カテゴリ:生活( 588 )

殆どマニアの様な生活

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歯医者に行ってから初めて走った。明け方結構冷えたので窓を開けている分小用に立ったり、決して深い睡眠とは至っていない。だから朝も陽がのぼるまではなかなか醒めない。結局沢沿いを走るころには陽が昇っていた。それでも16.5度とそれほど気温は上がらない。覚醒しないところで頑張って走るしかないのだ。なにも無理をする必要はないのだが、色々な意味で正常化に戻すにはこれが一番早道である。汗を結構掻いて戻って来た。ワイン街道もそれほど気温が上がっていなかった。何とかこれで仕事も手に付くようになるだろう。

デュカ作曲「ラぺリのためのファンファーレ」、なんてことはないブラスのファンファーレなのだが、ベルリナーフィルハモニカ―は私と同じように泣きべそ掻くかもしれない。フィラデルフィアの管弦楽団がオルガンの響きを出すほどには出来ないとしても、リズムを正確に吹くことで音程を求められると可成り手ごわいのではなかろうか。技術以前にどのように合わせて来るのかが問われる。キリル・ペトレンコ指揮のプログラムはどれもこれも大管弦楽団への課題練習曲のような趣で、結局ついていけない奏者も現われるに違いない。

もう一つの「死と変容」も以前からの感じていたそのサウンドの印象よりも演奏実践の可能性がとても高い曲だと分かった。先ずはしっかり鳴るかどうかというような大管弦楽団の問題もあるが、ホルンの低音や管弦楽法上の可能性と同時に楽劇で発揮する表現の可能性も示されていて、ペトレンコ指揮では一筋縄で行かぬことが分かった。特に弱音からテュッティーでは「悲愴」での鳴り以上に厳格な鳴りが要求されそうで、その間はオーボエの一節の表現が、精妙なリズムで演奏されるとなると、中々厄介だろう。少なくともサイモン・ラトル指揮での演奏のように単純には全く行かない。四回目のルツェルンでもどこまでの精度に持ってこれるだろうか?

BBC4の映像を観る方法を探したが上手く行かない。それは諦めておいて有料の二週間お試しのサイトに入った。数の割にはこれといったものは見つからなかったが、急いでコピーしておこうと思ったのは幾つかある。特に存在を知らなかったようなユニテル制作映像が幾つかあった。コピー防止でネットには出ていないからだろう。その中でも先ず注目したのはアルテュール・ル-ビンシュタインのブラームスの一番協奏曲で、これは五月に勉強していたものだ。但し録音ではイスラエルの管弦楽団の下手なのに晩年のよれよれした演奏でしかなかったが、アムステルダムではそれほど年代は変わらないと思うがしっかりしている。そしてその時に比較対象となったアシュケナージのピアノに付けていたハイティンクの出だしの動機の六拍子を諫めたが、ここでは立派に演奏している。ピアニストの関係としか思えないのだが、決してそれがアシュケナージの奏法と揃っていた訳ではない。恐らく二人の相性が悪かったという事になるのだろう。そしてここではブラームスの直接の指示を参考としたルービンシュタインのそれにしっかりと寄り添っている。

想像するにハイティンクも自己顕示欲が強く出ていた時代もあって、様々な意味で若い時の素直な指揮とは異なって無理して大指揮者面をしていた時期があったのではなかろうか。勿論最終的にもムーティなどと比較すると下のランクであることは間違いないのだろうが、壮年期には謙虚には受け入れられなかったのだろうか。いつの間にかまだ聴いたことの無い指揮者ハイティンクのマニアになってしまったようだ。肝心のルービンシュタインの演奏はブラームスとショパンのスケルツォがあるが、流石に衰えはあるが、音楽解釈としてホロヴィッツなどよりも現代でも通じる謙虚さがある。伝統を受け継ぐ者の演奏に熱心に耳を傾ける若きハイティンクとその姿勢こそ見上げたものである。



参照:
創作などは理解不能 2018-05-10 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-17 23:50 | 生活 | Trackback

あまりにも忍びない

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歯医者に行った。清掃は全く問題なく少しだけ痛い思いをしたが三年ぶりとしては天晴だった。但し歯石で炎症を起こしていたという事で、定期的に来いと言われた。磨き方も真っ直ぐではなく歯茎からブラシを斜めにする感じでやれと言われる。人が変わって若返ったのは嬉しい。しかし肝心の炎症の方はレントゲン結果で隣にも広がっていて悪くなっているという評価だった。確かに黒い部分が広がっている。

歯医者からすると、売上の上がるインプラント治療には早めに二本抜いて一年掛けて完了させたいので、急かされる。対案として四つ被せるブリッジで、これならば二ヵ月で治療完了となる。いずれにしても時間が無い現在、計画も経たないので、年始位に考えるという事にする。双方とも、価格は除いても長短有りそうで、やはり治療過剰のようなことはしたくはない。勿論二者選択可能なのは良いことであるので、ある程度早期の判断は必要となりそうだが、結局現時点で痛くも無く好転しているかに見える歯を抜くのは忍びない。そしておいておけばやはり炎症から痛みが出て来るというのならば、そこまで待つのも自然だ。自身注意しておいて、問題個所の歯がぐらつくとか出血とか、または右の鼻に影響が出て来るとかの様子を見るのが良いかと思った。問題を抱えたままなので嫌だが、もう少し時間稼ぎするのも悪くはない。そもそもインプラント治療は全く容易ではなさそうだ。先ずは掛けた歯の尖っているところを研いで貰った。

