あとは、恐らく会場に現れるだろうムーティ氏ともしかするとキリル・ペトレンコも一緒に来ているかもしれない。これは何とも言えないが、他日にしても一度は間違いなく会場に現れる筈だ。初日らしい雰囲気は期待される。

木曜日にジーンズが届いた。どうもドイツ国内の引受人が一度中継して配送したらしい。業者がニューヨークのブルックリンなのでどうなるかと思っていたが、Medインディゴとされる色で明るくはないが今までのものよりはるかにいい。但し表示には100%綿となっていたがストレッチ素材が入っていた。価格は65ユーロで割安だったので耐久性よりも夏に暑く感じなければ良しとしよう。そして製造がポーランドでなくてメキシコとなっているので欧州向けの製品ではないことも分かった。履き心地はどちらかというと素材を反映して始めはタイトな感じがするが、緩くなった時にどうなるかなどは試してみないと分からない。クライミング用のストレッチジーンズは愛用しているが、ストレッチの伸び方が大分異なる。

土曜日には最初はベルゲンからのウエルテルのライヴ映像を流していたが楽団と言い録音の録り方と言い先日のカールツルーへの程度と変わらなかった。要するにオペラ劇場の典型で、音が鳴ると雷鳴のように鳴ってなにがなんだかわからない。「オテロ」の冒頭のような場面がマスネーにあったとは思えないのだ。そこで教えて貰ったスュトッツガルトからのコルネリウス・マイスター指揮のヘンツェ作曲「プリンツフォンホムブルク」に切り替えた。こちらは結局録画してしまった。何よりも同じ州立であっても全く楽団の程度が違った。地元マイスター家の旗頭の指揮者であるが、SWRを振ったものや先日のメトでのドンジョヴァンニも耳にしていたが、これは少し良いと思った。丁度フランクフルトで聴いた三島の「夜の曳航」と同じでヘンツェの音楽が快く鳴る。これだけでもよかった。なるほどこの二つの歌劇場はミュンヘンやベルリン、ハムブルクなどと並んで年間ベストに輝くオペラ劇場である。長く足が遠のいているが、あの程度なら音楽的にも許容できるのだ。



参照:
三年振り新調のジーンズ [ 生活 ] / 2006-12-29
締まりの良いストレートな買物 2009-12-22 | 雑感
足を通してみてドキドキ 2013-03-12 | アウトドーア・環境
細身の四年ぶりのジーンズ 2017-04-23 | 生活
ジーンズを返品する訳 2019-01-31 | 生活
by pfaelzerwein | 2019-03-24 22:25 | 雑感 | Trackback

祝祭劇場新プログラム

d0127795_23413080.jpg
ランニングシューズを下ろした。足入れが既に触れたようにストレッチになっていて締め付けられるので厳しかった。しかし、パン屋に行くのにも足元が弾んで、直ぐに小走りになる不思議な靴だ。山道では足が苦しかったが、その分足との一体感は見事だった。下りでも足が痛むので一度石に乗って足をくねりそうになった。なんとか堪えて無事下まで降りた。全く分からなかったが時計を見ると一年ぶりぐらいで20分を割っていたようだ。足元はそこが薄く感じるので覚束無く、下りも石の頭に乗らないように足元に注意する。それでもこの機動性は前回のものと全く異なる。前の靴は比較すれば戦車のようにドンドンと突き進むが、これは駆け足のようにして下りも進む。これでアルプスの厳しい道を行こうとは思わないが、通常の靴に比べればやはり違うのだろう。少なくともグリップは優れている。ストレッチ部分が伸びて形状記憶で足に馴染んだところでどれぐらい楽に走れるか?暫くまだ走るのが楽しみである。

バーデンバーデンから年間プログラムがやっと届いた。これで週末にどれぐらい売れるだろうか?手に取ってみると形も変えられていて、今までのネットショッピングのような形状から教則本のような所謂ソフトカヴァーのような形状に変わっている。重さなどは同じようだが、いくつも読ませる内容があった。既にこれだけで新支配人のコンセプトが出ていて、少なくとも前任時代よりも知的な雰囲気が出ている。

