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干ばつの毎日の驚愕

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「ドンファン」のバーデンバーデンでの演奏を聴いた。サイモン・ラトル時代のフィルハーモニカーの演奏の特徴が良く表れていて、聴かせるようにはなっているが、ネゼサガン指揮のフィラデルフィアと比較すると指揮も荒く、演奏もその通りでしかない。フィラデルフィアも楽譜を見ながらだと、ここはそこはと解決しなければいけないところが次々と出て来る。所謂キリル・ペトレンコの眼鏡を通した楽譜の読み方をするとチェックポイントが沢山出て来る。

それでも最後のところで木管がハーモニーを重ねるところの響きは驚愕以外のなにものでもない。管弦楽を称してオルガンの響きとか比喩的に評することは多々あるが ― 先日のローエングリンの響きを称してアマルガムと称するのと違うのか? ―、ここでのように本当にオルガンの響きを聞いたことは無い、今まで世界中の数多くの管弦楽団を聞いてきたがこんなのは初めてだ。一体どのようにして音程を合わしているのだろう。

クリーヴランドからの「トリスタン」放送後、タイマー録音でシカゴからのそれを録音したが、残念ながら時差を一時間読み違えていて3時始まりを2時として二時間後に終えたので、バーデンバーデンで聞いた「展覧会の絵」を録り損ねた。それでもドヴォルジャークなどがあって演奏程度はよく分かった。正しく評価するとベルリンのフィルハーモニー以下でも以上の交響楽団ではない。つまり今や頂点とは大分離れている。来年日本でヴェルディのレクイエムを演奏するようだが、バーデンバーデンでのフィルハーモニカーを指揮するよりもいい演奏するとは全く限らない。寧ろいつもの最高品質のエンターティメントの域を出ないことは分かっている。なにかこの二つの交響団が結構似て来ていて、今の状況から抜けるには指揮者の指導しかない。ムーティーには求めようが無いもので、ペトレンコにしかない。

ドイツは干ばつと言われている。その被害が農作物に出ていて、朝のニュースも農林大臣のクロックナー女史が先ずはEUを待たずに連邦共和国内での農業補償を八月末までに出すと声明した。三分の二減ほどの不作が予想されていて、未だ嘗てなさそうである。少なくとも室内で過ごしている限りはとても気持ち良い夏で、夜中の冷え込みが気持ち良い、しかしここ二週間ほどは窓を開けないと眠れない。そして冷えて来るのか昼間に補給した二リットル以上の排水が必要になる。それでも布団の中で汗を掻くよりは気持ち良く眠れる。

干ばつの被害は農業だけでなく、原子力発電所にも出ていて、ご近所のフィリップスブルクの最後の一機もラインの水温が上昇して冷却水の温度が上がり、一割方の操業制限がなされるとあった。どのように調整するのか知らないが、制御棒を一部に下ろすという事なのだろうか。そんなに器用なことが出来たのだろうか。その他の稼働中の原子力発電所にも操業規制が掛かったという。



参照:
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活


by pfaelzerwein | 2018-07-31 23:21 | | Trackback

索引 2018年7月

エルドアンが打つ楔 2018-07-31 | 歴史・時事
居眠り防止をどうするか 2018-07-30 | 生活
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
就寝不可能な昂り 2018-07-26 | 女
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感  
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活
其々の祭りの季節 2018-07-21 | 生活
再びあの座席の幸福 2018-07-20 | 生活
画像の質も生と比べると 2018-07-19 | 雑感
五十歳での主夫見習い 2018-07-18 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
予想される一時間遅れ 2018-07-14 | 生活
涼しくて快適な七月 2018-07-13 | アウトドーア・環境
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
情報量の大小を吟味 2018-07-11 | 文化一般
興奮醒めぬ中継映像 2018-07-10 | 文化一般
見所をストリーミング 2018-07-09 | 音
「死ななきゃ治らない」 2018-07-08 | 歴史・時事 TB0,COM4
今夜は半徹夜仕事か 2018-07-07 | 生活
血となるワインの不思議 2018-07-06 | 文化一般
毎日、一期一会 2018-07-05 | 生活
考慮する戦略的推進策 2018-07-04 | ワールドカップ06・10・14
アマルガムの響きの中 2018-07-03 | 音
聖杯で強化一発、寸止め 2018-07-02 | マスメディア批評
LadyBird、天道虫の歌 2018-07-01 | 女

by pfaelzerwein | 2018-07-31 10:34 | INDEX | Trackback

エルドアンが打つ楔

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ホヴァーリングのヘリが喧しい。この辺りでのヘリは緊急搬送しかないのだが、普通はホヴァーリングでは無いので皆が窓からのぞいた。日曜の晩であり意味が皆目解らなかった。結局二日続けて合計二時間ほど同じような場所で留まっていた。そちらの方を見ると我々の城がナイトアップされて浮かぶが、今時写真撮影のためにヘリを飛ばさない。高度からすると通常のドローでは無理という事なのだろうか。今時GPS測定もあり本当に理由が分らなかった。