FAZが保養地パルムに出かけて報告している。そこの祝祭管は一月に既に欧州ツアーを建国百周年記念として行っていて、来年四月には日本旅行も計画されているらしい。そして既に書いたように、ナショナリズムが表に出されているのは間違いないようだが、プログラムなどが当地からの西ノ海沿岸の国々を代表しているようで、隣り合わせのロシアとの繋がりも管弦楽団として存在している。その最たる歴史として、主催者のパーヴォ・ヤルヴィが10歳の時に保養中のショスタコーヴィッチと出会ったというのもここの看板なのだろう。

音楽に関しては、先ず会場が千人規模で小さいことから室内楽的に広げて行っても飽満するほどで、ロンドンで披露したその通りだ。水曜日はエリプフィルハーモニー公演であるが、これも何れ批評が出るだろう。本拠地ではレオンスカヤが力強い演奏をしたようだが、コーダーでのフルートからの終わりにその民族的なものが示されたとしている。まあ、我々からするとライプチッヒに学んだグリーグの音楽として違和感もあるのだが、彼らの感覚からするとああなるのか?正直ノルウェーの感覚からは大分遠いと感じる。

楽団自体は、コンサートマスターとしてパリ管のフィリップ・アイシェ、ブレーメンからマテュー・ハントのクラリネット、フランクフルトからホセ・ルイス・ガルシアのオーボエなど各地のソロ奏者が核になっていると個人の特定こそは出来なかったが全てプロムで聞き取れた通りだ。

ルツェルンからメールが入っていた。指揮者交代のお知らせで、私が残券を購入してから丸4日経過していた。断り書きを考えていたのか、様子見をしていたのかは分らないが、ハイティンク指揮のマーラーの九番の紹介が踏み込んだ文章で驚いた。

ベルナルト・ハイティンクは、約三十年間華麗なコンセルトヘボー管弦楽団のシェフとして君臨して、特にマーラーの交響曲で注目を集めました。そして九十歳になる今、引き寄せられる第九番をもう一度ルツェルンでご披露します:自ら完成した最後の交響曲。若きアルバン・ベルクは、熱狂して敬愛した作曲家の作曲した最も素晴らしい作品と見做していました。別れのへ悲哀の調べは、同時にもう一つのよりよい世界へと開かれているかに響きます。マーラー自身そのスケッチに「ああ、青春の日々、過ぎ去った時、ああ愛、書き込んで、通り過ぎたもの」との叫びを記しています。そして、「さようなら、さようなら」と二回繰り返す。ベルナルト・ハイティンクは、ルツェルンのこの夕べを長年のマーラーの音楽の総決算と致します。昨年ロンドンでこの曲を指揮した際、ガーディアン紙は「この作品に、これほどまでに愛情を持って労わりつつ、あまりにもの人間性に導かれた指揮者に並ぶ者はいまいと」と認証していました。

ここまで踏み込んだ売り文句は初めて見るが、売ろうとして思い付きで書いたというよりも思い入れが凄い。スイスに宇野功芳は知らないが、それに近い。音楽祭と指揮者の関係からするとまんざらこの煽り文句のようなものも必ずしも遠からずということなのだろう ― 当面マーラーは指揮しないのだろうか。勿論熱心に券を求める我々のような者は大なり小なり同じような感慨を抱いているのである。



参照:
組み込まれる経済プラン 2018-08-15 | 文化一般
呪術から抜けられずに 2018-08-12 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-15 22:50 | 生活 | Trackback

冷や汗を掻いて避暑

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スタンドに燃料を入れに行く。予めネットで最寄りの安い価格を調べる。私が最近出掛けるチーパーワンは決まった時間帯に安売りする。その前の他所のスタンドの価格を見ておくと所定の時間帯になった時の推定価格が予想可能である。148から始まったが、他所が144ほどを付けている。上手く行けばその価格以下、少なくともその価格までは先ず間違いない。その時間帯が近づくと期待通り145まで下がった。そこからSHELLの自動車クラブ割引で更に1セント下がる。つまり144で購入となるので、急いでいることでもあり欲張らずに出掛ける。先ずはガス欠で動くかどうかドキドキした。幸い何事も無くスタンドに辿り着いて、給油口の横に停めた。再度価格を確認する。これで手をを打つしかないと思って、給油ノズルを取ろうとすると、更に2セント下がって、143になっていた。これで思い残すことは無い。結局142で20リットル給油した。どれだけ得したことだろうか。前日からこれを楽しみにガス欠の危険を冒して引っ張っていたのだ。メータの不調は変わらず、残り0が出続けていた。もしガス欠となると救援を呼ぶか、暑い中をガソリンが入ったポリタンを持って数キロ行軍であった。冷や汗を掻いたのだった。

ザルツブルク音楽祭のコンサート中継録画を観た。失望させ呉れ続けているアンドリウス・ネルソンス指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの演奏で、マーラーの交響曲二番が演奏された。手元が空いていたので、もしやと思って録画していた。そのまさかで、この管弦楽団がこれほどまともに演奏するのを初めて聴いた。この楽団の演奏はオペラ、演奏会双方とも覚えきれないほど聴いている。カラヤン指揮とバーンスタイン指揮は生で体験していないが、ベーム博士指揮の時以上にまともに演奏するのを観聴きしたためしがない。それがこのマティネーの演奏会だった。

