人気ブログランキング |

<   2018年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

索引 2018年3月

連邦共和国民の誇り 2018-03-30 | 文化一般
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
次はシェーンベルク 2018-03-28 | 文化一般
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評 TB0,COM2
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
主役は一体誰なのか 2018-03-24 | 歴史・時事
しらなかったなどと 2018-03-23 | 雑感
普段使わないアカウント 2018-03-22 | 生活
2019年復活祭の座席確保 2018-03-21 | 文化一般
「彼女のためなら…」 2018-03-20 | 雑感
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
看護婦さん向き靴下 2018-03-18 | 生活
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
先の準備を整える 2018-03-16 | 生活
パンツ脱ぎ棄てお気楽 2018-03-15 | テクニック
ANDROIDでMIDIを使う 2018-03-14 | テクニック
初物スカンポケーキ 2018-03-13 | 暦
We're going to Baden-Baden 2018-03-11 | 文化一般
勝負にならないもの 2018-03-10 | ワイン
裏蓋を開けて凝視する 2018-03-09 | テクニック
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
演奏会発券当日の様子 2018-03-07 | 雑感
残り少ない冬時間 2018-03-06 | 暦
白船をしっかり見極める 2018-03-05 | 文化一般
解きほぐす冷えたもの 2018-03-04 | 生活
神聖劇の理想的な舞台 2018-03-03 | 音
響く深い陰影を観る 2018-03-02 | 雑感
ワイン蔵の温度変化 2018-03-01 | ワイン

by pfaelzerwein | 2018-03-31 22:14 | INDEX | Trackback

連邦共和国民の誇り

d0127795_20592997.jpg
カーネギーホールからの放送を録音した。現在はオンデマンドで出ているようだが残念ながらMP3で125kbpsしか出ていないので話しにならない ― そもそも前もって使い物にならないと書いたのは先日ヴィーナーフィルハーモニカーのそれを聞いて知っていたからだ。しかしMP3の方がいい音質だと思う人も居れば、やはりライヴは違うという意見もあった。勿論オリジナルの生中継の程度でしか、ストリーミングとそのオンデマンドの優劣をはかれない。そのストリーミングの情報量にも差があり、そもそも生の収録が上手く行っているかどうかもあるからだ。クリーヴランドの管弦楽団の放送は生の方がバランスが悪く、オンデマンドのMP3の223kbps出ているので、なかなか優劣が付け難い。

実際に比較試聴してみるとMP3の方が聞きやすいというのは理解出来た。なぜならば先ず生放送では前半は可成り音量を下げていて、十分なダイナミックレンジを使えていなかったので、バランスが悪かった。そして会場のマイクロフォンも恐らくセンターで録っているようであまり高音が伸びない反面、低音が可成り分厚く響いた。夜中だから分らなかったがハイレゾ録音を再生すると確認できる。また二曲目の後の静まりでも可成り道路の騒音が鳴り響いていたので、低音成分が溜まりやすい音響なのだろう。つまりMP3の方はそうした音を完全にそり落としている。一番分かり易いのはソロを弾いているユリア・フィッシャーの高音弦の弓の当たりや管弦楽団の音色を聞き分けることで、直ぐに優劣がはっきりする。MP3の方の音色は全て艶消しされている。因みに装置の事故の傷は容易に切り取られている。

MP3の問題については何度も書いているが、奇しくも繰り返すことになった。その最大の問題は一聴それが綺麗に響くような錯覚を齎すことで、そこでそり落とされたものが音楽表現であるとしてもよいような状況が存在しているからである。なるほど今回の例でもストリーミングの響きは音量以外にも音域バランスも悪く、必ずしも快さとは相容れないとなると比較する必要が生ずる。またMP3を試聴すると気が付くのだが、ストリーミングではダイナミックスレンジが充分ではなかったので気が付かなかったが、ソロと管弦楽との音量の差が甚だしかったことに気が付く ― 要するにソロ楽器へのサポートが効いていないということだ。

さてその生録音を聞くと、一曲目のドッペルコンツェルトはハムブルクでも書かれていたように名演で、ソロの二人も息があっていて素晴らしいが、なによりもユリア・フィッシャーの音楽性とブラームスが良くあっていて、更に以前エルガーで共演した時よりも遥かにペトレンコ指揮も寄り添うようになっている。相変わらずペトレンコの方は厳しい弾かせ方を徹底していて、ソロでギドン・クレメルなどが遣っていたような管弦楽団演奏になっている。交響曲4番の演奏を聞いて分っているのだが、フルトヴェングラー指揮やベーム指揮の演奏実践があまりにゆるゆるに思える。今回のこうしたブラームス演奏をドイツ風と呼ばなければ、他にドイツ風の響きや音楽などあり得ないだろう。この時点で、キリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのブラームス演奏がどれほど厳しい響きになるかは明白だ。インタヴューでも誇りという言葉が聞かれたが、こうした演奏をする使節を合衆国に送り出す連邦共和国民は首相以下皆それを誇りに思う。

必要もないのになぜかザルツブルクでの演奏会批評が新聞に載っていた。演奏会評は珍しい。それによると良かったのはブラームス交響曲二番だけで、それは皆恐れていた指揮者と楽団のルーティンであるよりもより自由闊達に振る舞った演奏だったということだ。書き手の批評程度は日本人の手によるものかと思うぐらい主観的な報告になっている。要するに音楽がどのようにどうやって奏でられているかなどはあまり関係無く、ただ全身に音響を浴びているだけの書き手である。それでも他のマーラーやメンデルスゾーンやシューマンには大変ご不満のようで、それでもまだオロスコ・エストラーダ指揮ぐらいならまだティーレマンの方がマシだったということのようである。まあ、奏する方も奏する方だが書く方も書く方で、二流の演奏会には二流の聞き手しか馳せ参じないということだろうか。莫迦らしい、紙面の無駄だ。



