カテゴリ:生活( 595 )

夜も眠い、昼も眠い

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眠い、朝も眠いが、走って来て午後も眠い。ベットに入ったのが三時ごろになったからだろう。ASUSのノートブックに結局MINTのシナモンをインストールした。古いデスクトップに一昨年入れ敵に行ったので、それにした。最初は二種類のWIN8をインストールしようとしたが、ライセンス取得で引っ掛かった。それならLINUXしか方法は無い。勿論ウィンドーズの方がオーディオや映像に関しては使い慣れているので、不透明感があるが仕方が無い。

言えば、これで苦労しながらLINUXでメディア対応に確信を持てれば次機にはWIN10など要らない。あまり下らないライセンス制限を厳しくすれば誰も使わなくなると思われる。そもそもPC自体の一般家庭での使用が減って、更に法人等でもLINUX主体になればマイクロソフトは廃業も近いのではなかろうか。

景気のいいことはいいながら、少し苦労した。USBスティックからのインストールはプログラムを立ち上げてからつまりホットインストールしてからそこからインストールするようになっていた。つまりディスクにインストールする前に試してみて気に入るかどうかで判断可能となっている。なかなかよく出来ている。

直ぐにネットには入れて、それどころかキャストを飛ばすまでも時間が掛からなかった。そこからが時間を掛けた。つまりアップサムプリングで出すのが未だに出来ないでいる。アップサムプリングを強行すると音が早回しになって使い物にならない。つまりウィンドーズでのREALTEKがLINUXで上手く作動しない。方法幾つかありそうだが判断がつきかねる。出来れば本格的に使いたいからだ。AudioPhileLinuxなどで専用機に出来るようだが、そうなると録画などに不利になりそうで、基本的にはマルティメディア機でなければ音楽専用機にならない現実がある。

ザールのフォンフォルクセム醸造所のシャルツベルグの2013年物を開けた。良く無い年なのだが、書き例に瓶熟成していながら全く新鮮なそのままで、杏子と巧さが取り分け楽しめた。最初から開き気味ながら最後まで引き締まっていて、その土壌よりも質の良さを存分に楽しめるリースリングだった。やはり我々のところにはない芳醇な旨味はそのスレートの土壌でしかないだろう。万人向きの高級リースリングながら、その質と飽きない微妙さが取り分け素晴らしかった。



参照:
SSD初インストール準備 2018-10-18 | テクニック
気に入りだしたシナモン 2016-11-30 | テクニック


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by pfaelzerwein | 2018-10-21 23:36 | 生活 | Trackback

今回の脱落と修理

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八百屋で買い物をしたら今までの最高額を徴収された。特別高価なものは買っていない筈なので、流石におかしいと思って、直ぐにレシートを確認した。ヒラタケがシュタインピルツとして計上されていて、8ユーロを超えていた。当然最高額になる。直ぐに苦情したら、どうもそのまま引いてくれたようで、ヒラタケが只になった。それにしてもやはり高級キノコは高いなと思った。

週末の峠攻めも一日前に走っておいた。日曜日に走るとフランクフルト往復よりも音楽会で眠くなりそうで、更にお勉強する時間も無くなるからだ。そして車の錆で脱落したところを出かけるまでに直しておきたいと思ったからだ。結局一日掛かりで作業した。

作業後半は日曜日にパンを取りに行ってから、その足で走る代わりに、前日に土台を塗ったところにやすりを掛けて、また周りのこびり付いたところを落とした。そして薬品で洗浄してから、塗料を塗布した。筆の数を調整するために、細めのピンセルで塗った。最後の仕上げは無色なのでそちらで太い方を使った。お陰で、細かな所にも顔料を塗れた。顔料の塗り方だけでも周りとの境界を極力目立たないようにできる。少し絵心があったならもう少しマシに塗れるだろうと思った。

そこで急いでドライヤーで乾かした。半日も経たないうちにアウトバーンを飛ばさないといけないので早く乾かしておかないと困るからだ。大分熱を与えたので早く乾いてくれたかもしれない。朝食を摂って、交響曲をお勉強したら四時間ほど経過していた。

色合いはそれほど悪くなく。これで間に合うように透明のラッカーで固めて仕舞えればよい。前回は半乾きだったのでどうもその顔料の色に影響を与えてしまったようだ。今回は色が溶け出す感じも無かったので、前回のような色変りも無く、徹底的に上塗りした。このラッカーで剥がれ掛けているところを押さえて、アウトバーンでの強風にもバタバタしないようにするのだ。そして早速顔料以上に熱をかけた。さてフランクフルト往復でどうなるだろうか。数時間で乾いてくれるか。幸いなことに雨降るでもなく陽射しも強いので何とかなると期待している。

