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終わらないドタバタの一日

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水曜日は大変だった。ワイン街道を10時に出てゆっくりとバーゼルで待ち合わせの計画であった。しかし先方が交通の遅れで予定の一時間半遅れとなった。後ろが詰まっているのでデットポイントのギリギリで、結局予定していた18 時に車庫入れが30分遅れた。それも尋常ではないガタガタぶりで、我ながらよくもその時刻に入れて、公演前のお話しに間に合ったものと思う。第一楽章の説明は終わりだったが。

そのガタガタに拍車をかけたのは無料のナヴィシステムがスイス内で使えなくなっていたことだ。直ぐにインターネット接続が出来ないと出てくる。いつも使っていないので、また出かける前に目的地が出ていることを確認していたので、訳が分からなった。バーゼルまでは問題なく使えていた。GPSの現在地とその周りの地図を頼りにマニュアルでナヴィして行くしかない。勿論運転しながらでは不可能なのである。

それでもなんとか事故も無しに乗り越えた。目的地に着いたのは一時間ほど遅れていた。そもそも一時間前には着く予定だったので二時間も計画がずれていた。勿論そこで余計にドタバタとなるのは道理であった。

しかしそのような状況でありながら、場合によっては警察沙汰なのだが、心から楽しめるというような状況でもなく、それでも必要最小限には聴けてしまうというのは、玄人だなと自身思う。一つには11月のキリル・ペトレンコ就任の米国お披露目壮行演奏会でもう一度聴き直せるので、余計に聴きどころは絞れた。

逆に若干の動揺みたいなもので、音楽的な表現もここはこうなんだろうなという想い入れにもなった。さらに終わってからも色々とフォローをしなければいけないとなると、面倒だなと思うが、それと感想はまた別物である。自らの楽しみをではなくシステマティックに公演に接するようになってからの長い道程であったが、そのような姿勢も役に立つこともあるのだ。

そして道に迷ったのだが、無事に宿泊地に戻れた。危惧していたようなこともなく、一番問題なく片付きそうだと思ったら、そこからまた二時間ほど悪戦苦闘となった。細かなことを書いても仕方がないが、ワインを開けて食事が出来るようになる迄に二時間以上費やした。一日の予期せぬ四時間は返して欲しいと思うぐらいだが、こちらの旅行の目的は為せたことであり、あとは気分の問題でしかない。

本来ならば車を走らせるのも儘ならなくなっていた状況から考えれば、途中で立ち往生もすることなく目的達成できただけで良い。一週間後も二週間後も同じような経路を動くのだが、同じ約束をしていても今回のようにはならない。それだけで気が楽だ。



参照:
短冊が叶う七夕祭り 2022-07-09 | 暦
ルツェルンの最初の夜 2019-08-27 | 暦
# by pfaelzerwein | 2022-09-03 02:01 | 生活 | Trackback

晩夏のセレナーデの準備

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さて恒例のお出かけ準備である。先ずは水曜日の行程を確認。バーゼルで一寸立ち寄るので、そこ迄途上スイスのヴィヌェッテを購入したりで、3時半30分ほど見ておく。朝はゆっくりしたいが、何とかピクニックの準備も出来るか。ルツェルンでは16時の約束なので、14時頃にバーゼルを出ても大分の余裕がある。換金や買い物をその間に済ませれる。

ピクニックは欠かせない。朝食も摂っている時間はないので、スイスの湖でも観ながら暫しお昼が出来るといい。その場所はもう決まっている。それで演奏会終了予定時刻が異例の早さの21時であるから、そこ迄頑張ればよい。今回は途中から宿泊先が変わって、近場に戻るだけなので、上手くいけば21時45分には食卓に着けるだろう。

流石に陽は落ちているのだが、晩夏の夏の夜を愉しめる筈だ。昨日までは悪天候が予想されていたが、一通りの夕立ちで済みそうなのでテラスで食事が出来ると愉しい。これだけは運次第である。21時過ぎの外気温は18度が予想されているので、羽織るものを持って行く。普段着は半袖しか持って行かないからだ。