同じ場所で同じように「復活交響曲」体験したのはマゼール指揮のゲネプロであった。違いは明らかでその指揮の精度でしかない。マゼールも指揮台を降りて拍の振り方を研究していたが、その程度の精度では全くないようだ。なるほどミュンヘンの座付き楽団が感激して乞うて迎えたがった筈だ。キリル・ペトレンコの原則主義とは大分違って、この指揮者はありの侭を上手く受け入れて、客演でもとんでもない成果を披露する。楽譜の読みも、腰を曲げて頁を捲りながら凝視するかのように結構見ているとは思うのだが、ペトレンコの様には拘らない。これは利点でもあり欠点でもあるのだろうが、少なくともこの楽団を指揮することに関しては今までこれほどの成果を出す人を知らない。ベーム博士のように叱る必要も権威も必要ないのだ。技術と信頼関係だけだろうか。

しかしそれが音楽的な表現として効果があったかどうかは、会場の冷静な反応で測るしかないが、フィルハーモニカーは手応えがあったと思う。サロネン指揮も悪くは無かったようで、放送があればぜひ聞いてみたくなったが、その技術程度からしても音楽性からしてもそれほど期待しない。どんなに指揮者が良くとも11月定期のペトレンコ指揮にも全く期待できないようなドサ周り管弦楽団だけに驚いた。ヴィデオは永久保存ものだ。時間を見て細かな問題点を洗いたい。

取り分け見事だったのは、ヴァルツャーにおけるフィルハーモニカーの香り立つ響きで、これに類するのはメータ―指揮のDecca制作録音しか知らない。ここだけでも指揮者冥利に尽きるだろう。ゲヴァントハウスを振ろうが、ボストンだろうが、ベルリンだろうが、これは得られない。もう一つは終楽章のダイナミックスの付け方で、この指揮者の総譜の読みの確かさと、適格な音化の腕前にほかならない。とても楽団の合奏を活かしながら、その楽団の音響を脳裏に描けるのはこの指揮者の最大の強みだろう。それ故にミュンヘンには興味が無かったとしても致し方が無い。

ここからは妄想となるが、恐らくこの人以上にこの名門楽団を指揮出来る者は存在しないと思われるが、本人は若い男のように色々な楽団を試しながらの伴侶探しのような趣がある。サロネン指揮の演奏会が新鮮で評判としても、それとヴィーナーフィルハーモニカーための指揮とは全く違う。ロスフィルならばそれでもよいのかもしれないが、その方ではソニーグループがジョルダンを売り出そうとしている。国立劇場とフィルハーモニカーは直接関係が無いが、あれだけ立派な指揮をされるとジョルダンはコンサート指揮など恥ずかしくて逃げるに違いない。

どう考えてもゲヴァントハウスとよりはこちらの方が遥かに可能性が高く、相性が間違いないとしたら、ゲヴァントハウスは二年で辞めるのではなかろうか。ジョルダンが劇場でも成功する可能性はかなり低く、こちらも名物の支配人諸共の下ろし運動が起こるかもしれない。但し不可思議なのはザルツブルクの会場がそれほど湧いていなくて、披露したものは通向きなのかもしれぬ。まだ若いのだから、劇場で苦労するのも良いかもしれない。



参照:
「死ななきゃ治らない」 2018-07-08 | 歴史・時事


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by pfaelzerwein | 2018-08-06 23:51 | 生活 | Trackback

居眠り防止をどうするか

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まだ涼しいうちに峠を攻めた。それでの気温摂氏20度だった。何時かなと思って時計を見ると五時台で一時間違った。時計が狂っていた。気になったが、お勉強する音楽が暑苦しくないかなどと走りながら考えていたが、便意を催すようになると駐車場に着いた。やはり狂っていて、GPSコンタクトしても分単位以上のところは合わない。手動でも設定できないようだ。車のディスプレーはここ彼処薄くなって使いものにはならなかったが、いよいよナヴィのシステムも駄目になると車の時計自体が駄目になる。

塗装のさびなど徐々に老朽化が目立って来て、電気系統が不備だったのだが、ここまで来ると新車選定へと舵を切らなければいけない。車検も今回が間違いなく最後となる。もし気に入った車が見つかって、発注しても半年ぐらいは納車に掛かるだろうか。半年ぐらいは我慢できるだろうか?先ず選定するのに時間が掛かりそうだ。試乗もしなければいけないとなると時間が無いので結構厳しい。しかし三台目までほど車を買ったりするのがドキドキしなくなった。本当に必要な移動手段でしかなく、殆ど憧れが無くなった。精々、興味あるのは車周辺のWiFiオフィースシステム化とノイズキャンセリングオーディオシステム、半自動運転ブレーキシステムぐらいだろうか。あとは居眠り防止をどうするかぐらいだ。足回りでは空気ばね、4WD、ハイブリッド、購入最後のV型オットーとなるだろうか。これだけでも今乗っている車よりは五割方高価になりそうだ。しかしそれで充分である。先日劇場の前でベントレーがうろうろしていたが、確かにジャグゥワー12気筒などに比べて遥かに乗り心地はよいのかもしれないが、やはり自分で運転すれば疲れる。出来るだけ疲れない車がいい。夜間透視システムもいいかもしれない。

入手したクロームキャストオーディオをインストールした。やはり完璧な再生が可能になったと思ったら、同じような音飛び症状が出てきた。暑いのに仕方がない、原因調査に乗り出した。そしてルーターを交換してから顕著になった様な様子があったので、信じたくはないがAndroidアプリケーションのWiFiAnalayzerというのでWiFiの場所による信号強度を測定した。そして危惧した通り以前のルーターの方が強度が強かった。認めたくなかった問題で、これがあるから高速化になかなか踏み切れなかったのだ。勿論これは冬の籠り部屋になるととりわけ重要な問題となる。