ドイツナショナルチームを引退したオヅュールのことが話題になった。新聞にも記事が出ていたので、少しだけ触れておこう。なぜ少しなのかはフランクフルトアルゲマイネと考えが同じだからだ。オヅュールは自身の分からないままに徹底的に政治利用されて、その姿勢を良しとするトルコ系ドイツ人は皆エルドアンの手下だろう。エルドアンらの戦略は、現在世界中に蔓延しているポピュリズムの典型的な手法で、如何にも皆が「本音を言えばその通りだ」と思わせるような現象を突く。つまり連邦共和国内で「トルコ系ドイツ人が二流市民であり続ける」事象に疑問を投げかけるという手法である。しかし彼のようなポピュリズム手法でなく、多岐多様に亘って様々な試みがなされている訳で、そうした実情を知らない単純なトルコ系人や外国人に訴えかける手法である。

そもそも今回のこのナショナルティームの代表的な選手がこうした発言をすることで、やはり様々な試みはされても如何に簡単に解決策が無いかを示しているに過ぎない。新聞が心配するのはこうしたやり場の無い現状を嘆くばかりか、「やはり外国人労働者の移民は駄目だ」と思わせかねないような議論に発展することである。実際にAfDは野党第一党の支持がある。議論をすれば民主的で、それがいつも必ずしも最も優れた解決法では無いという事ではないか。エルドガンの戦略は、このことを議論することで連邦国民の中に深い断裂を作り、そこに楔を打ち込むことにあるとされる。



参照:
世相を反映する歴史的事実 2016-08-01 | 歴史・時事
反面教師にみる立ち位置 2008-02-13 | 歴史・時事



by pfaelzerwein | 2018-07-30 23:43 | 歴史・時事 | Trackback

居眠り防止をどうするか

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まだ涼しいうちに峠を攻めた。それでの気温摂氏20度だった。何時かなと思って時計を見ると五時台で一時間違った。時計が狂っていた。気になったが、お勉強する音楽が暑苦しくないかなどと走りながら考えていたが、便意を催すようになると駐車場に着いた。やはり狂っていて、GPSコンタクトしても分単位以上のところは合わない。手動でも設定できないようだ。車のディスプレーはここ彼処薄くなって使いものにはならなかったが、いよいよナヴィのシステムも駄目になると車の時計自体が駄目になる。

塗装のさびなど徐々に老朽化が目立って来て、電気系統が不備だったのだが、ここまで来ると新車選定へと舵を切らなければいけない。車検も今回が間違いなく最後となる。もし気に入った車が見つかって、発注しても半年ぐらいは納車に掛かるだろうか。半年ぐらいは我慢できるだろうか?先ず選定するのに時間が掛かりそうだ。試乗もしなければいけないとなると時間が無いので結構厳しい。しかし三台目までほど車を買ったりするのがドキドキしなくなった。本当に必要な移動手段でしかなく、殆ど憧れが無くなった。精々、興味あるのは車周辺のWiFiオフィースシステム化とノイズキャンセリングオーディオシステム、半自動運転ブレーキシステムぐらいだろうか。あとは居眠り防止をどうするかぐらいだ。足回りでは空気ばね、4WD、ハイブリッド、購入最後のV型オットーとなるだろうか。これだけでも今乗っている車よりは五割方高価になりそうだ。しかしそれで充分である。先日劇場の前でベントレーがうろうろしていたが、確かにジャグゥワー12気筒などに比べて遥かに乗り心地はよいのかもしれないが、やはり自分で運転すれば疲れる。出来るだけ疲れない車がいい。夜間透視システムもいいかもしれない。

入手したクロームキャストオーディオをインストールした。やはり完璧な再生が可能になったと思ったら、同じような音飛び症状が出てきた。暑いのに仕方がない、原因調査に乗り出した。そしてルーターを交換してから顕著になった様な様子があったので、信じたくはないがAndroidアプリケーションのWiFiAnalayzerというのでWiFiの場所による信号強度を測定した。そして危惧した通り以前のルーターの方が強度が強かった。認めたくなかった問題で、これがあるから高速化になかなか踏み切れなかったのだ。勿論これは冬の籠り部屋になるととりわけ重要な問題となる。

そこで先ずクロームキャストのある場所で信号強度を上げる工夫をした。最初にルーターの付け替えである。これは奨励されたと取り付け方をしていなかったので、模範的に付け直す。場所が無いので古いルーターも取り付け直す。すると、目論見通りに新しいルーターの信号の方が強くなったもしくは変わらなくなった。これで試すとなるほど音飛びが無くなった。可成り悪い条件で使っていたらしく、安定すると音質も向上した。

なるほどこれで無線化に懐疑するPCオーディオ使用者が多いのが分かった。しかし無線マウスと同じで無線化になれるともはや有線には返れない。特にVideoで音飛びが発生するのは送信量が圧倒的に多いからなのだろう。しかし動画となると余計に音飛びが許せるようになる。

ベルリンからデジタルコンサートホールの新プログラムが届いていた。中身を見るとキリル・ペトレンコ指揮の三回の中継以外には、ヤルヴィ指揮のブルックナーとロート指揮のコンサートぐらいしか興味が持てなかった。つまり二回目のペトレンコ指揮コンサートは自身がライヴで映る位だからライヴでは観れない。つまり精々二回しか必要ではない。一回は今回ついていた無料券で一週間、もう一回は一週間券を買えば事足りるかもしれない。つまり今シーズンも年間券を購入する必要はなさそうだ。