参照:
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-03-30 21:03 | 文化一般

バーデンバーデンの調印

d0127795_21150711.jpg
ニューヨークから広報の人が書いていた。カーネギーホールからの生放送時間がこちらで夜中になるからだ。まるで月着陸の時のような感じである。兎に角眠い。生を録音するにしてもタイマーをセットしておけば録音可能なのだが、知らない局でもあり、あまり確実ではない。オンデマンドは音質的に使い物にならない。但し映像の場合は生での受信状況があるので、現在UPされているSWR2のラディオ局の映像の様に大きなものがダウンロード出来るときは価値がある。これは例外でARTEの方では大きなものがDL出来ない。MP4であるからデジタルコンサートよりは良くはないのだが、映像はこれで充分だ。音声は月曜日20時からのSWR2でしっかり録音したい。その前には土曜日にオーストリア放送協会で、「三部作」の初日の録音が流される。「外套」の録音に傷があったので、「修道女アンジェリカ」の熱演も併せて、もう一度聞き直したい。

指揮のキリル・ペトレンコにとってはニューヨークは慣れたものだろうが、座付き管弦楽団としてはデビューになるので私たち常連も少しは緊張する。ある意味、ミュンヘンの座付き管弦楽団が出来ることも出来ないことも分かっているのだが、エルプフィルハーモニーなどでの評を読むと期待が高まる。放送のある初日はブラームスとチャイコフスキーであるから、特に後者はブレゲンツ音楽祭でのヴィーナーシムフォニカーとの放送録音も存在して、大凡は想像がつくのだが、そこはそれで楽しみなのだ。

バーデンバーデンでは、祝祭劇場とフィルハーモニカーの間で先五年間の契約が調印されたようだ。実際には2022年までのことを考えて既に計画を進めているのだろうが、大きな費用の必要な舞台などを発注するとなると契約書が無いと動けない。着々と準備が進んでいるようでとても喜ばしい。調印後の記念写真の表紙を見るとバーデンバーデンの祝祭劇場のロゴが真ん中に入っているので、復活祭祝祭期間中のフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの活動を義務付けた契約なのだろう。その他は出演料と費用などの条件やプロジェクトの提案や決定過程を定めているのだろう。

朝知らせを見て、ミュンヘンの劇場のオンライン一般販売に入ってみた。現時点で入手可能な公演などを確認したかったからだ。先ずはウェイティングの番号は240台だった。何時もと同じくこの番号では順番が回るまでに20分以上掛かるので先ずはおいしいキャンセルものは入らない。それでもプッチーニ「三部作」は少し残っていた。これは二回あるので最初のに行ってもいいかなと思ったら一回目はあまり残りが無かった ― 流石に皆よく知っている。そもそも下のクラスの座席は並んだ時に半分で買えたのだ。その時はもう一度などとは全く考えてもいなかった。「パルシファル」は二度行ってもよいかと思うが、これはもしかするとラストミニッツで高額席が出て来るかも知れない。「リング」の方は四枚買うとなると、精々二回ぐらいしか行かないので厳しい。

バーデン・バーデンでの「パルシファル」初日について覚書を付け加えておく。祝祭劇場の音響が大きな話題となったのは、一部の批評が書くように「そのバイロイトの劇場のための書法」が演奏されたことにもあるが、嘗てケント・ナガノの演奏でそれを口にした者などいなかった。当日にメルケル首相も来ていたのだが、それ以上の話題になるようなものではなかった。サイモン・ラトルは今回色々工夫していたと思う。先ず私の上手のザイテンバルコンからは金管楽器は一つも確認できなかった。右端手前のチューバぐらいだろうか。可成りうまく隠していたと思う。それ以外では正面のオーボエのケリーやクラリネットのオッテンザマ―は当然のこと、デュフォーのフルートでさえ際立つのはそのように書かれている上昇音型の時ぐらいで、それ以外は常時見事にミックスされていた。当日のコンサートマスターは樫本氏でこれもとても重要な仕事をしたと思う。ベルリンで再び演奏されて中継されるのでもう少しこ音響に関してはもう一度吟味してみたい。

全体の印象として、ブーレース指揮のバイロイトの響きを聞いたのは平土間の24列目であったが、その時は可成りチェロや中声のヴィオラなどの原色的な響きと同時に低音などの籠もり感が記憶にある。それに比較すると当然ながら分離感のある響きなのだが、音質自体は遥かに暗くミキシングされた柔らかな響きだった。明らかな管弦楽団の技術の差が明らかになった演奏で、あの手の響きを醸し出すときのサイモン・ラトルが最も素晴らしいと再認識する。それだけダイナミックスの差があるものだから無理なく響きの恍惚へと、アマルガウへと無理なく弧を描いていたのである。

どちらでもよいのだがザルツブルク復活祭での「トスカ」への批評も読んだ。もはや誰も期待しておらず、あの高額の席も売れていないようで当然だろう。兎に角、折角のプッチーニの響きをテムポを落としてどやどやとやるものだから、来年の「マイスタージンガー」を待つしかないとされている。夏のヴァークナー祝祭が始まる前に誰も居ない劇場に一人はいるらしい。初代音楽監督というよりもこれじゃまるでファントムデアオーパーではないかと、思わず笑ってしまうのである。



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-03-29 21:16 | 文化一般 | Trackback

次はシェーンベルク

d0127795_23082984.jpg
今年のバーデン・バーデン訪問は一先ず終わった。復活祭祝祭も復活祭月曜日まで続き、その後も幾つかの祝祭週間がある。祝祭劇場の存続を支えたのは夏季のペテルスブルクの歌劇場とゲルギーエフのプロデュースだったが、その意味合いも変わってきている。それに代わって、ナゼサガンのオペラが入ったり、聖霊降臨祭や秋のフェスティヴァルなどに力を入れているようだ。昨年はヴィーナーフィルハーモニカーもゲヴァントハウスにも出かけたが、今年は幾ら安くても時間が無いので行く予定はない。そのままならば次の曲はペトレンコ指揮のシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲である。座席からの写真も撮ってきたので、色々と準備出来ると思う。