そこで先ずクロームキャストのある場所で信号強度を上げる工夫をした。最初にルーターの付け替えである。これは奨励されたと取り付け方をしていなかったので、模範的に付け直す。場所が無いので古いルーターも取り付け直す。すると、目論見通りに新しいルーターの信号の方が強くなったもしくは変わらなくなった。これで試すとなるほど音飛びが無くなった。可成り悪い条件で使っていたらしく、安定すると音質も向上した。

なるほどこれで無線化に懐疑するPCオーディオ使用者が多いのが分かった。しかし無線マウスと同じで無線化になれるともはや有線には返れない。特にVideoで音飛びが発生するのは送信量が圧倒的に多いからなのだろう。しかし動画となると余計に音飛びが許せるようになる。

ベルリンからデジタルコンサートホールの新プログラムが届いていた。中身を見るとキリル・ペトレンコ指揮の三回の中継以外には、ヤルヴィ指揮のブルックナーとロート指揮のコンサートぐらいしか興味が持てなかった。つまり二回目のペトレンコ指揮コンサートは自身がライヴで映る位だからライヴでは観れない。つまり精々二回しか必要ではない。一回は今回ついていた無料券で一週間、もう一回は一週間券を買えば事足りるかもしれない。つまり今シーズンも年間券を購入する必要はなさそうだ。

英国からプロムスの中継があったので少し聞いてみた。ギリシャ人のカラヤン二世の指揮でアテルナ合奏団の演奏でベートーヴェンの運命交響楽の三楽章から四楽章のところを聞いた。あまりにもその奇妙さに構えていると、低弦とファゴットでアクセントをつけていても、それ以上に下手さ稚拙さが苦になった。今年日本デビューをするようだがこのような日本の聴衆が煩いようなプログラムだと、謀った様なプログラムでは成功は無いかもしれない。ソニーが後ろにいるのでサクラなどを総動員するのだろうが、ぽしゃるかもしれない。販売戦略として味噌くそ市場で成層圏まで打ち上げて後は軌道修正しながらと考えているのだろうが、そこまで届かずに落ちてくる可能性が強いかもしれない。プロムス市場のためにしっかり練習は積んできていても、それに飛びついてくる少数を拾うには関心層を擁する市場そのものが小さ過ぎる。予想以上に旬は短いと思った。



参照:
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
GeliebtGehasst 2018-01-24 | マスメディア批評


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by pfaelzerwein | 2018-07-29 23:59 | 生活 | Trackback

行きたくない火星が光る

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クロームキャストオーディオを注文した。ここ数週間、キャスティングの音飛びが頻繁になった。暑い時にイライラするのでしっかり調査はしていないが、先ず同じものを試すことにした。手軽に高品質の音を飛ばせて最高96kHzまでのPCMを光ファイバ―で出せるので、エアーチェック用にはこれで充分だ。それどころかこれを使い出して必要な音資料をネットから落とすようになると、BGMとしては当然のことながらこれが無いとお勉強も儘ならないようになってしまった。

音飛びも少々のことならば楽譜を見ていれば補えるのでそれほど気にならなかったのだが継続的に飛ぶとなると精神衛生上よくなくなった。使い始めは飛ばないので原因は過熱されてくるとどうも駄目な感じで、PCに問題が無ければ、そこの問題しかない。嫌なのは録音していてもヘッドフォンでモニターでもしない限り何処で音飛びしているか確認の方法が無いことだ。兎に角、暑苦しい時には鬱陶しくて嫌だ。

原因調査以前に発注したのは、そもそも二つ目が欲しかったのと、三年経過して未だ新製品が出ていない限り購入しておこうと思ったからである。同じ機能を持った製品もあるようだが、先ずは手軽で安く使えるのが良い。製造中止になる前に確保しておきたかった。違うシステムの構築は新しいノートブックを購入した時に考えればよい。そもそもネットストリーミングの限界があるので、そこに金を掛ける必要などは無い。但し期待していたような値崩れはしていなくて比較的高値安定していて、前回購入した時よりも高くなっている。送料込みで40ユーロである。仕方がないが、使い勝手は分かっているので二つ目は助かる。夜中以外は常時電源を入れているので経年変化も早いから三年で寿命が来ても仕方がない。音飛びが簡単に解消されればそれだけで満足だ。壊れているであろう一つ目も音が出るのでアナログ出力させてDACを通さずにAUX入力に繋げれば映画などの音声には全く差支えない。問題は電源が自動的にオンオフしないことである。

ザルツブルクからのライヴ中継を少し聞いた。「魔笛」をヴィーナーフィルハーモニカーが弾いていたが、相変わらず誤魔化し方が見事で、ヴィーン訛りの音楽と呼ばれるあのノリはオペラ劇場の様々な歌に合わせやすく誤魔化しが効きやすいためのノリではないかと思うようになった。どう考えてもベートーヴェンの音楽などとそれは合わない気がしてきている。その点、評判の良いバイロイトの「ローエングリン」の音楽のようにちゃんちきオペラのようなノリにならないので、なんとなく高品質に聞こえる。

眠くなって、寝巻に着替えて、バルコンの座椅子で涼もうとしたら、話題の月食が見えた。聞いていなかった火星の輝きが凄かったので写真を撮った。まあ、あそこに住もうと思うのは分からないでもないが、どう見ても我々の文化の範疇で感じるような新世界ではないなと思う。そこまでリスクを冒して飛んで行きたいとはちっとも思わない。