英国からプロムスの中継があったので少し聞いてみた。ギリシャ人のカラヤン二世の指揮でアテルナ合奏団の演奏でベートーヴェンの運命交響楽の三楽章から四楽章のところを聞いた。あまりにもその奇妙さに構えていると、低弦とファゴットでアクセントをつけていても、それ以上に下手さ稚拙さが苦になった。今年日本デビューをするようだがこのような日本の聴衆が煩いようなプログラムだと、謀った様なプログラムでは成功は無いかもしれない。ソニーが後ろにいるのでサクラなどを総動員するのだろうが、ぽしゃるかもしれない。販売戦略として味噌くそ市場で成層圏まで打ち上げて後は軌道修正しながらと考えているのだろうが、そこまで届かずに落ちてくる可能性が強いかもしれない。プロムス市場のためにしっかり練習は積んできていても、それに飛びついてくる少数を拾うには関心層を擁する市場そのものが小さ過ぎる。予想以上に旬は短いと思った。



参照:
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
GeliebtGehasst 2018-01-24 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-07-29 23:59 | 生活 | Trackback

行きたくない火星が光る

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クロームキャストオーディオを注文した。ここ数週間、キャスティングの音飛びが頻繁になった。暑い時にイライラするのでしっかり調査はしていないが、先ず同じものを試すことにした。手軽に高品質の音を飛ばせて最高96kHzまでのPCMを光ファイバ―で出せるので、エアーチェック用にはこれで充分だ。それどころかこれを使い出して必要な音資料をネットから落とすようになると、BGMとしては当然のことながらこれが無いとお勉強も儘ならないようになってしまった。

音飛びも少々のことならば楽譜を見ていれば補えるのでそれほど気にならなかったのだが継続的に飛ぶとなると精神衛生上よくなくなった。使い始めは飛ばないので原因は過熱されてくるとどうも駄目な感じで、PCに問題が無ければ、そこの問題しかない。嫌なのは録音していてもヘッドフォンでモニターでもしない限り何処で音飛びしているか確認の方法が無いことだ。兎に角、暑苦しい時には鬱陶しくて嫌だ。

原因調査以前に発注したのは、そもそも二つ目が欲しかったのと、三年経過して未だ新製品が出ていない限り購入しておこうと思ったからである。同じ機能を持った製品もあるようだが、先ずは手軽で安く使えるのが良い。製造中止になる前に確保しておきたかった。違うシステムの構築は新しいノートブックを購入した時に考えればよい。そもそもネットストリーミングの限界があるので、そこに金を掛ける必要などは無い。但し期待していたような値崩れはしていなくて比較的高値安定していて、前回購入した時よりも高くなっている。送料込みで40ユーロである。仕方がないが、使い勝手は分かっているので二つ目は助かる。夜中以外は常時電源を入れているので経年変化も早いから三年で寿命が来ても仕方がない。音飛びが簡単に解消されればそれだけで満足だ。壊れているであろう一つ目も音が出るのでアナログ出力させてDACを通さずにAUX入力に繋げれば映画などの音声には全く差支えない。問題は電源が自動的にオンオフしないことである。

ザルツブルクからのライヴ中継を少し聞いた。「魔笛」をヴィーナーフィルハーモニカーが弾いていたが、相変わらず誤魔化し方が見事で、ヴィーン訛りの音楽と呼ばれるあのノリはオペラ劇場の様々な歌に合わせやすく誤魔化しが効きやすいためのノリではないかと思うようになった。どう考えてもベートーヴェンの音楽などとそれは合わない気がしてきている。その点、評判の良いバイロイトの「ローエングリン」の音楽のようにちゃんちきオペラのようなノリにならないので、なんとなく高品質に聞こえる。

眠くなって、寝巻に着替えて、バルコンの座椅子で涼もうとしたら、話題の月食が見えた。聞いていなかった火星の輝きが凄かったので写真を撮った。まあ、あそこに住もうと思うのは分からないでもないが、どう見ても我々の文化の範疇で感じるような新世界ではないなと思う。そこまでリスクを冒して飛んで行きたいとはちっとも思わない。

新聞文化欄の一面に大きくバレンボイムウィークについての記事があった。ブエノスアイレスで指揮することは知っていたが、アニャ・カムペが前半でイゾルテで歌っていて、帰って来てから日曜日のミュンヘンの「ヴァルキューレ」、そして火曜日の出合いだった。仕事を絞っている歌手とは知っていても、重なる時は重なるものだ。興味深いのは、バレンボイムがそこでフルトヴェングラー指揮のマタイ受難曲を聞いて、その時に鍵盤を弾いていたのがミヒャエル・ギーレンだとある。ギーレンとフルトヴェングラーの繋がりを初めて知った。

更に興味深いのは、シュターツカペレとコンサートも開いて、ブラームスの交響曲を演奏したそうだ。そのプローベで、dolceとexpressivoの相違を説明した。前者はとても簡単なことで、和声の変化を分らすための色彩の変化であり、バレンボイムにとっては調性音楽の主音からの距離感が重要になるという事でもあると、FAZのヤン・ブラッハマンは書く。

