タグ:ブーレーズ ( 1 ) タグの人気記事

徐々に遠くなる二十世紀

スイスのベックメッサーこと音楽評論家マックス・ニフェラー が、作曲家生誕百周年を記念してオリヴィエ・メシアンの二人の高弟にインタヴューしている。

残念ながら紙面一面弱に大きな二人の作曲家の写真が載っているので内容は少ない。それでも、つい最近亡くなった印象のある20世紀を代表するフランス作曲家の面白い話を読めた。

二つの重要な見解があった。

一つ目は、創造力に身を任せるときに、自然がメシアンには有ると語られるとき、作曲家にアイデアを与える鳥達の歌を意味していた事への質問である。その特に有名な鳥の歌声の採譜法に関して弟子のブーレーズは師匠のメシアンに問う。「鳥の歌は12音階によって支配されるべきでしょうか?」それに、メシアンは答える:「それは一つの芸術的な書き換えである」

その共感覚に関する二つ目の質問に対して、要するに青色やオレンジ色とかの和音については明確な回答をせずに、それは全く個人的なイメージでしかないと語った事である。

それに対して英国の作曲家ジョージ・ベンジャミンは、「メシアンの色彩と言うのは、ハーモニックスの差異を組織化する一つの道具であっただろう」として、自分にはそれで以ってどうしようもないのだが、師匠が意味していたのは「ムソルグスキーやヴァーグナーやショパンなどの音楽の事で、メシアンの場合は光とか白熱と呼んだ方が良いのではないか」との見解を示す。

鳥の歌の採譜は、「アシシの聖フランソワ」の全体を貫いてその音楽のポピュラリティーの源泉となっていて、後者の音の色彩やモードについても解説のみならず論文としても、また一般的なイメージにおいてはメシアンの音楽をそれが司って来たものである事から、この二人の発言に明らかな 意 図 が感じられるのである。

それは、メシアンの授業について述懐するとき、ラヴェルの「マーメールロワ」の音楽を先ずはテキストなどを読むことから初めて四手の版管弦楽版へと仔細にマクロに分析して行く事から、作曲行為を明らかにしていく手法が採られていたり、一向にドイツ語圏の音楽の分析は得意ではなかったことが語られる。

グスタフ・マーラーの「大地の歌」の音楽は、「トリスタンとイゾルデ」ほど調和していなくて、シェーンベルクよりもベルクの表現力をかっていた事などはなるほどと思わせると同時に、ブーレーズの主張であるリズムの構造としてはストラヴィンスキーにまで至らないのを挙げる事で、フランス音楽の伝統の中での個性として位置付けている。

思えば、ブーレーズ自体が半世紀前の作曲家であり、二十世紀も徐々に遠くなってきている気配すら感じさせる。



参照:“Obwohl man nicht rückwärts hören kann“ von Max Nyffeler mit P.Boulez und G.Benjamin,
FAZ vom 15.8.08
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-08-26 03:10 | | Trackback