新聞文化欄の一面に大きくバレンボイムウィークについての記事があった。ブエノスアイレスで指揮することは知っていたが、アニャ・カムペが前半でイゾルテで歌っていて、帰って来てから日曜日のミュンヘンの「ヴァルキューレ」、そして火曜日の出合いだった。仕事を絞っている歌手とは知っていても、重なる時は重なるものだ。興味深いのは、バレンボイムがそこでフルトヴェングラー指揮のマタイ受難曲を聞いて、その時に鍵盤を弾いていたのがミヒャエル・ギーレンだとある。ギーレンとフルトヴェングラーの繋がりを初めて知った。

更に興味深いのは、シュターツカペレとコンサートも開いて、ブラームスの交響曲を演奏したそうだ。そのプローベで、dolceとexpressivoの相違を説明した。前者はとても簡単なことで、和声の変化を分らすための色彩の変化であり、バレンボイムにとっては調性音楽の主音からの距離感が重要になるという事でもあると、FAZのヤン・ブラッハマンは書く。

さて今週末位からルツェルンの準備を始めよう。フィラデルフィア管弦楽団の演奏の衝撃もあったので先ずは「ドンファン」と白昼夢になりそうなフランツ・シュミット交響曲4番ぐらいだろうか。前者は音資料としてはラトル指揮のバーデンバーデンライヴと二つが主で、その他は直前になって比較試聴してみよう。シュミットの曲はピアノ譜しかないが4月のベルリンでの演奏が二種あってヴィデオまであるので管弦楽は書き加えて行くようにしていくと面白いかもしれない。

日曜日にはクリーヴランドからの「トリスタン」一幕の春に演奏された録音放送もあるので、これは聞きたい。シカゴからは、「展覧会の絵」以外にヒンデミットとシューマンで昨年のバーデンバーデンに似たようなプログラムである。録音するかどうか。



参照:
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
flacをクロームキャスト 2016-10-18 | テクニック


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by pfaelzerwein | 2018-07-28 23:34 | 生活 | Trackback

パン屋開いて、床屋閉まる

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パン屋が夏休み明けとなった。床屋が夏休みに入った。先週から気になっていたが、あと二週間我慢することになる。秋のことも考えて時期を考えていたのだが、判断が難しかった。19日に24日のミュンヘン行きが急遽入ったので、金曜日の髪結いがならなかった。九月のことを考えれば八月九日にサマーカットでいいのだが、この先最高に暑い時期の二週間の快適度が不安だ。火曜日にシャツを着ればあと二週間はTシャツで通せるので、運動をしない限り、襟首があまり気にならない。さてどうなるか?

土曜日のワイン地所の上縁をジョギングした。なんとのろのろとした動きだった事か。これでパン屋休み中の二週間に二回は一時間前後のハードな走り、一回の軽い走りが出来たのでまあまあだろうか。運動不足は否めないがその間ミュンヘンにも出かけたので、時間もあまりなかった。早速パン屋の裏の短いコースを走った。久しぶりに窓を開けて就寝したので、夜中に目が醒めて寝坊をしたが、森の中の気温は摂氏17.5度で苦しまずに済んだ。

夜中に目が醒めた時にはキャスティキングの声がタブレットからしていた。触ってみると熱くなっている。タブレットでこのようになるのは初めてだ。どうもキャスティングと光度の高いピクチャーヴューワーを同時に開いていて、布団に包まれていたのがいけなかったようだ。CPUが可成り過熱したと思うが、暴走もしておらず、アプリケーションを閉じて、使ったまま冷えるのも比較的早かったので、ダメージは最低限に留められたと願いたい。

「ジークフリート」二幕の二月三日公演のメモを見るとヨハネス・デングラーのホルンが明記してあった。何処が巧かったとかいうよりも、一幕を背後で吹いていて戻って来ていたからだろう。それでも三場の小鳥の歌に続いてのホルンの独奏は聞かせ所には違いない。しかし一場のところに書いてあるので、森のアルベリヒの背後で所謂「騎行」の動機が1,3で奏されるのでそこかも知れない。この幕でのコントラチューバが有名だが、バイロイトの2015年の録音でもそのホルン演奏はさしてよくない。デングラーのそれは重い音で鳴らすので良かったのだろう。どうしてもこの場面ではトロンボーンによる呪いが強調されるのだが、次に出て来るヴァンダラーとの絡みではとても重要で、特に今回はベルカントのコッホが歌うとなると、このホルンの響きが活きる。

更にメモには、二場でのミーメとジークフリートの対照と、一転チェロが六拍子のEで柔らかい音を奏でていたようで、恐らく森の囁きの音楽とそれに続く四拍子のGの所謂愛の旋律の動機へと今度は分割されたチェロが美しいアンサムブルを繰り広がられたことだろう。ここは恐らく楽匠の書いた最も柔らかな音楽だと思うが、その母性へのイメージのようなものがダイレクトに表現されている。またそこでE管のホルンが「小鳥の動機」を奏するのが憎い。

三場になるとこれまたオーボエ、クラリネット、ホルンに留意しているが、様々な動機が組み合わされるのは、一幕一場と同じなのだがここでは室内楽的な書法となっていて、大交響楽のスケルツォから緩除楽章への繋がりが、アルベリヒとミーメの争いから「指輪」の動機が出て「ラインの乙女」からそして「小鳥の歌」へと繋がる冒頭の場面の展開の速さとその筆使いは「指輪」の中でも最も音楽的に自由闊達だ。一幕一場のあの固さがここではオペラ芸術の中でぐっと解れている。