さて今週末位からルツェルンの準備を始めよう。フィラデルフィア管弦楽団の演奏の衝撃もあったので先ずは「ドンファン」と白昼夢になりそうなフランツ・シュミット交響曲4番ぐらいだろうか。前者は音資料としてはラトル指揮のバーデンバーデンライヴと二つが主で、その他は直前になって比較試聴してみよう。シュミットの曲はピアノ譜しかないが4月のベルリンでの演奏が二種あってヴィデオまであるので管弦楽は書き加えて行くようにしていくと面白いかもしれない。

日曜日にはクリーヴランドからの「トリスタン」一幕の春に演奏された録音放送もあるので、これは聞きたい。シカゴからは、「展覧会の絵」以外にヒンデミットとシューマンで昨年のバーデンバーデンに似たようなプログラムである。録音するかどうか。



参照:
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
flacをクロームキャスト 2016-10-18 | テクニック


by pfaelzerwein | 2018-07-28 23:34 | 生活 | Trackback

「ドンファン」の新録音資料

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パリからのフィラデルフィア管弦楽団の中継録音を聞いた。BGMで流しただけだが、予想以上に価値があった。その演奏会は欧州イスラエルツアーの三日目で、ルクセムブルクで聞いたプログラムとは一曲が「ドンファン」に差し替えられている。そして放送ではグラモーが弾いたブラームスが除外されている。これはグラモー事務所の方針なのだろう。だからギーレン指揮以外の演奏はヴィデオなどもネットに存在しないようだ。仕方がないが、それでCD等を買うということも無い。その演奏は記憶にだけ留めておこう。

シューマンの演奏も私が聞いたものよりも会場のアコースティックが明晰で、恐らく本拠地のそれよりも、それどころかエルブフィルハーモニー中継とも異なった。この録音を聴けば、この管弦楽団がシカゴのそれよりも機能的な事が分るのではなかろうか、クリーヴランドよりも管との混合があり、そのパレットは遥かに広い。私自身も今までの放送からどうしてもパートの分離性という事ではこのアンセムブルの特徴から限界があるかなとも思っていた。しかしこのアンサムブルの基本精度から何でも出来ることが分る。それにしてもなんという管と弦の合わせ方だろうか。今までこれに近い印象はショルティー指揮のシカゴ交響楽団しかなかった。

最も関心があったのは、三月にバーデンバーデンでベルリンのフィルハーモニカーの演奏で聞いて、そして来月にはルツェルンで聞くリヒャルト・シュトラウス作曲「ドンファン」の演奏だった。そして聞いてしまってしまったと思った。たとえキリル・ペトレンコが指導しても短期間にこの精度のアンサムブルがフィルハーモニカーには期待出来ない。そしてそこから配合していくときの音色の微妙さとしなやかさは嘗て無かったような管弦楽となっているようだ。

たとえネゼセガンがシュトラウス的な指揮が出来ていないとしても、このような演奏をされると、現在フォンカラヤン指揮のそれを貶すのはいとも容易いが、文句の付けようがない。嘗てムラヴィンスキー指揮の演奏に文句が付けられなかったのと変わらないが、全くそのキャラクターが異なる。ユージン・オーマンディ指揮のそれを無視出来てもやはりこれは無視出来ない。

どこかに本拠地の録音があると思って探した。同じツアー準備の演奏会で、その時の前半は「不安の時代」だった。その録音を流してみてはっきりした。ホールのアコースティックが大分違うので、特徴の弦管のミクスチュア―以上に低弦の影響で倍音成分が聞き取り難い。先日のローエングリン初日のためのバイロイト初代監督の話しを思い出すが、蓋付きのピットでの混ざり合わせと楽譜に基づいたアンサムブルのやり方はまた別な問題だろう。今回の「ローエングリン」は、他の演目と違って、その指揮はとても評価されているが、エルザを歌ったアニャ・ハルテロスの話しが面白かった。つまりいつも違ったようにしか演奏しないので合さないといけないというのだ。勿論この初代監督が同じテムポで振る基礎技術が無いとは思えないが音楽を作る時にどうしてもアゴーギクに頼らざるを得ないのだろう。

勿論ここで触れている管弦楽団の世界は全く違う世界の話題で比較のしようがないのだが、会場の音響で弾きにくい弾きやすいもあり、それがどのように聞こえるかはまた違う話しだ。少なくともこのパリのホールのフランスの放送局の収録は明晰そのもので、これを聴けば間違いない。それにしても演奏の端々が修正されているようで、まさかペトレンコのような細部を詰めてはいないと思うが、楽譜を広げて聴き直してみなければいけないと思った。回数重ねればよくなることは確かにしても、もし演奏旅行中に修正するような指揮をしているようならば本人も成長する可能性が強くて、仕事さえ絞るようになれば、その活動から耳が離させなくなる。今回の放送はオンデマンドでも聞けるようだ。



参照:
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
MP4映像よりWAV録音 2018-04-03 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-07-27 23:38 | | Trackback

入念な指揮指導の大成果

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ペトレンコ監督下のミュンヘンでの最後の楽劇「ジークフリート」について語ろう。結果からすると二月の課題は悉く解決されていた。少なくとも管弦楽においては遣り尽した。それどころか大きな問題となっていた最終シーンでのフォイルの雑音が、素材がエステル系かに代えられていて、殆ど邪魔にならなくなった。以前は材質の音だけでなく反射の影響も大きかった。あれだけの大きさの軽い素材となると可成りの予算を使ったに違いない。その価値は充分にあった。だからフィナーレにも違和感が無くなり、普通に楽しめるようになったと思う。比重が増して波は出来ていなかったがそんなことはどちらでもよい。ケントナガノはそれ以上に大きな音を出していたのだろう。