ベートーヴェンの交響曲七番は、前々日の「ペトローシュカ」と同じくサイモン・ラトルの特徴が良くも悪くも出ていた。上手く行けば行くほど都合が悪いのだ。勿論その時点で満足する聴衆も少なくなく、実際にスタンディングオヴェーションまで隣と前後で起きたぐらいだ。隣の人も前半のザイテンバルコンの二列目から中央二階正面バルコンの五列目に移ってきた人で、シュトュツガルトから来ていた。あまりクラシックは詳しくないということだったが、アバド指揮のフィルハーモニカーが来ていたとか、大学でのソコロフのリサイタルを聞いたと語っていた。要するにそうした聴衆層には受けるのだろう。しかし、上手く演奏すればするほど感動とは遠くなる。楽聖の音楽からは益々遠くなるのだ。そこが肝心で、勿論私がルツェルンで期待するキリル・ペトレンコ指揮の演奏実践とは程遠い。その差異が分からない人は、シュトュツガルトのカラヤン二世のギリシャ人指揮の演奏にも同じように喝采するに違いない。E-Musikが芸術である限りは厳しい審査眼と上質の趣味が求められる。

サイモン・ラトル指揮の音楽は決して趣味も悪くないが、演奏実践としては必ずしも成功しているとは限らない。特にこうしたリズムの精査や実践が求められる時に完成度が増せば増すほど本質から離れるということで、前々任者のへルベルト・フォン・カラヤンの芸術と全く同じだ。だからなにもラトル指揮の問題は経験不足によるオペラ上演だけではなくて同じようにコンサートでもその限界を示すことになる。それは私自身が初めてこの組み合わせをフィルハーモニーで聞いたショスタコーヴィッチの交響曲八番でも全く同じだった。この欠点を初期に指摘していたのは柴田南雄だったと思う。当時は具体性に関してはよく理解出来なかったが、今はハッキリと分るようになった。敢えて抽象的に表現すると「如何に音楽を作るか」の本質に纏わる音楽性の問題で、これは柴田氏も指摘していたように「(生涯)変わる訳ではない」と、当時はファン心理として信じたくないことだった。

今でもバーミンガムでの指揮の方を評価する人も居て、なぜベルリンでそこまで評価されなかったかという問題と、実は本質的な問題であって、今回その結論を自分なりに下せたと思う。要するに指揮者と管弦楽団との相性ではなく、プログラミングの問題やらで同じ曲をロンドンの交響楽団で演奏しても結果は同じである。完成度が低いだけだろう。それだけにプログラムを選ぶ必要もあり、上のような演奏で喝采する人はロンドンでも同じよう喝采するだろう。

個人的には、そのことを見極められたことと、現時点でベルリンのフィルハーモニカーがどのようなサウンドを響かせるかを確認したことで大満足だった。まだまだフィルハーモニカーはやることがあるのも事実であり、ラトル体制ではいつも管楽器の名手たちが指揮者から祝福されるようにある意味自由度が高い反面、その指揮が歌い込みを許さない融通の利かないテムポを刻み続ける。その中で弦楽器も十分なイントネーションを付け乍ら合わせる力がついていないようだ。明らかに合衆国のトップとの差があり、個性のある古の楽団のような癖もない。だから音楽的に益々薄くなって行く。

そのような訳でサクラも入っていたようだが、バーンスタインの交響曲「不安の時代」は思いがけないほど湧いた。理由は、過不足無い表現がそこにあり、何も作曲家自身の指揮のそれを必ずしも皆が求めないからであり、このような曲であるならばどこの一流交響楽団を振っても同じような質で聞かせるだろう。アンコールに応えて、ジメルマンがマイクを握って作曲家のことを語りハッピーバースデーを弾いた。このピアニストも日本在住かと思ったら思いがけなく流ちょうなドイツ語をしゃべって驚いた。きっとドイツに住んでいた時期が長いのだろう。

日曜日の生放送のヴィデオが綺麗に落とせた。MP4で2.56G、1280x720で音声はAACで155しか出ていないので、映像は悪くはないが、音声はラディオでの録音放送を待たなければいけない。バーデンバーデンへの車中のラディオで、フィルハーモニカーの第二ヴァイオリンの人が毎年同じところに民宿している話しが紹介されていた。アマデウス・ホイトリングというカラヤン時代からのヴェテランである。宛がわれるホテルには全く不満が無いが、大家さんとの繋がりや、家族を呼び寄せての黒い森の散策などの静かさでの居心地を語っていた。劇場から五分ぐらいのところらしいが坂を上がったりで健康に良くて、ザルツブルクに比べるとそれほど商業的ではない風土にも言及していた。

今回の「パルシファル」でそのバイロイトの祝祭劇場と比較される祝祭劇場の音響が語られ、そして今回久しぶりに座った天井桟敷の音響を確認して、以前から思っているよりも遥かにこの祝祭劇場の音響は優れていると感じた。私の二階ザイテンバルコンのお決まりの席も決して悪くは無く、来年のために予約した一階のバルコン席も視覚音響共に可成り良い筈だ。空調の雑音は年々増えてきたが、会場の音響はなぜか良くなった感じがする。理由は分からない。

要するに、ドイツ最大のオペラ劇場であり、音響もコンサートよりもオペラに合わせて作られた近代的な大規模劇場であることを考えれば、ここがあと二年後から音楽劇場のメッカになっても決して不思議ではないと考えるようになった。同時にベルリンのフィルハーモニカーとの繋がりが、街ぐるみや地域ぐるみで更に進化していけば、その芸術的な出来上がりにも大きく影響してくると思う。もしかするといずれヴァークナー博士が何かをここで行うこともあるかもしれない。



参照:
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音

by pfaelzerwein | 2018-03-28 23:09 | 文化一般 | Trackback

そろそろ詰めよう

d0127795_18230727.jpg
金正恩が北京を訪問したようだと聞いて驚いた。今や世界の両大国を天秤に掛ける大外交を行う大指導者になってしまった。恐らく正式に訪問が発表されることはないのだろう。つまり、北朝鮮は中共とは新たな同盟関係を結ぶ必然などない。つまり共同の声明を出すことはないだろう。なによりも合衆国大統領と対等に会見することが肝心で、中共の子分になる必要もない。何時でも北京をミサイルの標的にすることが出来るのも基本外交姿勢である。