マーラーの第一交響曲の違う録音を聴いた。バーンスタイン指揮のデジタル録音である。安売りの二枚組で十年以上前に落穂拾いしたものだろう。しかし真面目に聞くのは初めてで、最初の音が出てきた時からどこの楽団かなと思った。つまり後年録音したヴィーナーフィルハーモニカーの演奏とは全く違うからだ。それにしてもニューヨークではない。CDのインレイを見るとコンセルトヘボー管弦楽団だった。なるほど、ヴィーナーよりも明らかに上手いが、とてもいい音を出している。なによりも驚いたのは、バーンスタイン指揮でこれほどまでに明晰に各システム間の受け渡しが上手な録音を知らない。どのシステムや楽器が浮き出ることも無く、しかし上手く合わせていて、対位法的な彩画が美しい。その前に聴いていたシカゴの演奏ではそもそも各奏者が拍を合わせることしか考えていないので、楽想が綺麗に浮かび上がったり、楽器間の合奏の心が聞こえない。シカゴとかニューヨークとか超一流の筈なのだが、この辺りの各奏者の感覚も管弦楽団のアンサムブルも大分異なるのが良く分かる。

なるほどアバドの方もあの最初の序奏部では大地の夜明け前のような歌が聞こえるように演奏しているのだが、何か一つ一つに説明がついているような歌い方しか出来ていない。如何にこの指揮者がグスタフ・マーラーの楽想を客観的に分析してそれらしい提示をしているのでしかないことが分る対象比較となっている。その点、バーンスタイン指揮の方はあまりにも動機や楽想を主観的に振っているために、全体像が歪曲した感じが否めないのだが、このコンセルトヘボー管弦楽団の演奏であるとその辺りのバランス感がとても良くて、至る所に美しい音楽が奏でられている。その結果、何もあのような実演でなくても、とても素晴らしい音楽を指揮しているバーンスタインに出合える。それどころか、細部の読み込みは無視できない箇所が多数あって、この演奏はやはりリファレンス録音ではないかと思わせる。それにしてもシカゴでの録音のとんでもないダイナミックスは録音技術上のお遊びではなくて、ショルティー指揮時代にあの管弦楽団がそれを目指していたのを逆に彷彿させた。



参照:
手作業での車の塗装 2017-09-01 | 生活
639馬力、最高時速315㎞ 2018-10-07 | 雑感


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by pfaelzerwein | 2018-10-07 23:12 | 生活 | Trackback

カメラに譲った座席

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ミュンヘンの劇場から電話があった。先日からあの辺りからの番号で電話が掛かったので不思議に思っていた。携帯電話と両方鳴る場合は関係者だ。そのまま放っておいたら再び二回鳴ったので出た。要するにレジデンスとかの場所であるから公館からの電話だと分かっていたが、なにもバイエルン州で悪いことをした覚えが無いと考えていたのだ。小心者であるからどうしてもまた訴訟とか金でも請求されるのかとびくびくする。

劇場がフォークトが歌う歌わないで電話を寄こすことは無いと思った。そもそもメールが分っているのだから予定変更などはそれで連絡が来る。だから不思議に思っていた。見学にも申し込んでいるので何か特別な用件があるのかなとも一瞬思ったが、カメラが入るという事で、なるほどカメラに映るから注意しろということかなと早合点していると、どうも私が邪魔になるという事だった。それぐらいいい席を与えてくれていたのである。つまりそのカメラから映るのは私が観る筈だった光景だ。これは仕方が無い。向こうが選んでくれた席であり、最上の席を選んで呉れていたのだが、カメラに譲れと言われれば、記念映像が残ることであり私が独り占めするよりも公共的な歴史的な芸術価値が高い。私には観た光景を文章にする力も無い。そこで代替は、どこがいいかとなったので勿論そのままバルコンである。方向が少し変わり、フォークトの表情は見難くなるがコッホの表情は指揮者と同じように観れるようになる。そして音響的にはよくなる筈だ。「他にも電話しなければいけないから」と言っていたから、大分大掛かりな撮影になるようだ。兎に角、まだここ二三年は集中的なお付き合いが続くので、幾らかは貸しを作っておくぐらいでいたい。まだまだ、ここぞという時が訪れる筈だ。