先ずは聴きながらメモを取っていた三幕のメモを解析しながら最初から見て行くと、一場のエルダとさすらい人のディアローグではヴィオラがこれまたDolceで演奏するところがある。Bで例のザックスが父性を歌うように「勇敢な若者」と来て、「恐れを知らないからだ」とさすらい人のモノローグの中である。どうも課題だったようで、上手くヴィオラが絡んでいた。確かここでOKサインが出ていたように思うが、金管にもドルチェが付いているので高みから識別し難い。兎に角ここは2015年のバイロイトではその前の小節のディミヌエンドからpになっているのにも拘らずヴァイオリンが出て仕舞っている。2015年は2014年と違って演奏が粗かったので特に三幕は評判が悪かったが、実際に録音を確かめるとその調子の演奏程度であった。

キリル・ペトレンコの演奏実践の特徴は、こうした殆ど学術的と呼べるような細やかな譜読みとその演奏実践能力から、初めて創作の意図を明らかにするという事でしかない。その能力が特に表れていたのが二場である。ジークフリートとさすらい人の変わりばんこのディアローグであるが、一幕の超絶ほどには目立たないのだが、指揮を見ていたらそのテムピの切り替えの見事さにあっけにとられた。楽匠は細かく設定しているのだが、一体どこの誰がここまで完璧に指揮をしただろうか?歴史的にも今まで居なかったと思う。バイロイトの時と比較するまでも無く、この変化のさせ方が見事になっているのは手兵の管弦楽だからに違いない。ここだけでも成果なのだが、Dのブルックナーの交響曲のように響くseligeOedeとなる三場でも木管のアンサムブルにOKサインが出された。中声部のヴィオラと同じように、聞こえるか聞こえないような音量を保ちながら、音楽の核を支える。木管の場合は特にそのまま音色に係ることだ。そして管弦楽全体がスタッカートを刻む。

二幕における演奏は、ホルン主席のヨハネス・デングラーが不調だった様でもあり二月における演奏水準には至らなかったかもしれない ― 三幕でそちらをもっと音を出してみろと鼓舞していたのが分かった、演奏者のリハビリまでを遣ってしまうのか、この音楽監督は。そもそも「ヴァルキューレ」も「神々の黄昏」ツィクルスAで可成りの程度で完成していたのだが、この「ジークフリート」だけは音楽監督の意思からするとまだまだの気持ちが強かった中でも、二幕は既に域に達していた。

それでも手元のメモに従って幾つかの点だけは触れておかねばならぬ。一場ではさすらい人とアルベリヒとのデイアローグとなるのだが、勿論一幕におけるミ-メとの問答ほどではないが、ここでも二人のセリフの尻を噛ませる部分などで、その変化を見事に付けていた。二場になるとファーフナーの死へと向かい、ここでもピチカートから三連符となる巨人の動機の対旋律が低弦で奏される一方ヴィオラに受け継がれたりするのだが、大抵はティムパニ―に消されて誰も気が付かない。やはりここでもヴィオラ陣がモノを言う。三場のミーメとアルベリヒの争いはシークフリートとミーメの対話に繋がるが、その中でもミーメの歌う「Wilkommen」の後のヴィオラのパッセージとクラリネットは見事で、前回も印象に残ったアンドレアス・シャーブラスは更に吹き込んでいるようにも感じた。その他、オーボエのジョルジュ・グヴァノゼダッチ、ファゴットのホルガー・シンコェーテそしてバスクラリネットのマルティナ・ベックシュテッケマンなど座付き楽団以上の腕の冴えがあった。皆に共通しているのはブラームスの交響曲などの時とは違って最後の締めまでをしっかりと吹けていて、有り得るのはペトレンコの棒がより丁寧になっているとしか考えられなかった。それとは別に、巨人の動機に関与するピチッカートをアクセント強く弾かせていて吃驚した。その根拠は巨人の動機なのだろうが、2014年の名演は比較的そうなのだが、可成り乱れた2015年の方は全くしっかり弾かれていない。最後の年はよほどの練習妨害活動があったとしか思えない ― ペトレンコは、本当は下りるところだが、皆の為に我慢すると語っていた。

秀逸な木管器奏者群や向上心の強いヴィオラ陣について触れたが、その出来が結集して皆が終演を待たずに大喝采する出来となったのが一幕であった。この幕の音楽の特殊性については既に書いたが、明らかにその想定の上を行く演奏だった。一場における殆ど室内楽的なアンサムブルに続いて、二場でさすらい人のコッホが歌い出すと更に空気が変わった。やはりそのベルカントの声が高く尚且つ柔らかく響くことで、ミーメの歌との対照が際立った。二月には非常に良かったミーメ役のヴォルフガンク・アプリンガーシュネーハッケの歌は不調だったから余計だ。その柔らかさはまさしく指揮の技術によっても形成されていた。二場における鍛冶場でのそのハムマーを下ろす重力加減がそのまま指揮の「叩き」と「抜き」に顕著で、「指揮とはこうするものだ」と謂わんばかりで、技術的にも超一流の指揮であるのはそれだけでも明らかなのだ。しかしその技術の卓越だけで終わらずに、鋭い叩きと素早い自由自在の変化、まさに私がルツェルンで楽しみにしている「舞踏の権化」の彼の指揮であり、あれを実体験すると超一流の技術を超えた天才の仕業でしかないと納得した筈だ。それが異様な一幕後の大喝采として表れた。