先日のアルミと鉄鋼の合衆国の関税は、EUや韓国などの所謂同盟国は除外されたと新聞に書いてあった。日本は今更安い特殊な?鉄鋼を合衆国に売っているのだろうか?いずれにしても安倍内閣はその外交政策だけでも総辞職は免れないだろう。即政権を譲らない限り北朝鮮との対話に乗り遅れることは間違いない。出来の悪い小者は責任を取って直ぐ去るべきだ。

二日続けてのバーデンバーデン往復は疲れた。毎日通ったこともあるのだが、五時間の舞台神聖劇の疲れはやはり違う。そこに一時間の時差が加わるものだから、英国へと飛行機で通っているようなものだ。週末に走れなかったので、峠を攻めた。パンツが脱げたので良かった。なによりも座る時間が長く食事の時刻も変わっていて調子が悪かったのだが、走ってスッキリした。直したGPS時計も曇らず快調で嬉しい。

今年のバーデンバーデンは残すところもう一日で、バーンスタインの「不安の時代」と七番イ長調である。後者の演奏歴史をYOUTUBEで聞いて、まともに楽譜通りに演奏しているのはやはりフルトヴェングラーがベルリンのフィルハーモニカーを振ったものしか見つからなかった。トスカニーニ指揮NBCもおかしな歌い込みや追い込みが掛かっていて不自然極まりない。期待したクレムペラー指揮もLPを持っているのだが、正しい譜読みをしていない。手元の楽譜は音楽之友社版なのだが、これが間違っていて「フルトヴェングラー版」かと思うほどだ。勿論メトロノームの数字は無視しているが、テムポ設定とそのリズムの自然さに感服するしかない。

戦時中の録音を先日聞いていたが、1953年のティタニアパラストでの実況があって、一楽章などは一寸枯れ過ぎているかなと思ったのだが、三楽章などはどうしてどうして立派なもので、寧ろ全体の構成が取れていて、楽譜の読み込みという点では戦後の方が出来が良い。そして放送録音らしきが最近のデジタル技術で、それを更にオーヴァーサムプリングで再生すると、全く以って生中継されている位の感じで聞ける。昨今のマルティマイクロフォンの録音とこうしたモノ録音との差は実況放送では殆ど差がないために、つまり残響成分を楽しめる限り全く違和感なく再生可能となっているのだ。つまり、他の実況録音どころか制作録音でもフルトヴェングラーの実況録音と太刀打ち出来るものは見つからない ― なるほど新たに録音する必要なんて無い筈だ。一番失望したのは老境に入って評判の良いハイティンクの指揮で、何処をどのように読んであのような演奏が出来るのか皆目わからなかった。一度生で聞いてみたいと思っていたが、あのような古典を聞かされるようでは無駄でしかない。要するに他の演奏は楽譜を読み込めていないかそれとも演奏が稚拙で話しにならないのである。ラトル指揮の録画は小さなセクエンツがあったが、基本的にはそれほど悪くはない。但しそれが実際にどのように鳴るかは聞いてみて批評しよう。

日曜日の演奏会については改めて録音録画などを見聞きしてから纏めたいが、再びシマンスキー氏のガイダンスでとても良いことを聞いた。彼はポーランド人であるが、やはりロシア文化も我々よりは分かっていて、その音楽構造を良く知っている。つまり「ペトローシュカ」のロシア民謡についての言及である。

先ず一つは、小さなフレーズの永遠の繰り返し可能なのがロシア民謡であり、そしてもう一つは拍子が同じ強さでとられることなどである。後者はここでも鐘の鳴るようとして何回も扱っていることであるが、ロシア人が手拍子を打つと同じ強さで拍がとられると具体的な言及はとても参考になった。勿論キリル・ペトレンコが弱拍でしっかりと音楽を刻めるのはまさにこれなのだが、彼の場合にはそれがおかしなアクセントとならないのはやはり完全に意識されているからなのだろう。ロシア人のドイツ語としてもかなり癖のない方である、またユダヤ人のドイツ語の要素もそれほどない ― もしかするとお母さんはその姓からしてもそのようなドイツ語が出来るのかもしれない。前者の繰り返しを認識することでストラヴィンスキーのバレー音楽が必ずしも単に繰り返されていないと理解出来る。



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音


by pfaelzerwein | 2018-03-27 18:28 | 雑感 | Trackback

現状認識と今後の展開

d0127795_21443207.jpg
久しぶりのマスメディア批評といこう。とは言っても芸術ジャーナリズムである。土曜日の「パルシファル」初日の批評がネットでは逸早く出回った。ローカルを中心に出揃った。恐らく早出しの人は水曜日の総稽古を見て準備していたのだろう。日曜日の夏時間への移行で一時間週末が短くなったのにも拘らずで、月曜日の朝刊に間に合わせる締め切りが決まっていたのだろう。バーデンバーデンのホテルではキーボードが盛んに響いていたと思う。

ローカルで目ぼしい記事は見つからないが、挙ってディーター・ドルン演出を貶し、その舞台、衣装、照明を貶すのに字数を使い、短くラトル指揮と歌手について報告している。歌手についての評価はこれほどバラバラなのは知らない。これはやはりオペラ劇場の土壌の貧しさだと思う。要するにミュンヘンの劇場とマンハイムやカールツルーヘのそれとの程度の違いがこうした地元の聴衆の質の差でもありそれがジャーナリズムにも表れている ― これはペトレンコを迎えるにあたって我々も尽力していかなければいけないと思っている。私でもミュンヘンに通うことになってやはり学んだことはあるのだ。

それからするとバイエルン放送協会の記事はそれなりにそこもつついていて、なぜラトル指揮では歌が上手く行かないかを皮肉交じりに表現していて、「どうもラトルは実際集中的に練習をしたのだろう、なぜならば初日本番で殆ど舞台を見上げなかったから」と「歌手陣はオートパイロットに切り替えた」とあり、これは私自身の観察と書いたこととほぼ同一だ。ミュンヘンでペトレンコのそれをいつも見ていれば誰でも気が付くことで、要するに舞台は生き物なのだがそれに対応するだけの修行も積んでおらず、その手兵の管弦楽団に対しても同じだったのがフィルハーモニカーに「ラトルの弱み」と言わせしめたところである。初日直後のクンドリーを歌ったドノーゼのインタヴューで「それどころか自由…」で消されているところでもある。