こうして日曜日の公演のことを具体的に頭に描くと興奮して来た。仕事が手に付かなくなる。それでも楽譜を見て行く時間も無いので、先ずは木曜日のベアヴァルトの交響曲を開いた。思っていたよりもへんてこな交響曲だった。60回も指揮しているブロムシュテットはシューマンとは違うと比較しているが、あの如何にも素人臭い綴り方はブルックナーとシューベルトの間のようでもあるが、しかしその素朴の中に耳を傾けるものもある。これはどうも生演奏を聴かなければ始まらない。後半のドヴォルジャークの方はバーデンバーデンのYouTubeに既にガイダンスが流れていた。ブラームスが珍しく賞賛していた作曲家であり、その三楽章の旋回の動機を扱っていて、そのブラームスの三番にもあるそれは糸を紡ぐの歯車ということだ。勿論動機をそのメカニックな動きと対置することは良いのだが、そこには和声のシステムがあることを無視してしまえない。この辺りが造形美術の分析と異なる音響の物理現象だ。

中秋の名月という事で窓を開けて例年のように撮影した。早めの時は雲の後ろで見えなかったが、上空は晴れていた。今年はとりわけ寒い。翌朝も森の中を走っていると日陰が続いて凍りそうになった。まだまだ外気温は摂氏数度あるが、今年は寒い。九月は私が知る限り最も暖かい九月となった。この夏は乾燥していて陽射しを避けている限りとても過ごしやすかった。この乾燥が続くととんでもなく冷えるかもしれない。アイスヴァイン収穫も早いと思う。

木曜日から週末への服装を考える。折角洗濯を急がせた夏用のピピンのシャツは要らなさそうだ。冬のシャツを考えていなかったので、慌てている。これは新しいシャツを下ろすべきかと思う。週末はカメラも入るのでおかしなように目立ちたくはないので少し考えている。とは言っても初日でもないので黒蝶タイをするまでの必要も無い。まだ冬服という訳ではなく、本来ならば最も融通が利く筈なのだが、この夏一番の薄着で出掛けたのが先週だから、衣替えが必要になった。



参照:
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-09-25 23:37 | 生活 | Trackback

オーヴンのガラスが再脱落

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オーヴンの掃除の準備をした。前夜から液剤を塗布しておいた。それがパーソナルの都合で成らなかったので、使うために仮に拭き取っていたら、四年前に貼り付けた二重窓のガラスが脱落した。苦労して初めて使う高温用シリコンで接着したのだが、もう一つ着き方が悪く、下が当たって無理もあった。だから脱落した。再度接着である。前回二度挑戦したのは、一度目はシリコンを押し出すピストルが無かったからだ。

今回は前回使ったシリコンがまだ使えるかどうか調べることから始まった。しかしどこにしまい込んだか思い出せずに数時間探した。そして見つけて指で押して、足で踏むと蓋が開いて、まだ使えそうな雰囲気であることを確認した。ピストルは再び借りなければいけないが、先ずヘラで試してみようと思った。

二回試しているので、問題点は分かっている。先ずはヒンジ金具に油を差して動きをなだらかにする。そして、赤いシリコンを除去する。今回は車のために各種紙やすりがあるので、前回以上に塗布面を完璧に整えられる。それから取り付け金具がぐらぐらしていて、最終的に貼ったグラスが枠に当たることになって脱落の原因になる。これをもう一度ネジを締めあげて、更に瞬間接着剤で固定するように試みる。

そこで初めて古いカードか何かをこてにして万遍無く分厚さを整えて、塗布する。5㎜で二日の乾燥時間とあって、一週間ほど乾くのを待つことになっているので、出来るだけ薄く3㎜程度までに抑えたい。既に二度試しているので、今度は上手く行くのではないかなと期待しているがどうだろう。大抵このような仕事は準備とその計画で殆どその出来が決まりそうだ。

さてこの週末は、試飲会以外には、上の修理と、「マイスタージンガー」のお勉強、それに来週のヴィーナーフィルハーモニカー公演のドヴォルジャークの七番交響曲のお勉強と録音だ。ベルヴァルトはヴィーンからの生中継聞くのが一番だろう。ドヴォールジャークもLPぐらいでしか聞いたことが無い曲である。



参照:



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by pfaelzerwein | 2018-09-22 20:25 | 生活 | Trackback

走馬灯のような時間

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出掛ける準備をしている。日帰りなのでなんでもないが、少なくとも準備しておかないと都合が悪い。先ず11時過ぎに出る。16時頃までには高速を降りて市内に入りたい。どこでピクニックするかによるが、街中の渋滞と早めの車庫入れによるベストの場所を確保したい。駐車料金が上がっても帰りに早く車庫出し可能なのがいい。今回は一曲のみの公演なので遅くとも21時半前には再び高速に乗っている。つまり帰宅は午前一時前の可能性が高い。それでも前回は車庫を出たのは22時だったが、帰宅は一時半だったと思う。一時間は早くとはならないが、大分楽だと思う。

今回は前プログラムのラトル指揮の「グルッペン」を是非観たい。もう少し早くした方が確実だろうか、恐らくラッシュアワーでは反対方向からの市内へ入る方向が有利なのだろうと想定する。気温は前回ほど上がらずに天候も夕立のようだ。車に乗っている限りは都合が良い。