キリル・ペトレンコの棒も「ヴァルキューレ」での苦心の跡とは違ってとても自由に流れる。日曜日の出来の反応を見ると、やはり管弦楽が苦労しているようだが、諸般の事情から仕方が無かったのかもしれない。既に「音楽的解決」は一月に示されていたのであり、ペトレンコのミュンヘンへの置き土産でしかない。その点「ジークフリート」はその演奏実践に関してはバイロイト公演からして初めから定評のあったものであり、またとても室内楽的な難しさもあり座付き管弦楽団に要求されるものは過剰である。そして二月にもまだまだ十分な演奏は出来ていなかった。少なくとも今回も二月の陣容が揃っていないことにはより良い結果は得られないだろう。ピットを覗き込めば大体の出来は予想可能だ。まあ、じっくりと腕前を拝見するとしよう。

歌手ではやはりコッホへの言及は無かったようだが、繰り返すが、カウフマンのヴァークナーとコッホが上手に歌うことで初めてキリル・ペトレンコのヴァークナー演奏実践の基本コンセプトが実現される。個人的にも2014年になぜあんな軽いヴォータンを歌う必要があるのか理解不可能だったが、もうこれは否定しようがない基本コンセプトであり、もしこの二人のヴァークナー歌唱に不満があるならば、ペトレンコのヴァークナーなど聴かない方が幸せだろう。これは先ごろの「三部作」で「ベルカント」を確認した者ならば皆同意する筈だ。あれを評価できないとヴァークナーも評価できないかもしれない。



参照:
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-07-23 23:52 | 生活 | Trackback

激しい朝焼けの週末

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朝焼けが激しかった。真夏の谷間が定期的にやってくる。今年の天候の特徴だ。パラパラと来てその合間にワイン地所の上辺を走った。週末は領収書類の整理と「パルシファル」録音と「ジークフリート」準備だけだ。ラディオ放送をノートブックで録音するのだが、今回はドイツの放送協会網「夏のフェスティヴァル特集」統一プログラムなので、どの局を選択するかだ。既にラインガウでユリア・レジェネヴァが歌う中継番組を放送しているのを比較してみると、差が明らかだった。同じ局のHPでも選択可能なところは注意が必要だ。録音などのために、簡便にIフォンなどのためにMP3などが提供されているものは音質は悪い。最も高品質の音はライヴで聞く機能でそれを上手に録音する必要がある。その中でも局によって差があるようだ。今回の録音は生を留守録したものに電気的なノイズが入っていたからだ。全部で九局もあるので全てを試すことは面倒なのでどうしても慣れた信頼おける局を選ぶことになる。

「ジークフリート」の準備は、先ずは三幕三つのpdfをタブレットにダウンロードした。更にペトレンコ指揮の録音があるバイロイト公演から2015年分をダウンロードしておいた。これもピットの蓋が有る無しで大変異なるのだが他に参考になる音源が無い以上仕方がない。そこでやはり2月3日のリンクツィクルスAでのメモを再び開いて整理してみるのが一番早道だと思った。しかし可成りの量の書き込みがあって一度判読して公開してある内容以上に楽譜を洗いながら細かなところを思い出すかどうかである。

記憶というものは不思議なもので、意外に全く関係ない旅行の行程などから感覚を呼び起こして、そのまま記憶の蔓を引き寄せることが可能だ。それを走りながら試みていた。書いたものを読み直してみると、「ヴァルキューレ」の帰路にはホワイトアウトになって、「ジークフリート」公演前のバゼリッツ展訪問を断念したが、帰路カールツルーヘで雪に降られた、「神々の黄昏」で一泊した。

今回はあのロージェという事でその目的に適った準備をしようと思う。管弦楽の書法をもう一度洗っておかないと、見所がハッキリしないかもしれない。要するに多過ぎるのだ。どこまであの時の演奏を思い起こすか?印象に残っているのは最後の演出のフォイルの雑音だ。結構イライラさせられたからだ。今回はそれで終わりとなると余計嫌な気持ちになるから、覚悟しておこう。それでも観客の反応は「ヴァルキューレ」よりも大きかったのだ。今回はどうなるだろう。記録を読んではっきりしたのは、「ジークフリート」の日帰り往復はリスクが高いという事で宿を手配しておいてよかった。「三部作」でも集中度が違うと疲れたが、それとは比べようが無いほど疲れる筈だ。真剣なコンサートを4つ続けて聞くようなものだ。



参照:
「舞台祝祭劇」の疲れ 2018-02-04 | 生活
ジークフリートの鞴 2018-02-05 | 音
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-07-21 23:11 | 生活 | Trackback

其々の祭りの季節

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夕刻になってからも気温は上昇した。21時になってようやく冷えてきた。30度超えていたが、比較的乾燥していてTシャツを脱ぎ捨てることも無かった。それ程快適だ。だから夕食も毎週決まっている牛肉のロール巻とジャガイモをオーヴンで調理した。それでも全く暑く感じないのが嬉しい。

ワインは久しぶりに2015年産を開けた。瓶詰め二年で瓶熟成が始まったところのレープホルツ醸造所「雑食砂岩」である。三本以上あったので先ずは一本目である。開けたてはまだまだがっしりしていて、あの暑い夏をしっかりと記録している。二日目以降も楽しみだ。

ここのリースリングとしては骨格が良過ぎるぐらいなので、飲み頃を考える。寝かす用には間違いない年度であるが、武骨な感じで終わってしまうワインも少なくは無いだろう。如何に繊細さが開いてくるように醸造されているかだ。