ラトルと音楽劇場に関しては語りつくされていることでもあり、今更繰り返す必要はないのだが、繰り返される。それでもそのように書く放送局自体が来年にはサイモン・ラトルに「ヴァルキューレ」を振らせるという市場があるということも事実なのである。

月曜日のFAZ朝刊にはバーデンバーデン入りしていたおばさんではなくて ― その横にはヴェルト紙の「ベルリンフィルの候補者はユダヤ人の巣窟」とティーレマン落選を嘆いたヘイトバカ親仁が居て、私が購読者なら下ろさせる ―、元ベルリナーモルゲンに書いていたブラッハマン氏が報告している。演出の意図を上手に報告している。要するに「楽匠の目した芸術を通しての救済などはもはや求めようがない」という演出だったという評価になる。恐らくこれは正しいのだろうが細部に関しては中々読み込めない。二幕のクリングゾールの魔法の庭の背景のブロックを、皆ベルリンのあの記念碑の灰色のブロックと見たらしい。そして世界の現実は聴衆の皆が知っている通りだ。

音楽に関しても「管弦楽の音響のデリカテッセは、そのもの過繊細の程度にまで至った」として、「バーデンバーデンのピットは開いているのにも拘らず殆どバイロイトの蓋付きのように聞こえるとされる」と、「弦は柔らかく押さえられて響き、木管は遠くからの鳥の囀りの様で、金管はどこまでも深い空間からのように柔らかく響く」と絶賛している ― 今後を想い描いたこの言及にはとても共感を覚える。「ラトルは、印象深いエレガントな管弦楽の歌でとても過敏に反応した」と「これ以上に美しく歌われることは考え難い」と声楽陣も絶賛している。

高級紙FAZは音楽面においても演出面においても「批評」をしているが、老舗のノイエズルヒャーのそれは難しい言葉を使いながらももう一つ核心をついていないようでその両面においてもどかしい。FAZは金曜日にはティーレマンのインタヴューを載せていて、これは面白かった。要するに業界で音楽で競争するのは疲れた、もう他で振るとかと言うことよりもドレスデンで質を求めたいという今更ながらの敗北宣言をしている。どうもこの人はメディアに乗せられて、クラオタ同様に自身で超一流と錯覚していたみたいな節がある。マーラーを振るにあたっては「若い指揮者には難聴になるから気をつけよ」と自身のレパートリーの限界とともに語っている。まあ、ローカルで市場がある限り活躍すればよいのではないかと思うと同時に、二国がザルツブルクイースターと協調するということで、いずれは自己の市場がありそうな東京で活躍するのではないかと思われる。彼には彼の経験があり日本で十二分に重宝されると思う。

バイエルン放送局が伝えたエルプフィルハーモニーでのニューヨークへの壮行演奏会にメルケル首相が訪問したのはいい知らせである。なにが良いかと言うと、恐らく一先ず公職の任期を終える2020年にはキリル・ペトレンコには少なくともヤンソンスに出した外国人へのその勲章以上のものを出さないといけないからだ。出すのは大統領かも知れないが、連邦政府が選任する筈だ。バイエルン州の推薦は既に準備してあるに違いない。兎に角、キリル・ペトレンコには連邦共和国に留まって貰わないといけない。これは連邦政府の文化政策の少なくとも音楽分野においては重要な柱だと思う。何しろマエストロムーティがシカゴ饗を引き受けていなかったならペトレンコが受けていたらと思うとぞっとする。それもあって来年のマエストロの協演は楽しみだ。



参照:
Klingsors Zaubergarten trägt hier Betongrau, Jan Brachmann, FAZ vom 26.3.2108
Musik ist kein Weg, um vor sich selbst davonzurennen, Christian Thielemann, FAZ vom 23.3.2018
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-03-26 21:47 | マスメディア批評 | Trackback

舞台神聖劇の恍惚

d0127795_09170603.jpg
バーデンバーデンの復活祭から帰宅した。しかし明日もあるのであまり詳しくは書いている時間がない。それでも頭を空っぽにして明日に挑みたい。さて短く纏まるか、試してみよう。

結論からすると、「パルシファル」は復活祭オペラの中では断トツの出来だった。「鳥肌もの」の声を聞いた。洟を啜る音が方々から聞こえた。それは第一幕と第三幕の中間部であって、ガイダンスのシマンスキー氏に言わせると、シムメトリー構造の二幕の真ん中の口づけ、それを囲む両幕の三部構成の各々真ん中のミステリウムのそれも初期バロック劇に相当する部分となる。要するにミサでもなく劇でもない、まさしく舞台神聖劇の意味するところはそれにあたり、ルネサンスのそれとはまた異なることになる。それが、「魔笛」の影響であり、「マタイ受難曲」の影響の一部であるともいえる。

特に一幕のそれは凄まじくその後に続く「天の声」の子供ならず女声の効果といい、もうこれは会場の音響効果を含めて六月のミュンヘンでは期待出来そうにもないエクスタシーに満ちていた。だから皆の洟が垂れ放題になってしまったのだ。その成果はなにもフィルハーモニカーの名人芸だけではない、ラトルのテムポ運びの適切さであり、これは恐らくラトルが今までなし得なかった音楽表現に違いない。前奏曲からしてとてもダイナミックスを押さえながら、まるで日本公演以降のキリル・ペトレンコの音楽表現をヴィデオで研究したかのようなそれなのだ。

そしてこうしてフィルハーモニカーを鳴らして、歌手を歌わせる限り、ミュンヘンの劇場の比ではない祝祭劇場のアコースティックを確認した。私などは六月との比較もあるが、もしペトレンコがそこで振っていたならばと思い浮かべて感極まってしまった。要するに管弦楽団の技術の問題だけでなくこの祝祭劇場が音楽劇場のメッカになる可能性を大きく膨らました。