ピクニックの場所は欲張らずに高速脇のゼムパッハの湖の休憩所ぐらいか。兎に角それで、朝食以外その日は持たせてしまうのだからしっかり準備をしておかなければいけない。飲み物も2リットルは欠かせない。トリプシェンも天気が良ければ再びと思ったが、無理する必要はない。現金は再来週に再びスイスなのでもう一度換金しておこう。

燃料はリットル147セントと高くついて満タンにしたら久しぶりに100ユーロを超えた。そのことよりも満タン量の燃料が入ってしまったので再びガス欠エンスト寸前だったことを知ったことだ。日曜日に入れたのでまだ走れる心算だったが、高を括っていた。しかしこれで給油無しの往復の心配は全くない。帰りは一部アウトバーンを飛ばしてもいいだろう。

しかし肝心なのはやはり音楽のお勉強で、二楽章でも感心したが、三楽章のブルレスケを改めてみるとこれは間に合うかなと思った。あの走馬灯のような音楽を短い時間で充分に把握できるだろうか?暫くこの曲から遠ざかっていたおかげで油断していた。音符の数からしても終楽章は思っていたよりも何とかなるかもしれない。一楽章もそれ程恐れる必要はないかと感じた。それにしてもフィルハーモニーでヴィーナーフィルハーモニカーを振ったバーンスタインの解釈はとてもいい。なによりも会場の響きがクリアーなので細やかなところが座付き楽団とはいえども良く分かる。フラッシュバックを求めて、イスラエルフィルとの演奏会のプログラム冊子を探したが手元にはなかった。手元にあったのは1970年代のニューヨークフィルとの「巨人」の演奏会のものだった。コンセルトヘボーを指揮してべルント・ハイティンクはどのような譜読みを聞かせてくれるのだろう。



参照:
歴史的独楽器配置の箱 2018-09-05 | 文化一般
殆どマニアの様な生活 2018-08-18 | 生活


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by pfaelzerwein | 2018-09-06 00:05 | 生活 | Trackback

アルパイン協会の表彰

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先週末アルパイン協会加盟二十五年の表彰を受けた。リースリングのワイン一本と25年バッチと友人の書いたヴァンデルングの各地のルートから一冊選んで貰った。最後のものにはアウトグラムを本人に書いて貰った。表彰対象では25周年が一番短く、その次の表彰からは地元新聞向けにプレス撮影があった。

計画が立てられずに一年間お休み状態だったので、その話などをしていたのだが、周りも徐々に年齢が嵩んでいて、若いメムバーと出来るだけコンタクトを取るようにしないと中々続けられない。BASFの熊男のような一人は岩場でひっくり返ったかで腕を痛めていた。筋を痛めたらしい。手を突いたという事だった。

予想しなかったのはクライミングやボールダーで名のある一人が会員で、そこに現われていたことだ。岩場のあるような地域ではクライミング系とアルパイン系の二系統があって、後者は、そもそもアカデミックなアルピニズムの大組織なので、その地域によっては実際にはそれほどアクティヴではなく、厳しい山登りをしている人も多くは無い。前者は、地元の岩山も先ず大きな目標となるので参加している人はアクティヴで、そこからアルプスで活躍する人も居る。その仲間は地元で新ルートを開いているような人で、パリにまでボールダーに行く実力があったので、てっきりアルパイン協会の会員ではないと思っていた。

流石に地元では最も会員数の多い結社であり、幅広い人が参加しているだけのことはある。本人もBASFの水処理のプラント建設、整備の部署に勤めていて、出張が多いと語っていた。離婚してから家を建てて今は横にいたおばさんと住んでいるようだ。あの手の離婚者を見ると最初の奥さん以上に魅力的な女性を連れている人は殆ど居ない。勿論本人の加齢もあるのだろうが、他人事ながらご苦労さんだなと思っていつも見ている。

個人的な目標としては六年先にどれぐらいの活動が出来ているかだ。一先ず目標としていた体力、技術の向上の限界を見定めて、その実力でどのようなアルパイン活動が可能かどうかを検証することになる。実地の経験を積んで行くことも重要だが、アルピニズムの場合は数だけ打つことのリスク増大がとても激しく、命がもたないという致命的なルールがある。その危険性を上手く回避して限界を何処まで高めれるかというのが目標である。



参照:
やらかしてくれる人 2017-02-21 | アウトドーア・環境



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by pfaelzerwein | 2018-08-30 00:00 | 生活 | Trackback