基本的にはホームページと同じだが、初めて目にするものの中に各パートナーの紹介でクレンツィスに始めて、ペトレンコとコレツニック、ラトル、ネルソンズに続いて最後にネゼセガンが紹介してある。そこに明確に書かれているのは、態々ニューヨークに行かないでも彼が常連であって、そして更に登場すると書いて、つまり沢山のプロジェクトが進んでいると明言している。これはネルソンズとの計画が不透明なのに対してとても大きな意味を持つ。今までのように室内管弦楽団とのオペラ以外にも何かをやるということだ。METの引っ越し公演でもあるのだろうか?フィラデルフィアも定期的に呼んで欲しい。とても楽しみだ。殆ど私の呟きをじっくり研究しているような企画ばかりである。何度も目にしていることは間違いないだろうが。

週末前にもう一枚ティケットを購入しておいた。所謂ベルリナーフィルハーモニカーの室内楽シリーズで、生憎パウの吹くトリオは日曜日なので聴けないが、危なっかしい四重奏曲全曲ツィクルスから最終回に出かける。理由は午前中のユーゲント管弦楽団演奏会の後「フィデリオ」最終日まで時間が余るからである。その直後の会の間に昼食を済まして、そのあとに出かけるところで、スタブラーヴァが第一、第二に新任のコンツェルトマイスターのポロネック、ヴィオラがグロース、チェロがシュヴァルケでイ長調132、その次に他の面子でヘ長調135である。まるでミュンヘンのフィデリオの挿入曲を思い出す。弦楽四重奏は管弦楽団の中で活動しているグループで半分ぐらい、残り半分は仲良し四重奏なのだろうが、これは可成り危ない企画でよくも楽団の方が受けたと思う。最初の管楽器の入るトリオとか五重奏などとは全く意味が異なる。

そして今回室内楽欄に名前が挙がっているために、出番が重ならないように「フィデリオ」には樫本とバルグレーが乗って、六番にはスタブラーヴァと分かる ― 推測である。室内楽に名前が出ていないのはデュフォー、マイヤー、フックス、オッテンザムマー、ダミアーノなどである。

つまり5日日曜日にデュフォーと恐らくマイヤーが乗り、翌月曜日の六番にケリー、ドール、ウィルス、火曜日の「フィデリオ」に、恐らく初日にもパウ、マイヤー、ダミーノらが乗ることになる。金曜日「ミサソレムニス」は全く分からない。

暇そうにこんなことを考えているものだと思うが、興行師と馬鹿にされてはいけないと引退する支配人がインタヴューに答えていて、幾つか興味深いことを話している。一つはアンサムブルモデルンの支配人の時に憧れのフランク・ザッパをニューヨークに訪ねて、その死の前にライヴ録音アルバム「イエローシャーク」が叶ったことも、ザッパがヴァーレーズ録音を購入したことからだとして、メーターとの繋がりを語っている。更にエルブフィルハーモニーを体験して、そのトヨダが自慢のコムピュータシミュレーションに足を取られてしまったのをみて、バーデンバーデンは幸運だったとしている。シューボックスとは言及していないが興行師としての嗅覚で我々と同じ結論に結びついているのかもしれない。こういう経験豊富な親仁を馬鹿にしてはいけない。


参照:
軽いトレイルランニング 2019-03-23 | アウトドーア・環境
テキサス親爺の来訪 2019-02-16 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2019-03-23 23:41 | 雑感 | Trackback

縦の線への疑心暗鬼

d0127795_538832.jpg
久しぶりのカールツルーへ州立歌劇場について纏めておこう。街自体は一時頻繁に出かけており、いつも通過するだけでもない、しかし街の中心まで入るのは久しぶりだった。僅か片道65㎞弱でドアツードア―でも45分程度だ。だから燃料費も往復しても10ユーロ少しで、駐車料金も17時から4ユーロと割安である。そして今回はミキサーの横の安い席を購入したので10ユーロだった。コーヒー一杯とプログラムを入れても30ユーロ掛からなかった。その程度の出費と時間ならなばもっと頻繁に行けるのだが、マンハイムの市立劇場よりも高品質の上演がなされていないとするとその価値は殆ど無い。