そこで肝心の前日に聞いたハンス・クナッパーツブッシュ指揮のフィリップスの名盤で感じた疑問、つまりこの楽譜はあのバイロイトの深い奈落の中で何が何だかわからないような音響のアマルガムとして響くのが目されたとして、それならばブーレーズ指揮のそれが間違いで、クナッパーツブッシュのそれが正しいのかという問いである。これに関してとても明白な答えをシマンスキー氏は出してくれた。

つまり、前奏曲においてもまたミステリウムにおいても終結においても、その音響のアマルガムの中ではっきりと透明に木管が聞こえるようになっているというのだ。これに関しては前日クナッパーツブッシュ指揮のそれでもはっきりと上昇旋律でまるで音色旋律の様に受け渡されるそれを聞いて気が付いていたので、上のような疑問が生じたのだ。つまり三幕では、長い永遠に明けるかどうかも分からないような冬が明け、丁度この日のような春が遣って来る。その時の木々の梢の植物の芽生えのようなそれがまさしく木管の響きであり、囀りであろう。キリスト教の復活祭について詳しい人にはそれ以上は態々説明する必要が無いが、実は上のミステリウムというのは決してキリスト教的だけではないカーニヴァルに相当するとなると、更に語るべきことが増える。演出について語る時にでももう一度振り返ろう。つまりアマルガムから清澄となるところは歌詞の通り救済となる。

クナッパーツブッシュ指揮の当該録音では、記憶にあったほどには、三幕の聖金曜日の音楽はあまり成功していなくて、今日的な耳からすれば明らかに本日のラトル指揮の方が遥かに心を揺さぶる名演奏だった。そして歴史的演奏の一幕のその部分では崩壊直前のテムポ運びと運弓となっているので年齢的な体調もあったのかなと思ったのだが、ラトル指揮の聖金曜日からミストリウムにかけてのテムポ設定とまさしく運弓はクナッパーツブッシュのそれを想起させた。なるほどバイロイトのそれでは音楽的な精査とはならなかったがフィルハーモニカーならではの素晴らしい効果を上げていて、またここでもミュンヘンでは無理だなと思う反面いづれペトレンコ指揮になると思うと胸が一杯になる。

コンサート指揮者サイモン・ラトルではどんな歌手を集めても大きな効果を上げることが儘ならずとても惜しいことになる。合唱のフィルハーモニアヴィーンも楽友協会のそれとは格段の違いでしっかりした子音を響かせたプロの合唱団であるが、如何せんラトルの指揮では十分な歌い込みが出来ないどころか、花の乙女たちのアンサムブルでもとても惜しいことになっている。ペトレンコが振っていたなら同じメムバーでミュンヘン以上の成果を上げられるのではないかととても残念だった。それでもやはりいつも同じアンサムブルで芝居をしているというのはやはり違うかもしれない。しかしこの合唱団も潜在能力はとても高い。

歌手ではラトル指揮でも全く問題なく歌い熟すのはグールドでありやはり最後まで立派な歌だった。フィンレイのアンフォルタスはゲルハーハ―には遠く及ばないだろうが、ペトレンコ指揮のヤーゴは期待できる。グルネマンツを歌ったゼーリックは全く悪くはないどころかパーペのそれと違って最初から飛ばしていて、また指揮の弱音に合わせたそれはパ―ぺのそれより技術があるかもしれないと思わせたが、一幕後半になるとどうしても疲れも見せていた。それでも三幕では再び回復していたようで、体力はあるように感じた。エフゲニー・ニキーティンは声はあるのだが、技術的にヴォルフガンク・コッホの方に期待させた。その他声楽家にとってはやはりラトルの指揮で歌うのは気の毒だと思う。あの杓子定規な振りでは、息つくことなく、性格的に歌い込めなく、まるで合唱団のテュッティー以上の様には歌えない。

演出のディーター・ドルンは激しいブーイングを受けていたが、上の救済などの場面、更に奇跡、晩餐など特定の宗教性を排除してとても素晴らしい解決法で、流石にヴェテランのそれだと分かった。ラトルのピアニッシモからエクスタシーまでのそれに矛盾しない舞台作りは、一部人物の動かし方などに疑問はあったが以前のケントナガノ指揮のレーンホフのそれとは比較にならないほど優れていた。だから何時ものことながらあのブーイングは全く意味不明だ。

もう一つ書き忘れてはならないのはラトルのテムポ設定で、三幕でミストリウムから「晩餐」の倍速ほどの部分を挟む形となったが、それによってフィナーレまでとても全体のテムピが考え尽されていたことは言うまでもない。その意味においてこの上演はフィルハーモニカーの勝利ではなく指揮者の勝利であって、正しくパルシファル的に救済したという事になろう。バーデンバーデンの復活祭オペラ上演において、例えば「トリスタン」のそれはヴェストブロックの管弦楽に張り合うような歌唱とその鳴らしっぱなしの管弦楽ではなくて、少なくとも音を絞って求心的な音を出したことだけでもオペラ指揮者としての成長を示したのではないだろうか。勿論キリル・ペトレンコのそれと比較するのは酷であるが、少なくともネゼサガンのようなおかしなリズムも刻むことなく、立派に振り通した。やはりオペラ指揮者ケント・ナガノとは異なる超一流コンサート指揮者の舞台神聖劇上演だった。



参照:
We're going to Baden-Baden 2018-03-11 | 文化一般
初物スカンポケーキ 2018-03-13 | 暦


by pfaelzerwein | 2018-03-25 09:18 | | Trackback

主役は一体誰なのか

d0127795_23083208.jpg
トラムプが建てた貿易障壁で影響が出ている。個人的には直接はないが、上海からフランクフルトに来た旅行者が買い物をするための銀行から金が出せなかったという。限度額200ユーロを超えたからということらしい。つまりシナから対抗制裁によっての爆買いはこれでなくなる。合衆国の輸入障壁などよりもシナの対抗制裁の方が遥かに世界中の多くの人に影響を与える。ドイツ連邦共和国も愚かな輸入障壁には厳しい態度で挑んでいるが、これでワシントンは四面楚歌になるだろう。もはやトラムプ政府は世界の敵であり、悪の枢軸の親方の違いない。世界のどちらが主役かはこれではっきりする。