早起きはなんぼの得

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朝四時前に目が醒めた。最近は寝室だけは窓を閉めているが、他の部屋の窓は開けて寒気を夜中に入れておくことにしている。だから明け方になると少し冷える。二度寝で寝坊する。小用に立った序に枕もとのタブレットにメールが入っていた。要件は分かっていたが開けてみると、添付付きメールが届かないという話しだった。そこで直ぐに他の方法を知らせようと思ったが、タブレットでは書き難かった。四時を過ぎていたことでもあり、起きて寝惚け眼でPCを立ち上げて、メールを返した。

そこまですると眼も醒めて、前夜から準備しておいたサイトを開けた。ティケェットの発売日である。来年の五月なのだが、発売時刻などを問い合わせるのを怠っていたので日時しか分からない。だから発売所が開く時間に合わせてと思っていた。その計画でパン屋一走りなどの時間割を考えていた。どうせ早く走り終えて戻ってこなければ、買い時を逃すと思っていたので、PCの前で仕事をすることにしたのだ。五時を過ぎていたから当然だ。するとなんとネット販売が始まっているではないか。

キリル・ペトレンコは義理堅い人である。父親がコンツェルトマイスターを務めた管弦楽団でマーラーの全交響曲演奏のプロジェクトは毎年一曲づつ指揮をする。プロジェクト「マーラー9x9」は進行中である。流石に2016年のべルリナーフィルハーモニカーの後任に指名された時に、地元の人たちはもうこれでプロジェクトは終わりだと覚悟した。しかしなんと最後までやると意思表示があったのだ。

ペトレンコのレパートリー選択は様々な考察が張り巡らされていて、2008年の交響曲第1番に始まって、3、4、5、6、7番が続いて、そして来年はブレゲンツで第8番が演奏される。この交響楽団で演奏されれば他所でも指揮をする筈だ。8番は次のシーズンぐらいにはベルリンに先駆けてミュンヘンでも指揮するのだろうか。それとも就任コンサートで取り上げるのだろうか?第九合唱付きは来年のジルフェスタ―と予想する。少なくとも演奏会までにはその先の予定が発表されているだろう。このフォアアールベルク交響楽団にサラ・ヤクブラックやクラウディア・マーンケなどのソリスツ陣とザルツブルクの合唱団などを加えてブレゲンツ祝祭合唱団などが総力を挙げての公演は夏の祝祭と並ぶ大きなイヴェントになるに違いない。

個人的には、地元フェルトキルヒの定期会員のペトレンコのお母さんを含む人々の様子も楽しみにしているのである。熱い声援があるのか、それとも冷静な姿勢で音楽に聞き入るのかなどとても興味津々で、このモニュメンタルな作品をボーデンゼーの人達は本当に平常心で受け入れられるのだろうかと想っている。私にとってもアバド指揮が曲目変更になって怒り心頭で病身の本人に抗議をしようと思ったぐらいなので、初生演奏体験が待ち遠しい ― いい加減なことを書いてしまった、一体私が体験したミヒャエル・ギーレン指揮の交響曲第八はどうなったのだ、あれは1998年だったのか。

初めてのブレゲンツのフェストシュピールハウスだが、二カ所の定期公演の一つの地元フェルトキルヒで出来なかっただけの大きな編成を入れる1656席の十年ほど前に補修された大ホールである。調べてみると、横に長めの舞台で、平土間が階段状になっていて、大会議に使い易い傾斜になっている。その反面二階席のヘッドスペースが狭いようで、何時もは大編成ではバルコン席を喜ぶのだが今回は平土間とした。その大編成の全景が得られながらあまり遠くないような席を獲得した。朝の時点では、定期で掃けた以外の一席だけ同列で残っていたのが丁度狙っていた列で、お母さんやプレスはその前列ぐらいかと予想した席だった。写真等で研究したので後ろ過ぎることは無いと思うが、一番いい席はどれだろうか。

料金は一番上で特別料金59ユーロでそれに5ユーロの送賃が掛かるので64ユーロになった。コンセルトヘボーの適当な席とあまり変わらないが、出し物が大掛かりなだけ仕方がない。因みに私がログインした時には、GPを入れて三回目の上演の定期会員数の少ないフェルトキルヒ定期向けの晩で、上から68、69、174、138席残っていた。発売初日は50席ぐらいしか掃けないだろうか。

前日に宿も手配しておいたので、無理せずに宿泊可能の準備をした。大掛かりな曲だから、指揮者の叱咤激励の苦労同様に、全身ががっくりと来るかもしれない。



参照:
第八交響曲をキャンセル 2012-05-09 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-21 23:23 | 生活 | Trackback