この劇場で有名な催し物はヘンデルフェストと呼ばれる比較的歴史のある催しだが、ヘンデルに関しては所謂小楽器ブーム以前から大劇場でも取り扱われていたこともあり、こうした保守的な劇場が催してもあまり関心を呼ばない。時々、話題になるので新聞評やプログラムなどを見るが態々出かけるだけのものはなかった。そして今回その座付管弦楽団を聞いて益々足が遠のきそうである。

現在の監督は小沢の弟子とされるダスティン・ブラウンというケムブリッジ出身の指揮者がやっているが、二期以上に亘って長くやっていてあの音楽的な水準しか残していないので注目不必要な音楽家であることも確認できた。地元に住んでいる人ならばあれやこれやというのだろうが、我々となると一瞬で判断を下していかないと限が無い。要するに実際に聞かないでも見切りをつけるだけの予測の自信はある。勿論音楽監督自体が棒を振れば拍が決まっていただろうことは容易に想像可能であるが、管弦楽団の土台として全くなっていなかった。大野の頃の方が少しまだましだったかもしれないと考えてもおかしくはないであろう。そもそもあのポストに何年もいることが多くを語っている。

さてその音楽的な出来の悪さは承知で出かけたのはアニメーションを観たかったからで、クリーヴランドで長く評判の良かったマルティメディアプロジェクトだった。欧州では一昨年ヴィーンの楽友協会で二三回放映されただけで、今回は二回目だと思う。その時の音楽はメスト指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏で、ルクセムブルクではコンツェルタント形式としてアニメーション無しに演奏された。最初のガイダンスでも話しがあったが、170のセクエンスが切られていて、そのインデックスで演奏の経過に合わせて、次のセクエンスへと切り替えられる。実際に冴えない棒とリズムで演奏されるので、若干繋ぎが唐突な感じがするとことも無くは無かったが、大きな事故も無かった。興味深いのは、年長者向きディズニーなどを印象させる縦のフィルムノイズ線を入れてあるとの説明だったが、これは鵜呑みに出来なかった。恐らくその動く線が無いと、カットの繋がりやスクリーン前との同調で目立ちやすい歌手が顔を出す窓の開閉などが目立ち易くなるのだと思う。この説明には疑心暗鬼した。

制作のユーヴァル・シャローンは昨年のバイロイトでローエングリンの演出者であったが、その制作の映像の制約から余り評価されていない。今回見た印象では、予想していたよりも上の疑心暗鬼を含めて、その演出自体は想像していたほどの価値が無かった。勿論ドイツ語に直してもちっとも聞こえてこない歌手やアンサムブルに大きな責任もあるが、どちらかと言えば演奏を邪魔しない程度のアニメーションであって、その映像表現には限界があった。二拍子系三拍子系の川の流れの動かし方や、前後左右上下への視点の動かし方などは悪くは無いのだが、あまりにも印象だけの表現でまともな構成的な意思は皆無だった。劇場の前にあるトロージャンの木馬の造形ではないが、それ以上の効果は無かった。少なくとも一度見れば十分で、今後とも想像力を働かしてあの映像が目の前に浮かんでくるかどうかは疑問だ。クリーヴランドの管弦楽団が最も聴衆の平均年齢が下がったと言っても、これらを見た子供たちが定期会員になっただけではなかったのか。兎に角、個人的には胸がすっきりしてよかった。

ネットで2020年5月ハンガリーでのベルリナーフィルハーモニカーの公演情報が流れてきた。調べてみるとフィッシャーがヴァークナーをやっている会場らしい。5月6日にマーラーの四番とリュッケルトリーダーをクールマンが歌う。更に調べると5月14日にブリュッセルで、その間の11日と13日がアムステルダムのマーラーフェストとなっている。通常はツアー前に本拠地で三日間の公演がある筈だ。この順番で行くと5月始めか?するとブタペストから直接ベルリンに戻ってくるとは思い難い。次に飛ぶところは、プラハかワルシャワだろうか?兎に角東欧ツアーとなっているのかもしれない。個人的に気になるのは、アムステルダム、ブルッセルと来て、もう一か所行かないかどうかである。更に足を進めるようだと、夏のツアーでは四番が外されるかもしれない。その場合は六番が難しい方のプログラムになるのもおかしい。2020/2021年オープニングが難しい曲となるのだろうか。