私などは前方からそれを見ていたものだから息が止まりそうになった。百年に一度の卓越した指揮者であるとそれを目撃したならば多くの人が納得すると思う。拍の変化で指揮台で後ろ飛びまでしてしまうのは、効率云々よりもそれほどの大きな断層を「一振り」の中に組み込むにはあれしかないのだろう。それに適うような演奏を座付き管弦楽団が遣らかしたことも驚愕であり、観客同様に二幕では少し息を抜いたのは仕方がない。まさしくそれが楽匠の書いた楽譜である。しかし、印象としては、より拍を深く取っているのか、バイロイトでの演奏などよりも余裕があって、表現の幅が明らかに広がっていた。恐らくテムピとしては変わらないのだろうが、それだけ管弦楽が弾き込んで来ていたという事ではなかろうか。この辺りの課題の作り方や合意形成や目標の置き方が凄いと思う。勿論それは私が期待していたことそのものにほかならなかったのではあるが。それでも終幕最後の小節が終わって拍手が始まると同時に若いコンツェルトマイスターに業務連絡をしていて、その内容は冷めないうちの「今後の留意点」だったかもしれない。なんと恐ろしい人だ。

もう少し細かいところは楽譜を見返してみなければ確認して詳細として語れない。そして個人的にはルツェルンでの二つのプログラムの方へと意識が向いている。それでも今回とても勉強になったのはヴァークナーの楽劇における指揮というもので、大分プチーニにおけるそれとは指示の出し方が異なっていて驚いた。勿論正確な拍子を打つのだが、プッチーニに置けるように歌手と管弦楽の二段構えは流石に阿修羅ではないので無理なようで、必要なキューを小まめに歌手におくる以外は管弦楽を細かく指揮していた。その必要がある編成であり、音楽であると同時に、歌手の声を押さえるところは極限られていて ― ミーメにだけであった ―、科白の中でその拍節が守られれば、管弦楽に合ってくるという事でしかなさそうだ。そもそも歌手がどこの音に合わせて歌っているのかさえも不明なところも多々あった ― ピアノ譜と合わせてみないと分からないか。大管弦楽のオペラの難しさであろうが、その分歌手に任されることも多そうだ。

タイトルロールのフィンケの声は、先日の韓国人ほどではないが、こちらが管弦楽のソロを聞き取ろうとしても声が大き過ぎて被ってしまって喧しかった。逆にそれ程舞台で何が聞こえるかというのは楽劇の特殊な技術的な話題であろう。同じロージェの隣に座ったのはオーストラリアからの人で「ヴァルキューレ」では王のロージュの一列目に居たらしい。彼は演出云々で不満のようで、もう一組のミュンヘン近郊の夫婦も音の時差と視界の制限を苦情していた。それほどあのロージュは特殊で、もう少し安くしてもらうと嬉しいが、私はその金額以上に素晴らしい体験をした。全く見ていなくてもしっかり聞いているのでブリュンヒルデのシュテムメも二月よりも良いと思った。コッホのさすらい人については既に書いたが、間違いなくヴォータンよりも当たり役だ。ペトレンコの指示は恐らくピアノ稽古からのその協調作業がそのまま表れる出し方で、歌手によって構い方が異なるのは当然なのかもしれない。



参照:
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女


by pfaelzerwein | 2018-07-27 02:22 | | Trackback

就寝不可能な昂り

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ミュンヘン近郊の氷河湖地域から帰ってきた。九月の宿のこともあるので、敢えて遠回りのメミンゲン経由で帰ってきた。つまりアルゴイ経由という事だ。渋滞を避けて上手く行った心算が最後の最後で、丁度先日スピード違反で撮影された区間で大事故が起こって閉鎖されていた。二十分ほど前のことだったろうか?救急車も聞かなかったがヘリコプターが着陸していた。一キロほどに三十分近く掛かって、遠回りして帰ってきた。バイロイト音楽祭の「ロ-エングリン」の本中継に間に合った。

泊まった宿は民宿のようなとこで、何一つ外に案内が出ていなかった。おばさんが一人でやっていて、掃除も自分でしているので、靴を脱がされた。他所の家に伺うようなものだった。帰りが遅くなって、ベットに入ったのは一時過ぎだった。夜食のところに四人組が遣って来て、顔を見上げるとアニヤ・カムペと目が合って、彼女も驚いたような顔をしていた。反対側のロージェにはいなかったが、何処にいたのだろうか? ー 彼女に面が割れていることは無いが、流石にペトレンコ本人には熱心な人と認識されてきているかも知れない、今回も杉良の流し目ではないが二度も上目遣いされたが、その心理を「アンタも好きね」と読んだ。日曜日に仕事は終わっていることは知っていたので、一寸意外で驚いた。その驚きが彼女にも波及したのだろう。二人の男性の一人は入って来て後姿がヴォルフガンク・コッホだったので確認できた。その奥さんらしきもずっとこちらに顔を向けていた。もう一人の男性は比較的細身で、コッホの作業着とは違いしっかり着ていたので誰か分からなかった。最初は北欧の二人のどちらかとも思ったが比較的優男で、Rがバイエルン方言のようにも聞こえたが、確認できなかった。但しワインのテースティングもコッホよりも慣れているようで、赤ワインのコルクも取り替えさせていた。