殆どマニアの様な生活

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歯医者に行ってから初めて走った。明け方結構冷えたので窓を開けている分小用に立ったり、決して深い睡眠とは至っていない。だから朝も陽がのぼるまではなかなか醒めない。結局沢沿いを走るころには陽が昇っていた。それでも16.5度とそれほど気温は上がらない。覚醒しないところで頑張って走るしかないのだ。なにも無理をする必要はないのだが、色々な意味で正常化に戻すにはこれが一番早道である。汗を結構掻いて戻って来た。ワイン街道もそれほど気温が上がっていなかった。何とかこれで仕事も手に付くようになるだろう。

デュカ作曲「ラぺリのためのファンファーレ」、なんてことはないブラスのファンファーレなのだが、ベルリナーフィルハモニカ―は私と同じように泣きべそ掻くかもしれない。フィラデルフィアの管弦楽団がオルガンの響きを出すほどには出来ないとしても、リズムを正確に吹くことで音程を求められると可成り手ごわいのではなかろうか。技術以前にどのように合わせて来るのかが問われる。キリル・ペトレンコ指揮のプログラムはどれもこれも大管弦楽団への課題練習曲のような趣で、結局ついていけない奏者も現われるに違いない。

もう一つの「死と変容」も以前からの感じていたそのサウンドの印象よりも演奏実践の可能性がとても高い曲だと分かった。先ずはしっかり鳴るかどうかというような大管弦楽団の問題もあるが、ホルンの低音や管弦楽法上の可能性と同時に楽劇で発揮する表現の可能性も示されていて、ペトレンコ指揮では一筋縄で行かぬことが分かった。特に弱音からテュッティーでは「悲愴」での鳴り以上に厳格な鳴りが要求されそうで、その間はオーボエの一節の表現が、精妙なリズムで演奏されるとなると、中々厄介だろう。少なくともサイモン・ラトル指揮での演奏のように単純には全く行かない。四回目のルツェルンでもどこまでの精度に持ってこれるだろうか?

BBC4の映像を観る方法を探したが上手く行かない。それは諦めておいて有料の二週間お試しのサイトに入った。数の割にはこれといったものは見つからなかったが、急いでコピーしておこうと思ったのは幾つかある。特に存在を知らなかったようなユニテル制作映像が幾つかあった。コピー防止でネットには出ていないからだろう。その中でも先ず注目したのはアルテュール・ル-ビンシュタインのブラームスの一番協奏曲で、これは五月に勉強していたものだ。但し録音ではイスラエルの管弦楽団の下手なのに晩年のよれよれした演奏でしかなかったが、アムステルダムではそれほど年代は変わらないと思うがしっかりしている。そしてその時に比較対象となったアシュケナージのピアノに付けていたハイティンクの出だしの動機の六拍子を諫めたが、ここでは立派に演奏している。ピアニストの関係としか思えないのだが、決してそれがアシュケナージの奏法と揃っていた訳ではない。恐らく二人の相性が悪かったという事になるのだろう。そしてここではブラームスの直接の指示を参考としたルービンシュタインのそれにしっかりと寄り添っている。

想像するにハイティンクも自己顕示欲が強く出ていた時代もあって、様々な意味で若い時の素直な指揮とは異なって無理して大指揮者面をしていた時期があったのではなかろうか。勿論最終的にもムーティなどと比較すると下のランクであることは間違いないのだろうが、壮年期には謙虚には受け入れられなかったのだろうか。いつの間にかまだ聴いたことの無い指揮者ハイティンクのマニアになってしまったようだ。肝心のルービンシュタインの演奏はブラームスとショパンのスケルツォがあるが、流石に衰えはあるが、音楽解釈としてホロヴィッツなどよりも現代でも通じる謙虚さがある。伝統を受け継ぐ者の演奏に熱心に耳を傾ける若きハイティンクとその姿勢こそ見上げたものである。



参照:
創作などは理解不能 2018-05-10 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-17 23:50 | 生活 | Trackback

あまりにも忍びない

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歯医者に行った。清掃は全く問題なく少しだけ痛い思いをしたが三年ぶりとしては天晴だった。但し歯石で炎症を起こしていたという事で、定期的に来いと言われた。磨き方も真っ直ぐではなく歯茎からブラシを斜めにする感じでやれと言われる。人が変わって若返ったのは嬉しい。しかし肝心の炎症の方はレントゲン結果で隣にも広がっていて悪くなっているという評価だった。確かに黒い部分が広がっている。