もう一つ気が付いたことがある。バーデンバーデンの「フィデリオ」はペトレンコの事務所というよりもミュンヘンのキャスティングと相似になっている。つまり、カムペとカウフマンが出ていないだけで、事実上はミュンヘンと話が付いているとなる。そこで興味が湧くのは、カムペ、カウフマンの「トリスタン」も話しが付いているとなれば、2021年はミュンヘンでなくバーデンバーデンでということも大いにあり得る。ミュンヘンのトリスタン演出は比較的新しいのも問題だった。バーデンバーデンでは2016年新演出だったが、これもラトルの快い了承が得られているとなると十分にあり得る。



参照:
新たな簡単な課題を試す 2017-10-21 | アウトドーア・環境
州立歌劇場でアニメ鑑賞 2019-01-29 | 文化一般
雲の上の世界の頂点 2019-03-21 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2019-03-22 05:38 | 雑感 | Trackback

有名メーカー三年保証品

d0127795_23343966.jpg
天候が不順で、更に気温が落ちてきた。二月以来階下に降りてきてから暖房を切った生活をしている。それほど陽射しが強かったからだ。しかしこうして不順になると暖房が欲しくなる。とても判断が難しい。風邪を引くと元も子もないのだが、小まめに点け消しするしかないだろうか。籠り部屋に戻ってしまうと北向きの部屋だけに付けっ放しになってしまう。しかし大きな部屋で暖房を点けると限がない。

先日届いたのはサラダの水切りである。同じものは数年前に購入して、水切りの紐などが切れて、歯車が馬鹿になったので、次にばね式の小さいもの購入、そのメカニックが壊れたので、一昨年チャイナ製のものを購入したがボールが直ぐに割れた。ボンドで誤魔化しながら使ったがどんどんと割れてくるので断念した。そして今回同じものを2ユーロ高く購入した。中の色なども変わっていて、材質も変えた可能性があるが、前回壊れた部分は大丈夫だろうか。信頼あるライフハイト社の製品で三年間保証であるから、紐が切れることもないということだ。15ユーロほどするものなので快適に使いたい。径が大きいため大きなサラダを無理なく遠心分離出来るのがなによりも取り柄である。

もう一つ発注したジーンズはどうもニューヨークのブルックリンから来るようだ。知らなかった。もし税金が掛かるようなら受け取り拒否しないといけない。配送時期が二週間になってしまっているので、ポーランドからかと思えば違った。価格は若干安いからいいものの送り返すとなると面倒である。予告よりも大分早く着いたという人もいて、来週ぐらいの到着なら許容範囲だ。さもなくば腹立たしいことになる可能性も拭えない。色目はもはや気にしないが、サイズと間違いのない商品が届いてもらわないと話しにならない。最近は化繊のストレッチ素材が混じっているものが多いようだが、100%を所望した。しかしそれにしても不親切なアマゾンの販売だ。完全に下降期に入っている企業体であり業種であることは確信する。

今晩19時20分からデンマークの交響楽団の日本公演の中継録音放送があるようだ。日本での演奏会中継は、そこの音響とか聴衆の反応とかとても興味がある。NHKからのものと違うものを聞くことで判断がしやすい。更に日本で特段評判が良いとなると、どれどれという気持ちになる。しかし同様な演奏会の音が少し流れると、そのチャイコフスキーの歌い込みに胸が悪くなって吐きそうになった。そもそもチャイコフスキーなどはあまり得意ではないので、よい演奏だけを選択するように配慮している。