ミュンヘンのオペラフェストシュピーレ「ヴァルキューレ」の残券取得を早くも断念した。そもそも前夜祭の「ラインの黄金」でさえ出なかったので、スターテノールカウフマンの登場で誰もこの機会を捨てる人は居ないと思ったが、日曜日の10時まで試してみるつもりでいた。しかし火曜日の「ジークフリート」と二回通うには片方は列車移動しかないと思った。それで調べてみると直前に購入したのでは往復で115ユーロに駐車料金が必要なのが分った。欲しい券の価格が213ユーロでそれだけで引っ越し日本公演並みになってしまう。今回は違反通告がまだ来ていないので、安全を期して車の日は一泊する予定なのだが、火曜日を列車移動にすると水曜日の午前様で75ユーロほどで収まる。しかしその場合土曜日中に予約している50ユーロの部屋をキャンセルしないといけない。

そもそも冬の寒いところを並んでも購入しなかったのは、まさかカウフマンの「パルシファル」の出来が想定以上とは思いもしなかったからで、あれを経験するとカムペとカウフマンのそれは一聴に値すると考えるようになった。そして二月はキリル・ペトレンコにとっては鬼門だった「ヴァルキューレ」を見届けるのが「指輪」訪問の狙いだったのだ。先週まではあのロージェを体験していなかったので、そこから少し目的が変わった。するとカウフマンのジークムントにどこまで価値を見出すかという事になる。コッホのデアヴァンダラーよりは価値があるかもしれないが、コッホのヴォータンを足してもどこまで万難を排してとなるとあまり自信が無くなった。

そこで改めて二月の実況中継を流してみると記憶通りとんでもなくドライに管弦楽を鳴らしていて、ショルティどころではないのだ。あれだけ徹底させる意志には驚愕で、如何にその演奏実践に苦心したかが知れる。それが緩むことは今回も絶対無い筈だが音響的には室温も高いので若干ソフトかもしれない。まあ、私のような人間には「ジークフリート」再訪で充分か。あのキャスティングは勿体無い。

実はもう一つの可能性として、日曜日から火曜日まで滞在する方法もあったが、月曜日に高い山にでも上がるとこれはこれで疲れてしまって、火曜日には帰れなくなってしまう。夏の暑い時には山に登るしかないので、これもどうも欲張り過ぎて、本末転倒になりかねなかった。

そのような事情で火曜日の宿を予約しておいた。市内から20分ほどの小さな湖の町で、50ユーロで大変評判が良かった。土曜日までにキャンセルすれば返金してくれるが、遅れると全額取られる。行掛けに立ち寄れるので無駄が無い。市内で一杯引っ掛けてから戻れるかどうかの道路事情も確認しなければいけない。深夜町に戻ると殆ど何もないと思うからだ。寧ろそれよりもお土産を断念しないと無理かもしれない。冷蔵庫が使えるかどうかチェクイン時に確認しよう。朝食7ユーロも結局払うだろうか。

ミュンヘンのホテルを探して、冬に宿泊した39ユーロの部屋が260ユーロに高騰していたのはオクトバーフェスト期間だと理解した。尋常ではない需要過剰なのだろう。現在は平日は69ユーロで泊まれるようだが、既に塞がっていた。序にその高速沿いを見るとフェスト期間にも63ユーロで宿泊可能な宿が見つかった。空港より北の55ユーロを予約していたが、こちらに乗り換えた。実際に使うかどうかは分からないが、計画に重要だ。

先日ロージェで一緒になった夫婦が話していた。何処から来たという話しになって、九月の末はいつもワイン街道のバートデュルクハイムに行くということだった。オクトバーフェスト難民なのだと分かった。我々が逃げるのと同じように大都市ミュンヘンでも逃げたくなるのだろう。九月末のマイスタージンガーは大丈夫だろうか心配になってきた。



参照:
山場を越えた安堵感 2018-02-13 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-07-21 00:00 | 生活 | Trackback

再びあの座席の幸福

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楽劇「ジークフリート」公演の席を取った。「王のロージェ」のオファーはぐっと我慢したが、「プロシェニウムロージェ」となると我慢ならない。その前に出ていたのがどうも「神々の黄昏」の同じところだっただろうから、少しだけ気になっていた。歌手は「ジークフリート」の方がヴォルガンク・コッホが登場するだけキャンセルした二月の雪辱となる。要するにコッホのデアヴァンダラーを2014年以来再び聞くことになる。二月の「ジークフリート」では北欧勢の歌に不満が残った。

「ジークフリート」は楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中で最も美しい作品には違いがないが、なぜかもう一つ人気がないようだ。理由はやはり室内楽的な要素と合唱などスペクタクルなところが少ないためかもしれない。個人的にはとても好きな作品であるが、最近は特に同じ制作を二度三度行くとなると歌手とかのキャスティングをどうしても考える。それでも193ユーロの「ロージェ」をパスしたのは、その価値があるかどうかだけである。同じ額ならばコンサートでももう少しいい席を選べる。そもそもその価値が無いから適当な価格のものを購入する。それ故に二列三列目のそれは高く感じて、恐らく出ていたらしい「神々の黄昏」の213ユーロは幸か不幸か出遅れた。それは上の理由で高いと思ったのだが、「ジークフリート」は168ユーロで、45ユーロ安い。先週の「三部作」が142ユーロで、その差は71ユーロだ。

私があのロージュが好きなのは浴びるような音を聞くのが目的ではないので、この差は合点が行かない。勿論舞台や歌手に興味があるならば、二月に私が座った13ユーロの席でもそれほど不満は無かった。プロシェニウムロージェはなによりも死角があって広い舞台を一望できない。それは構わないのだが、あそこで「神々の黄昏」は結構厳しいかとも思う。細かなところを聞き分けられるか少し自信が無い。指揮台よりはましかもしれないが、少し経験が要りそうだ。先ずは、「ジークフリート」で試してみようと思う。