歯医者からすると、売上の上がるインプラント治療には早めに二本抜いて一年掛けて完了させたいので、急かされる。対案として四つ被せるブリッジで、これならば二ヵ月で治療完了となる。いずれにしても時間が無い現在、計画も経たないので、年始位に考えるという事にする。双方とも、価格は除いても長短有りそうで、やはり治療過剰のようなことはしたくはない。勿論二者選択可能なのは良いことであるので、ある程度早期の判断は必要となりそうだが、結局現時点で痛くも無く好転しているかに見える歯を抜くのは忍びない。そしておいておけばやはり炎症から痛みが出て来るというのならば、そこまで待つのも自然だ。自身注意しておいて、問題個所の歯がぐらつくとか出血とか、または右の鼻に影響が出て来るとかの様子を見るのが良いかと思った。問題を抱えたままなので嫌だが、もう少し時間稼ぎするのも悪くはない。そもそもインプラント治療は全く容易ではなさそうだ。先ずは掛けた歯の尖っているところを研いで貰った。

FAZが保養地パルムに出かけて報告している。そこの祝祭管は一月に既に欧州ツアーを建国百周年記念として行っていて、来年四月には日本旅行も計画されているらしい。そして既に書いたように、ナショナリズムが表に出されているのは間違いないようだが、プログラムなどが当地からの西ノ海沿岸の国々を代表しているようで、隣り合わせのロシアとの繋がりも管弦楽団として存在している。その最たる歴史として、主催者のパーヴォ・ヤルヴィが10歳の時に保養中のショスタコーヴィッチと出会ったというのもここの看板なのだろう。

音楽に関しては、先ず会場が千人規模で小さいことから室内楽的に広げて行っても飽満するほどで、ロンドンで披露したその通りだ。水曜日はエリプフィルハーモニー公演であるが、これも何れ批評が出るだろう。本拠地ではレオンスカヤが力強い演奏をしたようだが、コーダーでのフルートからの終わりにその民族的なものが示されたとしている。まあ、我々からするとライプチッヒに学んだグリーグの音楽として違和感もあるのだが、彼らの感覚からするとああなるのか?正直ノルウェーの感覚からは大分遠いと感じる。

楽団自体は、コンサートマスターとしてパリ管のフィリップ・アイシェ、ブレーメンからマテュー・ハントのクラリネット、フランクフルトからホセ・ルイス・ガルシアのオーボエなど各地のソロ奏者が核になっていると個人の特定こそは出来なかったが全てプロムで聞き取れた通りだ。

ルツェルンからメールが入っていた。指揮者交代のお知らせで、私が残券を購入してから丸4日経過していた。断り書きを考えていたのか、様子見をしていたのかは分らないが、ハイティンク指揮のマーラーの九番の紹介が踏み込んだ文章で驚いた。

ベルナルト・ハイティンクは、約三十年間華麗なコンセルトヘボー管弦楽団のシェフとして君臨して、特にマーラーの交響曲で注目を集めました。そして九十歳になる今、引き寄せられる第九番をもう一度ルツェルンでご披露します:自ら完成した最後の交響曲。若きアルバン・ベルクは、熱狂して敬愛した作曲家の作曲した最も素晴らしい作品と見做していました。別れのへ悲哀の調べは、同時にもう一つのよりよい世界へと開かれているかに響きます。マーラー自身そのスケッチに「ああ、青春の日々、過ぎ去った時、ああ愛、書き込んで、通り過ぎたもの」との叫びを記しています。そして、「さようなら、さようなら」と二回繰り返す。ベルナルト・ハイティンクは、ルツェルンのこの夕べを長年のマーラーの音楽の総決算と致します。昨年ロンドンでこの曲を指揮した際、ガーディアン紙は「この作品に、これほどまでに愛情を持って労わりつつ、あまりにもの人間性に導かれた指揮者に並ぶ者はいまいと」と認証していました。

ここまで踏み込んだ売り文句は初めて見るが、売ろうとして思い付きで書いたというよりも思い入れが凄い。スイスに宇野功芳は知らないが、それに近い。音楽祭と指揮者の関係からするとまんざらこの煽り文句のようなものも必ずしも遠からずということなのだろう ― 当面マーラーは指揮しないのだろうか。勿論熱心に券を求める我々のような者は大なり小なり同じような感慨を抱いているのである。



参照:
組み込まれる経済プラン 2018-08-15 | 文化一般
呪術から抜けられずに 2018-08-12 | 文化一般


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by pfaelzerwein | 2018-08-15 22:50 | 生活 | Trackback