しかしコッホだけがしっかり食べていたので、やはり歌手ではないのかもしれない。但しマネージャーでもなくカムペの新しい恋人でもなさそうだった。結局カムペは白ワインに留まるとしてお代わりを飲んでいた。二人とも映像やオフィシャルで知っているの通りの雰囲気で、カムペはドイツ女性としては十分にフェミニンで、コッホもあの通りの朴訥な感じで、仕事に満足した感じでとてもリラックスした感じで楽しそうに食事をしてそれほど声を張り上げずに話していた。二人とも通常のドイツ人に比べると、やはり言葉静かに話すタイプで、決して悪い感じはしない。

その様子を見ながらへレスのお代わりをしていたら遅くなってしまったのだ。一寸飲み過ぎで、車の運転は初めてのところなので、何事も無く戻れてよかった。勿論宿に帰っても興奮状態で充分に眠れなかった。だから帰路は夜中と同じように眠くて辛かった。特に渋滞では停まってブレーキを踏みながら何回も居眠りをしていた。



参照:
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活



by pfaelzerwein | 2018-07-26 02:38 | | Trackback

ジークフリートへの音色

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最も安く車の燃料を満タンにした。50リットルで68,45ユーロは決して悪くは無い。前回先に入れた時の方が少し高かった。これで一泊しても往復は問題が無い。宿賃は払ったので、朝食代を現金で渡すぐらいか。現金が必要なのは劇場内のメムバー表と喫茶だけだ。ピクニックの内容は考えていない。帰路が要らないから寧ろ果物などを主にしようか。

10時前に出れば14時には宿に着く。宿から劇場まで30㎞37分、15時過ぎに駐車場に入れるとすると厳しく、無駄な時間は無い。やはりピクニックの準備が要る。なにを持って行こうか?それならば時間に余裕が生じる。朝食をゆっくり取りたいので、また宿を探すのに時間が掛かるだろうから、これしかない。気温も高そうで、冷房の効いている車から直ぐに劇場入りしたい。

さて「ジークフリート」三幕についても触れておこう。と言っても拍手もそこそこに急いで帰って来たのだからまともなメモは無い。但し、二幕の最後においてもpをしっかりと演奏しているのでも分かるように、三幕のフィナーレも舞台の雑音に消されて爆発的な愛の歓喜とはならない。なぜ態々言及する必要があるかと言うと、バイロイトの所謂蓋付きの演奏実践の録音を聞くとその強烈な爆発は蓋無しのミュンヘンでは採らないからだ。これを先に知っておく必要があるのは、私のように最終日の「神々の黄昏」に出掛けない者の心掛けかもしれない。如何にも「ごついのはこれからじゃ」と新聞評にもあったようにドラマテュルギー的にもそのように演奏される。通常の劇場で演奏する場合の限界であるかもしれない。もう一度一幕に戻ってはみたいが、この三幕のフィナーレの演奏実践は将来バーデンバーデン劇場ではどうなるだろうかと言う問いかけは残る。

しかし何よりも今回とてもよく分かったのは、「ジークフリート」の二幕におけるナイーヴなまでの母性へのイメージと三幕のデアヴァンダラーとジークフリートの掛け合いに楽匠の父性への印象がそのまま楽譜化されていることだ。三幕になると更にここそこに「マイスタージンガー」のそれを聞き取れるのだが、これほど直截な表現があったとは気が付かなかった。音楽的発展の断層をこの楽劇内に認識するのは常識だが、その技術的な問題ではなく、「ワルキューレ」娘との惜別とここでの表現の差異は、美学的には近代的意思表現の相違となるのだろうか。恐らく久しぶりにコッホの歌で聴いたので、丁度ザックスのその舞台と重ね合ってしまった。そして二月には北欧の歌手が歌っていたので全くこの効果は生じなかった。楽匠の息子の名はジークフリートだったなと思いだした。

コッホのように柔らかくこれを歌う歌手は他に居ないのではなかろうか。正直2014年のヴォータンには違和感の方が強かったのだが、デアヴァンダラーのこの掛け合いまで来ると、しっくりいったのだった。これを聴けるだけでも今回の訪問は歌手に関しては価値があると思う。まあ、管弦楽がどこまで根つめて演奏するかに掛かっている。とても楽しみで、まだまだミュンヘンまでの走行中にタブレットの楽譜を確認しないといけないことが多々ありそうだ。


写真:二幕二場のドルチェなホルン「im Wald hier daheim?」、今回も吹いて貰わないと困るヨハネス・デングラーがアバド時代に過渡期のフィルハーモニカーで吹いていたことは知らなかった。助っ人だったようで試傭期間ではなかったようだが、リヒャルト・シュトラウス家の伝統のこともあり、公務員待遇の劇場のポスト以上に魅力的だったとは思われない。



参照:
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-07-24 14:40 | | Trackback

パン屋開いて、床屋閉まる

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パン屋が夏休み明けとなった。床屋が夏休みに入った。先週から気になっていたが、あと二週間我慢することになる。秋のことも考えて時期を考えていたのだが、判断が難しかった。19日に24日のミュンヘン行きが急遽入ったので、金曜日の髪結いがならなかった。九月のことを考えれば八月九日にサマーカットでいいのだが、この先最高に暑い時期の二週間の快適度が不安だ。火曜日にシャツを着ればあと二週間はTシャツで通せるので、運動をしない限り、襟首があまり気にならない。さてどうなるか?