「ジークフリート」に関して自身で書いたものを読み直した。するとベートーヴェンの七番が言及されていた。自身書いていることだから、八月の演奏会を意識しているのだろうが、もう一度調べてみる必要がありそうだ。不満は管弦楽団にもあったのだが、その点は今回もそれほど期待していない。そもそもペトレンコ指揮でも必ずしも前回より良い演奏をする保証は無い、だから期待してはいけない。それでもあの席からだと何が上手く行ったのか行かなかったのかが指揮者と同じぐらい判る。それがいい。

そのあともう一つの同クラスの席が出ていた。平土間の後方真ん中周辺だった。それほど悪くは無いのだろう。そもそも私は平土間の音響を知らない。歌手は前から見聞き出来るので良いのだろうが、管弦楽の方を細かく聞きたい人にとってはどうだろう。直接音が聞こえないのはバイロイトだけでいいような気がするのだ。但しどのように声楽と管弦楽がミックスされるかはとても重要で、その仕事ぶりをつぶさに観察出来るのが嬉しくてたまらない。

今後もヴァークナーの楽劇をそこで聞くチャンスはあるかもしれないが、毎年七月に時間を空けておくことなどは不可能なので、少なくとも「ジークフリート」は、将来バーデンバーデンでもあの位置からの鑑賞は不可能なので、最後の機会かもしれない。既に頭の中に「ジークフリート」の音符が飛び始めた。週末は「パルシファル」の録音を忘れない範囲で準備をしなければいけない。少々興奮状態で仕事が手につかなかった。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
五十歳での主夫見習い 2018-07-18 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女


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by pfaelzerwein | 2018-07-19 23:45 | 生活 | Trackback

予想される一時間遅れ

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夜の友人の演奏の放送を結局録音した。もし近々会うとしたらやはりコメントしない訳にはいかないので、BGMで聞き流すことはならなかった。一曲は近代の音楽で本人のメインレパートリーではないことは、もう一曲の新作について「説明するまでも無く安心して任せれる」というようなアナウンスで紹介されていた。その近代協奏曲の演奏は全く悪くはないのだが、最近はその方向では可成りこちらの耳が厳しくなってしまったので、どうしてもこまごまとしたところに気が付いた。若干楽器のメカニック音が気になった。やはりもう一曲の新作に楽器を合しているのだろう。新作の方はそれほどの特殊奏法は無かったが、自家薬籠中の出来だった。その意味から先日聞いたパウのフルートなどはそのどちらでもきっちり合わせて来るのだろう。

土曜日の準備がもう一つ進まない。一寸頭が混乱している。劇場訪問とは直接関係ないつまらないことだが、そのピクニックの準備とかが纏まらない。パン屋が開いていないので、持参するものは限られる。先ずは開演が19時と比較的遅く、ブランチを自宅で摂ってからと思っているが、渋滞が予想されていて一時間余分に時間が掛かりそうだ。つまり正午に出ても17時前にしか着かない。向こうで食事する時間も買い物の時間もない。11時半に出ても16時過ぎである。するとどうしてもピクニックの準備が無いと帰路が苦しい。今回は肉屋に寄って、パンとサラミ類を購入して、サンドイッチにしよう。果物も野菜類もあるので、ゆで卵等を加えれば何とかなるだろうか。パンを二つにするか、三つにするか。行きにも渋滞で手持無沙汰となると齧ってしまうかもしれない。クールボックスは持参するとして、ハーブ茶を冷やす。果物はバナナに桃とイチゴとサクランボがある。

予想されたように30度近い気温にはならずに曇りがちとなりそうなので助かる。26度が予想されていて、雷雨も翌朝まで来ないようだから帰路も何とかなりそうだ。それで衣装は大分楽になった。更にあんちょこバタフライの色の合いそうなものがあったので、今回はそれを使おう。垂らしているよりも少しは軽快で気持ちが良い。なんといってもあんちょこでないと結んでいる間に汗を掻いて困るのだ。

なによりも燃料の値段が気になる。予測していたように簡単には落下せずに、寧ろ二十四時間前よりも上がっている。それでも夕方の最後のワンチャンスを狙いたい。それで満タンにすれば、何処にも寄らずにミュンヘンを目指すだけとなる。渋滞で少し燃費は悪くなるかもしれない。燃料を入れて仕舞わないと落ち着いて「三部作」の楽譜も開けないので、先ずは地元のスタンドが最低価格に並んだところで決断した。そこから自動車クラブ割引でリッター1セント安くなる。そして遠くまで走って入れに行く暇も無い。そしてスタンドに着くとなんと更に10セント安くなっていた。10キロ圏内で最低価格だ。断トツだ。流石にネット情報時代、車が集まっていた。そこに嘗て州の議員をしていたアイメール氏が居たのでお互い挨拶をした。ショイレーべ種に関してはトップの有名醸造所のオーナーであるが、私はリースリング愛好家なので顧客ではない。

これで落ち着いた。前日にもチャンスがあったのだが活かせなかったので、同じ価格で給油出来たのが嬉しい。57リットルで79.17ユーロだった。一時からすると高いが仕方がない。これでほぼ準備は整った。夕食も涼しくなってから少し遅めに摂って、ゆっくりと睡眠を貪りたい。食事前に「三部作」を通して、食後位に楽譜とヴィデオでもタブレットに移しておけば、あとはイヤフォーンでゆっくりと昨年12月の公演を聞きながら走れる。何とか準備は間に合いそうだ。



参照:
まるでマイバッハの車中 2018-05-27 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-07-13 23:38 | 生活 | Trackback