冷や汗を掻いて避暑

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スタンドに燃料を入れに行く。予めネットで最寄りの安い価格を調べる。私が最近出掛けるチーパーワンは決まった時間帯に安売りする。その前の他所のスタンドの価格を見ておくと所定の時間帯になった時の推定価格が予想可能である。148から始まったが、他所が144ほどを付けている。上手く行けばその価格以下、少なくともその価格までは先ず間違いない。その時間帯が近づくと期待通り145まで下がった。そこからSHELLの自動車クラブ割引で更に1セント下がる。つまり144で購入となるので、急いでいることでもあり欲張らずに出掛ける。先ずはガス欠で動くかどうかドキドキした。幸い何事も無くスタンドに辿り着いて、給油口の横に停めた。再度価格を確認する。これで手をを打つしかないと思って、給油ノズルを取ろうとすると、更に2セント下がって、143になっていた。これで思い残すことは無い。結局142で20リットル給油した。どれだけ得したことだろうか。前日からこれを楽しみにガス欠の危険を冒して引っ張っていたのだ。メータの不調は変わらず、残り0が出続けていた。もしガス欠となると救援を呼ぶか、暑い中をガソリンが入ったポリタンを持って数キロ行軍であった。冷や汗を掻いたのだった。

ザルツブルク音楽祭のコンサート中継録画を観た。失望させ呉れ続けているアンドリウス・ネルソンス指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの演奏で、マーラーの交響曲二番が演奏された。手元が空いていたので、もしやと思って録画していた。そのまさかで、この管弦楽団がこれほどまともに演奏するのを初めて聴いた。この楽団の演奏はオペラ、演奏会双方とも覚えきれないほど聴いている。カラヤン指揮とバーンスタイン指揮は生で体験していないが、ベーム博士指揮の時以上にまともに演奏するのを観聴きしたためしがない。それがこのマティネーの演奏会だった。

同じ場所で同じように「復活交響曲」体験したのはマゼール指揮のゲネプロであった。違いは明らかでその指揮の精度でしかない。マゼールも指揮台を降りて拍の振り方を研究していたが、その程度の精度では全くないようだ。なるほどミュンヘンの座付き楽団が感激して乞うて迎えたがった筈だ。キリル・ペトレンコの原則主義とは大分違って、この指揮者はありの侭を上手く受け入れて、客演でもとんでもない成果を披露する。楽譜の読みも、腰を曲げて頁を捲りながら凝視するかのように結構見ているとは思うのだが、ペトレンコの様には拘らない。これは利点でもあり欠点でもあるのだろうが、少なくともこの楽団を指揮することに関しては今までこれほどの成果を出す人を知らない。ベーム博士のように叱る必要も権威も必要ないのだ。技術と信頼関係だけだろうか。

しかしそれが音楽的な表現として効果があったかどうかは、会場の冷静な反応で測るしかないが、フィルハーモニカーは手応えがあったと思う。サロネン指揮も悪くは無かったようで、放送があればぜひ聞いてみたくなったが、その技術程度からしても音楽性からしてもそれほど期待しない。どんなに指揮者が良くとも11月定期のペトレンコ指揮にも全く期待できないようなドサ周り管弦楽団だけに驚いた。ヴィデオは永久保存ものだ。時間を見て細かな問題点を洗いたい。

取り分け見事だったのは、ヴァルツャーにおけるフィルハーモニカーの香り立つ響きで、これに類するのはメータ―指揮のDecca制作録音しか知らない。ここだけでも指揮者冥利に尽きるだろう。ゲヴァントハウスを振ろうが、ボストンだろうが、ベルリンだろうが、これは得られない。もう一つは終楽章のダイナミックスの付け方で、この指揮者の総譜の読みの確かさと、適格な音化の腕前にほかならない。とても楽団の合奏を活かしながら、その楽団の音響を脳裏に描けるのはこの指揮者の最大の強みだろう。それ故にミュンヘンには興味が無かったとしても致し方が無い。

ここからは妄想となるが、恐らくこの人以上にこの名門楽団を指揮出来る者は存在しないと思われるが、本人は若い男のように色々な楽団を試しながらの伴侶探しのような趣がある。サロネン指揮の演奏会が新鮮で評判としても、それとヴィーナーフィルハーモニカーための指揮とは全く違う。ロスフィルならばそれでもよいのかもしれないが、その方ではソニーグループがジョルダンを売り出そうとしている。国立劇場とフィルハーモニカーは直接関係が無いが、あれだけ立派な指揮をされるとジョルダンはコンサート指揮など恥ずかしくて逃げるに違いない。

どう考えてもゲヴァントハウスとよりはこちらの方が遥かに可能性が高く、相性が間違いないとしたら、ゲヴァントハウスは二年で辞めるのではなかろうか。ジョルダンが劇場でも成功する可能性はかなり低く、こちらも名物の支配人諸共の下ろし運動が起こるかもしれない。但し不可思議なのはザルツブルクの会場がそれほど湧いていなくて、披露したものは通向きなのかもしれぬ。まだ若いのだから、劇場で苦労するのも良いかもしれない。



参照:
「死ななきゃ治らない」 2018-07-08 | 歴史・時事


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by pfaelzerwein | 2018-08-06 23:51 | 生活 | Trackback