「ペトローシュカ」の録音を聞いた。昨年ベルリンのフィルハーモニーで演奏されたもので、日本公演では更に上出来だと評判が良かったものだ。改訂版と態々あるが、一般的には西欧的な合理的な譜面の版と思うのだが調べていない。フィルハーモニカーのフルートやファゴットなどの管楽器群の名妓性を示した演奏である。何か所か意味不明の歌わせ方などもあったのだが、版の問題がソリスツの独自性に任せたものかは見当が付かない。それでも熟せば熟すほどハマる演奏だと思った。しかし同時に昔のフォンカラヤン時代のそれの様に、その特徴こそ異なるが、「普遍の完成」に近づくような演奏形態だと思った。

それと比較する意味で、イスラエルからのペトレンコ指揮の演奏実践を放送前から色々と想像していた。今回改めて譜面を眺めながら録音を流して腰が抜けそうになった。その録音や録画は何回かBGMで流していて分っていた筈なのだが譜面と合わせて真面なスピーカーで真剣に聞いて驚愕した。予想ではロシア風の節回しなどが出て来るかと思っていたが、またまた天才の遣ることは想定外だった。

そのリズムの扱いが何時もの様に安定していて、ここでもテムポは早い筈なのにしっかりと拍を刻んでいる。要するに楽器が過不足無く歌い込めるように拍が取られる ― ペトレンコ自身もオペラでの経験を感謝しているのではないかと思う。こうなるとあれほど正確に聞こえたラトルの打拍がまるで上滑りするかのように聞こえるのだが、決してその辺りのロシアの「巨匠指揮者」のようなタメるくどさや深堀が見当たらない。その反対で楽譜を忠実にイスラエルフィルでも弾きやすいような精緻な指揮となっていて、メータが振る時のようなこの交響楽団のユダヤ的しつこさが無い。

改めてヴィデオを確認したいが、やはり技術の卓越と共に楽譜読み込みの情報量の桁が違う。ラトルのストラヴィンスキーは寧ろ十八番に近いものだと思うがあまりにも西欧的に表面的な譜読み以上に踏み込んでいない ― アバドのそれとの比較が面白いだろう。アクセントや前打音なども正確に演奏されていても、引っ掛かりが無いのはまさにカラヤン節をもこの最も距離のある指揮者の音楽から思い出させる。やはり改訂版は違うのだろうか。

イスラエルフィルは健闘しているもののベルリンのそれとはそもそも比較対象にはならないので、その音響はBGMとしての印象ではとても冴えない。それがこうやってみると譜面が浮かび上がるような演奏をしていて ― 全く声部の強調とか対照とかの単純な書法ではない ―、正しくペトレンコが読み取ったそのストラヴィンスキーの響きをなぞっている。変拍子の扱いもアクセントもしっかりと音化されていて天晴なのだ。それでもベルリンとの響きの差は甚だしい。こうした演奏を観察すると、個人的には確信したことはないのだが、「20世紀の最高の作曲家はストラヴィンスキーだ」という意味も合点が行く。

このように覚醒してしまった耳で日曜日にその生演奏を批判的に聞くことになるのだが ― 本当に難儀な境遇であり、良い意味でも悪い意味でもサイモン・ラトル時代を表徴する演奏会になるのではなかろうか、複数のストリーミングや放送で生中継され再放送されデジタルコンサートにもアーカイヴされる。長年のファンとしてはしかと見極めたいと思う。



参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-03-23 23:11 | 歴史・時事

しらなかったなどと

d0127795_19405078.jpg
バイエル社がザントを吸収するそうだ。一昨年はモンサントを吸収したが、これは初耳だった。巨大になるというよりも如何にも業界の整理が始まっているという印象がある。バーゼルでの流出を減らして、出来る限りラインを汚さないようにして、下で汚すように再構築して欲しい。

1ユーロ少しで入手した蓄電池を時計に組み込んだ。先ずは先日組み込んだ分厚いもののケーブルを外す。綺麗に外そうと思うと細かいのでそれほど雑には出来ない。そして入手した4ミリ厚のものを設置しようと思うが中々方向やら裏表が定まらない。収まり難いのだ。こんな予定ではなかった。二ミリ薄くて同じ大きさだから簡単に収まると思っていた。それが形が整っているものではないので食み出したりする場所が出てきて、形を揃えないと上手く入らない。横幅が5ミリ広いものをシナに発注したが本当に収まるのだろうか?

電池の方向や向きを定めて、線の取り回しを吟味して、半田付けとなる。自身の不器用な手先ではこんなものだ。このために新規購入した半田こてはとても助かった。温度も丁度良く、過熱もあまりなくとても扱いやすい。半田付けが楽しくなるようなこてである。ネットの評価通りだった。

問題は防水パッキングで、開け閉めしているうちに一部が切れかかって伸びてきた。いずれ貼り付けないといけないかもしれないが、シリコンで接着効果の薄いものなどを探さないといけない。このまま使ってみて、ガラスなどが曇ることなく、順調に作動すれば、シナから発送された充電池に取り換えれば最後までもう二三年使えるかもしれない。問題は防水である。

週末に迫った復活祭音楽祭のお勉強に追われる。初めてみる「ドンファン」の楽譜と、手元にあるLPを比べてみる。賞などを獲得したドレスデンのシュターツカペレをルドルフ・ケムペが振ったものは予想していたよりも健闘していて、当時の東独で時間を掛けて録音したのではないかと思う。現在のシュターツカペレでこれだけの録音が可能だろうか?その比較としてSACDでルイージ指揮の一時代前のものが手元にあった。流石にこの座付き管弦楽団らしからぬ整理整頓されたアンサムブルが聞けるのだが、この指揮者の特徴も見えてくる。生で聞いたことのない一流指揮者なのだが、そのアゴーギクなどの作為的な特徴がマゼールなどに似ていて興醒めした。なるほどこれならば管弦楽団と喧嘩別れになった筈だと思った。こういう名門は盆暗指揮者の方が遣り易いのだろう。曲自体は思っていたよりも中々微妙な書法で、コンサートで好んで取り上げられる理由が分かった。