大まかにいうと、キリル・ペトレンコがインタヴューで語っていたようなお涙頂戴のロシア音楽は気分が悪くなる。その次にあまりにも西欧化した洗練の極みだけであると辛くなる。勿論フランス文化の影響を強く受けているチャイコフスキーにおいては洗練はとても大切になるのだが、意外に西欧的な感覚でそれを強調することはそれほどない。理由は、ロシア音楽という意識が強くて、それを通してしか西欧に目を向けられないからだろう。アバド指揮の演奏とか期待していたほどではないのはそうした理由があるようだ。フルトヴェングラー指揮はそうした瀟洒さに欠ける。小澤指揮とかの演奏が意外に良いのもそうした二重構造が発生しないからだろう ― そのボストン響の録音を聞くと今のネルソンズ指揮の楽団よりもまだまだ良いかもしれない。



参照:
面白くて、目が虜 2018-04-13 | 文化一般
サラダの水切りのように 2014-09-07 | 生活
発熱する冬のサラダ菜 2007-01-05 | 料理
by pfaelzerwein | 2019-03-14 23:36 | 雑感 | Trackback

ビジネスモデルの転機

d0127795_3145299.jpg
久しぶりにネットショッピングをした。電動歯ブラシの替えブラシが必要になったからだ。急いで欲しくなった。一時は月末毎に色々と発注していたが、購買意欲が失せたのはいつ頃からだったろうか。どうもアマゾン過剰労働騒動から配達体制が悪くなってからのようである。以前は独ポストとの連携で配送が読めたのだが、そのポスト自体も郵便も小荷物の配達も不確実になり、アマゾンは自己配送と称して地方の業者とタイアップするようになる。するともはや配送が読めなくなる。

自らも、そこまで配送がネットショッピングの購買意欲に関係するとは思っていなかったが、その掛かる時間よりも計算できるということがどうも大きいらしい。だから余計に払ってエクスプレスで送らせようとも思わない。余程の緊急の時だけである。ケチだからである。

ということで久しぶりに幾つかのものを必要に迫られて発注した。到着日が計算できなくても兎に角無いと困るものや、序でに発注しておけばよいものである。

フランクフルターアルゲマイネ紙の折込付録マガジンの表紙に大きくランランが出ていた。新譜発表におけるパリでのインタヴューやフォトセッションを使っての記事である。一連の故障騒ぎからその後のこと少し先のことまでを上手に雑誌の記事として纏めている。

最早ランランのビフォア―・アフターについては全く興味が無くなった。どんなことを書かれても驚かず、また関心もない、しかし昨今の若手ピアニストの怪我を思うと興味深い。ランランの場合は、知らなかったが、ラヴェル作曲「左手のための協奏曲」を練習中に怪我をしたらしい。本人が語っている。風邪を引いていて、焦っていて、事故が起きたらしい。つまり本来ならばピアノ椅子を左へと腰を滑らして腕を上げて拳打するところを、真ん中に座ったままで叩いて炎症を起こしてしまったようだ ― クライミングにおける重心の移動と同じで上体から無理をして入ったのだろう、難しい技術は分からないがスポーツなど皆同じではないか。

ブラームスの一番の協奏曲で右手を故障する人や様々であるが、技術的な問題点がやはり共通してあるのではなかろうか。復活祭に初めて生で聴くことになるピアニストであるが、もう本当はキャンセルして欲しい。ベートーヴェンの協奏曲二番や三番を弾く者は幾らでもいる。あの程度のピアノをスター顔で弾かれては迷惑だ。アンコールでもするならば「エリーゼのため」か?

一時は三億円の移籍料でソニーに移っていたという ― 同じようにソニーで録音をするティーレマンは無料だったろうか ―、そして怪我の直前に再びドイツェグラモフォンに戻っていたということだ。どちらでもよいことだが、次のアルバムはゴルトベルク変奏曲だという。そんな商売が、ランランのスターとしてのステイタス同様、どう見ても続く筈がない。因みにこのセッションのためのヘアーカットは、パリのホテルのアマミ・マエダで、メーキャップはヤスキ・ナカハラという日本人らしい。我々からすると、ショービズというよりもなんとなくなにもかもが安物臭く感じて仕方がない。ランランに憧れるシナ人たちが殺到することだろう。



参照:
マグナカルタの民主主義 2019-01-04 | 歴史・時事
貧相なエンタメを嘆く 2019-01-03 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2019-03-14 03:16 | 雑感 | Trackback