衣装は余裕があるならば向こうで着替えればよいが、急ぐときには結構焦る。あとは早めに燃料を満タンにしておきたい。その時にエンジンオイルを継ぎ足しておく。今日は何とか前日よりも安く入れれるような気配だがまだ分からない。

月曜の朝の走りの帰りに葡萄を見た。触って見ると可也柔らかく、もう二週間ほどで収穫できそうだ。粒も適当な大きさでそれ程密になっていないので潰れる可能性も少なく結構良さそうである。あとは秋が来たところで健康なまま収穫が可能かどうかである。試食してみなかったので、酸の感じは分からないが、いい感じがする。

近所で少し燃料の価格が下がったところ手を打って満タンにした。100ユーロ超えたが、これで往復できればまずまず。宿泊先が変わったことで、ラインの国境を越えて二日通う燃料費一回分が浮く。往復200kmぐらいだから20リットル程、なによりも往復の二時間が省けるだけで、二日目にゆっくりできる。更にハーディング指揮となれば冷やかしのようなものだから、それ程根をつめない。もう少し終演時刻が早ければアプレを愉しめたのだが、

燃料の価格はネットで調べて更新後既に22分経過していた。今喜んで出かけるスタンドは距離的には少し伸びるのだがもう一件に比較すると、信号がなく、一つ村を通過するだけ、だから早い。それでも時間限定のお得価格が終わってしまうとリットルで5セント以上上がる。60リットルで3ユーロ高価に。で飛ばして隣町に入ると、摘み取っている葡萄をつんだトラクター、追い越した。所謂濁酒のようなワインの葡萄かもしれない、もうそこは秋。



参照:
未熟な食品危機管理 2008-10-20 | マスメディア批評
アパートメント泊りの準備  2021-08-30 | 料理
# by pfaelzerwein | 2022-08-30 23:46 | 生活 | Trackback

新管弦楽音響への道程

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昨年11月の「マゼッパ」公演の録音を頂いた。バーデンバーデン祝祭劇場で季節外れの「復活祭」として新制作の舞台がコロナ禍で二年続けてだけになり、その代わりに極東旅行がキャンセルされた時に演奏会形式で辛うじて演奏された。10日と12日に「マゼッパ」が演奏されて、オープニングのシューベルトプログラムとこれまた本来ならば今演奏されるべきショスタコーヴィッチ交響曲10番などが演奏された。

先ず録音の雰囲気が、偶々前日に聴いたその数日後のベルリンでの映像とは全く違う。このラディオ放送時の復活祭月曜日には「スペードの女王」の最終公演に出かけていた。留守録音をしていたのだが、朝一番に出かけてユース楽団の運命交響曲などを聴いたので、六時間ほどで放送は消えて仕舞っていて、無音しか録音されていなかった。そのような訳で、今回始めてマイクを通した音を聴く。

今迄の祝祭劇場での音とは大分違うと感じた。一つには会場のホールトーンがたっぷり入っていて、如何にも欧州最大のオペラ劇場の空間の大きさを感じさせる。確かにコンサート向きの録音ではない。それもあって、音像が奥の方乍左右に広がっている。同時に管弦楽が後ろで演奏しているのだが声と上手に混じっている。管弦楽自体がコムパクトに纏まって響く。十分に奈落のような鳴りになっている。

これはベルリンのフィルハーモニーのワインヤード型のホールではありえない響き方だ。これだけでもこの音で確認した価値がある。ここで聴く音は丁度バルコンなどと非常に似ている。バルコンの方がもう少し身近な感じがするぐらいで、むしろ上階に近い。

そしてその内容は、直後に書いていたものを読み返すとまさしくそのもので、音だけ聴いていると、舞台がなくても大きな劇がそこに広がっているのが分かる。本当に素晴らしい雰囲気がある。カラヤン指揮の怒涛の様な響きは抑えられてニュアンスが満ち溢れている。