土曜日のワイン地所の上縁をジョギングした。なんとのろのろとした動きだった事か。これでパン屋休み中の二週間に二回は一時間前後のハードな走り、一回の軽い走りが出来たのでまあまあだろうか。運動不足は否めないがその間ミュンヘンにも出かけたので、時間もあまりなかった。早速パン屋の裏の短いコースを走った。久しぶりに窓を開けて就寝したので、夜中に目が醒めて寝坊をしたが、森の中の気温は摂氏17.5度で苦しまずに済んだ。

夜中に目が醒めた時にはキャスティキングの声がタブレットからしていた。触ってみると熱くなっている。タブレットでこのようになるのは初めてだ。どうもキャスティングと光度の高いピクチャーヴューワーを同時に開いていて、布団に包まれていたのがいけなかったようだ。CPUが可成り過熱したと思うが、暴走もしておらず、アプリケーションを閉じて、使ったまま冷えるのも比較的早かったので、ダメージは最低限に留められたと願いたい。

「ジークフリート」二幕の二月三日公演のメモを見るとヨハネス・デングラーのホルンが明記してあった。何処が巧かったとかいうよりも、一幕を背後で吹いていて戻って来ていたからだろう。それでも三場の小鳥の歌に続いてのホルンの独奏は聞かせ所には違いない。しかし一場のところに書いてあるので、森のアルベリヒの背後で所謂「騎行」の動機が1,3で奏されるのでそこかも知れない。この幕でのコントラチューバが有名だが、バイロイトの2015年の録音でもそのホルン演奏はさしてよくない。デングラーのそれは重い音で鳴らすので良かったのだろう。どうしてもこの場面ではトロンボーンによる呪いが強調されるのだが、次に出て来るヴァンダラーとの絡みではとても重要で、特に今回はベルカントのコッホが歌うとなると、このホルンの響きが活きる。

更にメモには、二場でのミーメとジークフリートの対照と、一転チェロが六拍子のEで柔らかい音を奏でていたようで、恐らく森の囁きの音楽とそれに続く四拍子のGの所謂愛の旋律の動機へと今度は分割されたチェロが美しいアンサムブルを繰り広がられたことだろう。ここは恐らく楽匠の書いた最も柔らかな音楽だと思うが、その母性へのイメージのようなものがダイレクトに表現されている。またそこでE管のホルンが「小鳥の動機」を奏するのが憎い。

三場になるとこれまたオーボエ、クラリネット、ホルンに留意しているが、様々な動機が組み合わされるのは、一幕一場と同じなのだがここでは室内楽的な書法となっていて、大交響楽のスケルツォから緩除楽章への繋がりが、アルベリヒとミーメの争いから「指輪」の動機が出て「ラインの乙女」からそして「小鳥の歌」へと繋がる冒頭の場面の展開の速さとその筆使いは「指輪」の中でも最も音楽的に自由闊達だ。一幕一場のあの固さがここではオペラ芸術の中でぐっと解れている。

キリル・ペトレンコの棒も「ヴァルキューレ」での苦心の跡とは違ってとても自由に流れる。日曜日の出来の反応を見ると、やはり管弦楽が苦労しているようだが、諸般の事情から仕方が無かったのかもしれない。既に「音楽的解決」は一月に示されていたのであり、ペトレンコのミュンヘンへの置き土産でしかない。その点「ジークフリート」はその演奏実践に関してはバイロイト公演からして初めから定評のあったものであり、またとても室内楽的な難しさもあり座付き管弦楽団に要求されるものは過剰である。そして二月にもまだまだ十分な演奏は出来ていなかった。少なくとも今回も二月の陣容が揃っていないことにはより良い結果は得られないだろう。ピットを覗き込めば大体の出来は予想可能だ。まあ、じっくりと腕前を拝見するとしよう。

歌手ではやはりコッホへの言及は無かったようだが、繰り返すが、カウフマンのヴァークナーとコッホが上手に歌うことで初めてキリル・ペトレンコのヴァークナー演奏実践の基本コンセプトが実現される。個人的にも2014年になぜあんな軽いヴォータンを歌う必要があるのか理解不可能だったが、もうこれは否定しようがない基本コンセプトであり、もしこの二人のヴァークナー歌唱に不満があるならば、ペトレンコのヴァークナーなど聴かない方が幸せだろう。これは先ごろの「三部作」で「ベルカント」を確認した者ならば皆同意する筈だ。あれを評価できないとヴァークナーも評価できないかもしれない。



参照:
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活


by pfaelzerwein | 2018-07-23 23:52 | 生活 | Trackback