もう少し「ペトローシュカ」と「七つの初期の歌」と「シェーラザード」を調べて、金曜日には「パルシファル」全曲の名録音をもう一度通したい。曲数が多いと演奏時間は短くてもそれなりに負担は増える。バーデンバーデンでのプローベは順調に進んでいるようなので否が応にも期待が高まる。座席も大分埋まってきたようで、特にラトル人気に最後の火が点いたようだ。

その一方フィッシャー指揮の会は散々で、二階バルコンの閉鎖を決定して、平土間に追いやられるようだ。つまり安い座席の販売を中止した。イヴァン・フィッシャーの経歴も長く、2015年の後任者候補の中ではティーレマンよりは良いと思っていたが、なんといっても人気が無い。楽器配置を変えたりのアイデアも否定されるものではないが、所詮普遍性をもつアイデアではなくて極個人的なそれとしか思われていないようなところが、こうした東欧出身の音楽家への西欧での観方であり、実際にそうである。まあ、彼らからすればある種の市場開拓であるから、そうした特異性というのも市場的には必ずしも悪くない売りなのだろう。

車中のラディオはフェースブックの顛末を伝えていたが、そもそもネット上にクラウドであれ何であれ個人情報を上げているのが悪いのであって、それが裸の写真であろうが何であろうが同じである。特にフェースブックの場合は十年以上前から米国の親戚や仕事仲間からお誘いがあって、とんでもない個人情報が入っているなと思って、敬遠したのだが、ドイツでは特に強い懐疑が払拭せず、業務用は兎も角個人用では評判が決して良くは無かった。どんなデジタル情報も同じだが一度ネットに上げて仕舞えば全ての情報は制御の効かないところで流れるということだけは明白にしておこう。要するにネットのデジタル情報は全て無料である。



参照:
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境


by pfaelzerwein | 2018-03-22 19:43 | 雑感 | Trackback

普段使わないアカウント

d0127795_19340717.jpg
雪は飛んだ、凍り付いて残っているだけだ。沢の往復をしたが、陽射しの割には寒かった。真冬と同じだが、それでも戻ってくると苦しく汗を掻いていた。パンツを脱ぐのと脱がないのでは大分違う。GPS時計は再び依然と同じような状態になって、充電が飛んでしまった。原因は徐々に推測可能となって来て、どうも使ってから洗ったりするとシュートするのではないかと思う。新しい電池を二回飛ばしてしまっているので、ここで原因を追究して、届いた容量の小さな充電池では飛ばさないようにしなければ限が無い。また二週間ほどすれば最終の充電池がシナから直送される筈だが、その時までにすべてを解決しておこなければいけない。

先日から峠へと駆け上がる二度目のカーヴを過ぎたあたりで何度も鹿を見かけた。以前はバムビの親子が散歩していたようなところなのだが、尻も身体も大きなメスの鹿のようである。その森では殆ど鹿を見たことが無かったので、森の伐採作業で場所を移動したのだろうかとも思う。するとバムビの方は既に間引かれたのかもしれない。

先日の警察聴取の顛末をまだ書いていなかった。被害届を出したのである。被害内容はネットショッピングで私の貴重なマイレージが殆ど使われてしまったことだ。マイレージは仕事で使う分も盛んに集めていて、ファーストクラスで大陸横断出来るほど集めた。つまり百万円相当となるだろう。これが遣られたのである。そもそも自分自身ではアップグレードでしか使っていないので一体どのように使えるのかすら知らない。だからどのような方法で悪用されたかも知らないのだ。上一桁使われていて、最初は点数制度の変化かとしか思っていなかった。つまり一桁減って最初の二ケタの数が増えていたのである。だから調べるまでに時間が掛かった。

そもそもアップグレードしか使わないものだからマイルズアンドモーアのサイトのパスワードも分からなかった。クレディットカードで集めるようになってからは殆どログインしていなかったのだ。そしてメールでパスを取り寄せて入ると、本が買われていた。そもそもそのサイトは知っているが自身のアカウントを使った覚えもなく、一度購入したことがあるかどうかである。完全に詐欺と思ったが内容が分からないので、マイルズアンドモーアに照会して、詐欺ということで、被害届を出せば、補充して呉れるということになったのだ。落ち度はどこにあるか釈然としないのだが、そもそも私自身の番号と名前が分っても、点数が分からなければしっかり使えない筈なので、フィッシング詐欺とアカウントへのログインを組合わせないと悪用が出来ない筈だ。

色々と推測させることもあるのだが、先方のシステムやメールの数々も煩わしく、中々問題点を同定出来ない。先方が補填した理由はそこにあり、ある意味セキュリティーの盲点を突いた犯行になっている。誰でもクレディットカードの番号とかは気をつけるがまさか桁の多いそれと姓名とアカウントだけでこれだけの小さくない額の詐欺が可能とは思わないだろう。ネットショップの書籍も恐らく全く違った地域の私書箱等に届けられているのだろう。書籍数十万円分を故買したらどれぐらいになるのだろう。

実は、この件に関してマイルズアンドモーアに接触若しくはログインするころから急にスパムメールが増えていて、これまた本メールアドレスのテレコムのサイトへのログインのパスワードを変える必要が生じた。PC自体は全く感染などしていないことは改めて調査して確認したのだが、こうした普段は殆ど意味をなさないようなサイトのパスワードが意外に単純なそれになっていて、重要視していないので犯行の切っ掛けになるようだ。普段は使わないとPCが変わるとログイン不可能になるが、パスワードをリセットするなりの方法でセキュリティーを高めておかないと、どうも駄目なようだ。

朝は氷点下、午後は強い陽射しとかなりの温度差がある。室内や車内にいるととても眠くなって堪らない。頭に空気が回らなくなって、特に夕方はうとうとしてしまう。



参照:
所轄の警察に出向く 2018-02-22 | 生活


by pfaelzerwein | 2018-03-21 19:36 | 生活 | Trackback