この録音を聴けて幸いだった。一つにはウクライナで勃発した侵略戦争とこのマゼッパの歴史をどうしても並べてしまうこともあるからだ。そしてその時に書いていた「スペードの女王」への期待と予測が其の儘実現化されたのを知っている。この録音はアーカイヴ化されて、復活祭の歴史として貴重な資料としてアクセスできるようにしておいて欲しい。現在までのところ再放送された形跡はなく、五カ月遅れながら耳に出来たことはとても嬉しい。

また水曜日のルツェルンでの演奏会へとまた新たな興味も生じた。なにより既に言及したようなシューボックス型のホールでの独伝統配置での楽団の鳴り方と、規模の大きい編成さらにその器楽法の妙を鳴らし切れる唯一のホールだと思われるからだ。ベルリンのフィルハーモニーでも喧しいという評も出て来てどうもザルツブルクでも鳴り切っていなかったようで、まさしくこの交響曲の音響的な特徴とそして指揮者ペトレンコが基礎づくりしてきた新ベルリナーフィルハーモニカーがどのように鳴るのか。

ショルティ指揮シカゴ交響楽団のそれを乗り越えるときがやって来たのか。要するに大交響楽団が新たな時代へとマーラーの七番を通して突入していくのかどうか。昨年のスーク作曲「夏のメルヘン」の演奏に既にその道程が示されていたのだ。



参照:
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
# by pfaelzerwein | 2022-08-29 20:58 | | Trackback

お友達の輪の序奏部

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水曜日のマーラー作曲七番のお勉強をしている。金曜日の批評が出てきていて気になるので、他の録音を聴いてみた。やはり問題は第一楽章が全てだと思っている。今迄の批評を纏めると、その批判は一楽章の冒頭から為されていて、四楽章のフィナーレから逆算しての演奏解釈だというのが典型だ。要するに明る過ぎると、同じ筆者らしきがブラームス作曲二番を指して陽が射さないとしたのと正反対になっている。

その印象が何処から来ているのかがとても気になった。大きな音色的な影響はテノールホルンのぷかぷかと鳴らす印象もあるが、まさにどうしてこうした音色を求めたのかとなる。今回の開幕演奏会のプログラムには執拗に、ドロミテに避暑を動かしてからも、嘗ての湖の小舟のオールを思い浮かべたようにとなっているが、まさにあのぷかぷかはそうとしか思えない。

しかし、手元にある名録音を聴いてみても、ペトレンコ指揮のもの以外ではアバド指揮シカゴが効果的な音を出している。それ以外の本来ならば最も端折ってペトレンコと匹敵する音を出せるブーレーズも引きづった指揮をしていて、彼の晩年のマーラー演奏実践に共通している。要するにバーンスタインのそれを踏襲しているに過ぎない。その中で本人の指揮の屈指の録音であろうラトル指揮のオルドバラでのライヴもよりそこで何かを表現しようとしている。それらの演奏実践こそが批評家の判断基準にあるようだ。因みにミュンヘンでのヤンソンス指揮が代表的とする評者も嘗ていた。

実際にこの導入部の指揮は、可也そうした演奏実践に寄る所も多そうで、とてもこの曲を詰まらなくしている側面もあった。皆が皆そこ迄踏襲しているにはそれなりの理由があるのだろうが、そこまでの必然性は読み取れなかった。水曜日までに何か結論が出るだろうか?それでもぷかぷか感は調性的な不安定さにも付き纏うもので、シェーンベルクが歌曲集などでやった浮遊感にも繋がる。マーラーにおいては浮遊はしていないのだが、それに近い感興はこの楽譜からも読み取れるかもしれない。

シカゴで思い出したが、ショルティが指揮していたマーラーの歌い方や伝統がこのアバド指揮のシリーズには何らかの形で残っているのだろうか。六番の録音でも立派な演奏をしていた。ここでもやはり上手いと感じた。結論には未だに至らないのだが、なにやら糸口は掴めてきた気がする。

新聞の秋の博覧会や催し物の一覧表を見ていたら、バーゼルの劇場でエンゲルがマルタ―ラー演出「魔弾の射手」を指揮をすることが書いてあった。再演かと思ったら新制作だった。批評を参考にしてと思ったら、それが無いので分かった。更に見ていると、室内楽団と書いてあったのが、友人のいる楽団だった。これは平時のこの劇場の演奏よりも面白いと思って、我慢が出来ずに安い席を確保した。前回行ったときはご招待だったので初めて席を選んだ。

そしてその奏者の旦那と会う約束をしていたので、早速アポイントメントをオファーすると、出かける計画となって簡単に決まった。彼とエンゲルでは若干年齢差もあり、狭いスイスと言えどもチューリッヒとバーゼルではあまり繋がりがなかったのかもしれない。お友達のお友達はお友達。嫁さんの割り当てでは初日の招待券はないと、気持ちだけは有り難く頂戴した。



参照:
素晴らしい夏の響き 2022-08-28 | アウトドーア・環境
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感
# by pfaelzerwein | 2022-08-28 23:29 | 雑感 | Trackback

素晴らしい夏の響き

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久しぶりの落雷停電だった。無料券で18時過ぎからのディジタルコンサートホールを生中継から、過去アーカイヴへと移って流し続けていた。23時30分は過ぎていたか、ブラックアウトになった。早速、デスクの前のボードのヘッドランムプをつけて、いつもの蠟燭に火を灯した。遠雷であったが当分回復しそうにないので、就寝することにした。それでも零時を回っていた。

やはりWLANも切れ、電話も掛からないとなると為すすべもない。タブレットに入っているフランス映画などを観ながら大人しくしていたが1時半ぐらいかに点灯した。その時のことを考えて、もう一度電源が入った時の危険性をチェックして起き上がろうと思っていた時だ。結局階下のラムプを消し忘れていた。やはりそういうことは仕方がないので、消し忘れるのが普通だと思う。炊事時に地震などの時は誰でも消し忘れるだろう。

それで安心して就寝したが,少なくともその間冷蔵庫には電気が流れていないことも先ほど気が付いた。幸い雷雨があって十分に冷えていたので関係はなかったが、夏の暑い盛りならば、生鮮食料品の痛みも早くなっただろうと思う。

さて、生中継は先ずは怪我の指揮者ペトレンコが普通に歩いて出てきていて安心した。高椅子に腰を落とす感じで、右足のギター奏者の足台のような物を使って、結構立って指揮もしていた。流石に最後の答礼でチェロソロ奏者を立たせるのを忘れる程痛かったっ様で、踏ん張り過ぎていたようだ。

例年の事で、二回目のザルツブルクで少し抜いて指揮をしてもらえばそれでいいだろうか、ルツェルンでしっかりとやって貰いたい。音楽的な細かなことはもう少しお勉強して、実演後のネタとして置いときたいが、印象は結構強かった。

なによりも余り動き回らないので、身体の軸が安定しているようで、落ち着いた音が出ていた印象がある。良し悪しではないが、何か今後にいい影響を与えそうで楽しみである。ペトレンコ指揮の音楽の最大の利点は引きづらないことで、テムポを上げたから解決するものでもなく、早くても弾きづる指揮者も少なくない。反面、曲によってはもう一息入れたいと思わせることもある。特に独墺系の核レパートリー指揮で思わせることであるが、今回のマーラー作曲第七交響曲では、それは一つの曲の特徴として作曲家の当時の状況として活きていたと感じた。

そしてコロナ後初めての独伝統配置での響きは素晴らしく、ミュンヘンで絶賛されたライヴ録音のCDを彷彿させた。これだけいい響きのベルリナーフィルハーモニカーは初めだ。ピッチも何か安定してきているようで、疑問点が悉く解決されて行っている。弦楽の上手さは米国のビッグファイヴのそれを超越して更に木管が絶妙につけている。響きに関してはやはりフィルハーモニカー自身が語っているように、「スペードの女王」での奈落の響かせ方が、ビフォアーアフターで効いてきているようで、素晴らしいとしかいいようがない。

独伝統的配置がよく鳴るシューボックス型のルツェルンの会場でどのような響きとなるか今から余りにも期待が膨らみ過ぎる。



参照:
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
# by pfaelzerwein | 2022-08-27 21:37 | アウトドーア・環境 | Trackback